Ⅲ.過去にさよなら

第14話 逢奏さん

 大学1の美少女、夜噺逢奏よばなしあいかとのお付き合いを始めてからおよそ1か月が経過した。


 季節は本格的な夏が近づいている。

 そんな講義室にて。


「でゅふふふふ……」

「何笑ってるの? キモいよ?」


 翔が訝しげに言ってくる。


「すまないな翔くん。君は今日、ボッチ授業だ」

「あー、なるほど。この授業はそうだったね。そういうことなら僕は適当な女の子と一緒に受けるよ」

「え……」

「じゃ、そういうことで」


 なにあいつ。やっぱりムカつく。

 離れていく背中にあっかんべーしてやってると、ふいに金髪を揺らして振り向く。

 

「そうだ飛鳥、ずっと言い忘れてたんだけど」

「ん?」

「初カノおめでとう。僕も自分のことみたいに嬉しいよ」

「お、おう…………さんきゅ」


 なにあいつ。やっぱりいい奴か。


 今度こそ翔は他の席へと去っていった。すぐに女生徒たちに囲まれてちやほやされていた。


 それから数分経つと、ひとりの女性が艶やかな黒髪を揺らして講義室へやってくる。

 その美しさたるや、生徒たちの視線が自然と集まってしまうほどだ。

 

「先輩〜、こっちこっち!」


 きょろきょろと教室を見渡していた女性に席から声をかける。

 するとパッと表情を輝かせてこちらへ駆け寄ってきた。


「飛鳥くんっ」


 そう、こちらの女性こそ俺の彼女————夜噺逢奏先輩である。

 

 この授業は唯一、学年の違う俺たちが履修していた共通の科目なのだ。


 先輩は嬉しそうに微笑んで、キープしていた隣席に腰掛ける——かと思いきや、


「ふがっ?」


 腰を折り曲げて、席に座る俺と視線を合わせると細い人差し指で鼻をつついてきた。


「な、なんでふか?」

「よびかた」

「あっ」

「やりなおし」


 むっと眉目を寄せる。そんな顔も可愛らしい。


「す、すみませんせんぱ————じゃなくて、逢奏あいかさん」

「ん、よろしい」


 先輩は満足そうに頷いて今度こそ隣に座る。


 例によって周囲の視線はひしひしと感じるが、それはすでに日常と化していた。


「いやぁ先輩って呼び方に馴染みすぎちゃってますね」


 毎日のように注意されているのだが、一晩寝ればすっかり忘れてしまう。


「先輩って呼んでたのなんて最初だけじゃない」

「出会いからの数日間がそれほど濃かったということですよ」

「そうね……ふふ」


 本当に俺の人生の中でもトップクラスに大切で、全てを塗り替えてしまうような出来事だった。

 

「そうだ、今から練習しましょう」

「え?」


 俺は逢奏さんの方をまっすぐ見つめる。


「逢奏さん」

「は、はい」

「逢奏さん」

「はい」

「逢奏さん」

「……はい」


 今度こそ身体に、口に馴染むように何度も呼びかける。


「逢奏さん好き」

「えっ」

「逢奏さん大好き」

 

 みるみる赤面していく逢奏さん。


「逢奏さん愛してるッ。めちゃくちゃ愛してる!」

「ちょ、やめてこんなところで……! 恥ずかしいでしょう……!?」


 逢奏さんあわあわさせるのは彼氏の特権だ。


「じゃあキスしましょう。これで最後」

「だ、だめよそんなの……」

「今キスすれば、逢奏さん呼びを口が覚えられそうなんだけどな〜」

 

 そっと肩を抱いて、唇を近づける。


「み、みんな見てるわ」

「他人の目なんか気にしない、でしょう?」


 それは俺たちの強みだ。

 その一言で先輩は呆れたようにため息をついて、笑みを浮かべる。


「……わかったわ」

「んむっ、あ、逢奏さんっ?」


 まさかの逢奏さんの方から積極的に唇を重ねてくる。


「飛鳥くんは私のものだって、ちゃんとみんなに教えてあげる。それが私にできることだから」


 そんなこんなで授業が始まった。


 授業は基本的に真面目に受けている。


 しかし大講義だから緊張感があるわけでもなし、スマホを弄る者や談笑する者も多い。


 だから、愛しの彼女とこっそり小声でお話しするくらいは許してほしい。


「逢奏さん逢奏さん」

「なあに?」

「今度のデート、どこ行きたい?」


 この週末、俺たちは初めてのデートをする。

 今までは予定が合わなかったり、家で過ごすことが多かったのだ。

 特に人と関わらない逢奏さんはなかなかにインドア派だった。


「あなたが行きたいところ」

「えー1番難しいやつー」

「だいじなのは場所じゃなくて、誰と行くかだから。あなたとならどこでも楽しいもの」

「じゃあラブホ」

「ダメ」

「どこでもって言ったじゃん!!」

「……最初からは、ダメ。行きたいなら、ちゃんとムードをつくって、最後に。ね?」

「むぅ……りょーかいです」


 ムードか……初めてのデートでそこまで上手くいくだろうか……。

 しかしラブホは絶対に外したくない。絶対にだ。


 それから俺は逢奏さんに質問を重ねて、どんな所に興味がありそうか手探りながら見極めることにした。


(あとは……癪だが翔にも相談するか……)


 あの恋愛マスターならきっと、良い意見をくれることだろう。


「あんまり凝ったプランじゃなくてもいいからね。私は自然体なあなたが好きだもの」

「そんなこと言われると余計に気合い入るのが男という生き物です」

「もぉ……バカ」


 でも……と、逢奏さんはそっと囁く。


「そういうところも——だいすきよ」

 


 ・


 ・


 ・



 放課後、今日は(というかほぼ毎日なのだが)逢奏さんの部屋で夕飯をご馳走になる予定だ。


 一緒に講義室を出て、いつも通り腕を組んで歩いていると……


「あーー! センパイいたーーーー!!」


 鼓膜に響くほどの能天気な声が降りかかった。

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