第15話 予兆

「せんぱーい! わーいやっと会えたー!」


 明るい色の髪を振り乱し、嬉しそうに駆け寄ってくるのは小柄の少女だ。と言っても、大学生ではあるのだが……


「……だれ?」


 はやくも逢奏あいかさんが嫉妬モードに入っている。絡ませる腕のチカラがぐっと強まった。


「あー、えーと、俺はアレを人間だと思っていないので安心してください」

「そこは恋愛対象じゃないとか異性として見ていないとかだと思うけれど……」

「ですかね」

「さすがに失礼よ」


 彼氏として気遣ったつもりが逆に怒られてしまった。


一宮愛いちみやらぶ。高校の後輩です」

「え? 一宮……ラブ、さん?」


 逢奏さんは首を傾げる————と、次の瞬間、件の少女・一宮愛がこちらへ突っ込んできた。


「そーのー名ーをー呼ぶなーーーー!!」

「うぉぉお!? いきなりライダーキックはやめろ!?」


 慌てて逢奏さんを守りながら避ける。


「せんぱいが失礼なことを言うから!」

「名前言っただけだろうが」

「人間じゃないとも言った!」

「それも事実だ」

「そうだけど〜! 人智を超えた天才だけど〜!」


 えへんと胸を張るらぶ

 それでいいのかよ……。


 しかし、天才というのは事実かもしれない。

 愛は数年前からネット上でプロのイラストレーターとして活動しているのだ。彼女の描くイラストは現在進行形で多くの人を魅了し、無数のファンが生まれ続けている。

 その分野に関しては疑う余地がない才能の持ち主だ。


「で、不登校がどうしてここに?」

「久しぶりに会えた後輩にいうことがそれ?」

「おまえが大学来ないからだろうがっ」


 愛は大学に入学した4月の中旬ほどから、ほとんどキャンパスに顔を出していない。

 理由は、俺と同じ学部に入るはずが間違って違う学部に入ってしまったから。元々は一年先輩である俺から過去のテスト答案を掠め取ることで楽に単位習得するつもりだったらしい。

 しかしそれが出来なくなった以上、愛は大学を諦めてイラストレーターの仕事に専念し始めたというわけだ。


「今日はちょっとカウンセリングを受けてたの」

「ああ、なるほど……」


 これは少々センシティブな話だな。


「なんでそんな神妙な顔つきになってるの! ただ不登校について聞かれただけだし!」


 大学からしたら普通に重大だよ。入学してからまだ3ヶ月、何があったって話だ。実際は本当にくだらない理由しかないのだが。


 ——くいくい。


 そこで話に入れていない逢奏さんが俺の腕を引いてくる。


「あ、すみません」


 改めて俺は説明する。


「こちら俺の後輩の一宮愛いちみやらぶ。不登校のクズです」

あいです!!」

「だそうです」


 ラブという名前は彼女にとって1番のコンプレックスだ。

 昔は揶揄われたり色々あった。


あいさんね。私は3年の夜噺逢奏よばなしあいか

「大学1の美少女さんですね! それはさすがの私でも知ってます!」


 不登校にも伝聞される美しさ。


「でも、その夜噺せんぱいがどうしてこの穀潰しと? 金づる?」

「おい、それ俺のこと? なぁ後輩? ちょっとそっちで殴り合わないか?」

「じゃあ合コンゲロ野郎死ね、で」

「もはやあだ名でもなんでもねぇんだよな……」


 ただの悪口ですね。


 おそらく愛の情報はネットから得たものだろう。逢奏さんと付き合ってからというもの俺がどんな扱いを受けているのか非常に気になるところだ。見ないけど。


「彼、飛鳥くんとは結婚を前提にお付き合いしています」


 言葉の信ぴょう性を高めるように、逢奏さんは俺にくっ付いてアピールする。

 その行為は明らかに同性である愛を煽っているようだった。


「え…………?」


 とたん、愛から表情が消える。


「あ、あの、それは、その……せんぱいの彼女さんと言うことでしょうか……?」


「ええ、そうよ。だから、あまり彼に近づかないでくれると嬉しいわ。私たち、愛し合っているから」


 勝ち誇った微笑みを見せる逢奏さん。

 愛は気迫に押されたのか、俯いて黙り込んでしまう。


「おい愛? どうした?」


 俺に彼女ができたことがそんなにショックなのか……?


「NTR……」

「は?」


 小さなつぶやきは、大噴火の予兆。


「こ、こここここれは俗に言うNTRです!!!!」

「何言ってんのおまえ!?」


「私のせんぱいが寝取られた〜!」

「はぁぁあ!?!?!?」


「N・T・R・! N・T・R・! N・T・R・!」


 感情を爆発されるように叫び散らかす愛は、やがて子どもみたいに地団駄を踏み始める。

 

「だってだってせんぱい! 約束したもん! 余り物どうし仲良くしていこうなって言ってくれたもん! それって将来結婚するってことでしょ!? 一生一緒でしょ!? そうだよね!?」


 その昔、余り物同士うんぬんは似たようなことを言ったかもしれんが……


「いやいや、9割おまえの妄想だが!?」


「やだー! やだやだやだー!! だって私せんぱい以外と結婚できないもん! 友達すらいないもん! お金しかない都合のいい女だも〜〜ん!!!! らぶなのに〜! らぶな名前なのに私は愛がもらえないの〜!!!!」


 もう支離滅裂すぎる。


「せんぱいは私のなの〜〜〜〜! うわーーーーん! せんぱいのバカ〜〜〜〜!!」

 

 騒ぎを聞きつけて、周囲の視線は集まるばかり。


「おいおい何のさわぎだ?」

「NTRとか聞こえたんだけど? 修羅場?」

「なになに面白そ〜う」


 ふだんなら全く気にしないオーディエンスだが、愛のこの発言はマズい。

 主にただでさえ底辺の俺の評価が!!


「逢奏さん、ここは逃げましょう!」

「…………………………」


 しかし逢奏さんは固まっている。

 

「………………ねとっ、た……? 私が……? あの子から、飛鳥くんを……?」


「逢奏さん?」

「…………え? な、なに? どうかした?」

「逃げます! はやく!」


「で、でも、あの子は……」

「今は何言ったって聞きませんよ! そもそもあいつの言うことなんて気にしなくて大丈夫です!」


「う、うん……」


 俺に手を引かれて走り出した逢奏さんはいつになく浮かない顔だった。

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