第20話 俺らしく

 薄暗闇に包まれた部屋の大きなベッドでお姉さんと2人きり——


「ねぇ、そんなカノジョのことなんて忘れて、私と気持ちいいことしましょう?」


 バイト中に声をかけられた時は、仕事中だからとふつうに断った。

 しかしバイト後、ずっと待っていたらしい彼女に再び捕まった。さすがにそれを追い返すのも気が引けて、なし崩し的に相談に乗ってもらうことになった。お店に入って少々お酒を飲まされ、聞き上手なお姉さんに親身になって話を聞いてもらえて、俺はだんだん気を良くして……いつのまにやらここに連れ込まれていた。

 

「そうすれば、あなたの心も晴れるわ」


 お姉さんは自ら服のボタンに手をかけ、胸を露出させていく。みるからに大きなそれに、未だ女性免疫の少ない俺の視線は引き寄せられてしまう。


「私があなたを、楽にしてあげる————」


 にっこりと、妖艶な笑み。


 長い黒髪が、ぼんやりとした視界の端で揺れた。


 ——私だけを見て。


「……ッッ!?!?!?」


 瞬間、脳が弾けた。


 ああ、くそ。バカがよ。


「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!(ブチブチブチィッ)」


 発狂して髪を引きちぎる。

 ベッドを飛び降りる。


「きゃっ!? な、なに、なんなの!?」


 なんで、そんな大事なことを忘れかけてんだ。


「ふざっっっっけんな!」


 ——飛鳥くんは、私だけと恋人になって


「なんっだよこれ!?」


 ——私だけと結婚して


「なんなんだよ、この状況は!?!?!?」


 ——私だけとキスして

 ——私だけとえっちして


「意ッ味わかんねぇ!!」


 ——私だけを愛して……私だけをずっと見ていればいいの。


 そうだよ。

 俺の行動指針はそれだけだ。理由はそれだけでいい。


 大事なことは一生、キモったらしく、脳内で麻薬がごとくドバドバと垂れ流しておけ。


 それがバカな俺らしい。

 俺はそれだけ信じていればいい。


「俺がこんな美人なお姉さんに逆ナン!? こちとら合コンゲロ太郎だぞ!? あり得ねぇだろうが!? このクッソが!!!!」


 俺のことをカッコいいなどと言ってくれる人は、世界でたったひとりだ。


「俺はッ……俺が、好きなのは————」


 俺を好きでいてくれるのは、たったひとりだ。


 それだけでいい。


「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!(ブチブチブチィッ)」


 そうと分かれば、やることはただひとつ。


「ありがとうビッチなお姉さん! 悩み解けたよ!」

「え? え? どういうこと!? いやビッチって何よ!?」


 知るか美しいだけのモンスター。


「てことで、すみませんが帰ります。じゃ!」

「ちょっと————!?」


 困惑するお姉さんにお礼を言って、俺はその場を後にした。


「ふぅ」


 外に出ると、完全に夜の街だった。

 悪い遊びなどしたこともないいい子ちゃんな俺には少しナーバスになってしまう状況。


 こんなとこ、さっさと抜け出してしまおう。


 右左も分からないままに走り出そうとするが……


「ゴラー! 待ちやがれこのアマー!!」


 女の子を追い回す怖い人が現れた。


 え、なに。なんなのこれ。さっきと同レベルくらいに意味わかんない。


「あ、そ、そこの人! お願いします! 助けてください!」

「はぃぃぃいいいい!?!?!?」


 周囲の人たちが即座に距離を置く中、呆然と立ち尽くしていた俺は見事に女の子から目をつけられてしまう。


 しかもよくよく見れば、これまた見目麗しい美少女だ。

 なんだなんだ、今日は女難の相でもででるのか!?


「追われてるんです! さあ私をお姫様抱っこして、一緒に逃げましょう!」

「いやいやいやいや!?!?!? どういうこと!?」


 なんか俺を巻き込みたいようにしか見えないんですがッ。


「追いついたぞ小娘ぇ!!」

「ひぃ!?」


 女の子が俺の背中に隠れる。


「は、はやく私を連れて逃げてください……!」

「そ、そんなこと言われてもなぁ……!?」

 

 俺にだって今すぐ、どうしてもやらなくちゃいけないことが……。


 しかし、明らかに緊急事態な女の子を放っておくわけにもいかない。


「あーもう、わかった。わかったから」

「本当ですか!? お礼になんだっていたします!」

「はいはいそーいうのいいから」

「はい! そーいう話は後ほど! では、抱っこしてくださいな!」

「いや、それもいい」

「え……?」

「あんたは下がっててくれ」


 1番時間がかからない方法を考えた。それでいて、俺が1番スッキリする方法だ。


 俺は怖い男の前へ立ちはだかる。


「なんだぁ、てめぇ、その女を庇うってのか!?」

「まぁ、一応。正当防衛にしたいんで、そちらからどうぞ」

「っ!? こ、の……舐めやがってぇ……!!」


 逆上した男が突っ込んでくる。

 あれ、なんかこのパターン見たことあるな。


 しかし今回の俺は少々、苛立ちが強い。


「————ぐへぇ!?!?!?」


 殴りかかってきた拳をかわして、カウンターを打ち込む。


 さぁ、生まれて初めての真面目な喧嘩といこうじゃないか。


「……って、あれ?」


 倒れ込んだ男はそのまま沈黙してしまう。


 え? 終わり? 今の1発で?

 やだ俺の筋肉すごすぎ? 惚れちゃう?


 いや、そもそもこの男が案外弱かった……? よく見るとあまり筋肉質でもないし……。


 どういうことだろう?

 いくら殴られたっていい気分だったのに。


「あ、あの、ありがとうございます! まさか倒してしまわれるなんて……!」

「ああ、いや……」


 いまいちスッキリもしなかったな。


「約束通り、お礼になんでもいたします! さぁ、こちらへいらしてください!」


「あ、だからそういうのいいんで」


 手を握ろうとしてきた少女を軽くあしらうと、俺は背を向ける。


「無事でよかった。じゃ、そういうことで」

「ま、待って——エッチなことでもなんでもしますのよ!?」

「ベリーベリーけっこうです」


 今度こそ俺は目的の場所へ向かって走り出した。



 終電ギリギリの改札を抜けて大学の最寄りへ。


 そこからまた走ってたどり着いたのは、当然ながら恋人の住むマンションだ。


「さて、ここからどうするか」


 来るまでに連絡は入れたが返事はない。電話にも出ない。

 もう寝てる?

 いや、いつものあの人ならたとえ寝ていたってすぐに返事をしてくれた。


 今の彼女は俺を無視している。


 ならば、やることは一つだ。


 大きく、限界まで息を吸い込む。

 

 夜中だろうとなんだろうと、知ったことか。


「——逢奏さん!!!!」


 俺はマンションの一室へ向かって叫ぶ。


「俺はあんたが好きだ!!!! 大好きだ!!!! 愛してる!!!!」


 俺は俺の思いのままに、やりたいようにすればいい。

 

「だから、ずっと一緒にいるって誓った!!!!」


 1ヶ月経った今も、その気持ちは微塵も変わっちゃいない。

 むしろ、強くなっている。


 それは彼女だって同じだったはずなのに……!


「なぁ昨日、なんかあったんだろ!? もしかして、俺が何かしちゃいましたか!?」


 デートなんか初めてだし、どんな無礼をしたかなんて俺には全然わからない。

 とんでもないことをやらかしていた可能性もある。俺にはわからない、何かが……。


 いいや、違う!

 俺がどんなに拙くても、彼女は俺を見放したりしない。


「それとも、誰かに、何かされましたか————!?」


 核心をついたつもりの言葉。しかし、深夜の沈黙に消えてゆく。


「っ……、いや、何もないなら、バカな俺の杞憂ならそれでもいい!! たまたまデートを中断しただけで、1日会えてないだけでバカらしい! それこそ、重いって笑ってくれていい!」


 何もないのなら、それが1番いいんだ。


「でもそれなら、会って話をしよう!! 本当に具合が悪いっていうんなら、いくらでも看病するし、支えになりたいよ!!」


 大学なんていくら休んでもいい。ずっとそばにいたい。


「彼女が苦しんでるっていうのに一緒にいてやれないような彼氏に、俺はなりたくねぇ!!」


 息を切らしながらも、全力で無言の暗闇へ向かって叫ぶ。


「だから———————」


 そのとき、ポケットのスマホがメッセージの通知で震えた。


「……逢奏さん!?」

 

 慌てて起動し、確認する。


『4日後』

『あなたの気持ちが変わらなかったら……』


 ・・・


「変わらなかったら、なんだよ……おい、逢奏さん……」


 続くメッセージはなかった。

 彼女が部屋から出てくれる様子もない。


「おい……!」

 

 ふざけんな。

 俺を縛りつけたのは、あんただろうが。

 責任取りやがれ。

 なんなんだよ、マジで。


 いや、違う。違うんだ。


「くっそ……」


 チカラが抜けて、その場にへたり込む。


「違うんだよ……」


 怒っているわけじゃない。

 彼女のためなら、俺なんていくらでも振り回されていい。


「俺はただ……」


 いつも何かに苦しんでいて、寂しそうで、儚げで、そして、誰よりも臆病に見えた彼女を、たったひとりの大事な女の子を、救いたいだけなのだ。


「………………」


 ふと見つめてしまった左手の薬指には、作ったばかりのシルバーリングが輝いていた。

 そこには彼女の偽らない本音が綴られているはずだ。

 

 やがて遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。

 これだけ叫び散らかしたんだ。近所の誰かが通報していてもおかしくはない。


 逢奏さんが出てきてくれない以上、この場から立ち去るしかないだろう。


「————ッ」


 悔しくて、歯を食いしばる。


「好きだっつってんだろうが!! バカやろう!!」


 最後に、そう叫んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る