第8話

その日の夕刻。村雨は階段を降りながら、あることをしていた



自己診断開始セルフメディカルチェックスタート



ゆっくり歩いてみたり、逆に走ってみたり

いくつかの動作を行って動きを確認する



(稼働率全盛期の38%ってところか。おそらくもう半年すれば、走ることはできない。この仕事もできなくなる。クビになるくらいなら、どこかいいタイミングで辞めるかな)



手を握ったり開いたりしていると、不意に目が霞んだ

ノイズが視界に走り、音が聞こえなくなる

そして上下感覚を失い、浮いてるような、或いは深い海に沈んでいくような感覚が襲う



(チッ…。動こうに動けんな、視界不良の中音も聞こえないとは。だが触覚は十分残っている。手すりと足場を軸に自分の位置を把握する)



右手の力を強め、足を普段より強めに踏ん張る

目を閉じて耳に意識を集中させ、下階から響き渡る声を捉えた



(聴覚復帰。重力は確実に働いているという前提で上下感覚を修正。足が下で頭が上)



徐々に上下感覚が戻っていき、音とそれを頼りに階段に腰掛けた



(視界回復…しないな。集中力操作を実行。視界から色彩情報を削除、情報伝達速度向上に全リソースを向ける)



世界から色が消えた代わりにノイズが消えた

色彩を戻してもノイズが起きないのを確認して立ち上がる



(自己診断を実行するとダメみたいだな。自己診断は身体機能を標準レベルに変更して実行しているから、おそらく普通と同じ出力にするとずっとこんな感じなんだろう)



意識による生体電気信号パルスの出力調整

といえばマシに聞こえるが、実際やっていることは常に使っている「火事場の馬鹿力」を一時的に解除してるに過ぎない

それをやることで、寿命こそ伸びるがまともに生きることはできなくなる



(少なくとも階段でやることではなかったか)



今登っているのは博士のところへ向かうための階段だ

エレベーターは院長室がある9階までしか繋がっておらず、そこから博士のところへは階段を使わざるを得ない

裏方に博士専用機があるものの、その区画にはIDカードが必要となるため一般人である村雨には使えないのだ



(呼び出した分、情報寄越せよ…博士)



そうこころの中で文句を言いながらノックをして返事を待ち、ドアを開けた



「やぁ」


「よう」


「呼び出したのはこちらだし、端的に済ませよう。まだ立証されたわけではないけど、君の余命がだいたいわかった」


「…なんだと?」



博士が机に広げていたのはなんらかの資料だ

それと合わせて村雨のカルテと、よくわからない論文



「…で、ぶっちゃけると君はあと5年間で死ぬ。細い試算の方法は言えないけど、2027年12月20日。これが君の命日だよ」


「…そうか」


「意外と驚かないね」


「早死することはわかっていたからな」


「ただ、ほとんどの低出力症の患者は発症から30年生きられることがわかったよ」


「は…?だとしたら俺はなんで…」


「これがかつて、君がここにきたときのカルテだ」



博士は話を続ける

村雨はここでようやく動き出し、博士の目の前に腰を下ろした



「まずこれが、処理能力テスト。君は驚異的なまでに、演算が早い。その理由は単純で、生まれつき脳の出力が高い。いや、高すぎるんだ」


「高すぎる…?」


「そう。簡単にいえば普通は2%から7%のところ、君は30%ほど使っている。なのに、普通の人と比べて演算力は倍程度。単純計算で、もし君が普通の人と同じ脳だったら普通と比べて20%ほどの能力しかないはずなんだよ」


「それが…待て。まさか…」


「そうだよ。君は、発症から10年じゃない。既に発症から20年ほど経過してると考えられる。最近になって脳の使用率が劇的に上がっただけで、元から普通より出力が高い」


「だとしても、あと10年はいけるはずだろ!?」


「今言ったよ。最近になって脳の使用率が劇的に上がった、って」


「…っ!つまり、受けるダメージが増えた…ってことか…!」


「そうなるね。10年前に30%から70%に向上して、それだけでも寿命が5年縮んだ。もしこの先、より出力が上がればどんどん寿命が減るよ」


「っ…!」



ようやく理解が追いついた

紫電病は良くならないが悪くもならない。元から出力が高く、上がり幅がないからだ

しかし低出力症は、抵抗が強いから出力を上げている

だからこそ、抵抗が強くなればなるほど出力が上がっていき、寿命が縮むということだ



「改めて君に、私の助手になるか訊ねるよ。仕事をやめてこっちにくれば、ちゃんと給料は出そう。遺産を残したければ用意する。業務内容は、ただ低出力症の研究に協力してくれればいい。どうかな?君の協力で、救える命もあるかもしれない」


「……考えさせてくれ。せめて、葵が死ぬまでは自分のことは考えたくない」


「わかった。決まったら連絡をくれればいいよ。これがここへの直通電話だから」



そう言って渡された名刺に書かれていた番号を眺める

処理が追いついていない

わかっていたことだ。元々寿命が短いのは、体感でもわかっていた

それでもいざ余命を伝えられると人間どうもできないもので、立ち尽くすしかない



(葵も、こういう気分だったのかもな)



村雨は名刺を握りしめて妹の家へ向かった

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