第十五話「二人との約束」



 泥棒でも入ったかのように荒らされた部屋、そして入り口に作られた血の海。


「……ここもダメっスか」


 咲が呆然とした様子で、落胆をこぼす。

 これで三回目の空振りだ。

 近くの避難所や友達の家を回ってきたが、そのどこにも人の気配はなく、ただその名残を残すのみだった。


「次に、行きましょうか。

 そこにみんなで避難してるかもしれないっス」


「そう、だね」


 失意の中の彼女は、信じてると思えない口調で未来を語る。


 はたしてどれだけの人間が生き残っているのだろう?

 そんな恐怖が僕らに重くのしかかっていた。






 その日の夜、咲の希望で最後に訪ねた友達の家で一晩を明かそうとしていた。

 リビングに四人、中庭にムラサキが陣取り、寝るまでの時間を過ごす。幸いなことに家の中に血の跡はなく、初めて生きているかもしれないと希望をもつことができた。

 ただそこに漂う空気は暗い。

 

 あれから二か所を見て回ったが、誰も見つからなかった。

 ここを含めるなら六連敗だ。

 何の関わりもない僕らですらやるせない気持ちになったのだ。彼女たちと友達だった咲の悲しみは計り知れない。


 対面の彼女が、残されていた友達の日記帳をペラペラめくりながら、こちらを見た。


「……もし私、いや私たちがこの後もお二人について行きたいって言ったら、どうします?」


「それはーーうん、構わないよ。

 咲がいるとモンスターの脅威も減るし、僕らとしても願ったり叶ったりだよ」


 司と頷きあって、もしもを肯定する。

 実際彼女のスキル『マップ』は優秀で、回数制限はあれど周囲50mの(モンスター含む)生物を感知できた。こっちから誘おうと思ってたくらいだ。

 

「ありがたいっスね。

 これで紬にメッセージを残せるっス」


 寂しそうな表情で何かを書いていく咲。

 名古屋市の方に行ってるよ、といった感じだろうか。

 日記には家族で家に閉じこもって恐怖に震える姿が克明に記されていた。そうしてその最後、三日前の日付には無くなった食料を取りに行く旨も。

 それ以上綴られることはなく、彼女の姿も見えない。きっと既に……。


 ただ、生存を信じる咲の思いを馬鹿にすることなどできやしない。

 僕らだって淡い期待に流されてここまできたのだから。


 ペンを置いて彼女は自嘲気味に笑う。


「よく考えればみんなにもメモを残してあげればよかったスね。

 生きているかもしれないのに……ほんと馬鹿っスね、私は」


「それは仕方がなかったと思うよ。

 このご時世、無暗に自分の居場所を教えない方がいい」


「司の言う通りなのじゃ、咲。変な輩に狙われるかもしれぬぞ。

 人にできることには限りがある。無暗に自分を責めるでない」


「それでも私は……いや、そうっスね。クドクド悩んでもしゃーないっス。楽しい話をしましょうか。

 お二人の話を聞きたいっス。昔から仲が良かったんスか?」


 痛々しいほどあからさまな話題展開。

 乗らないわけにはいかなかった。


「いや。今年の春に初めて会ったんだよ。

 だから実は七か月位しか経ってない」


「具体的には高校で始めて話しかけてくれたときだな。

 それからはわりと一緒にいた感じだぜ」


「え、僕が最初だったっけ? 委員長とかじゃなかった?」


「……覚えてないのかよ。

 みんなが遠巻きに見てる中、隣の席の篤史だけが普通に話してくれたんだぜ?」


「ああーそうだったね、うん。思い出した、思い出した。

 確か英語の授業かなんかのペアワークだったよね?」


「それは二回目だな。正解はどこからきたの、だ」


 司のジト目に射抜かれる。

 いやっ本当に覚えてないのだ。最初の方はできるだけ関わらないようにしていたはずから。ただ隣の人として角が立たないように振舞っていて、多分それを誤解してるんだろう。


「じー」


 不意にねっちょりとした視線を感じる。

 発生源は対面の彼女。狩人のような視線にさらされ、なんだか居心地が悪い。


「なにさ、その目は? おかしなところでもあった?」


「いやいや、そんなことないっスよ。

 私めのことなんか気にせず、どうぞ続けてくださいっス」


「そ、そうか? ならいいけどーー」


「お主たち、気を付けるのじゃ。

 こやつは男色、今は『びーえる』というんじゃったか? それに目がないのじゃ。

 下手すると食事にされるぞ?」


「えー、BLは淑女の嗜みっスよ。

 世間に許されない恋心、普通になろうとして女子と付き合って、それでも諦められなくて……いいっ。

 お二人も読んでみてほしいっス。BL男子は意外と少なくないんスよ?」


「……僕は遠慮しとこうかな」


「オ、オレもだ」


 熱を帯びた提言を、二人して断る。

 そういう趣味の存在は知っていたが、まさかこんな身近にいるとは。彼女には悪いが、腐るつもりはない。

 ただ微妙に当たってるのがなあ。何とも言えない気持ちになってくる。


 精神的にはほぼ男の人との恋愛はBLになるんだろうか?

 そんな、どうでもいい疑問が頭の中に浮かんできた。






「……じゃ、起きるのじゃっ」


 心地よい声音と共に体を揺すられ、目を覚ます。

 目の前にはおかっぱの少女。その背後には見慣れない部屋が広がっている。


「……どうしたの、クゥ? モンスターでも出た?」


 最悪な事態を想定した僕の質問に、彼女は首を横に振った。


「よい風が吹いておる。今なら届かせられるのじゃ」


「あ、ああそのことね。わかった、すぐに行こう」


 クゥの言葉を聞いて、合点がいった。

 彼女に頼んだ用事の一つだ。

 それ用の式神をとると彼女の後ろについていく。ムラサキが寝る中庭に出ると、彼女は屋根に登るように言ってきた。

 三つの立方体の結界で階段を作って、上にあがる。


 わずかに近くなった夜天。

 ひょい、と軽く上がってきたクゥが一方の空を指さした。


「あちらに向けて式神をなるたけ強く飛ばすのじゃ。

 運が良ければ上空の風に乗って名古屋市の方に行ってくれるであろう」


「了解」


 周囲にモンスターの姿はない。

 家を囲む結界を解除し、特殊な霊符を付けた式神に霊気を込める。


 遠方への偵察。

 それは、ずっと試行錯誤してきたことであり、彼女に頼んだことだった。

 僕の式神術では周囲60m程度にいる式神しか操作・干渉できない。訓練によって徐々にその距離は伸びているが、それでも見える範囲には限界があった。

 だからこそクゥに賭けたのだ。

 迷宮を作り出し、家に福をもたらすとされる座敷童。その力であればあるいは、と。


 読み通り、彼女はそれが可能な能力をもっていた。

 運命を操れるのだ。より正確には偶然を引き起こすことができる。

 例えばうっかり道を勘違いしたり、たまたま一部の機械だけが瘴気の影響を受けていなかったり、といった風に。

 どうやら未来をある程度選択できるらしい。

 ただし、まったく可能性がない未来を選ぶことはできない。難病にかかった人の手術は成功させてあげられるが、術だけでの完治は不可能、と彼女は言っていた。


 ただこうして好きな方向に飛ばせるだけでもありがたい。既に東西南北それぞれに四つの式神を向かわせたし、いずれは愛知県全体の全容もつかめるだろう。

 微調整を終え、注ぎ込んだ霊気ほぼすべてを推進力に変えて放つ。

 普段の何倍もの速度で飛行したそれは、常闇へと消えていった。


 同時に御度がガクンと消費されたのが分かった。

 クゥの陰陽術だ。やはり、その効率は屋敷の時より随分と悪い。座敷童は拠り所を離れると、霊力がかなり落ちるとのことだ。


 司の家族が住んでいる名古屋市中区はここから北西方向に20km程度。

 霊符の発動は距離関係なくできる。あとは、仕込んだ霊符を丁度良いときに発動させて、その視覚情報を受け取るだけだ。


「どれくらいで着きそう?」


「明日の夕方じゃな。

 それ以上のことは今はまだわからないのじゃ」


「わかった。こんな夜まで付き合ってくれてありがとうね」


「うむっ」


「……? どうしたの?」


 隣でどこかソワソワと体を揺らすクゥ。髪の毛がお腹らへんにあたる。

 ほかに用事はあったかな?


「別に何でもないのじゃ。

 ただ努力に褒めるには、やるべきことがあろう。ほらっ、ムラサキにやるみたいに……」


「あ、あー、なるほどね」


 要望通り(?)、その頭を優しく撫ででやる。

 クゥはふふんと尊大に息を漏らした後、子供のような朗らかな笑みを浮かべた。

 ……こうしてみると何十年も生きてきたようには見えない。見た目通りの小さい子供だ。


「何か今、失礼なことを考えなかったかの?」


「いやっ、そんなことないよ。

 ……ところでクゥは何年くらい生きてるの?」


「無礼者っ、おなごに年を聞くでないのじゃ」


 手をのけられ、パしりと叩かれる。

 残念、わりと本気で気になったのに。


「それじゃあ僕は結界を直しに行くよ。

 ありがとね。おやすみ、クゥ」


「まて、わらわも一緒に行くのじゃ。

 せっかくだしの、夜の散歩をするのも悪くない」


「そう? でも張っている最中は話せないよ?」


「構わんよ」


 笑いながらそう言うクゥに押され、監修のもと四方の結界石(咲の屋敷にあった御影石製だ)を右回りに歩いて結界を張る。

 特に何事もなく終えて解散しようとしたところで、クゥが首を傾げた。


「新しい結界の練習は今こそしなくてよいのか?

 きっと役に立つであろう」


「もう夜も遅いしクゥも寝たいんじゃない?」


「そんなことないのじゃ。わらわは睡眠を必要とせんし、夜は妖の時間。

 むしろ力が有り余ってるくらいじゃ」


「なるほど。じゃあ少しだけ鍛錬を付けてもらおうかな。

 お願いします、師匠」


「うむ、任されたのじゃ」


 クゥが(ない)胸をはる。

 

 結界術の改良のため、迷いの術を作り出したクゥにアドバイスをもらう。

 それが彼女に頼んだこと二つ目だ。因みにこれで全部だったりする。

 最初は単純にそっちの方が便利だからだった。ただ今はある可能性に気付いて、そっちの方が大きい。


 ステータスのデメリットを消せるかもしれないのだ。


 僕は今まで、警告だけして咲の瘴気を払ってこなかった。

 それには彼女の意思もあるし、『職業』が優秀で陰陽術の適性がないから、という打算的な理由もあった。

 たがしかし、彼のようになる可能性があるのだ。僕らは安全圏に逃れ、彼女だけにリスクを負わせるのはあまりに不義理というものだろう。


 あとは学校に残してきた彼らのこともある。

 良い印象は持っていないとはいえ、それでも死んでほしいわけじゃない。


 だからこそ、新しい術が必要だった。

 ステータスの恩恵にあやかりながらも、自薦治癒を阻害する等の悪影響から身を守れるような術が。


「とりあえず試作中の結界を出してみるね。

 何か気になることがあれば言ってほしいんだ」


 生成するは、いつもより青みが薄い結界。

 イメージとしては網目を粗くして通すものを分ける感じだ。

 クゥがコツコツと触ってその機能を確かめる。握り拳の状態だと弾かれ、指を刺すようにすると突き抜けた。


「物質的な判別はできておるが、悪意等の判別はできぬか。

 うーむ、そもそも陰陽師の結界はどんなものなんじゃ?」


「そうだね。軽く歴史を説明しよう。

 元々の起源は、とある神様を『封じ込める』ために使われた封印呪なんだ。

 そこから使いやすいように改良されて、内と外を『区切る』ように、最終的にはよいモノは入れて、悪いモノは出す『護る』形になった。

 だから、最後のステップで躓いているんだよ」


「なるほど。やはりわらわの術は根本から異なるようじゃな。

 わらわの場合は神仏に頼む、祈祷に近しいのじゃ。迷いの術を発動した時も、ただ咲の安全を願ったにすぎん。であるから、技術的な助言は難しいかもしれん」


「そっか、じゃあ――いや」


 仕方ない、と言おうとしたところで引っ掛かりを覚える。

 祈祷に近しい術を僕も知っていた。実際に使ったこともある。


 そう、『厄除け』の霊符だ。

 あれもまた対象の安全を祈願して作られ、災いは退けながらも幸運を妨げることはない。

 もし『護る』結界が今までの『区切る』結界の延長線上にあるのではなく、全く別の思想によるものだとしたらーー。


 新しい結界を想像する。

 基本は『厄除け』。ただしまだ見ぬ災厄を防ぐのではなく特定の、つまりはステータスが人体に与える悪影響から身を守れるようにーー。


 うん、何かできそうな気がしてきた。


「ありがとうクゥ。すごく参考になったよ」


「ちょ、やめるのじゃ。咲のようなことをするでないっ」


 わしゃわしゃとクゥの頭を撫でる。……何だかくせになるな、これは。構いたくなる咲の気持ちもわかる、うん。

 ともかく霊符を書きなおす必要が出てきた。

 それにそういうことなら、まずは基礎(今の『結界』のことだ)からと思っていた司にも練習させる意味がある。

 明日から二人で色々と話しながら試行錯誤するのがいいかな。


 不安点が一つ解消されて気持ちが軽くなる。

 これもクゥのおかげだ。感謝の意を込めてクゥの頭を撫でる。


「ええいっ、鬱陶しいっ。

 ほれ、さっさと寝るのじゃ若人よ。ここからはわらわたち陰<おに>の時間じゃ」


 ひょい、と僕の手をかわし、頬を膨らませるクゥ。

 さすがにやりすぎたみたいだ。両手を上げる。


「わかったよ。クゥはどうするの?」


「わらわにはこれがあるからの」


 クゥが懐から取り出したのは、ひょうたんのような形をした茶色の容器。

 確かこれは日本酒を入れるーー


徳利とっくり? え、クゥはお酒を飲むの?」


「当然じゃ。昔からわらわへの献上物は日本酒じゃったよ。それも極上の、な。

 最近はめっきり減っておったが、蔵にまだあったからの。くすめてやったのじゃ」


「お神酒<みき>みたいな感じ? でも、ええーこんな子供にお酒をお供えしてたの?

 咲みたいに見えてる人もいたんだよね?」


「かっかっ、初めは戸惑っていたやつらも、すぐにわらわの貫禄にひれ伏しおったわ。

 こう見えてお主の何十倍も生きておるのじゃぞ? 人心掌握なんて、容易いことよ」


「それは……」


 実際にどれくらい?

 さっきは誤魔化されたその質問を、口の中にとどめる。じっとこちらを見つめる彼女の視線が、これ以上聞くなと告げていたから。

 そこに踏み込めるほど、僕らは近づいちゃいない。

 ただそれでも、目の前にいる超常の存在に興味を惹かれているのは事実だった。


 実体の肉体がある人間と違い、妖怪はその霊魂より疑似的な体を生み出している。

 そしてその霊魂がどこから来たのかは今だ謎のまま。

 神から零落れいらくしてきた説、大勢の人の思念が大気中の御度に干渉して生み出され説、死んだ生物の霊魂であるという説。

 一説ではそのすべてが正しいともいわれているけど、実際のところは不明だ。

 なぜならほぼすべての妖怪が生まれる以前のことを思い出せないのだ。覚えていても断片的で確定できるものではない。

 それでもその起源は彼らと関わる陰陽師にとって非常に重要な要素で、長く研究されてきた。


 だからこうして意思疎通できる妖怪の話を是非聞きたい、と思ってしまっていた。

 どれくらいまで許されるんだろう?


「晩酌に一緒してもいいかな?

 もちろん酒は飲まないし、すぐに戻るよ」


「……本当にその二つを守れるんじゃな?」


「うん大丈夫。クゥに迷惑をかけるつもりはないよ」


「あいわかった。それではお酌だけ頼もうかの。

 そういうとこならほれっ、さっきの結界を出すのじゃ」


 固い空気から一転、目を輝かせて屋根の方を指さすクゥ。

 どうやらあの景色を相当気に入ったらしい。

 今まで使っていた結界(封印結界と呼ぼう)を出して、再び屋根にあがる。


「こっちにこい、篤史。

 注ぎ方を教えてやるのじゃ」


 クゥが瓦の上に座り、隣をぺちぺち叩く。

 傍らには、いつのまにか取り出された赤色のお盆とそれに載った徳利とおちょこ。

 準備万端だ。

 

「え、と、何か特別なマナーがあるの?

 ラベルを下に向けない、みたいな」


 確か飲み会でそういうルールがあると聞いたことがある気がする。

 不安をはらんだ僕の言葉にクゥは膝を叩いて笑った。


「かっかっ、盃事さかずきごとというわけでもあるまい。楽にするがよいのじゃ。

 まあでも持ち方だけは教えてやろう。

 右手で徳利の中央を持ち、うむそんな感じじゃ。それから左手で下の方を押さえて、右手の甲が上に向くようにする」


「こ、こんな感じ?」


「まあ筋は悪くはないの」


 指示に従って、クゥが持つおちょこに日本酒を注ぐ。

 預けられた家で主人にビールを入れてあげたことはあるけど、日本酒は初めてだ。なんだか手が震える。


 白色の杯に透明度ある液体が広がっていく。その黄金色の照りにかぶさるように月が浮かび、ゆらゆら揺れる。ほのかに果実系の爽やかな香りがした。


「それ以上はよい。入れるのは八分目までじゃ」


「あ、そうなの?」


 なみなみまで入れようとして、クゥに窘められる。

 ここら辺はビールとかと感覚が違うんだなあ。


 クゥはそれを一口飲むと、ふっと表情を緩めて遠い目をした。


「たまにはこうして誰かにお酌してもらうのも、よいものじゃな。

 今まではずっとわらわ一人で飲んでおったからのお」


「はっ、願わくは今後とも私めにその役目を頂きたく思いまする」


「うむ。そなたは我が同胞の中でも随一の忠臣じゃからの。許そう」


「ありがたき幸せ」


 膝をついて頭を低くする。そうしてクゥと笑いあった。

 子供っぽい部分もあるけど、やっぱり彼女には老成した態度がよく似合う。


「お主は不思議な性格をしておるな。

 いけすかないやつかと思えば引き際を心得ておるし、相手を立てることもできる。

 人の機微に聡いといえばいいか、そんな感じじゃの」


「そう、なのかな? 

 実は僕もまだよくわかってないんだ。色々あって変わったばかりだからね。

 悪く思われてないみたいでよかったよ」


「うむ。もし篤史が商家に生まれておったら、大成したであろうよ。そういう才能じゃ。

 ……お主になら咲のことを任せられるかもしれんの」


「咲に何かあるの?」


「あやつはああ見えて繊細な心の持ち主じゃからの。

 友人たちを失って精神的に相当憔悴しておる。さっきもわらわを抱き枕にしながら泣いておった」


「そう、だよね」


 微笑ましい想像を追い出して、居間での様子を思い出す。

 沈んだ表情、それでも明るく振舞おうと無理していた姿を。


「今は一応わらわが支えになっておるが、いつまでも人ならざるものと一緒というわけにもいくまい。

 じゃから、どうかお主には友人としてでもいいから咲を支えてほしいのじゃ」


 真摯な態度で頭を下げるクゥ。その姿勢でクゥが咲をどれだけ大切に思っているかが伝わってくる。

 彼女の申し出にゆっくりと頷いた。特に断る理由もない。


「うん、任されました。司と一緒に精一杯頑張るよ」


「頼んだのじゃ、我が同胞よ」


 クゥはそう言って柔らかな微笑を見せた。我が子を慈しむような母性に満ちた表情を。

 こんな表情もできるのか。

 息をのむ。なんだか妙に気恥ずかしくなってきた。


「く、クゥはそれでもいいの? 咲とは長いんでしょ?」


「かっかっ。お主がわらわを心配するには百年早いわ。

 幾多もの別れを経験してきたのじゃぞ? 今更一人くらいわらわのもとを離れたとて、何とも思わんよ」


「……そう、だね」


 クゥは日本酒を飲みながら愉快そうに笑う。見た目はちぐはぐだが、そこには完成した空気が漂っている。

 これ以上は無理かな。


「それじゃあ僕はもう寝るよ。

 おやすみ、クゥ。飲みすぎないようにね」


「うむ。また明日なのじゃ篤史」


 どこか哀しい返事を背後に、屋根から降りていく。


「あの方もこんな気持ちだったのかのお。どう思う、――」


 ――風に乗ってきた、虚空への問いかけを聞こえないふりして。






 月明かりが差し込む廊下をそろそろと進んでいく。明日もまた歩き回るのだ。起こさないようにしないと。

 クゥは大丈夫かな?

 そんな疑問に気を取られていたからか、近づく影に気付かなかった。


「クゥと話してたんスか?」


「うお咲か。ごめん、うるさかった?」


 目の前には桃色のパジャマを着た咲の姿。見た感じ眠そうな様子もない。覚醒してしばらく時間がたってそうだ。

 クゥとの会話が中まで聞こえていたのかもしれない。


「いいえ。ただ腕の中のものが無くなってたら、さすがの私でも気づくっスよ。

 クゥは私の寝たふりを信じたみたいっスけどね」


「あー、なるほどね」


 咲に抱かれていたと言っていたし確かに目が覚めそうだ。

 それに多分、眠りが浅かったという理由も。

 ……大役を任されたなあ。


「篤史さんにはクゥのことを気にかけてあげてほしいっス」


「え?」


 唐突に、どこかで聞いたような言葉をかけられる。

 咲が悲しげに視線をおとした。


「クゥはね、私に壁を作ってるんスよ。

 せっかくおしゃべりできるようになったのに、自分のことは全然話してくれないし、そっけない態度をとられたりするんス。

 ……なんだか、前よりも距離が開いちゃったみたい」


「そう、なんだ」


 ――クゥ、思いっきりばれてるじゃないかっ。

 彼女への恨み言を口の中で唱える。

 さっきのこともあるし、さては君意外とおっちょこちょいだな?


 そんな僕の心のうちはつゆ知らず、咲は真面目な表情で続ける。


「多分それはクゥが人とは違う時間を生きてきたからで……。

 だから妖怪に詳しい篤史さんなら、クゥの悩みに寄り添ってあげられるじゃないかと思ったんスよ」


「……言いたいことはわかった。

 でも僕だって知識しかないし、妖怪と関わり始めたのだって最近なんだ。長年付き添ってきた咲の方がクゥのこと知っていると思うよ?」


「あ、そうなんスね。

 まあどっちにしろ変わらないっスよ。篤史さんなりに向き合ってくれればそれで十分っス。私も簡単にクゥをあげるつもりはないっスからね」


「そういうことなら、うん、引き受けようかな。僕も気になってたし」


「助かるっス」


 一つも二つの同じ。そんな思いに基づく了承に咲は心の底から安堵したような表情を見せた。こんなところも似た者同士だ。

 それにしてもーー。


「どうして僕を信じようと思ったの?

 まだ知り合って少ししか経ってないじゃないか」


 クゥの時も浮かんだ疑問。二人は僕を信じすぎている。悪人だったらとかは考えないんだろうか?

 咲がうーんと唸ると、いたずらっ子のように笑った。


「いくつか理由はあるっスけど、一番は未来のためっスね。

 こんな世界じゃ篤史さんの能力がなければ安全に過ごせないし、逆にお二人に襲われたら私たちには太刀打ちできない。文字通り生殺与奪の権を濁られているわけっス。


 だから楔を打ち込むんスよ。こちら側に踏みとどまらせるために。

 もし裏切ろうと思っても、それがプラスの感情を向けてくれた人だったら躊躇うじゃないスか。まあ中には心情的なことを一切無視できる人もいるっスけど、私にはあなたがそういう冷たい人には見えないっスから」


「なるほどね。

 でもそんなこと僕に言ってもよかったの? 効果半減じゃない?」


「ふっふ、私は隠し事をしない女っスから。思ったことは何でも口にするっス。

 そういえば楔を打ち込むにはもっと手っ取り早い方法があるんスけど……どうっスか? わりと私は優良物件だと思うっスよ?」


 腰に手を当てて、しなをつくる咲。その赤らんだ頬に凹凸の少ない体も相まって何というかこう、小さい子が頑張ってお姉さんぶってるように見える。


「まずは恥ずかしからずに言えるようになってからかな。

 そういうこと、慣れてないでしょ?」


「はあっ!? 全然そんなことないっスよ!?

 閉じ込められてからも毎日のようにずっこんばっこんやってるんスが!?」


「ちょ、落ち着いて咲っ。何かすごいこと言ってるからっ。

 本当だとしたら二人の見方が180度変わることになるよっ!?」


「これでも私は冷静っス!

 だいたいそういう篤史さんは経験豊富なんスかねー? 全然そんな風には見えないんスけど!?」


「っ。ま、まあ、僕はちょっと機会がなかっただけっていうか、うん……いや、機会はあったんだよ?」


「あー篤史さんは司さんとしっぽりっスもんねっ。居間では茶化しましたが、私は気づいたっすよ? お二人の間に特別な何かがあることをっ」


「くっ」


 完全に否定できないのがもどかしい。

 僕が黙ると咲も口撃を止めた。静寂の中、はあはあと荒い息がこだまする。頭に登った血がゆっくりと下がっていく。

 ……何をしていたんだ、ほんと。


「もうやめようか。これ以上はお互い不幸になるだけだ」


「そうスね。戦力的撤退っス。

 まあでも、そういう選択肢があったのは本当っスよ。モンスターのせいでまともな男なんて残ってないかもしれない。

 だとしたら、今のうちに有望株に唾を付けておくのは一つの手っス」


「……大丈夫だよ、咲。

 生態系の頂点じゃなかった頃も僕ら人間は生きてこられたんだ。こんな世界でもしぶとく生き残ってるさ。実際僕らの学園は避難所として一応機能してたわけだし」


「そう、スかね? だってーーいや、何でもないっス」


 ポロリと零れたそれを誤魔化すように笑う咲。その様子はどこか痛々しい。

 もしかしたら今までのも自暴自棄的な感情によるものだったかもしれない。でもそれを指摘できるほど僕らはーー


『じゃから、どうかお主には友人としてでもいいから咲を支えてほしいのじゃ』


 よみがえる言の葉、彼女との約束。うん、わかってる。こういう時なんだね。

 乾いた唇をなめ、その言葉を放つ。


「どんなことになろうと僕たちは一緒にいるよ。

 まあ咲が拒むっていうなら別だけど、そうじゃない限り離れたりはしない。こんな世界で運よく出会えたんだ。末永く仲よくしよう」


 これ以上の希望論はきっと何の慰めにもならない。

 だとしたら、僕にできることは少しでも最低を底上げすることだけだ。これでよかったんだと思う、多分。

 ……後で司と話し合わなくちゃ、だな。


 その言葉に彼女はまん丸と目を見開いた後、恥ずかしそうに頬をかいた。


「今のが口説き文句っすか?

 だとしたらもう少しロマンチックな雰囲気で言ってほしいもんっスね」


「あ、いや普通に仲間としてだよ。

 流石にこんな短時間で好きになるほど惚れっぽくない」


「……なーんか、振られたみたいで納得いかないんスけど?」


 ぷくう、と頬を膨らませる咲。

 確かに少しそっけなかったかもしれない。

 でもそれはきっと司の時と同じで、こんな特殊な状況で答えを出すべき問題じゃないんだと思う。


 夜に閉ざされた窓の外を見る。変わってしまった日常に思いをはせる。

 世界は陰と陽の変遷で出来ている。今は陽が勢いを増しそのバランスが崩れているけれど、いずれは元の調和された状態に戻るはずだ。

 非日常<ハレ>の日は長く続かない。いずれは日常<ケ>へと回帰する。

 

 それが陰陽説の基本で、古くからこの国で信じられてきた考え方。


 僕も先人に習おうと思う。

 たとえ先が見えないとしても、それを意識するだけで色々と違ってくると思うから。






 ただそれでも現実は残酷で、次の日も誰一人生存者を見つけることはできなかった。



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