【一章完結】現代妖怪騒乱譚~落ちこぼれ陰陽師は、モンスターの現れた世界で自由に生きたい~

水品 奏多

プロローグ「幾千年を越えて」



 ――もう一度君に会うためなら、どんな犠牲も払おう。




 ……。


 …………。




「つまり二次関数というのは……」


 いつもの学校、いつもの教室。教卓で数学Ⅰの佐々木先生が熱弁を振るっている。


 僕はそれを窓際の席でいつものように聞き流していた。なにせ、今日は悪名高い土曜授業なのだ。早く終わってくれとみんな願っていることだろう、うん。


 ――ぼとり。


 目の前に落ちてくる何か。見れば、ノートの上に紫色の物体がうずくまっていた。

 霊気で構成された、小さな生き物――鼠の妖怪だ。


 こんな人前に出てくるとは珍しい、と思ったところで異常に気付く。

 ――怪我を、していたのだ。

 食い破られたかのように、体の一部がちぎれている。きゅう、きゅうと助けを求めるように泣き声をあげていて、随分と痛々しい。


 バレないようにゆっくりと手を伸ばし、リュックから目的のものを取り出す。

 ――治癒能力のある霊符だ。万が一のために常備していてよかった。

 とはいえ、気休め程度のショボい効果しかない。僕の少ない御度ではこれ位が限界だった。

 何とかなってくれよ、と祈りながら妖怪の体に霊符を貼る。


 キーンコーン……。


 チャイムが鳴ると同時に、鼠の妖怪ははたと去っていった。


「おい、篤史? ぼーっとして、どうした?」


 凛とした声に前を向くと、そこにいたのは学ランを着たイケメンーー『賀老井 司』。

 ひょんなことから仲良くなった友人で、休み時間はいつも二人で駄弁るのが日常だった。


「いや、何でも無いよ、ちょっと寝不足でね」


「……ははーん、さては夜のオカズ的なあれを」


「やめい、こちとらまだ昼のおかずも食べないんだぞ」


 ぺちこーんと、前に座った司の頭を叩く。やったな、と嬉しそうに頭を摩る司。――いつもの光景だ。

 ともかく、特に気にしていないようで一安心だ。

 妖怪は普通の人には認識できないのだ。はたから見れば、虚空に目を向ける不思議ちゃんだったことだろう。


 ――っ。


 刹那、とてつもない不快感が体を襲った。

 ――気持ちが悪い、これは何だ。


 吐き気を抑えて窓の方を見ると、遠くーー名古屋市の方で巨大な黒い柱が立っていた。

 あれは……あれを形作っている粒子は、多分瘴気だ。沼地などに生まれて、疫病や妖怪の凶暴化等の災いを引き起こす気。かつて一度だけ見たことがある。

 そんな物体が、地上から天に向かって凄い勢いで大量に吹き出していた。


 ――何が起こっている?

 当然の疑問が頭の中に沸き起こる。


 考えられるのは、どこかの封印が破れたとかだろうか? 

 古来より、歴代の陰陽術師たちの手によって各地に施されてきた封印。それが僕の代になって、本意ではないとはいえ放置されてきたのだ。何らかの外的要因ないし整備不良で壊れてもおかしくはない。

 あるいはーー


「篤史? どこ見て……何だよ、あれ?」


 司の呆然とした様子に、思考が中断される。


「まさか、あれが見えるの?」


「おう、篤史もあの黒い柱を見てたんじゃ無いのか?」


「……まじか」


 瘴気も普通は一般人には見えない。それだけ存在が強烈、濃度が濃いということか?

 あるいは単に記憶違いで、あれは瘴気じゃない?


「しっかし、よく見ても何か分かんねえな。

 名古屋にはあんな高層建造物はなかったはずだぜ?」


 二人で立ち上がって窓に近づく。司の冗談に答える余裕もない。

 周りも異変に気付いたのか、ざわざわと騒がしくなってきた。


「ほら見てみろよ。

 世界各地で、同じものが見えるらしいぜ」


「うわマジだ。ってか、これあれじゃね? 

 謎の黒煙事件ーーほら、何でもない田舎の土地から急に黒煙が上がるやつ。

 やっぱりあれは本物で、これから世界滅亡が始まるんだよっ」


「それって、一部のオカルトマニアが騒いでた奴だろ? どうせ何かの自然現象だよ。

 あー、なんでこんな日におかしなことが起こるかなあ」


「ばっか、――」


 スマホ片手に感想を言い合うクラスメイトたち。


 ――全世界で同じ事が起こっている?

 だとしたら想像以上に事態は切迫しているのかもしれない。


 念のために司の前に立つ。

 右手で刀印(人差し指と中指を立て、親指で薬指と小指を押さえた印)を結び、左手に握らせて腰に持っていく。右手を刀、左手を鞘に模した構えだ。変なふうに見えるかもだけど、そうも言っていられない。


 やがて瘴気(?)の流れが止まり、そして四散した。

 途轍もない量の黒い波が襲ってきて、あちこちで悲鳴が上がる。


「……青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」


 小声で九字を唱えながら、霊気を宿した右手の刀で格子を描く。


 ――破邪の法。

 古より退魔と護身に使われてきた術だ。刀で出来た格子が、近づいてきた悪いものを切り裂いてくれる、はず。


 しかして、黒い粒子はそのまま素通りして眼前に迫ってきた。


 ――やっぱり、僕の力じゃ無理か。

 あの人に見捨てられた、僕の力じゃ。


 ――全身を、世界を、黒が覆う。

 体中をなめ回されるような感覚。理が外側から書き換えられていくような不快感に、意識が遠くなってーー。




 ――狭まる視界の中、司が慌てて近寄ってきたのが見えた気がした。

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