第一話「変貌した世界と罪」



 どこか遠い記憶。

 ぼやけた視界の中で、懐かしい顔がのぞき込んでくる。


 ――父さんっ。


 その名前を呼ぼうとするも、どうしてだか声が出ない。彼は、僕を生んでくれた人は、そのままこちらを蔑むように見下ろして口を動かす。


 ――ああ、そうだ。次の言葉は決まっている。



『お前なんか、生まれてこなければ良かったな』




 ……。

 …………。




「篤史っ」


「っ」


 意識が彼方の世界より帰還する。

 視界に映るのは白い天井とカーテン、そして心配そうにのぞき込んでくる司の姿。


 ――どうやらあのまま倒れて、保健室に運ばれてしまったらしい。

 時刻は夕方だろうか、淡いオレンジ色に世界が染まっている。


「はは、やっぱり起きたじゃねえか……」


「え?」


 泣き笑いのような顔で、言葉を零す司。不思議なことに、その様子は随分と変わっていた。


 ――こんなに、やつれていたっけ?


 髪や服装は乱れており、御度も消耗している。

 建物の御度も、目覚める前と比べて随分と弱い。まるで長い時間が経ってしまったかのように、ごっそりと抜け落ちていた。


「どの位眠ってた?」


「一週間だ。篤史が倒れて、もう一週間も経ったんだぜ。

 ほんと、何してたんだよ」


「そんなに、か。

 何してたんだろうね……?」


 複雑な感情を含んだ愁嘆に、曖昧に返すしかできない。

 それだけ長い時間昏睡状態だったこと含め、事態は完全に僕の理解を超えていた。


「あれからどうなったの?」


 よく観察すると、空気中に黒い埃ーー薄まったあの粒子が漂っている。倒れる前に見た、出鱈目な光景が夢じゃなかった証拠だろう。


 司は話しづらそうに視線を彷徨わせた後、口を開いた。


「そう、だな、実際見た方が早いだろ。開けるぞ」


「うん、お願い」


 僕の肯定に、司はゆっくりとシートをずらす。隙間から入ってくるオレンジ色の夕日。最初に違和感を捉えたのは、鼻だった。


 ――血の匂いがする。それも、うんと強烈な。


「ほら、見てみろよ」


 司が窓を指さす。そこに広がる光景に、思わず息を呑んだ。


 ――窓が割れ、壁にはひびが入った建物群。

 ――至る所で立ち上っている黒煙。

 ――途切れることなく鳴り続ける救急車の音。

 ――遠くから僅かに聞こえる、悲鳴。


 そのどれもが、悲惨な状況を連想させる。


「なに、これ? 戦争でも起こったの?」


 思い浮かんだ中で最悪な想像を訊ねると、司は何故かほっとしたように息を吐いた。


「そう、だよな。普通はそう思うよな。

 でも、違うんだ、もっと酷いと言うべきか。


 ――周囲の機械や設備が一斉に故障したんだ。スマホやら電灯やら諸々のものがな。

 街のあちこちから事故の音がするわ、道路から水が噴き出すわ、はてには飛行機が市街地に突っ込むわ。まるで出来の悪いパニック映画を見てるみたいだったよ」


 そうおどける司の顔に、いつものような覇気は無い。相当怖い体験をしてきたのだろう。

 ――機器の故障。

 多くの科学技術に支えられている現代において、確かにそれは大騒動になりうるだろう。部屋に掛かる時計の状態をみても、動かないだろうことは理解できた。


 ただ問題はーーその原因だ。

 瘴気の作用は確か、妖怪の凶暴化と疫病の萬栄促進だったはず。

 あの黒い粒子が瘴気だとしたら、はたして今の状況を引き起こすだろうか?

 それとも僕の知識が古いだけ? 


「そうだ、国から情報とかはないの?

 それこそ、どこかの国で秘密の開発された新兵器が各地に投下されたとか」


「ああ、そうそう。軍事に詳しい奴が言ってたな。

 進水式に合わせてどこかの国が核ミサイルを打ち上げて、日本の上空で爆発させたんじゃないか、てな。電磁パルス攻撃とか言ってたか?

 でもな、いまだに国とかとは連絡は取れてないしーー異変はこれだけじゃなかった。


 モンスターが、現れたんだよ。まるでゲームの世界から出てきたみたいにな」


「モ、モンスター? 

 っていうと、スライムとか、ゴブリンとか?」


 突然話の方向性が変わったことに戸惑う。妖怪ならまだしもゲームの、つまりは完全な創作物が実体化するなんて、聞いたことがない。

 いや、一般人には妖怪もモンスターも変わらないのかな?


 ところが、そんな思考を裏切るように司は大きく頷いた。


「まさしくそれだな。校門のところに、ゴブリンが三匹やってきた。

 目を疑ったよ、幻でも見てるんじゃないかって。でも、見れば見るほどRPGとかに出てくるゴブリンなんだよ。

 それでパニックになりながらも、先生達が刺股を持って、向かっていったんだ。

 先生方も意味が分からなかったと思うぜ。何せ、学校に化け物が出たときの練習なんてしてなかっただろうからな。


 で、ゴブリンに近づいたら、バーンだ」


「まさか、死んだの?」


「ああ。そういう最初期の混乱で大人たちはほぼいなくなった。

 で、今はオレら高等部の先輩方、特に生徒会が中心になって防衛したり、食料調達している――て感じだな」


「なるほど、ね?」


 荒唐無稽な話を、至極真面目な顔で話す司。嘘は見えない。

 ――本当の事だとでも言うのだろうか?


 オオオオォォ。


 刹那、何とも知れぬ獣の咆哮が辺りに響く。


 見れば、鮮やかな夕焼けをバックに巨大な影が空を飛んでいた。

 二つの翼を持ち、トカゲのような体をしたそれ。自然界のどの生物とも、まして妖怪とも一致しない。幻想生物 モンスターの代名詞ともいうべき存在が、そこにいた。


「……まじ、か」


「マジなんだな、これが。

 ようこそモンスターワールドへ、とでもいうべきか?」


「はは、実際に目の前で起こってみると冗談じゃないね……」


 憮然とした表情で冗談を飛ばす司に、空虚な笑みを返す。


 ――信じざる、を得なかった、司の話が本当のことだと。


 もしこれら全てが僕をはめるセットだとしたら、あっぱれだ。虚構だと論じる証拠を、何一つ見つけられない。


 同時に、一つの結論も出ていた。


 ――黒い粒子と瘴気は、別物だ。

 機器の故障だけならまだしもモンスターが出現するなんて、あまりに性質とかけ離れている。そんな影響があったのなら、文献に残されてしかるべきだろう。


 でも、だとしたら一体何だろうか、これは?


「ここまでで、何か無いか? 

 例えばその、何か心当たりがあったり、違和感があったりとか」


「え、いや……信じられないこと以外特には。

 話が飛んでいるのは、それだけ辛い体験だったんだよね」


 妙に真剣な目で見てくる司にそう返す。何かおかしなこと言ったかな。

 機械が故障し超常の存在が現れ、きっと大変だったはずだ。


 暫く見つめ合ったあと、司はふっと笑みをこぼす。久しぶりに司らしい屈託のない表情を見た気がした。


「ははっ、そうだよな。篤史が何かやったわけないよな。

 だったら、ここからは面白い話だ。試しにステータスオープンって、言ってみろよ」


「ええ、そんなゲームや小説じゃないんだから。

 ……マジで出来るの?」


 そもそもモンスターが現れた時点でおかしいんだ。スキルとかがあっても、変じゃない……かも?

 何だか、年甲斐もなくワクワクしてきた。幼い頃を思い出す。


「騙されたと思って、やってみろって。……飛ぶぞ?」


「そ、そこまで言われちゃあ、仕方ないな。

 ――ステータスオープン!」


 おかしなテンションで叫ぶ。――さあ、何が出るか?


 ……。

 …………。


 いつまで経っても、何も起きない。失敗したのか、これ? 

 発音が違った? それとも視界の端に小さく出るタイプ、とか?


 視線を彷徨わせていると、小さく何かが吹き出すような音――失笑が聞こえてくる。

 司が、口元を手で押さえて笑っている。


 だ ま さ れ た。


 「ちょ、司ぁ!? すごい恥ずかしい奴じゃん、これ!?

 もしかしてモンスターが現れたのも、嘘だった!?」


「ち、違う、違う。嘘は言っていないって」


「なら、いいけどさ! 

 くそっ、どういうことか、ちゃんと説明してよ」


「分かってるって! でも、ちょっと待て。わ、笑いが止まんねえ」


「ああ……一生の恥だ……」


 爆笑する司の横で、頭を抱える。穴があったら入りたい、というやつだ。


 ……でも、良かった。世界がどんなに変わってしまっても、こうして笑い合えれば、きっと生きていける気がする。


 何て、のんきに思っていた――この時までは。


 ようやく笑いを抑えた司が、目元の涙を拭いながら答える。


「はあ、面白かった。

 ともかくさ、嘘じゃないんだよ。みんながステータスを出せるようになったのは本当。

 ただ、あそこにいたオレと篤史だけはなぜか例外だったみたいだな」


「……僕たち、だけ?」


 司の言葉に違和感を覚える。二人だけを特別にする要因。

 ――倒れる前、僕は何か術を使わなかったか?

 嫌な、予感がする。


「そうそう。んであの時篤史が変な動きをしてたからさ、何かしたと思ったんだよ。

 だから一応、ステータス関連のことは避けてきたんだ」


「……」


「でも、その様子じゃ、勘違いだったみたいだな。いやあ、これで心置きなくレベルアップの儀式を受けられるぜ。

 じゃ、篤史が起きたことついでにそれも伝えてくるわ!」


 司が僕の様子に気付くことなく、張り切って保健室を出て行く。

 背中を流れる冷や汗。さっきまでの会話を思い出す。


『そう、だよな。普通はそう思うよな』

『……ここまでで、何か無いか?

 例えばその、何か心当たりがあったり、違和感があったりとか』

『ははっ、だよな。篤史が何かやったわけじゃないよな』


 ――なるほど。だからあんな態度だったんだ。

 それに対して、僕は何にも知らないような返答をした。

 でもーー違う。僕に心当たりがなかったのは、破邪の法が失敗したと思っていたからだ。あの黑い粒子の正体がわからなかったからだ。


「あ、そうだ。これ、篤史の為にとって置いておいたんだ。

 少ないだろうけど、それしか貰えなかったんだ。我慢してくれ」


 ドアを開けて、何かを投げてよこしてくる司。

 それは、コンビニで売られているような菓子パンだった。


「じゃあ、またな。ちゃんとよいこにしてるんだぞ!」


 今度こそ、司の足音が離れていく。手元の贈り物を見ながら、考える。


 ――もし、破邪の法が成功していたら?


 そのせいで、僕は一週間も眠り続け、僕と司の身体に疲労以外の異変が無いとしたら……。


 司の異常に疲弊した体。レベルアップの儀式(文字通りの意味だろう)が受けられる、と妙にテンションに高い司。

 ――嫌な、予感がする。

 それはきっと保健室を出れば解消できる。昔と変わらない部屋を出て、外の世界を見れば。

 出来れば知りたくなんかない。でも、これは僕一人の問題で済まないのだ。


 重い足を無理矢理動かして、扉に近づく。

 ――どうか、黒い粒子とステータスとやらは無関係であってくれ。

 ――どうか、世界は優しくあってくれ。

 一縷の望みをかけて、ドアを開ける。


 視界一面に、変貌した世界が広がる。

 荒廃した街を映す窓。汚れた壁。殺気だった人々の気配。


 ――ああ、そうだ。

 昔から知っていたじゃないか。思い通りになんかならないって。


 ――視界に映る彼らの姿は全員が真っ黒に、あの粒子に染まっていた。


「お、『無職』の片割れじゃねえか。

 やっと、起きたのかよ、無駄にベッドを占領しやがって。ほら、さっさとどけ」


 近くの、顔すら真っ黒の男が明らかに敵意のある目で見てくる。いやそれだけではない。廊下を歩く、他の人たちも同種の視線を向けてくる。

 二つ目の望みも、儚く消えていく。


 人は変わる。世界が、常識が変わったとしたら、それは尚更のことだ。

 どうしてこんなことも忘れていたんだろう。


「で、お前はどうだったんだよ?

 はっ、その様子じゃ、大した『職業』をもらえなかったみたいだな。それとも、お前も『無職』とか?」


 男の言葉に、あちこちから嘲笑が聞こえてくる。そのどれもがこちらを蔑んだもので、擁護の色は一切感じられない。


 インフラの崩壊、拠り所の喪失、モンスターの出現。きっと死に物狂いでこれまで生きてきたはずだ。

 配られたパイは小さい。一週間寝ていた病人に、パン一個しかあげられないほどに。


 そもそも先生を簡単に殺せてしまうようなモンスターに、生徒だけで対処してきた、という時点で疑問を持つべきだった。


 ――恐らくそれは、ステータスがあるからだ。

 名前からしてレベルやらスキルやらも、あるんだろう。だとしたら、その性能や有無は貢献度に大きく影響する。そして恐らくその源は、取り込まれた黒い粒子。


 僕のせいで、それが無かった司は……。

 今の様子だけから見ても、一体どれだけ辛い思いをしてきたか、想像に難くない。


『そうそう。そんであの時篤史が変な動きをしてたからさ、何かしたと思ったんだよ。

 だから一応、ステータス関連のことは避けてきたんだ』


 司の言葉が思い起こされる。僕のことを信じて、苦境に耐えてきた司の言葉を。


 ……ああ、だから、友達なんて作りたくなかったんだ。

 貰ったパンは、落としてしまいそうな程重かった。


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