第10話 バイトでエンカ
夜になると俺はアパート近くの居酒屋でバイトをしていた。
大学生になってすぐの頃からお世話になっているお店だ。
「いらっしゃいませ〜!」
仕事を終えたサラリーマンたちが続々と雪崩れ込んでくる。テーブル席は全て埋まって、所狭しの大宴会だ。騒がしいことこの上ないが、この雰囲気も嫌いじゃない。
しかし俺はバイト中にも関わらず、完全にうわの空だった。
それは数時間前の夜噺先輩との会話に由来する。
『ほんっとうにすみません!!!!また後日、よろしくお願いします!!!!』
授業後、先輩を家まで送り届けたのたが、そこで先輩は再び上がっていかないかと誘ってくれたのだ。だが今日はこの通りバイトが入っていた。しかも実は前回の合コンのためにサボった補填の日。
うちの居酒屋の大将はいい人だが、かなりの強面で怖いので、これ以上精神を逆撫でするわけにはいかない。よって今日ばかりはサボれなかったのだ。
くそっ、こんなことになるならあの日の合コンなんて行かなきゃ良かったのに……!
いや、そうじゃなくても後悔しかないわ合コンゲロ太郎化したし。
「はぁぁあ……先輩いまごろ何してるかなぁ」
土下座でなんとか許してもらえたと信じたい。
あ、もしかしてまたメッセージが来ていたりするかも?こっそりとポケットの携帯を確認するが、メッセージアプリの通知には男友達のくだらない猥談しかなかった。
「ちょっと八城く〜ん! お客さん、来てるよ! ご案内して〜!」
「はーい! 今行きまーす!」
あまりボーッとしてるわけにもいかないようだ。
先輩バイト(彼氏持ち巨乳美人)の
「いらっしゃいませ〜、何名様————って、はぁ!?!?!?」
そこには綺麗な黒髪を揺らす大学1の美少女、夜噺逢奏さんがいた。
「せ、先輩なんで!?」
「きちゃった」
「いや来ちゃったって……」
可愛いけど!
「どうしてここがわかったんです?」
「さぁ、どうしてでしょう」
いやいやそんな小悪魔チックに微笑まれましても……可愛いけど!
「なーんて、ちょっとストーキングしただけだから気にしないで?」
「ストーキング!?」
なにそれ全然気づかなかった。
「そんなことより店員さん、案内してもらえますか?」
「え? あ、はい、りょーかいです」
先輩はふつうにお客さんとして振る舞うつもりのようだ。
「カウンターでよろしいですか?」
「居酒屋って入ったことないのだけど、1人ならカウンターがいいわよね?」
「まぁそうですね。空いてる時ならテーブルでもいいですけど、今はこんな感じなので」
身振り手振りで現在の混雑っぷりを知らせる。
「じゃあ、カウンターでお願いします」
「はーい。一名様ご案内で〜す!」
俺が声を上げると、厨房の大将と墨染さんが「いらっしゃいませ〜」と続く。
「ふふ、なんだか新鮮ね。この雰囲気」
「すみません騒がしくて……」
お昼の喫茶店とは打って変わった状況だ。
先輩は苦手かもしれない。
「ううん、楽しいわ」
だけど先輩は終始、興味深そうにあちこちをキョロキョロと見回していて、決して嫌そうではなかった。
「ドリンクはどうします?」
「生ビールをください」
「生一丁っすね」
わずかに緊張した様子で注文する先輩はなんだか目新しい感じで微笑ましい。
そしてやはりとりあえずビール派。素晴らしい。俺と波長が合ってしまうんだなぁうんうん。
「それでは、他のご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
名残惜しいがお辞儀して、先輩の席を後にする。
と、先輩は引き止めるように俺の肩に手を乗せて、まるで他のお客さんにバレないようにこっそりと逢瀬するみたいに、耳元へ小さくささやく。
「店員さん、お仕事は何時までですか?」
「……え? あ、えーと22時までですけど」
「待ってるから、終わったら教えてね」
「……!! は、はい! もちろん!」
おほー!!やる気でてきたーーーー!!
るんるん気分で注文を通しに戻った。
「ねぇねぇ八城くん、あの人知り合い?」
ちょうど落ち合った墨染さんが野次馬根性全開でニヤニヤしながら聞いてくる。
「大学の先輩です」
「え〜、めっちゃ美人じゃん〜。へ〜、お姉さんのおっぱいばかり見てたあの八城くんがね〜。八城くんも案外、すみに置けませんなぁ〜うりうり〜」
ちょ、やめ、彼氏持ちおっぱい押し付けてくんな。以前の俺なら喜んでいたかもしれないが、もう彼氏の垢付きに興味はないんだ。
「いやいや、俺なんてとてもあの美しさの前には釣り合わないですよ」
「そんなことないよ〜。傍から見てもいい雰囲気だったぜ!おふたりさん!」
「……そうですか?」
「そうだよ〜! お姉さんの読みでは、脈ありだね!」
「そ、そうですかねぇ…………えへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ♡」
「八城くんがとてもこの世のものとは思えないデレ顔してる!?」
おっと。慌てて表情筋に鞭を打つ。
もっともっもデレてほしいのは、俺じゃなくて先輩なんだよなぁ。
「とにかく、応援してるぜ! なんでも相談して!」
「機会があれば頼りにさせていただきます」
そこで会話は打ち切り、それぞれの仕事へ戻った。
先輩への給仕は基本的に俺がやらせてもらったが、それでもほとんど会話ができないほどの忙しさだ。
(先輩、退屈してないかな……)
カウンターを盗み見ると、先輩は1人でも心なしがウキウキした表情でお酒を飲んでいた。お酒や食事をという以上に、この場の雰囲気全てを愉しんでいるように見える。
(あっ……)
安心して視線を外そうとした寸前、先輩がこちらに気づいて小さく手を振ってくれる。
それだけで心はポカポカと温かくなった気がした。
そして先輩が来てから1時間以上が経ち、時計の針が21時を示そうという頃————夜も深まり、酒飲みたちにも酔いが回ってきていた。
「おーおー、おねーちゃん、かーわいいねぇ。ひとりなのかい? あっちでおじさんと一緒に呑まないかい?」
テーブル席でどんちゃん騒ぎしていたおっさんがお手洗い帰りに夜噺先輩を見つけて、これみよがしに絡んでいく。
見るからに顔が赤い。かなり酔っているようだ。
「ね、いいでしょ? ひとりより絶対楽しいからね〜」
酒の席で少々気が大きくなっているのだろう。
あの程度は先輩なら難なく対処できそうだが……ここは店員としての役目を果たそう。
それにしても、たった2日間で何度目だこのパターン。美少女っていうのも大変だなぁと心から思った。
「はいはーい、お客さんストップ〜!」
「うお、な、なんだおまえは!」
「いやいや、うちのお店、そういうナンパ行為はちょーっといただけない感じでしてね〜?」
「ナ、ナンパではないぞ!? ちょっと話していただけではないか!」
「はいはいそういうのをナンパって言うんです〜」
自覚がないというのもまたタチが悪い。
「これ以上続けるようなら、あちらの大将がお相手致しますが、いかがですか?」
大将の方を手で示すと、大将はおっかない顔を上げて、ギロリと睨んだ。
「ひ、ひぃぃぃい!? す、すまなかったぁ! 許してくれぇぇぇ!!」
酔っぱらいのおじさんは飛び退くように逃げていった。
これにて一件落着。大抵の客は大将をチラつかせればビビってくれるので楽ちんだ。
「大丈夫でしたか、先輩。すみません変な客がいたみたいで」
「ありがとう。大丈夫よ」
一言も言葉を発することなく事態を静観していた先輩は、そっと微笑む。
「あなたが来てくれるって、わかってたから」
その信頼がなにより嬉しかった。
「おい八城」
「はい?」
大将が声をかけてくる。
「おまえ、その姉ちゃんの相手してやんな。知り合いなんだろ」
「ええ? それはそうですけど、まだ仕事が……」
「いい。これも仕事だ。姉ちゃんには気持ちよく酒を飲んでほしいからな」
そうは言ってもな……。
今日のバイトは元々サボった分の穴埋めだというのに、少し気が引けてしまう。
「姉ちゃんも、それでいいかな」
「はい、助かります。ありがとうございます」
「いいさ。その分、そいつと楽しい時間を過ごしてくんな」
そう言って、大将は珍しく笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます