第22話 証明してやる
時間は5日ほど遡り、デート当日——
「さようなら。今更あなたと話すことなんてないわ」
過去に出会ってしまった私は、すぐさま踵を返した。
しかしそれは、私を簡単に逃してくれるものではない。
「おいおい、ちょっと待てって」
「————っ!! 気安く、触らないで!!」
掴まれた腕を問答無用で振り払った。
男は余裕そうな顔で払われた右手を撫でながら笑う。
「おーこわ。変わったなぁ逢奏。昔はもっと素直で、のほほんとしてたのに。今はすっげえ強がるのな」
「っ、誰のせいだと……!」
まるでマグマのようにドロドロと感情が蠢く。抑えるべきだとわかっているのに、言うことを聞いてくれない。
「はは。そうだな。オレだ。オレが浮気したから……おまえ視点で言えば、寝取られちまったから、か?」
自嘲するように呟く。
その言葉はたしかに私の心を刺した。
「でもさぁ今になってまたオレ、思うんだよ。あの女共は結局オレを喰うだけ喰って、与えるだけ与えて、奪うだけ奪って、逢奏を傷つけて、満足したらオレを捨てやがった」
それは私の知らない、彼の視点。
「なぁ、逢奏。オレだって被害者だと思わないか? 可哀想だろ? オレだって、くそ女に弄ばれただけなんだよ」
問いかけに、私の口は動かない。ただただ乾いて、声を発するに至らない。
「ほんと最悪だったよな、あいつら。犯してやるくらいじゃ足りねぇ。殺してやりてぇよ」
グッと拳を握り込んだその憎悪は本物に見えた。
「あれからオレ、狂っちまった。おまえと別れて、何もかもに満足できなくなって、とにかくいい女を求めて、言い寄って、今度はオレが喰う側になって。色んな女とやりまくった。だけど……満たされないんだ。心が空っぽなんだよ……」
男はワナワナと震えて、言葉を零す。
黙って聞いていた私はただ、固まっていた。それは数年越しに明かされる、彼の心内。
行動は違えど私も彼と同じだった。私も、空っぽだった。
そうやって、私たちは運命に弄ばれたのだ。
「そんな時に、なんか面白い話を聞いてさー、逢奏に会いたくなったんだ」
だが、そんな共感もほんの一瞬のこと。
「彼氏、できたんだってな」
「……っ!?」
「ははっ、あはははは!」
「……、なにが、おかしいのよ」
「だって、逢奏にオレ以外の彼氏って、笑っちまうだろ?」
男は楽しそうに嘲笑う。
「どうせ奪われるのに、失うのに、どうしてまた彼氏なんか作ったんだ? わかってたはずだろ? おまえはあれから、そうやって生きてきたはずだ」
心臓がキュッと絞まっていく。
「っ、ち、違う……! 飛鳥くんは……彼だけは、違うわ」
「本当にそうか?」
「……っ」
ドクンッと揺れ動く。
私をよく知る彼は、私の弱い部分をこれでもかと突いてくるのだ。
「男なんてどいつもこいつも同じだよ。チ○コでものを考える生き物だ。いい女に言い寄られればすぐに恋だの愛だの忘れて、目の前の女一色になっちまう。……昔の俺みたいにな」
「違う! 違う違う違う! それは醜いあなたのことでしょう!? 飛鳥くんは違うわ!」
彼は誓ってくれた。
私の我儘に付き合って、ずっと一緒にいるって。
ずっとって、一生って、永遠って、そんな言葉が夢幻でしかないことを最も知っているのは、他でもない私自身なのに……。
「そうかよ。へへ」
まるで私がそう言うことがわかっていたかのように、彼は凍り付くような笑みを浮かべる。
「だったら、証明しようぜ」
「え……?」
それは、悪魔の誘い。
「八城飛鳥だっけ? あいつにオレの女をけしかけてやる」
「なっ!?」
「言い寄られ、誘惑されて、はたして八城飛鳥はおまえを裏切らないでいられるかな?」
「や、やめて! そんなバカげたこと! 大体そんな女、私が彼に近づけさせるわけ————」
私は気丈に、声を張り上げる。
しかしその全ては見透かされていた。
「おいおい、そりゃあ八城飛鳥を信用してないってことか?」
「っ!?」
「おまえがガードしなきゃいけないほど、おまえらの愛は薄いのか? 八城飛鳥ってのは簡単に堕ちちまうような男なのか?」
「ち、違う、飛鳥くんは、私を裏切らない……」
私たちが愛を信じられないことを、私たちは知っている。
それでも私が愛を信じたいことを、彼は知っている。
「だったら問題ねぇだろ」
「くっ……」
「期限は明日から5日間。はたして八城飛鳥は不貞を働くのか、それとも逢奏への愛を貫き通すのか、おまえは指を咥えて見てろ」
私はもう何も言い返すことができなかった。
これは、私の意思……?
「大丈夫だって。心配すんなよ。八城飛鳥はおまえが見つけた、王子様なんだから」
話が思い通りにいって気をよくした彼は高笑いする。
「もし八城が裏切って逢奏がまた1人になったら……そうだな、可哀想だからオレがセフレにでもしてやるよ!はははは!」
彼はもう、自分の勝利を確信しているのだろう。
「……最低。死ねばいいのに」
「へっ、どうとでも言え」
私のせめてもの抵抗は軽く躱される。
「結局あなたは、何がしたいの。私を貶めれば、それで満足?」
「…………さぁな」
すんと彼の笑みが消えた。
その瞳はまるで迷子の少年みたいに、心細く、揺れ動く。
「オレだって、もう、わかんねぇよ……」
ああ、もしかして、あなたも……本当は……。
彼は壊れている。
そんな彼が少しだけ、哀れにも見えた。
☆
時は戻って——現在。
俺は知らない男と2人きりで残されてしまっていた。
校舎裏は暗くて、静かで、少しだけ肌寒い。
「えっと……だれ?」
とりあえず語りかけてみる。
「……ひょっとして、今までのはぜんぶあんたの仕業か?」
「………………っ」
瞬間、男の濁った瞳がこちらをギョロッと睨んだ。当たりらしい。
「ああ……そうだよ。ぜんぶオレがやった」
「……なんでこんなこと————」
「————なぜだ!!」
俺の言葉を遮って、男は叫ぶ。
「なぜおまえはブレない!? なぜ靡かない!?」
「はぁ?」
ヒステリックな彼とは、少なくない温度差を感じた。
「いい女に言い寄られれば、男なら誰しもいい気になるものだろ!? 抱きたくなるものだろう!?」
「いや俺、彼女いるし」
「そんなことは関係ねぇッッッッ!!!!」
彼は続ける。
俺は少しずつ、話の趣旨を理解し始めていた。
「男なんてみんな、そんなもんなんだよ!! 欲望に従うイキモノだ!! 女のケツを追っかけることしかできねぇクソミソだ!! 都合よくヤらせてくれる女がいたら、意思とか関係なく心動かされちまう! 本当に大事だったモノなんか忘れて、何もかもどうでもよくなって、ずっと好きだった女のことさえも忘れて……、愛も恋も一晩あれば簡単に忘れちまう。移り変わっちまう。ぜんぶぜんぶくだらねぇ…………!!」
まるで慟哭だ。男はうめき散らす。
「それなのにおまえは、なんで……」
「…………………………」
男が話し終えると、沈黙が流れる。
どれくらい時間が経ったかな。
俺はたっぷりと時間をかけて、自らの中にある言葉をまとめた。
「あー、うん」
現実的な話をしてみよう。
「たしかに男ってバカだよな。そして、たしかに、恋は移ろうものだ」
俺の初恋は、幼稚園の頃。若い保育士さんだった。当然それが実るはずもなく、すでに彼女はべつの男と結婚した。
次は小学生の時。たまたま隣になってよく話すようになったクラスメイト。告白したけど、友達でいよう?と諭された。
続いて中学生、高校生、そして大学——俺は何度も恋をしてきた。そのひとつだって、過去に叶ったことはなかったけれど。
誰かに恋をして、恋を失って、また恋をして、また失って。中には俺と違って、恋人になって、別れて、別の人と恋をしてって繰り返せる人もたくさんいて。人は、何度でも恋をする。
「ずっと1人の人を好きでいるなんて、御伽話で、夢物語なのかもしれない」
それこそ、最初に好きになった誰かと一生を添い遂げることを許される人がどれだけいるだろう。
本当はそうできたら美しいのだろうけれど、色々あって、それはとても難しい。
「俺だって揺れるよ。最近彼女と会えてないしさ、そんなときにあんな美少女たちから迫られたら、そりゃあな。あの子もあの子もあの子もみんな、可愛かったなぁ」
実際、一度はホテルまで連れ込まれたわけだし。
「それなら、なんで…………」
「いや、それでもだろ」
「え……?」
俯いた男に語りかける。
「人に、永遠の恋とか愛なんて不可能なのかもしれない。いや、不可能だな。それが現実。物語じゃないこの世界のリアルだ」
御伽話は御伽話。夢物語は夢物語でしかない。
「それでも、ずっと一緒にいるって誓った」
「……!?」
「無理かもしれない。いつかは彼女に愛想尽かされるかも。逆に俺が愛想尽かすかも。どんなに好きでいようとしたっていつかは気持ちが離れてしまって、取り返すことのできない歪みが生まれるのかもしれない。それは人の性質上、仕方のないことで、誰も悪くない」
悲しいけど、そうなんだ。
「そんなこと、誰でも、バカな俺だってわかってるよ。そんなの御伽話だって。夢物語だって。……でも、それでも誓ったのは、なんでだよ」
「それ、は……」
べつに答えが欲しかったわけでもない問いかけに、彼は言い淀む。
もしかしたら、彼も誓ったことがあったのかな。
だったら俺は、俺が持っている答えを提示しよう。
「————今、この瞬間、彼女のことが好きだからだろ」
たとえいつか移り変わる想いだとしても。
あの時誓った言葉にウソはない。
「俺は今、好きだと、愛してると胸を張って言える彼女に対してまっすぐでありたい。誠実でありたい。たとえいつか別れる日が来るのだとしても、今、この瞬間、全力で、彼女だけを見ている。彼女と本気で一生一緒にいるつもりでいる。それが俺なりの彼女への礼儀であり……えっと、なんだろ、意地……みたいなものなんだよ」
自分の中で今までの言葉を飲み込んで、うんと頷く。
「だから俺は、靡かないんだな。きっと」
男の方を見ると、完全に消沈してポケっとしていた。
「あ、あぁ……」
チカラが抜けてしまったのか、その場に膝を折る。
そんな彼に、俺は歩み寄ってみる。
「いや、まぁでも? 今のはちょっと真面目に考えてみたリアルで、すごく嫌な話で。移ろう恋心に対する俺なりの向き合い方ってだけでさ?」
「は……?」
そう、俺はそんな現実を受け入れてるわけじゃない。
一生一緒にいるつもり?ふざけんな。
「結局のところ、俺は信じたいんだよ。自分が彼女を一生好きでいられること。だってあの人を嫌いになるとか今は考えられないし? めっちゃくちゃ好きだし? 愛してるし? あ、やば、これ惚気っぽい? 俺ウザいか? ははっ」
俺だって彼女に出会うまでたくさんの恋をしてきたわけで、彼女にもきっと彼女の恋があったのだろう。恋が移り変わることは、それが証明している。
でも、これからは、違うかもしれない。
俺が死ぬまで彼女のことを好きでいることが不可能かどうかなんて、まだ、誰にもわからない。
「あんたが言うように、男ってバカだからさ。性欲に忠実だし、美人なお姉さんに絆されることもあるかもしれない。でも、バカだからこそ、移ろわない恋、みたいな夢物語もあるって、信じてみるのもいいんじゃねぇかな。そう生き方もきっとできると思うんだ」
「…………………」
「つーか俺が証明してやる。俺が死ぬまで逢奏さんLOVEでいてやる。絶対だ。だから見てろ。そうだ、結婚式にも呼んであげよう。子どもにも、孫にも会わせてやる」
「……なんだよ、それ……意味わかんねぇ。言ってること、ぐちゃぐちゃだ」
「すんません」
バカなもんで。
「逢奏は、こんな馬鹿野郎を好きになったのか……そっかぁ…………あぁ……ぁ」
彼はそう言って、なぜか涙を流した。
しかしその姿は不思議と、憑き物が取れるみたいで。澱んだ瞳に輝きが戻っていくような気がした。
「あー、……結局なんなの、これ……」
夕暮れを見上げて呟く。
まったく、俺にはわからないことばかりだ。
だけど俺らしく、正しい対応をしたのだと信じているから。
胸を張って、彼に背を向け歩き出した。
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