第二十話「薄氷」
『お前なんか、生まれてこなければよかったな』
声がする。
それはずっと僕を縛ってきた呪いの言葉。
でも既に乗り越えたはずだ、司が友達だと言ってくれたあの時から。
だからもうお前の出番はーー。
男の口が開く。再びそれが紡がれる。
「なに開き直ってるんだ。
世界が壊れたのも二人が死んだのも……全部、お前のせいじゃないか」
……。
…………。
目が覚める。
暗闇の中に広がるのはダンボールの壁と、寝袋で寝息を立てる司の姿。
陽菜ちゃんたちの相手をした後、司を待っていてそのまま寝てしまったようだ。
『ーー、――』
未だ頭の中で残響のように繰り返されるあの人の声。それを頭を振って追い出す。
原因は分かっている。わかって、いるんだ。
「……」
部屋の時計を見る。時刻は深夜12時。御度の状態も問題ない。
音をたてないようにゆっくり立ち上がり部屋を出る。
淡い蛍光灯と月明かりに照らされる廊下。窓を開けて、向こう側に生成した結界に乗る。
眼前に広がるのは、光の存在しない漆黒の街並み。
そういえば、と市役所の屋根の上に行ってみる。しかしてそこに彼女の姿は見えなかった。
まあさすがに5階もある建物を登ろうとは思わないか。
結界を繋げて地面に下りると早速、目的ー-結界術の修業を始める。
昨日は色々あって司との訓練ができなかったのだ。その影響で体の御度も十分に余っている。その分は浪費されるだけだから、有効に使わないと。
守りたい人を思い浮かべて御影石に霊気を注いでいく。
常に瘴気の悪影響を防ぎたいゆえ、必要なのは携帯可能かつ独立した結界。
今考えているのは、霊符のように特定の条件で術が発動する方式だった。ただ霊符それ自体は結界に耐えられる霊気を保有できないから使えない。結界術は色々と制約が多いのだ。
霊気を半分ほど込めたところで、石がぱっくりと割れる。
「今回も駄目か」
陰陽術、特に結界術はイメージに加えて陰と陽のバランスも大事なのだ。術に最適な割合にしないと、途端に不安定になって崩壊してしまう。司のような天才肌なら感覚で何とかなるだろうけど、僕には微調整を繰り返すしか方法はない。
使用可能な御度が尽きるまで、ただただ失敗だけが積み重なっていった。
翌日の朝。手書きの案内図を頼りにして辿り着いた『教室』。
会議室を転用して作られたその場所には、100人弱の少年少女たちがいた。
中学一年から高校三年までの生徒。各々談笑しており、非常事態とは思えないほど穏やかな空気が流れている。
「……なんか普通に日常をやってるんスね。拍子抜けっス」
「だな。ずっとピリピリしていた学園とは大違いだ」
「あそこと比べて生活環境がはるかに整ってるし……あとは、しかるべき大人が運営してるってのも大きいのかもね。一部の人は自分より若輩者が仕切ってることに不満を抱いていた感じだったから」
適当に駄弁りながら、三人(クゥは子供用スペースで子守だ)で後ろの端っこの席に座る。すると前にいたグループの一人が話しかけてきた。
同年代くらいの活発そうな少年だ。
「今までいなかったよな? 新しく入ってきた人たちか?」
「うん、そうだよ。市外から逃げてきて、丁度昨日の夕方ここに着いたんだ」
「そうか。大変だったな。
ここはいいところだぜ、安心していい。食料も水もあって、何より死の危険がないのが最高だ」
突然雰囲気を変え、しみじみと零す彼。その表情を見て僕は思い違いをしていたことにようやく気付く。
こんな世界で脛に傷がない人間なんて、存在しないのだ。
誰しもが凄惨な過去を、荒れ狂う激情を胸の内に抱えながらも、必死にそれを押し殺して生きている。
だとしたら僕もそれに乗ろう。
出来るだけ明るい声で答える。
「それはいいね。ありがたく満喫させてもらうよ」
「ああ、分からないことがあったら何でも聞いてくれよな」
「ちょっと、なに先輩風吹かせてるの。
まだ相手の年もわかってないのよ?」
「まあいいじゃないですか。威張れる数少ない機会なんですから」
「なんだとおっ」
ぞろぞろと寄ってきてディスり始める、ポニーテールの勝ち気な少女と眼鏡をかけたクールな雰囲気の少年。集中砲火を受ける彼もその表情は明るく、この程度では揺るがない信頼の厚さが感じられた。
それからお互い自己紹介なんかをして情報を交換する。
彼らの名前は、出てきた順番に『信原 明』『寺西 深月』『堂野 直彦』。
一週間前に近くの高校から三人で逃げてきたらしい。(ほかの生徒がどうなったかは、聞けなかった)
彼らは三人とも戦闘系の『職業』を引けなかったようで、僕と司が陰陽師であることを告げると目を輝かせていた、特に男子二人が。
ともあれ良さそうな人たちで一安心だ。これならうまくやっていけるだろう。
「ま、まじか。こ、こんなに見えちゃっていいのかっ」
「司ってそっち系に耐性ない感じ?
だったらこれとかどうよ? 豊満な胸部装甲が両手で押しつぶされてるの、たまらんだろ?」
「おおっ」
「僕としてはこのアングルなんかもおススメですよ。ほら、」
「た、確かにっ。こっちはこっちでいいな」
「……はあ。あんたたち会って早々なんて話してるのよ。
これだから男はーー」
二限目終了後の休み時間。
そこには前の席で、過激な服を着た女性の写真集(いわゆるグラビア雑誌というやつだ)片手に盛り上がる三人の姿があった。
まだ週刊漫画雑誌の水着ページが限界の司には刺激が強いのか、両手で顔を覆ってしまっている。その隙間からチラチラ瞳を覗かせているけれども。
やはりエロは万国共通のネタだよなあ、と感心していると隣の咲が揶揄うような口調で聞いてきた。
「いいんスか? 親友の司さんをどこの馬の骨とも知れない人たちに取られちゃって」
「馬の骨って、僕は司の父親じゃないんだから……。
それに司の性別を聞いても普通に接してくれてるんだ。交流関係を広げる良いチャンスだよ」
「篤史さんは、本当にーーいえ、なんでもないっス」
「……珍しいね。咲にも口に出せないことがあるんだ」
何かを言いかけて口を閉ざす咲。その深刻な表情が咲には似合わないように見えて、思わず茶化してしまう。
咲が心外です、と言わんばかりに頬を膨らませた。
「言ったじゃないっスか、私も遠慮くらいするって。
それが危うい均衡を壊しかねないものなら、そっと胸の内にしまうっスよ」
「情事の最中でも迷わず飛び出していくのに?」
「そりゃあ、それが悪いことだったら話は別っスよ。
何か後ろ暗いものを隠して作った関係なんて、どうせ長続きはしないっスから」
「なるほど、咲はそういう考えなんだ」
「ええ、数多の破局を見てきた私が言うんだから間違いないっス。
篤史さんは違うんスか?」
「あー、僕はどうだろ。
昔はみんな騙しあって生きてると思ってたけど……今はちょっと変わったかな。駆け引きなしで仲良くなれるなら、それに越したことはないと思う」
「そうっスよね。流石、話が分かるっス」
僕の肯定に咲は上機嫌に笑った。こんな風に思えるようになったのも、全部司のおかげだ。知られちゃいけないと思っていた落ち度を簡単に許してくれたから。
と、そこで僕は“あのこと”を打ち明けられない理由にようやく思い至った。
怖いのだ、みんなに嫌われてしまうのが。
勿論今言った言葉も嘘じゃない。ただそれには限度がある。許容できる範囲がある。もし今の事態には元凶がいると知ってしまったら、恨むべき相手がいると分かってしまったら、その時はーー。
「ほら席について。そろそろ授業の時間よ」
教室に入ってきた女性の先生の言葉に、思考を遮られる。
名残惜しそうに隣に戻ってくる司。また話そうぜ、なんて声を掛け合ってるし随分打ち解けられたらしい。よいことだ。
そこからは授業の時間。
とはいえ学年も学校もバラバラゆえ、各自渡された教科書を読みこんだり、問題集を解いたりする自習形式だ。分からないところがある人は適宜友達か先生へ、という感じに。
周囲の五人含め、みんな真面目に取り組んでいるようだ。カリカリとペンを走らせる音があちらこちらから響いている。僕もそれに倣って問題集を解いていく。
暫くして、何となく市役所全体が騒々しくなったのを感じた。これは……床下、一階の本部があるほうから漏れてくる音が大きくなったのだ。
何か起こった?
念のため市役所の上で滞空させていた式神に意識を向けると、こちらに向かってくる二台のトラックを捉えた。
慌てた様子で開門されるバリケード。隙間を通って急転回で裏口に横付けされる一台のトラック。
荷台の中から出てきたのは、傷だらけの人たちだった。そのうち重症そうなのは三人。彼らは無事な人に抱えられながら市役所に入っていく。先頭の男性が何事かを必死に叫んでいるのが見えた。
大丈夫!?
ぱっと見た感じ、命を脅かしかねないほどの重症だった。ここの医療体制がどれほどのものかはわからないけど、救援に行った方がいいかもしれない。
……いや、そんな急がなくても助けが必要になったら呼び出されるか? 最初の時に臨時の役として登録したはずだ。
はたと外の音に耳を澄ましてみるも、何ら放送らしきものは聞こえない。
教卓に立っている彼女も下の騒動は知らない様子だ。みな真面目に自習に励んでいる。
ここではあれくらい日常茶飯事で、治療スタッフで十分対応できるとか?
それとも不安を抱かせないように一般の人には情報が伏せられている?
だとしたら下手に騒がない方がいいか?
分からない、分からないことだらけだ。
くそっ、こんなことなら市役所の中にも式神を設置していたら良かった!
どうする? ただの勇み足の可能性もある。待っているのも手だ。
いやっ、駆けつけさえすれば、たとえそれが必要なかったとしても僕が恥ずかしい思いをするだけで済む。
逆にこのまま何もしないで手遅れになってしまったらーー。
「ごめんなさいっ、トイレに行きますっ」
「ちょっとっーー」
誰かに呼び止められたのを無視して、教室を飛び出す。
助けられるかもしれない命を失うのはもう嫌だった。
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