第十二話「誘惑」
地平線に沈む太陽。怪異に満ちた世界に、夜の帳が下りていく。
僕らはそれを、国道沿いのコンビニの中から眺めていた。
彼の遺物を拾ってから今まで、会話らしい会話はない。ただ物言わぬ屍のように足を動かし続けて来たのだった。
原因は明白だ。
「……ねえ、司。この手帳、中を見てみない?」
あの場に残されたのは二つの遺品、古びた手帳とトランシーバー。その前者、黒色のカバーで出来たそれのページは汚れ、明らかに使われた痕跡があった。
彼のものである確証はないにしても、読みさえすれば何かが分かるかもしれない。どんな人生を送って、何を考えていたかとかも。
沈痛な面持ちをした司の瞳が、ゆっくりと僕の手にあるものを捉える。
そうして一度視線を外した後、強い光を宿してこちらを見た。
「ちょっとそれを見せてくれよ。確認したいことがあるんだ」
「うん、構わないよ……」
司に手帳を渡す。特に断る理由もなかった。
同時に、妙な違和感に襲われる。
言葉とその表情がかみ合っていないような、そんな感じだ。
瞬間、手帳が燃え上がる。
端から順に広がっていく、霊気の炎。司の陰陽術だ。
「ちょ、ちょっと何やってるの!? 早く消さないとっ」
「良いんだよ、篤史。殺した相手の事なんて、知らなくたって構わない」
「え……」
手帳を地面に落とし、冷徹に見下ろす司。
炎はもう既に半分以上を黒く焦がしていた。この分だとすぐに何も読み取れなくなるだろう。
止めようと御度を動かしたところでーー司に手をつかまれる。か弱い力で握られる腕を、なぜだか振り払うことができなかった。
ゆっくりと、噛みしめるように司は話し始める。
「大体、あいつが凄惨な過去を持っていたからって、何になる?
オレたちを突然攻撃した事実は、殺そうとした事実は変わらない。
同情すべき境遇だったんだから、大人しく死んどけば良かった。そういうつもりか?」
「ち、違う。
ただ僕は確認したかったんだ。知ってる人かも知れないからっ」
「それなら尚更見ない方が良い。
知人じゃなくて、見知らぬ他人を殺したと思った方が気が楽だ」
「そんなのっ……余りに、無責任だよ。
それに、別の道もあったんじゃないかと思うんだ。殺し合うんじゃなくて、司が言ったように話し合って解決できたんじゃないかって」
「いや、それは結果論だろ。
あの時は殺す以外の選択肢はなかった。躊躇していたら、確実にオレらが殺されてたぜ」
「それでもっ」
反論しようとした僕の両肩を、司の力強い手が掴む。
司が言葉を紡ぐ。自分に言い聞かせるように、信じ込ませるように。
「仕方がなかったんだ。篤史が気に病む必要はない。
なんなら辛い役割を篤史に押しつけたオレの方が、もっと罪深いんだよ。
だから、大丈夫。篤史のことはオレが許すよ」
完全に灰になった手帳。司の話は続く。
「オレは思うんだ。人は誰しも、自分の信じたいことだけを信じてるって。
……オレの母さんもそうだった。
オレが女らしくない行動をすることを許さなかったんだ。何度FtXだ、そういう性格の人もいるんだって言っても信じやしない。『司は女の子なんだから』とか『男に憧れるだけ』とか『あなたは普通の子なの』とかずっと繰り返していた。
認めたくなかったんだろうな、自分の子供が『異常』だって。自分の『常識』から外れた存在がいるんだって。
オレも同じさ。
前も言ったように、オレは家族の事なんてどうでも良いんだ。
オレに理想を押しつけてきた母さんも、ただ生んだだけの父さんも、オレの居場所を奪って暴言を吐いてきたあいつも、どうなろうと関係ない。
例え家族として愛してた、とか今更言われても信じられないよ。
あそこでの日々は地獄で、孤独だったんだ。あいつらはオレが嫌いで、全く見てなかった。……そう思わないと、やってられないだろ?
篤史のことだってそうだ。
オレは篤史のことを友達だって思ってる。色々と裏の感情があったみたいだけど、そんなの関係ない。
普通の人として接してくれて、色々と助けてくれた。それだけで充分なんだよ」
流れるように紡がれる言葉。
なるほど。僕には随分と甘いのに、家族に冷たい理由がようやくわかった。
司の瞳が黒く染まっていく。全てを飲み込むように、黒く。
「だからさ、良いんだよ、篤史。
奴にどんな過去を持っていても、篤史に過失があったとしても、どうだっていいんだ。見て見ぬふりをすればいい。そんな辛いことを忘れてしまえばいい。
その罪は全部オレが許すからさ。奴は殺人鬼で、仕方なかった。それで十分だろ?
それで……そうだな。
やっぱり名古屋に行くのはやめようか。
二人で誰もいない田舎に向かうんだ。そこで結界を張って、農業をして、のんびり暮らせば良い。オレたちならきっと出来るさ」
司が穏やかに微笑む。
その提案はとても魅力的に思えた。
あらゆるものを切り捨てて、自分の都合の良い方に世界を夢見る。二人だけの閉じた世界。そこはきっと随分と住み心地が良いだろう。
忘れたはずの感情が心の内で疼く。
でもーーそんな僕の中に、蘇る言葉があった。
『そうか、篤史君は檻に捕らわれているんだね』
暖かい声音で語られたそれ。
おり。そう、檻だ。
僕らはずっとそれに捕らわれてきた。司は僕とは別の檻に、いや根本は同じなのかな。
僕も、理解できないものは見ないようにしてきたから。
そしてそれを破壊された僕は、知っていた。
ー-世界は決してそれでは測れないことを。
外れた存在に出会ったとき、司はどうするつもりなんだろうか。
僕のように枷を壊して自由に生きる? それとも、大嫌いな母親のように排除しようとする?
『生まれたときから満足に愛されず、必死に働いても報われることはない。
さあどうしよう。
他人から奪ってしまえば良いんだよ。
どんな方法であろうと良い。戦争、殺人、いじめ、あるいは恋愛なんて方法もあるかも知れない。
そうして僕らは歴史を、社会を作ってきたのさ』
『僕はね、奪われていたものを返しにもらいに来たんだよ。
君らみたいに未来があって、恋人もいて、全てが許されている人からねっ』
どこか重なる彼ら。思えば“彼”もそれの被害者だった。
もう全てを知ることはできないけれど、その言動の節々から察せられるものはある。
きっと辛かったんだろう。
そしてその現実から身を守るために世界を作って、それに沿って僕らを襲ってーー死んだ。
『……ああ、どうせ死ぬなら、最後にもう一度、父さんと野球を見たかったなあ……』
そんな彼の最期は一体どんなものだっただろう。
恵まれたものだったか? 望んだものだったか?
それに、強盗に殺されたピー子のこともある。
人間の都合で飼われ、捨てられ、自由になっても籠から抜け出せず、挙げ句の果てには殺された彼女。
僕が見たときは、檻の中で血を流して倒れていた。
何の理由もなくペットを殺すとも思えなから、きっと騒がしくしたんだろう。そして指された。
翼がその本来の役割を全うしていれば、逃げるくらいは出来たはずだ。
対して、ちゃんと世界に向き合っていた彼ら夫婦はどうだったか。
部外者の僕のことを受け入れ、僕の言葉を否定するでもなく助言して送り出し、突如殺された二人。
その葬儀で見た顔は穏やかなものだった。
例え死化粧だったとしても、僕には彼らが苦しんだと思えない。きっと静かにその運命を受け入れ、むしろ犯人に同情した気さえするのだ。現に、抵抗した様子はなかったらしいし、捕まった犯人は酷く後悔していると聞いた。
僕らはどちらに進むべきだろうか。
思い出す。戦闘の時、最期まで司が躊躇していたのを。
思い起こす。檻が壊れた後の旅を、そこで抱いた色々な感情を。
思いを馳せる。檻の中にいた頃のつまらなそうな自分に、窮屈な世界に。
答えは決まっていた。
司を見る。僕の答えをじっと待つ友達のことを。
司の表情は揺れていた。まるで親に悪戯がばれて、不安と期待が入り交じった表情を浮かべる子供のように。
何だよ、司だって同じじゃないか。
少しだけおかしくなって、司の額にデコピンを当てる。
「いたっ、何するんだよ。篤史。オレは本気なんだぞ!?」
「知ってる……でも結論を出すには早すぎるよ、司。
僕らはまだこの世界について少ししか知らない。たまたまここら辺が危険なだけで、他にはもっと安全に暮らせる場所があるかもしれない。
ただ僕らは初めての生存者と出会っただけじゃないか」
「それでもっオレは篤史のためを思ってーー」
二撃目。いたい、と司が涙目で睨んでくる。
うん、やっと司らしくなった。
「そんなの頼んでないよ。もう、向き合う覚悟は出来た。
やっぱりさ、ちゃんと知ろうと思うんだ、彼のことを。
何年かかるかも、そもそも世界が元に戻るかも分からない。ただの自己満足なのかも知れない。それでも、追ってみるよ。彼の歩いた軌跡を。どんな人生を送ったのかを。
幸い、手がかりらしき記憶もあるしね」
「篤史は、それでいいのかよ。
苦しくないのか? 押しつぶされそうにならないか?」
「なる、かもしれない。でもそれが罪を背負うってことだと思う。
だいたい、人の一部分しか見ないってそれは依存だよ。
DVされてるのに、あの人は本当は優しい人だから、て慰めてる奥さんと一緒だ。
誰にだって、何にだって二面性はあるんだ。
良い面と悪い面、愛情と憎悪。どちらを優先するかは人それぞれ。でも、最初から見ないのは間違ってる。
知ろうともせず否定したら……それこそ司の母親みたいになるよ」
「それはっ、そうかもだけど……」
徐々に小さくなっていく司の声。
完全には納得していない感じだ。難しいな、人に教えるのは。あんな風にはなれそうにない。
何か……ああ、そうだ。最近久々に思い出して、考え直した言葉があった。
「司。僕らさ、厨二病に罹ってるのかも知れないね」
男は誰もが通るその病。表面上はばかばかしいように見えるけれど、本質はきっと別の所にある。
司の瞳が瞬く。きょとんとした、鳩が豆鉄砲を食ったような顔。少し面白い。
「? ちゅうに? 病ってのはなんだ?」
「そうだなあ……一種の逃避行動かな。
守られていた環境から抜けて、初めて自分の足で世界に立って、気付くんだ。
思い描いたほど世界は優しくないって。
人の悪意、将来の不安、環境の格差、才能の有無えとせとら。そんな残酷ものに世界は溢れてる。
だから、魔法や非日常をこいねがう。特別な存在になるために。
例えば自分の腕には悪魔が封印されてるんだって包帯を巻いたり、とかね」
「あ、いたな、そういう痛々しい奴」
「痛々しい、うん、その通りだね。
ただ本人達は本気だった。本気で、特別だと思い込もうとしてる。まあ格好とかを変えるだけで、行動が伴ってないのが悲しいところだけどね。
多分さ、僕らも同じなんだよ。
時期が早いだけで行動原理は変わらない、現実から身を守るため。
彼らはそれを自分が特別だと信じることで、僕らはそんなもんだと世界を呪うことで解決してる。
内か外か、陽か陰か、それだけの違いでしかないのかも」
「……その通り、かもな。
でもさ、やっぱり仕方ないだろ。オレたちが生きて行くにはそれしかないんだから」
「うん。司の言うことは正しいよ。少なくとも今まではね。
でも、これからは違う。
色々なしがらみが根本から壊れて、自由に生きられるようになった。これからどう生きるかは、僕らの心持ち次第だ。
……きっとさ、世界に普遍的なルールを適用することなんて出来やしないんだ。
世界はもっと複雑に絡み合っていて、色んな感情があって、思いもよらないような性格の人がいる。
だからどこかで齟齬が出る。ルールの外からそれを壊そうとする人が現れる。
僕たちはそれを恐れちゃ、見て見ぬふりをしちゃいけないんだ。自分の世界に引きこもったその先には、孤独な最期が待ってるから。
外の世界も案外捨てたもんじゃないよ」
気がつけば、あの人の話をなぞるように司に語りかけていた。
当時は聞いているだけだった。でも、今度は経験談だ。
「僕の世界は壊されたんだ、他でもない司にね。
司も感じたでしょ、あの後から僕の態度が変わったこと。
でも、悪い気分じゃなかった。
むしろ楽しかったんだよ。箍が外れて、まっさらな状態で世界を見るのは。
まあ勿論苦しいこともあったけど、それでも元に戻りたいとは思わない。
だからさ、もっと色々な世界を見てみよう。
やっぱり僕は市役所に行くべきだと思うんだ。
世界はきっと僕らには想像もつかないような人に、刺激に溢れてる。
僕らはまだ若い、世界の事なんて少ししか知らない。
いま抱いてる感情だって、こんな厳しい世界故のものかもしれない。ただ特殊な状況で特別な経験をして、勘違いしてるだけかもしれない。
だいたい司は自由に生きて良い、て思ったんでしょ。それはそんな窮屈な世界でってことなの? 本当にそれで自由って言えるの?
悲観するには、結論づけるにはまだ早いよ、司」
少しだけ自分のことを付け加えて、言い終える。
旅の目標が必要なくなって、再定義され、壊され、再び設置されようとしてる。
僕は、司から貰った恩を返せるだろうか?
辺りを包む沈黙。心臓の速い鼓動がよく聞こえる。
やがて司はふ、と笑みを零した。司らしい屈託のない表情だ。
「まだ早い、か。うん、その通りかも知れないな。
……一世一代の告白を、まさか篤史に断れるとはなあ」
「え、えっと……」
しみじみと語られた言葉に、思考が止まる。
いやまあ確かにあの提案は駆け落ちっぽいなと思ったけど……どうしよう? 未だ僕は答えを出せていない。それに、こんな世界で決めて良いのか、という疑問もある。
僕が困っているのが分かったのか、司は僕の背をバシバシ叩きながら笑い飛ばした。
「はは、冗談冗談。
気持ちを打ち明けるって意味で使っただけだ。深い意味はないよ」
「分かった、そういうことにしておくよ。
でもその……話してくれたら、ちゃんと考えるから」
「ん、知ってるよ。
……オレも正直こんな気持ちは初めてで、戸惑ってるんだ。だからさ、今はそうしてくれると嬉しい。いつか答えを出すよ」
「了解」
なんとも言えない雰囲気の中、僕らは黙り込む。
沈黙。でも今度はどこか気持ちいい。
ああ、そうだ。僕らはまだ何も知らないんだ。この世界の現状も、この感情のことも。
だから、全部これから知っていけばいい。
そのための第一歩だ、とトランシーバーを手に取る。
手帳はもう墨になった。これが彼が残した、唯一の遺物だ。
御度は充分足りていて、使える状態。銃のように『修理士』のスキルで直したのだろう。
折りたたみ式以前の携帯電話みたいなボディで、上部にアンテナとスイッチ(恐らく電源)、前面上部に小さな画面、その下にモニタ、グループと書かれたボタとTVのリモコンにあるようなチャンネルを上下するボタンが配置されたシンプルな構造だった。
淡い望みをかけて、アンテナの横のスイッチを回す。
プと電源が入り、画面にCH3と表示される。
ジーと流れる砂嵐の音。周波数(?)を変えようとボタンを押そうとしたところで、何かが聞こえてきた。
『……か、聞こえるっスかっ。おじさんっ』
若い、恐らくは高校生くらいの少女の掠れた声がする。
彼女は必死に誰かに言葉をかけ、助けを求めていた。
「どうする? これも無視して田舎に向かう?」
意地悪な視線を司に送る。
司はカラカラと歌うように笑った。
「じょーだん、助けに行こうぜ。
流石のオレでも、救える可能性がある命を見捨てたりしないよ」
「うん、消防署の時から分かってた。とりあえず彼女に答えようか。
……えっと送信するにはどうすれば?」
「多分、その横のスイッチを押すんじゃないか?
なんかそういうのを見たことがある気がするぜ」
「おーけー。
あー、聞こえてるよ。一体どうしたの?」
『……あれ、知らない声。まあ繋がって良かったっス。
お兄さん、おじさんを知らないっスか? いつもこの時間、この周波数で話してたのに、出ないんスよ』
少女の言葉に、司と顔を見合わせる。
セットされたチャンネルから声が聞こえることからして、これは確定だろう。
おじさんは、僕が殺した男だ。
分かっていたことだ。覚悟していたはずだ、こうなることは。
それでも、手が震えてくる。
僕は確かに、一人の人間をの命を奪ったのだ。
「篤史、オレが代わろうか? 最悪誤魔化せば良いし」
心配そうにのぞき込んでくる司。
ありがたい提案だ。けどーー
「大丈夫、これも向き合わなくちゃいけないことだと思うから」
そもそもあんな壮大な話になったのは、これが発端だった。
そして決めたのだ。僕は罪を背負っていくと。
電波の先にいる少女に、真実を告げる。
「……知ってるよ。僕らが、僕が殺したんだ。
急に襲ってきたからね、返り討ちにした。手加減なんて出来なかった。
それで今僕は彼のトランシーバーで君と交信してるわけ」
暫くの沈黙。はたして、返ってきたのは随分と軽い返事だった。
「そうっスか。まあ、明らかにヤバそうな思想をもってそうだったスからね。
正直助かりました。私もこわかったっスもん。
それより問題はお兄さんが私を助けに来てくれるかっス。
どうですか、私はピッチピチの現役JKっスよ。うちに来てくれたら、少しはお礼も期待できると思うっスけど?」
無線越しの少女は随分と、たくましい性格をしているらしい。
司と頷き合う。答えはもう決まっていた。
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