失った事実を受け入れなければならない
第20話
村雨が立ち直るまでに要した時間は長く、夜斗と漣にそれぞれ子供が生まれていた
夜斗の娘には楓、漣の娘には陽炎と名前がつけられ、もうそろそろ一歳を迎えるという頃
夜斗のスマホに、村雨からのメールが届いた
【海】
件名にこの一言だけが書かれたメールだ
意図を読み取った夜斗は、フッと笑ってバイクに向かった
到着まで約1時間半。砂浜での捜索に約5分
夜斗は村雨を発見した
「待たせたな」
「否、急に呼んだのは俺の方だ。そのことについてとやかく言うことはしない」
砂浜に座り海を眺める村雨の隣に腰を下ろし、買ってきたアイスコーヒーを投げ渡す
「これは…」
「奢りだ。甘くはねぇがな」
夜斗自身も、似たような缶コーヒーを飲み始めた
甘党の夜斗は、見た目こそ普通のコーヒーだがかなり甘いコーヒーを愛飲している
仕事に持っていく水筒も、基本的にはそれだ
「甘いものは、嫌いだ」
「そうか。……恋もか」
「ああ。私には、早かった。否、遅すぎたのか」
口調が高校時代の頃のものに戻った
かつて村雨自身が「弱い自分」と言った時代だ
「さぁな。けど、お前まさか引きこもってたら死にましたとか葵さんに言うのか?」
「言えるわけがない。ただ、やりたいことができた」
「ほう」
「私は、紫電病と低出力症の研究をしたい。解明できるなら解明して、私のような不幸を減らす」
「やれるかどうかはお前次第だ。やる気があるなら漣のところへ行けばいい。奴は紫電病研究の第一人者だ」
「…そうなのか?」
「ああ。知識はそこで学べばいい。近くで見てたお前なら、もっと知ってることもあるだろう。2人でやれば、死ぬまでにはなにかわかるはずだ。わからなければ、俺が非合法手術をした意味がない」
「…言ってくれるね」
笑う村雨は、ようやく覚悟を決めたのか立ち上がった
「やるしかないな」
「ああ。楽しみにしておこう」
夜斗は村雨の背中を強めに叩いた
数年が経過し、陽炎は12歳になっていた
中学校へ行くための制服を買うために、村雨と漣は近所のショッピングセンターに足を運び、陽炎が選んだものをレジに運ぶ
「今どきの制服は見た目がいいな」
「私とかの世代は可愛くないし高いって感じだったかな」
「そんなイメージだわ、あんたの世代って」
「ちょっとその言い方やめてくれる!?」
この二人は結婚したわけではない
ただ村雨が漣の家に居候しており、陽炎からお父さんと呼ばれているだけだ
何一つ間違いはないのだが
「村雨君も、もうあと1年だっけ」
「そうだな、夜斗曰く。腕輪で残り日数がわかるらしい」
「君は見れないんじゃなかった?」
「いや、スマホ繋ぐと見れる。専用のアプリで」
「うっわ無駄機能」
夜斗が宣告したのは、ある日急に葵の血がなくなるということ
適合率によって消費される血も変わるため、村雨の場合は8年伸びる
つまり合計で13年。ちなみにかつて夜斗は「寿命8年になる」と言ったが、元々の寿命を足し忘れていたと10年前に訂正メールが来ていた
「…で、陽炎の父親は誰なんだよ。俺知らないまま扶養してるんだが」
「何度も言ってるでしょ。君だよ」
「あんたと寝た記憶はないんだが」
「まぁそうだね。なら、教えてあげるよ。今夜」
「今すっと言えよ」
「君が騒がしくなりそうだからね、少し外に出よう。安心して、子守には夜斗君頼んだから」
「手配が早い…」
ちなみに夜斗はあまり乗り気ではなかったのだが、妻が横から許可をおろしたため行かざるを得なくなった
夜斗の家に連れていき、お泊まり会をするようだ
「あいつの気苦労が見えるようだ…」
「ま、仕方ないよね。そういう理不尽が襲うのがこの世界だし?日本は特に理不尽だよ。精神障害があるだけで仕事のない部署に飛ばされ、余生を過ごすハタチだっているんだから」
「理不尽が過ぎるな。その会社は、精神障害の人を育てる気がないんだろう。正確にはマトモに雇う気がない、ということか」
「そういうことだよ。上が馬鹿だと下まで馬鹿になる。日本の企業はそういうもの」
違うところもあるけど、と訂正を入れる漣
陽炎が村雨に抱きつき、撫でを要求する
拒否することは許されない。というより、こんな小さな子でも上目遣いで言ってくるのだから負けるのも仕方がない
「小6…だよな?」
「うん。少し力が強いみたいだね。正確には、普通の5倍に相当する筋力を持ってる。反射神経や動体視力も、私の2倍は高いよ」
「あんたは比較にならん」
村雨の鳩尾に飛び込んできた陽炎が離れると同時に強い痛みを感じる
力加減をしているかどうかはわからないが、普通より強いことだけは確かだ
体力測定では、ボール投げ82mを打ち出し、50m走も5.9秒という驚異の数値
他の種目も、2位と大差をつけての1位だった
「…原因、わかってんだろ」
「合わせて教えるよ。夜に」
「わーったよ…」
それから3時間ほどは買い物をして回り、夕飯時になって回転寿司へと足を運んだ
村雨も漣もさして食べるわけではないのだが、陽炎は成人男性と同じかそれより多くの寿司を食べる
というより、食事量が桁違いに多いのだ
「ほんっと、よく食うな。ああほら落ち着いて食えって、この魚は逃げないから」
子供のように…というかまさに子供なのだが、相当な勢いで食べ進めている
現在20皿。一皿2貫乗っているため40貫を平らげ、さらにデザートを御所望らしい
村雨の許可が降りると、年相応に顔を輝かせながらアイスクリームを注文した
(ほんっとよく食うな。全盛期の夜斗並みに食うじゃん)
夜斗はかつて大食漢だった
食べ放題の焼肉店で躊躇いなく注文を続け、村雨や霊斗がダウンしても食べ続けていた時期もある
「お父さん、食べりゅ?…かんだ」
「食べりゅ」
「もう!」
幼いながらも恥ずかしいのか顔を逸らす
しかしその手に握られたスプーンでアイスを掬い、村雨の口元へ運び、村雨が食べるのを待っていた
「うまいな。やはりここのアイスはいい」
「今度アイス作る」
「作れるのか?親子丼作るって言ってターキーレッグ買ってきたのに」
「2年前じゃん!今は大丈夫だもん!」
頬を膨らませる陽炎
どこか、かつての葵を感じさせる表情だ
「俺からすれば、2年なんかそう変わんないよ」
「むぅ…。お母さんなんとかしてよ!」
「無理だね。その頑固者は未だに私に惚れてくれないし」
「おい」
「おっと、つい口が」
「お母さん穴あくの?」
「掘るじゃないね」
知識に疎いのはいいことか悪いことか
昨今の小学生は性知識や恋知識に長けた者もいるが、陽炎がそうでなくてよかったと心の底から思う村雨だった
夜。とある公園のベンチ
「きたね。まぁ座りなよ」
「なんでわざわざ別々に家でたんだよ…」
「大義名分はあったでしょ?私は少し野暮用だったんだから」
ベンチは向かい合っており、間に木製テーブルが置かれている
漣はそのテーブルに肘をつき、村雨に目を向けた
「本題に入るけど、陽炎の父親は本当に君だよ。ただ、母親は私じゃない」
「…ますますわからん。俺らが親ならお前が襲ってきたで納得したのに。逃げるけど」
「残念ながらそんな度胸はなくてね。やろうと思っても覆いかぶさったところで怖気づくんだよ」
「だいぶ手前まできてるじゃねぇか。もっと堪えろ」
「無理だね。さて、君は今までに1人だけ。愛を持って性行為をしたことがあったはずだよ。そして相手を妊娠させてる」
「そんなこと一度も…いや、まさか…?」
飲んでいたコーヒーが空になったのか、テーブルの隅に移して村雨を指差す
「そう、葵だよ」
「そんなばかな…妊娠したのは死ぬ1週間前だぞ…?それに、陽炎がお前から生まれたのは知ってる。出産の立ち会いをしたのは俺だ」
「そうだよ。ところで、君は体外受精というものを知ってるかな?」
「あ、ああ…採取した卵子を受精卵にして子宮に戻すやつ…だよな?」
「そう。つまり私は、卵子提供を受けたんだよ。葵にね」
ハッとした村雨は、今までの陽炎を振り返った
どこか葵の面影を感じ、時にかつての村雨のような好奇心を見せる陽炎
まさに子どもだと言われも違和感はない
「…そんな話、葵は…」
「してないだろうな。実際俺も聞いたときビビったわけだし」
「本当に来たんだね、夜斗君」
村雨の背後から声をかけた夜斗が、机の横に移動した
手にはエナジードリンクを持っている
「へ?陽炎は…?」
「弥生と瀬奈ちゃんが面倒見てる。楓も、同年代と絡むいい機会だからな」
「ちゃんと父親してるんだね、夜斗君は」
「弥生にばかり押し付けるわけにもいかんからな。さて村雨、このことを知ったお前をただで帰すわけにはいかん」
「な、何をする気だよ!?」
「これを聞け」
「…録音機…?」
「ああ。早くしろ」
「…わかった」
村雨は録音機の電源を入れ、再生を開始した
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