第十四話「依頼」



 ……。

 …………。



 それは誰かの記憶、いつかの景色。


「そうか、君はずっとこの家を守ってきたんだね。

 うん、僕かい? 僕はねーー」


 目の前に優しそうな顔をした男が立っている。

 穏やかにこちらに話しかけてくるその人を知っていた。



 ……。

 …………。



「大丈夫か、篤史?」


 背後から聞こえる司の声。

 目の前には妖怪少女とその腕に抱えられた千嶋さんの姿。妖怪少女の方の御度は正常な状態に戻っている。

 

 どうやら無意識下で術を発動させていたらしい。ムラサキの時と同じように御度の移動もできる。

 結界を解き、ほっと胸をなでおろす。


「うん、一応成功かな。これでもうクゥちゃんが苦しむことはないと思う。

 ただ……」


 さっきの映像はいったい何だったんだろう?

 ムラサキの時はただあいまいな感情が流れ込んでくるだけで、あそこまで鮮明には見えることはなかった。

 単純に個体間の差なのかあるいは……。

 千嶋さんを下ろし、じっと伺うようにこちらを見る座敷童の少女に目を移す。本人に聞くのが一番、かな。


「お主、まさか如月晴治の親縁か?」


「っ」


「クゥがしゃべったっス!?」


 落ち着いた声音で話し始める彼女に、千嶋さんがすっとんきょうな声を上げる。ただ僕はそれ以上に、先手を打たれたことに驚いていた。

 まさにそのことを聞きたかったのだ。

 カラカラと乾く口の中。壊れそうなほどあやふやなものを合わせて、何とかその言葉を作る。


「如月晴治は……僕の、父親です」


「おお、やはりそうかっ。

 やつは今どうしてる? 以前に世話になってな。もしおるなら礼がしたいと思って……」


 嬉々とした声が、だんだんと小さくなっていく。

 僕の異常な反応に気付いたのだろうか。でも、大丈夫。もう慣れたものだから。


「失踪――いや行方不明なんですよ。

 僕が六歳の時に急にいなくなって、それっきり。今どうしてるかはわかりません。

 まあ近所の人の話じゃ橋から落ちたみたいなので、この世にはもういないかもしれませんけどね」


「そう、か。すまぬことを聞いたな」


「いえ、気にしないでください。もう昔のことですし、今はそこそこ幸せですから。

 それで……父はどんな人だったんですか?」


 心に残ったわずかな記憶。

 それは幼い自分に陰陽術を教える優しい父親の姿と、呪いの言葉を残して去っていくあの光景だった。

 両極端な性質のそれらが繋がらず、かつては悩まされたものだ。

 でも陰陽術という奇跡を知っていて、迎えに来る気配がないまま何年も過ぎてーー悟った。

 きっとどちらも正解なのだ。

 確かに愛情を持っていたが、僕がその期待に応えられなかった。それだけのことだ。


 だから、これはただの確認。

 初めて妖怪とまともに話せるようになって、たまたま父を知っていたから、参考程度に聞いてるに過ぎないのだ。

 妖怪少女はそうじゃの、と懐かしむように語り始める。


「愛情深い男、じゃったな。

 わらわたち日陰ものにもよく目を配っておったし、なにより己が女房を大事にしておった。奴の二言目はいつも――綾といったかの、その人の話じゃった」


「……それは、彼女のためならどんなことでもする位、ですか?」


「ま、まあ、そもそも周囲の反対を押し切って結婚したそうじゃからの。

 そういうこともあるかもしれん」


 額に汗をかきながら、彼女は肯定する。

 想定通りの答えだ。本当に、あの時の仮説が現実味を帯びてきた。


 場に下りる沈黙。

 そうしてこの話題が流れようとしたその時、場違いな声が響いた。


「あれ、その人は今どうしてるんスか?

 お兄さんの母親さんなんスよね?」


「僕が生まれた時に亡くなったよ。

 もともと病気がちだったのもあって、出産に耐えられる体じゃなかったそうだ」


「あっ、だからみんな黙ってたんスね。

 申し訳ないっス、気づかなくて」


「まあ、ふつう疑問に思うよね。

 大丈夫、もう気にしてないから。こっちは顔すら知らないし」


「そう、スか、わかりました。

 ……しっかし、まさか私より不幸レベルが上の人がいるとは。世界は広いっスね。不幸自慢大会は私の完敗っス」


「千嶋さんも十分……不幸自慢大会?」


「ええ、私が勝手にそう呼んでるだけなんスけどね、自分の悲惨な過去を相手とぶつけ合うんスよ。

 よく『うちは貧乏だからーー』とか愚痴り始める面倒くさい人たちがいるんで『え、私んちは今も何億もの赤字を出し続けて、何個もの土地を売ってますよ?』ていうと、みんな黙るスよね。

 今までは連戦連勝でしたが、これからはお兄さんがチャンピオンスよ」


「うーん? その称号はちょっと遠慮しようかな」


「えー、なかなかレアだと思うんスけどね?」


 不満そうに頬を膨らませる千嶋さん。

 脳裏に、突如暗い過去をぶちまけて場の空気を凍り付かせる彼女の姿を浮かべる。

 うん、簡単に想像できた。何というか……凄く逞しい子だ。いつもこんな感じで直情的に生きているんだろうか。


「それよりっ、クゥは何で話せるようになったんスか?

 お兄さんが何かをしたとか?」


「あ、それは瘴気の影響だね。

 あの時出た黒い粒子、瘴気には妖怪を強化する効果もあるみたい。ただ同時に理性も薄れさせるから、僕がそれを治したって感じかな」


「なるほどー。あの現象もやっぱりクゥの仕業スか。

 じゃあ、神様に感謝しないとスね。こんな風にクゥを愛でられるようになったんスから」


「ちょ、やめるのじゃ咲っ。

 わらわを子ども扱いするでない。これでもーー」


「わー、すごいすごい。こちょこちょー」


「ひゃ、ちょ、ひゃは、たすけっ」


 頭を撫でられ、脇をくすぐられ、もみくちゃにされるクゥちゃん。

 口ではそう言ってるが、心底嫌がっているようには見えない。

 妖怪の寿命は人間のそれとは違って、随分と長いのだ。しかも今までは触れられなかったというし、きっと寂しい思いをしてきたんだろう。

 見た目が小さい子なのも相まって微笑ましい気分になってくる。


 思う存分堪能し、屋根から降りたことを叱られたりした後、千嶋さんはきりっとまじめな表情になった。


「もう私たち、ここから出られるんスよね?」


「うむ。今はもう術を自由に使えるようになったからの。

 迷いの術の解除も可能じゃ」


「それはよかったっス……お兄さんたちはこれからどうするつもりスか?」


「僕たちは名古屋市に行く予定だよ。ね、司?」


「あ、ああ。オレの家族がそこら辺に住んでてな。

 一応確認しに行こうと思ってる」


「ふーむ、そうっスか。

 ……ここまで生存者は見つからなかったんスよね? 近くに生きてるコミュニティはない感じっスか?」


「多分な。とはいえ国道沿いをみてきただけだし、上から確認しただけなところも多い。見落としはあると思うぜ」


 なるほど、と千嶋さんは口に手を当てて考え込む。

 そして、恐る恐るといった感じで僕らに話しかけてきた。


「お兄さんたち、私に雇われないっスか? 友達の家とかを見に行きたいんス。

 ただ私たちだけだと力不足で手を貸してほしくて。ですよね、クゥ?」


「そうじゃの。わらわの力だと敵を欺くことができても倒すことはできん、万が一の時にも手が出せんのじゃ。

 じゃから、家族のことが気にかかるとは思うが、ここはわらわたちを助けてくれると嬉しいのじゃ」


「あー、司はどう思う?」


 性格的に問題なさそうだし、縁というものもある、僕としては受けてあげたい。

 ただ、と司に目を向ける。


 直接影響あるのは司だ。彼の意見を尊重したい。


「オレは……」


 言葉を詰まらせ、考え込む司。

 彼とて誰かを見捨てたいわけじゃない。ただ司は元々二人にこだわっていたのだ。その特殊な体質のこともあるし、葛藤もあるのだろう。

 それでもきっとーー


「そうだな。その前に、オレの話をさせてくれ。

 オレはさ、体は女だけど心はほぼ男みたいなものなんだ。だから、千里さんが思うよりオレたち二人と一緒にいるのは危険だと思う」


 司が告白する。かつては受け入れられなかったそれを。

 

 あの夜の話は無駄じゃなかった。

 さて肝心の千嶋さんの反応は、と。


「はえー。そうなんスか。

 まあどっちにしろ関係ないっスね。私のことはクゥが守ってくれるっスから。ね、クゥ」


「……どうかの。わらわも咲に愛想をつかすかもしれかもしれんぞ?」


「えー、さっきも助けてくれたじゃないっスか」


「だからっ、そういう態度がいかんのじゃっ。

 第一あの時わらわが間に合わなかったらーー」


「あーあー、聞こえないっス」


 わちゃわちゃ言い合う二人。仲良しの姉妹がじゃれあってるみたいだ。

 それが終わったところで彼女に話しかける。


「随分とあっさりしてるね。そういう人がいるって事前に知ってた?」


「まあそれもあるっスけど、モンスターが出たとかクゥの変化とか大きなことがありすぎて、今更性別がどうこう言われてもインパクトに欠けるっスよ」


「……確かに」


「それに、男だとか女だとかそんなに気にするものなんスかね。

 私の友達にも女の子同士のカップルとかいますし、ボーイッシュな性格の子もいます。結局、その人の個性に過ぎないじゃないっスか。

 それとも特別扱いがお望みっスか?」


「い、いや普通に接してくれたらそれで構わないけどな……」


「ならこの話はもう終わりっスね。

 私も司さんのことは女の子の皮をかぶった男として接するっス」


 あっさりと話を締める彼女に、司が戸惑っている。

 こんなのは初めてだ。

 大抵、Xジェンダーの話を聞いた人の反応は二つに分けられる。気味悪そうに去っていくか、珍獣でも目にしたかのように根掘り葉掘り聞いてくるか、だ。

 僕は陰陽思想を習ってきたからそういうものだと知っていたけれど、彼女は違う。きっと生活する中でそんな価値感を築いてきたんだろう。

 彼女のこれまでの苦労が偲ばれる。


 そうして多分、彼女は僕らよりもまっとうに世界と向き合っていた。

 司と顔を見合わせて頷く。


「だったら、オレは構わないぜ。

 元々自由に生きるって決めてたからな」


「だね。僕も二人に頼みたいことがあるし」


「おお、二人ともありがとうっス。

 交換条件っスか? 常識の範囲なら受け入れるっスよ」


「大丈夫だよ、そんなに難しいものじゃないから。

 僕はーー」


 二つの頼み事をすると、彼女たちは気前よく了承してくれた。ありがたい。

 パチリと両手をたたいて、千嶋さんが明るい声を上げる。


「それじゃあ、契約成立っスかね?

 私の名前は千嶋咲。ぴっちぴっちの中学二年生で、『旅人』っス。

 咲って呼んでほしいっス。篤史さん、司さん、よろしくお願いするっスよ?」


「わらわの名前はクゥ。座敷童じゃ。咲ともども世話になる。

 ……敬語はいらん。わらわのことはクゥと呼ぶがいいのじゃ」


「うん、暫くよろしくね。咲、クゥ」


 ――こうして僕らは愉快な二人と行動を共にすることになった。



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