第2話 笑顔と横顔

(何やってんだ俺……ヒーローにでもなったつもりか? 合コンゲロ太郎のくせに?)


 思わず飛び出したものの、内心冷や汗を垂らしながら自問する。


 ただひとつわかるのは、汚されたくなかったということ。

 酷い暴言を吐いた不良の手が夜噺逢奏よばなしあいかに触れることなど、俺には許容できなかったのだ。


 怒りで拳に力がこもる。


「ぐっ、いってぇ!? なんだてめぇ放しやがれ!!」

「あ、すんません。強すぎました? お詫びにもっと強くしますね?(ギュー)」

「ぐえええええええええええええええ!?」


 ときに、男の逞しい筋肉に惹かれる女性は多いと聞く。だから俺は昔から筋トレを欠かしたことがない。

 家系的に細身だが、筋肉量には自信がある。

 そこら辺の不良にチカラで負けることはないだろう。

 さらに、こんなスキルだってあります。


「ほ〜らここらへんとかどうです〜? 肝穴って言いましてね〜? おにーさん酒飲みっぽい感じするし効くんじゃないっすか〜?」

「いでぇぇぇぇ!? 誰がマッサージしろと言ったぁぁぁぁ!!」

「もういっちょ♪」

「グリグリするなぁぁぁぁ! オホォォォォォォォォ!?☆!?!♪?」


 といったところで、男は俺の手から命からがら逃げ出した。ツボマッサージの激痛から荒い息を漏らしている。

 ちっ、あと少しで逝ったのに。


「はぁ、はぁ。てめぇ舐めた真似しやがって……!」

「あっれ〜、酒飲みの友達はみんな喜んでくれるんだけどなぁ。あ、もしかしておにーさん、見かけによらず下戸です?」

「んなこたぁどうでもいいだろうがァ!!」

「図星かな?」


 まったく、クズ男に酒と女はセットと決まっているというのに。

 俺なんて酒だけはパーフェクト。いつだって会場を吐瀉物まみれにできるぜ。これで合コンでよく出没するモンスター女はイチコロだ。

 いわば嘔吐は自衛でもあるのである。

 

「……とことんまでとぼけた野郎だ……ムカつくぜ……」


 しかし余裕ぶっこいてばかりもいられそうにない。

 いよいよもって、男は拳を構える。


「もうゆるさねぇ……! 覚悟できてんだろうなぁ!」

「ありゃりゃ。怒らせちゃったか。でも怒ってばっかだとハゲますよ? ステイクール」

「あ゛ぁん!?」


 自虐ネタなんだけど面識がない相手にウケるわけなかった。

 おかしいなぁ仲良くなってこの場を収めるという素晴らしい作戦だったのに……なんちゃって。


「おっと」


 なんの捻りもなくまっすぐ殴りかかってきた男の拳を避けて、


「んなっ!?」


 すれ違いざまに勢い余った男の足を引っ掛けて、背中を押してやった。

 男はそのまま地面に倒れ込んでしまう。


「はぁ……」


 大学の近くだっていうのに暴力に訴えようとは、最初からわかっていたが短気なやつらだ。もはや会話は望めそうにない。

 まぁ、俺はわりかし満足した。ウィンウィンというやつかな。


「さて、今のうちっと」


 俺はようやくもって会話から置いてけぼりになっていた件の美少女、夜噺先輩に向き直る。


「すみませんねお姫様、巻き込んじゃって」

「え? そ、それは私のセリフなのだけど……というか、お姫様?」


 そこら辺は俺の気分の問題です。その方がアガるだろ。


「巻き込みついでにちょっと失礼しますよっと」

「きゃ————」


 有無を言わさず、さっと抱き上げる。 

 他に言い得て妙もない、お姫様抱っこというやつだ。


「おっけーおっけー。軽い軽い」


 筋トレしててよかった。

 筋肉は全てを解決する!


「なんなのよ、これ……」

「喋らないで。舌噛みますよ」

「え?」


 夜噺先輩に小さな声で告げると、俺はその場でくるっと反転、男に背を向けてニヤッと笑って見せる。


「じゃ、俺たちはここらで失礼しまーっす」


 三十六計逃げるに如かず!! 

 俺は颯爽と走り出した。


「だ、コラ、待ちやがれぇ!?」

「は〜っはっは〜! 姫を返して欲しくば俺に追いついてみやがれ〜!」


 追いかけてくる不良とギャラリーの学生たちを尻目に、俺は全速力で駆け抜けた。



 ☆



「こんなもんでいいかなぁ」


 数キロ走り回って完全に振り切ったあたりで、俺は足を止めた。

 パトカーのサイレンも聞こえたし、男も大人しく退散したことだろう。

 

 夜噺先輩に視線を向けると、まるで借りてきたネコみたいに身体を縮こまらせて、文句ありげに口を引き結んでいた。


「足速すぎよ……あなた……」

「すみません。細マッチョだけが取り柄みたいな男でして」


 筋トレはこれからも続けるとしよう。


「…………………………」

 

 夜噺先輩は仄かに赤面して黙っている。

 どうやらお姫様抱っこで走り回ったことがお気に召さなかったらしい。


「……あー、降ります? ちなみに、俺はずっとこのままでも悪くないと思い始めてます」


 美少女に触れるなんて人生初の体験ですからね。


「降ろして」

「はい」


 名残惜しいが丁寧に下ろしてあげる。

 これが噂の絶対にデレないってやつね。ちょっと興奮する。


 あくまでクールな佇まいで身嗜みを整えると、夜噺先輩はこちらに向き直った。


「あの、さっきはありが————、どうしたの?」


 何か貴重なお言葉をいただけそうな気がしたが、今の俺はそれどころじゃなかった。


「あ、あはははは……ちょ、ちょーっと緊張の糸が切れましてね……」

「緊張……?」

 

 足のチカラが抜けてきて、とてもじゃないが立っていられずコンクリートに大の字で倒れる。


「あ〜〜〜〜怖かった〜〜〜〜!!!!」


 心の底から感情を爆発させるように叫んだ。


「なんなのあの不良! 生まれる時代間違えてんだろ! マジチビりそうだった! よく生きてたなぁ、頑張ったなぁ、俺!!」


 そう、俺は最初から最後までビビっていた。怖くて怖くて堪らなかった。ずっと足が震えそうで仕方がなかった。

 喧嘩なんてしたことないし、ハゲ親父に殴られたこともなければ殴ったこともない。

 俺はただの臆病で無害なパンピー大学生。

 今回はたまたま全てが上手くいっただけ。一つでも歯車が狂えば、殴り飛ばされ姫を攫われバッドエンドだった。もう2度とあんな綱渡り体験したくない。


(カッコ悪いなぁ、俺って)

 

 もう少しの間、強がっていられれば良かったのに。

 こんなんじゃきっと夜噺先輩には失望されてしまう。


「————ぷっ、ふふ、あははっ。あははは!」


 しかし目の前に降臨したのは、未だかつて誰も見たことがないであろう大学1の美少女の笑顔だった。


(あれ、この人って笑えるんだな……)


 動揺のあまり、実にバカみたいなことを考えている。


 同時に、見惚れた。

 限界まで膨らんでいた風船が割れてしまったみたいに、張り詰めていたものを全て吐き出すかのような笑い声。

 夕日に照らされながら、踊るように艶やかな黒髪が揺れていた。

 その姿はまるで女神みたいに、途方もなく美しい。この光景が見れたのなら、今日俺がしたことにも価値があったのだろう。願わくば、また見たいとも思う。見るためなら、なんだって出来る気もした。


「あなたって、おかしな人ね」


 やがて笑いを収めた夜噺先輩が言う。

 その瞳は今までよりもいくらか優しくて、表情も柔らかく見えた。


「お褒めに預かり光栄です」


 立ちあがろうとしたら先輩が手を差し出してくれたのでお礼を言って、気持ち程度に力を貸してもらう。

 正直、一瞬とはいえ手を繋いでしまったことへのドキドキで寿命が縮んだ。もう一生手は洗わない。


「疲れたでしょ? うち来る? 近くなの」

「へ?」


 素っ頓狂な声が出てしまう。


「も、もう一度言ってもらえますか?」

「近くなの」

「もう一つ前」

「うち来る?」

「Foooooooooooooooooo!!!!!!!!!!」


 これは夢?いや現実だ!

 だって髪を引きちぎるとこんなに痛い!いつものように痛いもの!


「く、来るってことでいいのよね……?」

「ぜひに!」


 食い気味で叫んだ。

 が、ふと思い出した。

 

「は!? で、でも先輩、彼氏いるんじゃ……!?」


 彼氏持ちの女性宅にお邪魔するのは俺の純情モラルが許さない。


「私に彼氏? いないわよそんなの」

「そうなんですか!?」


 衝撃の事実!


「ならその指輪って……」


 左の薬指には忌々しきシルバーのエンゲージリングが煌めいている。


「ああ、これ……これはただの男避け。効果は、なかったみたいだけれど」


 わずかに瞳を伏せる先輩。

 

「そ、そーだったんですね。俺、てっきり先輩にはもう決まった男がいるのかと思ってました」


 良かったな大学の同士たちよ。君たちの脳は再生する。絶対に教えてやらないけど。


 それから先輩は含みのある感じで笑んで、こちらに背を向けた。


「……まぁ、彼氏がいたことはあるわ。ずっと昔に寝取られたけれど」

「え?」

「なんでもない。忘れて」


 それは喜怒哀楽の判別がつかない、なんというか、儚げな横顔のような気がした。

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