第二十一話「大人たち」



「一番はここで治療しますっ、二番と三番はベッドへっ」


「はいっ」


 飛び交う怒号、忙しなく走り回る人々。

 一階に下りて裏口へ行くと、そこには混迷に満ちた光景に広がっていた。奥で白衣を着た女性が必死に指示を出している。

 遅れてストレッチャーで救護室へと運ばれていく男性二人。彼らの苦痛に満ちた顔と運搬する人々の動揺した表情が目についた。

 とても余裕があるようには見えない。

 

 何かできることはないか、周囲を探る。

 件の女性は数人の大人たちが見守る中、一人の男性の傍で何事か囁いていた。風に吹かれるように緩やかに患者を包む瘴気。さっきの言葉からして何らかの治療系スキルだろう。

 多分あれは大丈夫だ。そんな気がする。


 だとしたら危険なのは残りの二人か。

 救護室の前で所在なさげに佇む男性に声をかける。確かトラックから出てきた時に先頭で怒鳴っていた人だ。


「何か手伝えることはありませんか?

 治療系スキルを持っています」


「……それは本当か? 『職業』とスキルの効果は?」


「陰陽師です。この紙と僕自身のスキルで自然治癒を早められます」


 僕が取り出した霊符をちらりと見て、そうかと黙り込む男性。

 彼の鋭い瞳が僕を捉える。何となく静かに問いかけられている気がした。

 お前に仲間を救うことができるのかと。


 疑うのは当然だ。彼にとって僕はただの見知らぬ少年で、部外者なのだから。

 どうする? 実際に使って見せるか? でも僕の術に分かりやすい変化はないし、絶対に助けられる自信なんてーー


「よし、ついてきまえ」


「え?」


 何も返せないまま、手を引かれて救護室へと足を踏み入れる。

 一体何がお眼鏡にかなったんだ?


 純白のボードで左右三つに仕切られた部屋。最初に感じたのは強烈な血の匂いだった。続いて唸り声や悲鳴のような指示などの騒々しい雑音が耳に入る。

 手前のベッドで治療をしていた一人が、僕らに気付き声を荒げた。


「ちょ、ちょっと的場さんっ気持ちは分かりますがーーって、子供?」


「こいつは治療系のスキルを使えるらしい。

 効果は自然治癒能力を高める程度。恐らく彼女のように完治はできない。そうだな?」


「! はい、間違いありません」


「……そういうこと、確かそんな話があったものね。

 助かったわ。あなたこっちへ。

 スキルに何か必要なものや注意点はある?」


「いえ、皆さんの邪魔をすることなく発動できます。ただ二段階のレベルがあって通常は――」


 情報を伝えながら、対応してくれた女性と共に奥へ。

 実際、手前のベッドに横たわる男性の容体は比較的安定してるようだった。外傷も見えないし多分脳震盪か何かだろう。手伝えることはあまりない。


「ぐっうう」


「出血止まりませんっ」


「っ、止血帯ターニケット用意っ」


「しかしっそれだとーー」


「仕方ない。もう一刻の猶予もないんだ」


 奥では想像以上の地獄絵図が広がっていた。

 ベッドに横たわる一人の男性。周りの医師たちがカーゼやら手で彼の左膝下を必死に抑えていた。しかし、それでも血が止まる様子はない。真っ白なカーゼが赤く染まっていく。

 みかねて責任者らしき男性が何らかを求めた。周囲の反応からして多分副作用的なものがあるやつを。


「ま、待ってくれっ。確かそれは壊死の可能性があるやつだろ? 

 俺は二度と戦えなくなるなんてっ、ごめんだぜ」


「駄目です。これ以上血を失うとあなたの命に関わります!

 最悪、高屋敷さんのスキルに望みを託す手もありますっ」


「いつになるかも分からないのに、か?

 俺は大丈夫だからっ……」


「っーー」


 患者の言葉にリーダーらしき男性医師が苦渋の表情で唇をかみしめる。

 緊迫した空気の中、案内してくれた女性が彼のもとへ駆け寄り何事か囁いた。彼の瞳がかっと見開かれる。


「よし、君は代償のない方のスキルを使ってくれ。他は圧迫継続っ」


「「はいっ」」


 持ってる限りの霊符を男性の患部近くに張り、御度全体に霊気を這わせていく。

 御度本来の役割である肉体の維持を補助するために。瘴気のせいで鈍重となったその働きを支えるように。

 思えばあの時も最初にこうすればよかったのだ。


 ただー-やはりその効果は薄い。今も周りの人たちが必死に圧迫を続けているのに血がとめどなく溢れてくる。

 彼も言う通り、このままだといずれは……。

 どうする? もうこの人の意思を無視して浄化してしまう?

 だけど――。


 さっきの様子を思い出す。失念のような強い感情を宿した瞳を。


「くそっ」


 瘴気の悪影響の一つ、自然治癒の鈍化。

 精神面への影響は未検証にしろ、それだけは身に染みて分かっていたはずだ。そして多分僕だけ・・がその原因を知っていた。

 どうして対処できていない?

 僕らの安全は誰かの尽力のもとで成り立っていると、学園にいたときに実感していたのに。


「……そんな顔するなよ、少年。

 ただ馬鹿な俺がへましただけなんだからさ」


 僕の様子に気付いたのか、力なく笑いかけてくる彼。

 嗚呼、どうして彼らは死に瀕してなお他人を思えるんだろうか?


 何かないか? 今の状況を好転させられる手札は。

 封印結界で傷を封じる? いや、僕の結界はすべての動きを止めるから境界の内と外で肉体が切断されるだけだ。むしろ悪化する可能性が高い。新型結界の方もまだ完成にほど遠く、命のかかわる部分で使える代物じゃない。

 他に何か――そうだっ。


「結界っ」


 空中に顕現される青色の立方体。包むのは瘴気の根源。

 彼との死闘で結果を出した運用方法だ。あの時はスキルの発動を防ぐために使ったけど、それ以外の効果も防げるかもしれない。

 御度全体にわたっていた瘴気が急速に薄くなっていく。


 医師の一人が歓喜に満ちた声で叫ぶ。


「出血量低下っ……止血を確認しましたっ」


「よしっ。みんなよくやってくれた。

 次は症状確認だ、頼む」


「はいっ……これは分かりますか?」


「いや何も感じないな」


 左足の先を触ったりして症状の確認を進める医師たち。そちらには混ざれないので、僕は引き続き自然治癒の補佐をしていく。

 うん、御度の動きもかなり良くなった。


 平行して彼らの話を聞いていると、どうやら何らかの神経が切れている可能性があるらしい。もし本当に切れていた場合、歩くのも困難になるとのこと。いわれてみれば、確かに左の足首がぺたりと変な方向に曲がっていた。


 間に合わなかったかっ。


「みんな、良く持たせてくれたわ。

 状況はどうなってるの?」


「高屋敷さんっ、現在はーー」


 そんな後悔に囚われていると、唐突に一人の女性が入ってきた。吊り目の、整った顔をした女性。確か裏口で他の人を治療していた人だ。

 彼女の登場で、張り詰めた雰囲気がぱっと明るくなる。


「これで一安心だわ。あなたも、ありがとうね」


 案内してくれた女性もそんなことを言ってきた。


 まるですべてが解決したかのように。


「え、でも神経がやばいんですよね?

 彼女のスキルはそんなに強力なんですか?」


 僕の疑問に、彼女は確かな畏怖を込めた声音でこう言った。


「強力なんて生易しいものじゃない。……あれはそう、神の御業よ」






 神。

 一般的にも陰陽師的にもそれは、人の力など及ばない超常の存在だ。

 それゆえ随分と大きく出たものだと思ったけど……なるほど。確かにあれは、そうとしか言いようがなかった。

 

 彼女が見せた奇跡。それは言ってしまえば時間遡行だった。

 いや、実際は傷を治すというごく単純な治療ではあるのだ。ただ骨すら見えようかという深い傷口がみるみるうちに塞がって、足首の向きも元通りになって、終わった後に痛みすら残っていないとあれば、そう呼びたくもなる。しかも詳しい条件を除けば、ただやたら長い呪文を唱えるだけで出来るというのだから。

 今更ながらスキルの異常性を実感できた。陰陽術とは技術体系も基礎概念も違いすぎて模倣なんてできる気がしないし、何なら恐怖すら覚える。


 ほんとどうしてこんな力が生えてきたんだか。

 その源たる瘴気も勝手にそうと呼んでいるだけで、正体は分からない。モンスターを構成しているのも謎。不可解なことだらけだ。


 と、そんな思考を中断させて廊下の壁によりかかる。

 思わず、はあというため息が零れた。

 正直かなり疲れていた。

 治療が終わった後、医者たちに礼を言われたり、入ってきた仲間たちにもみくちゃにされたり色々あったのだ。嬉しくなって叩くは分かるけど、手加減しておくれよ。


 それに精神的な要因もあった。

 一つのミスが命取りとなる極限状態が続いて随分と気を張っていた。

 たった一回でこうなったことを考えると、普段から命を預かる立場にいる彼らの精神力は本当にすごい。

 一体どうやったらあんな胆力が身に付くのだろう?


「騒がしいやつらだろう、あいつらは」


 不意に投げかける渋い声。

 気が付けば一人の男性が目の前に立っていた。ガタイが良く、厳つい顔をした男性。あの時僕を救護室の中に入れてくれた人だ。的場さんと言ったか。

 どうやらずっと外で待っていたらしい。


「確かに少し疲れました。

 ……あの、会いに行かなくていいんですか? 仲間なんですよね?」


「ふん、私が行くとあいつらが委縮するからな。

 生還の喜びを分かち合っているんだ、白けさせるのも野暮だろう」


「そ、そうですか」


 全く軟弱な奴らだとでも言わんばかりの不愛想な表情で語る彼に、ただ相槌を打つことしかできない。手術前は落ち着かない様子だったし、悪い人ではないと思うんだけど……下手なことをしたくないのが本音だった。

 だって彼の雰囲気がめっちゃ怖いのだ。ヤの付く人だと言われも不思議じゃない位に。


 場に下りる沈黙。

 な、なにを話せばいいんだ? 彼みたいなタイプと関わった経験が無さ過ぎてよくわからない。


 って、そうだ、聞きたいことがあったんだ。


「どうしてあの時、僕を信じてくれたんですか?

 結局何の根拠も言葉も返せなかったのに」


「ああ。それは、お前が挫折を経験してると分かったからだ。

 どんな人間にだってやれることには限界がある。私たち大人はもちろん、子供は特にな。それでも周りに甘やかされてそれを知らない奴がいるんだ。

 力を手に入れて何だって出来るんだと過信している奴。そんなお子ちゃまほど危険な存在は他にない。絶対に邪魔になる。

 だから『自分なら絶対治せる』とかほざきやがったら、追い払っていたさ。

 だがお前は違った。その瞳には深い後悔が広がっていた。きっとあるんだろう。誰かを救えなかった過去が」


「そう、ですね」


 目の前で命を散らしていった彼女の姿。それがずっと頭に焼き付いて離れない。

 だからこそ此処に来て、それでもーー。


「結局僕は何もできませんでした。

 全部、たかやしきさん? という方が治してくれましたよ」


「はっ、彼女は化け物だからな。

 あれと比べられたら私たちにできることなど赤子の遊戯に過ぎんよ」


 彼は軽く肩をすくめて笑う。

 思えば、彼の言葉はかつて僕が司に語ったことやクゥがかけてくれた言葉と似通っている。だから理屈は勿論わかる。

 

 ただそれでも僕は思ってしまうのだ。もっと出来ることがあるんじゃないかと。


「ふん」


「え?」


 頭の上にあたる柔らかな感覚。

 撫でられてる?


「体内血液の半分。それが出血したときに致死量となる基準だ。

 ここに来た時にはもう優に4分の1は失っていた。あの出血が続いていたらあと一分も持たなかっただろう。

 だからまあ、間に合ったのはお前のおかげだ。そこは誇っていい」


 ぽんぽんと幼子をあやすように叩く男性。

 それにー-どうしてだか目頭が熱くなってしまう。

 さっきも沢山労われたはずなのに、たった一人の彼の言葉がどこか浮足立っていた僕の心に深く染みわたってくる。

 

「ありがとうっ、ございます」


「で、では私は行ってくる」


 僕の不格好な感謝に慌てて救護室に入っていく的場さん。

 それが気まずくて逃げたように見えて、なんだか笑ってしまった。






「あら如月君じゃない」


「あ、高屋敷さん」


 教室に戻る気にもなれなくて市役所内をぶらぶら歩いていると、臨時で子供たちの世話係をしている職員ー-高屋敷さんに声をかけられる。

 いつの間にか子供用娯楽スペースに来ていたようだ。

 彼女は見覚えのある少年に毛布を掛けているところだった。周囲には同じように寝転んで眠る子供たちの姿。クゥも陽菜ちゃんを抱きしめるようにしていた。

 なるほど。


「今はお昼寝の時間ですか。懐かしい」


「ええそうなのよ。この子達張り切っちゃってー-って私のことはどうでもいいのよ。

 如月君。授業はどうしたの? まさかさぼり?」


「まあそんな感じですね」


「そう。こんな状況だと勉強なんて意味がないと思っても仕方ないわよね。

 でもね、今上層部でとあることを進めているそうなのよ。それが成功すれば事態解決に向けて大きく前進するかもしれない。だからねって……この匂い。


 あなた今までどこにいたの? もしかして体調でも崩してた?」


 朗らかな雰囲気から一転、彼女は険しい表情で問いつめてくる。


「いえ、体は大丈夫です。……どうしてそう思ったんですか?」


「消毒液の独特な匂いがしたのよ。

 姉さんが医者をしていてね、仕事から帰ってくる時いつもその匂いを纏わせているの。今もここの救護室に勤めているし、てっきりそこにお世話になったと思ったんだけどな」


「うん? ここで働いている……?

 も、もしかしてお姉さんて、未婚ですごいスキルを持っていたりします? 神経の傷すら治せるような」


「ええそうよ。よく知ってるわね」


 僕の質問に不思議そうに頷く高屋敷さん。そう、たかやしきさんだ。

 あの時奇跡を起こして見せた彼女のことを、周りの人たちがそう呼んでいたのを覚えている。

 珍しい苗字だとは思っていたけれど、まさかこんなところに繋がりがあるとは。

 言われてみれば目元とかが似ていた気がする、多分。


「体は悪くなくて、姉さんの能力を知っていて、妙に疲れてる。……そういえば陰陽師と言っていたわね。

 まさか治療を受ける方じゃなくて施す方で関わった?」


「い、いやまあ……」


 鋭い推理力を見せる彼女に核心を突かれ、言いよどむ。

 声高に宣伝するようなことでもないし、嘘を言っても彼らに聞いたらすぐにばれるだろう。珍しいやつがいたと風潮される可能性もある。

 どうするべきだろう?


 そんな僕の態度で察したのか、高屋敷さんはそうと言葉を零した。


「……ねえ、どうして親でもない私がこの子達の面倒を見ているか、考えたことはある?」


「え?」


 突然の話題転換。彼女は一人の少年の頭を慈しむように撫でながら続ける。


「ここにいる子たちはみんな、両親を、家族を失っているのよ。

 モンスターあるいは人の手によってね」


「……」


 あまりに惨い事実を告げられ、思わず閉口する。

 確かにこの区域では彼女やほかの職員らしき人以外、大人の姿を見たことがなかった。他の場所では同い年くらいの子供が親と一緒に暮らしている様子もあるのに、だ。

 まさかとは思っていた。ただ信じたくなかっただけで。


「元気に見えるかもしれないけど、やっぱりどこかおかしいの。寝てる時にうなされて泣き出すことなんてしょっちゅうよ。きっと目の前で起きた光景・・が忘れられないんだわ。

 だからね、昨日ここで子供たちの相手をしてくれて、閉塞した日常を変えてくれて、感謝してるの」


「そうですか。僕らが何かの手助けに慣れていたなら良かったです」


「ふふ、大人みたいなことを言うのね。

 私には如月君も純粋に楽しんでいたように見えたわよ?」


「まあ否定はしません」


 そう肩をすくめてみせると、彼女は私もわかるわと朗らかに笑った。

 実際子供たちとの遊びは誇張なしに面白かった。たまには童心に帰るのも悪くないと思えるほどに。


「それでね何が言いたいかというとーーそんなに背負わなくていいのよ。

 あなたもまだ子供で未熟な部分だって沢山ある。それを今の状況に合わせて無理に変えていったらどこかで歪になるわ。

 早く学校が再開されないかなって思うくらい、気軽でいいのよ。私が高校生の頃は社会の事なんてどうでもよくて自分の将来で精一杯だったわ」


 優しく微笑みかけてくる彼女。

 その表情を見て、市役所に来てからずっと抱いていた違和感の正体にようやく気付いた。


 ああそうか。彼ら大人たちにとって僕らは守るべき庇護対象なんだ。

 だから何の義務も課されないし手助けをしただけで労われる。きっと崩壊した世界で正常にあろうとしてるのだ。

 生きるのに必死で、弱者を切り捨てようとした学園とは正反対に。


「そんなに気負っているように見えますかね?

 これでもポーカーフェイスには自信があるんですよ?」


「そういうのって本人が気づいていないだけで周りの人は意外とわかるものよ。

 ……少なくとも私には何かを焦っているように見えたわ」


「そう、ですか。まあ心にとめておきます」


「ええそれがいいわ」


 僕の適当な返答にも彼女は口元を緩めて業務に戻った。会話を終わらせたいという僕の感情に気付いたのだろう。

 彼女の厚意に甘えてその場を去る。


 何かを焦っている。

 その言葉は間違っていない。なにせこの状況には僕しか知らない情報が沢山あって、僕はそれを他の人に知らせていないのだから。

 ただ庇護してくれる存在に頼って、果たすべき義務を放り投げている。

 こうして立ち止まっている瞬間にも数多の命が散り、子供たちのような存在を生み出されているというのに。


 本当にこのままでいいのだろうか?

 何度も反芻したその問いが呼び起こされた。



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