第18話
手術からちょうど1週間
村雨は無機質な部屋の中で、葵と他愛のない話をしていた
夫婦最後のひと時を過ごすのに、道具はいらない
村雨はスマホどころか、時計すら持ってきておらず、時々飯を運んでくる夜暮に言われる日付と時間でタイムリミットを把握していた
「やはり、遅すぎたな」
「ん?何が?」
「ああいや…。もう2年早ければ、もっといいカップルらしいことができたな…と」
この1週間、毎日するのは後悔ばかり
約束を忘れなければ、もっと早く長く一緒にいられたかもしれないと
葵に子どもを見せることも可能だったと
そして、唯一の肉親である瀬奈と会わせることもできたはずだ
「それはしょうがないよ。思い出してくれただけマシって感じかな」
「そうかもしれんが…」
掃除ついでに手紙を見つけなければ、二度と再会できなかった
そう考えると、親が死んだ扱いになったことも良かったと思える
そう思わなければ、この短期間に何度も家族を失うことに心がついていかない
「…でもさ」
「ん?」
「私は、良かったと思ってるよ。紫電病で生まれたことも、むーくんが約束を忘れてたことも、結婚できたことも」
「…なんでだ?」
「私は、もし紫電病がなかったらまずむーくん斗離れ離れになることはなかったと思うの。だから、絶対にどこかでお互いに関心を失ってた」
「…まぁ、会いすぎると関心が薄れるしな、人間は」
「そして、約束を忘れてなかったら、入院すること自体を拒否して、知らず知らずに人を殺してたかもしれない」
「拒否が許されるなら、たしかにあり得る」
「最後に、むーくんと再会して、結婚できたこと。これは、最高の思い出だし、死んでも忘れない。忘れられないよ、ずっと好きだったんだから」
葵にとっては、村雨が初恋であり最後の恋だった
引っ越してからはほぼ家に軟禁状態であり、たまに外に出ても数分しかなく出会いはない
出会ってても、葵から近づくことはなかったはずだ
それを15年維持した上で、奇跡的に再会したのだ
「運命、だったのかもな。俺が絶縁体質なのも含めて」
「いいね、それ採用。むーくんにしかできないことだよ、紫電病患者と抱き合ったり添い寝したりするのは」
絶縁体質はかなり珍しい
特に村雨のように、特別高圧と呼ばれる電気に耐えられるほど強いものは、世界を探してもそういないだろう
代償も大きいが、得たものも大きかった
「…そうだな。怖く、ないのか」
明日に迫ったタイムリミット
村雨はこの数日、生きた心地がしなかった
眼の前で、何もできずに人を見殺しにすることに耐えられない
それも、何年も愛してきて、ようやく結ばれた妻だ
怖い。悲しい。寂しい。いろんな負の感情が駆け巡り、心を強く揺さぶる
今まで感じたことのない、別れへの未練
未知の感情に、村雨のほうが死ぬのではないかというほど、夜は震えていたのだ
そして、震えていたことは葵も知っている
「…正直、怖いよ。でもそういうものだって、諦めてるから。本当ならもっとむーくんと、一緒に…!むーくんを家で迎えて、笑い合って…おじいちゃんおばあちゃんになっても、あの頃はこんなことがあったとか話したかった。結婚式だってしたかったよ。綺麗なウエディングドレスでバージンロードを歩いて、むーくんから指輪を受けるのもずっと夢だったのに…!!」
「っ…!」
涙を流す葵。釣られるように村雨の目からも、涙が落ちた
今まで泣いたことなんてほとんどないというのに、今だけは感情のまま素直に泣いた
「俺も…そうだ。今まで感じなかった、この愛を…想いを、ずっと共有して…。年取っても笑い合って、子どもや孫に囲まれて死にたかった。けど…」
「無理なものは無理なんだよ…。けど!けどこの想いだけは、誰にも負けない。私がむーくんの最初の妻で、初恋で」
首に手を回して村雨を抱きしめる
「それで…1番大切なひと」
震える手で抱きしめ返す
葵の涙が村雨の肩を濡らしている
ほのかな暖かさがあるのを感じ、葵が生きていることを強く表していた
「…葵の…あーちゃんの、ことは…忘れない。あーちゃん以上なんて、これから先に現れることはないんだ。だから、だから…お前は俺の、最初で最後の妻」
しばらく動かない2人
部屋の入口前では食事を持ってきた夜暮が、少し気まずそうにその場を後にしていた
「…明日、私は死ぬ。でも、泣きながらは死にたくない」
「そう、だな」
「だから…死ぬまで、笑お?」
「ああ…ああ…!」
無理に作った笑顔は、砂で作った城より簡単に壊れた
寸前で出てくるのは後悔ばかり。いつもそうだ
やってから後悔する人生だった
葵も村雨も、やりたいことを持たずに生きてきた
今になってやりたいことが数多くできた。できてしまった
夫婦で共にやりたいことが、どんどん頭に浮かんでは消えていく
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