第十八話「灯火」



「……ねえおにいちゃん、ママがしゃべらなくなっちゃったの。

 さっきみたいに治してなのっ」


 充血した、光がない瞳でしがみついてくる少女。

 

 僕だってできるならそうしたい。

 でも無理だ。死人を蘇らせることなんて、出来やしないのだ。


 ……何て言葉を返せばいい? ただ一人の母親を失った彼女に。

 爪が食い込んでくる。深く、深く。


「――のお、陽菜よ。ママはよい母親であったんじゃろう?」


 誰も言葉をかけられない中でクゥが宥めるようにゆっくりと話し始める。

 彼女の質問に陽菜ちゃんはこくりと頷いた。


「であったなら、きっと陽菜を一人にはせんよ。

 たとえその身がなくなろうとその魂は陽菜のそばにおるのじゃ。永遠に、の」


「……本当? ママと一緒にいれるの?」


 不安と期待が入り混じる瞳。それが僕を射抜く。


「うん、本当だよ。今も陽菜ちゃんの近くにいるよ」


 真実など言えるはずもなかった。

 それに完全に嘘というわけではない。陽菜ちゃんの周りを回ったあの霊魂の動きは異常だった。体を離れた霊魂は本来そのまま天に還っていくものなのだ。幽霊などの例外はあれど、あれも魂の一部分だけが地上に残されたに過ぎない。死んだら終わりが絶対条件だ。

 それでも彼女は確かに自分の娘を認識し、あまつさえ気遣うように振舞った。

 

 愛、とでもいうのだろうか。


「ただ彼女とはもう話すことはできん。陽菜の心の中にしかおらん。

 ……じゃから問いかけるんじゃ。もし母親が生きていたら、何と言うであろうかと。そうしたらきっと心の中の彼女が答えてくれるのじゃ」


「うんっ、うん、わかったのっ」


 涙ぐみながら、飲み込むように何度も頷く陽菜ちゃん。

 クゥの言葉が正しいのかは僕には分からない。けれどその心が救われただろうことは理解できた。






 夜。司が出した光源のもと、僕らはあの庭で円状に向かい合っていた。

 傍らにはすうすうとクゥの膝枕で寝息を立てる陽菜ちゃん。目じりはまだ赤いけものの、その表情は安らかだ。


「すまないね、君たちに任せるような形になってしまって」


「いえ大丈夫ですよ。

 きっと彼女も、近い年代の子がいなくて寂しかったんでしょう」


「むぅ」


 僕の言葉に渋々といった感じで首肯するクゥ(年齢不詳)。

 あのあとなぜか懐かれてしまった僕とクゥは、彼女からママの話を延々と聞かされていたのだ。おかげで彼女について随分と詳しくなってしまった。普段の様子だったり父親の浮気で離婚したことなんかも。

 ……でもまあ大好きな母親のことを僕らに知っておいてほしかったのかもしれない。その姿が目に焼き付いているうちに。


「彼女のことも助かったよ。私たちではただ衰弱していくのを見ていることしかできなかった」


「いえ。……僕がやったことは、ただ彼女の死期を早めただけですから」


 霧島さんの言葉を、受け入れるなどできやしない。

 もっとうまくやれたはずなんだ。回復ではなく現状の維持を優先すれば、生き永らえさせることができたかもしれない。そもそも浄化しようとしなければーー。


「たとえそうだとしても、生前の彼女を知っているものとしてお礼を言わしてくれ。

 彼女も最期に私たちや自らの娘と話せて報われたと思う。だからどうか気に病まないでほしい」


「……わかりました。では素直に受け取っておきます」


「よろしい」


 うだうだとした悔恨を見せるべきじゃないか、と肯定してみせると霧島さんは満足そうに頷いた。その慈愛に満ちた表情を見てるとなんだか落ち着かない。


「良い人だったんスね。陽菜ちゃんのお母さんは」


 隣でそれを聞いていた咲がぽつりとこぼす。

 それに彼らは顔を見合わせて笑った。


「それが会社だと全然違ったんだよ。

 むしろ不備や遅れとかにすげー厳しかったから、恐れられたんだぜ」


「……鬼の三井田」


「そうそう、そんなあだ名もあったな。

 怒るときこんな顔になるから」


 両手を使って目を吊り上げる山里さん。くすくすと司が笑う。

 優しそうな印象だったし、なんだか想像がつかないな。


「……でも残業とか有給には別の意味で厳しかったのよね。

 仕事は仕事、自分の時間を大切にしろって」


「今思えば全部娘のことがあるからだったんだろうな。

 自分の仕事も就業時間内に終わらそうとしたし」


「私のところに来た時も、自分の一番は娘ですからって啖呵を切るようだったよ」


「この前もーー」


 そうして進んでいく、本人不在の思い出語り。

 彼らは思い思いに自分の中の彼女を話す。同じようでどこか違う欠片。それらを聞いていると、不思議と彼女の姿を生命の痕跡を感じることができた。


 徐々に混ざってくる鼻声。それでも止まらない。

 まるでそれ自体が供養かのように言葉を積み上げていった。






 視界に広がる暗闇。ぼーとしていると、和室の部屋や隣にいる司が見えてくる。

 どうやら目が覚めてしまったらしい。

 なんだかもう一度寝付ける気がしなくて、ゆっくりと体を起こした。


 目の前のふすまの向こうでは男三人衆が、少し離れた部屋で女性陣が眠っている。また奥には彼女の遺体もあった。

 ……今日あったばかりの人たちと今後も寝食を共にするなんて、不思議な感じだ。


『それで、みなさんはこれからどうする予定ですか?』


 寝る前に司が彼らに聞いた質問。


『君たちさえよければ、一緒に市役所まで行きたいと思っているよ。

 ……陽菜君のこともあるしね』


 四人で話し合った後、霧島さんは陽菜ちゃんを見ながらこう答えた。

 親の庇護を失った彼女。その身を守るにはどこかのコミュニティに入るのが一番だ。

 ただ、はたしてそこは子供を受け入れる下地はできているのだろうか。保育士は? 遊べる場所は? 避難所での子供を巡るトラブルなんてのも聞く。

 僕らだって所詮他人だ。その全てを守れるわけじゃない。

 きっと幼い彼女には過酷な現実が待っている。


 本当に神様ってやつは意地が悪い。


「ゃの……」


 不意にどこかから聞こえてくる声。

 念のために庭に出てみると、予想通り屋根の上に小さな影が見えた。


「やっぱりクゥだ」


「お、篤史か」


 結界を使って上がってみれば、そこには酒をたしなむクゥの姿。

 屋根の上が随分と気に入ったらしい。ただーー


「どうやってここまで登ってきたの?」


「ムラサキに頼んだのじゃよ。快く引き受けてくれたぞ」


 ふふん、と自慢げに口角を吊り上げるクゥ。

 僕らは駄目でもクゥは良いらしい。もしや女性限定的なやつだろうか。


「お主こそこんな夜更けにどうしたのじゃ?

 眠れぬなら、わらわが子守歌でも歌ってやろうか?」


「今は遠慮しておくよ。

 ……三井田さんのことでね、考えちゃうんだ。もう少しなんとかできたんじゃないかって」


 約束通り差し出されたお猪口に注ぎながら、胸の内を明かす。

 最後の治療、瘴気を浄化したことが結果的に彼女の寿命を縮める事態につながってしまった。間接的ではあれど僕が彼女を殺したのだ。

 その責任の重さを感じなかった瞬間はない。


「その考えは傲慢というものじゃよ、篤史。

 人一人の力には限度がある。すべての命を救うことなどできん。

 大事なのは次じゃ。もし同じような状況になったのであれば、その時に今回の経験を生かせばよい」


「……」


 お猪口から口を離して、クゥは微笑する。

 こんな世界じゃ死はありふれたものだろうし、その言葉はきっと正しい。


 それでも、彼らを救いたかったと思うのは罪なんだろうか?

 本当の意味で殺した彼も、今回の彼女も、咲の友人たちも。もし何かが違っていたら、そんな疑問が頭の中から抜けない。


『そんなに気負わなくても大丈夫。

 未来なんて神様が決めるんだからさ、僕らはできる限りのことをやればいいんだよ』


 声が響く。偉そうに語っていた、誰かさんの声が。

 なんだよ、自分が一番できていないじゃないか。

 知らなかっただけなんだ、手に届いたかもしれない命を取りこぼした喪失感を。

 実感できていなかったんだ、死が身近なものであることを。


 咲は本当にすごい。こんな感情に悩まされながら普通に過ごしているのだから。

 例えば司が死んだとしたら……僕には同じようにできる気がしなかった。


 クゥの瞳が優しげに細められる。


「まあ、すぐには難しいよの。

 特に篤史は人には扱いきれぬほどの異常な力を持っておる。負うべき責任も、手の内から零れ落ちたものへの後悔も膨大となるじゃろう。謂れのない追及に押しつぶされそうになるかもしれん。

 そんな時、思い返してほしいのじゃ。

 己はなぜここに立っているのかを。それを目指した契機は何だったのかを。

 そしたらきっと、押しつぶされることも道を踏み外すこともないじゃろう」


「……ここに立っている理由、ね」


 一体、何だったろうか。

 最初は義務感からだった。それが色々とあって自由に生きるという指針になった。だから司本人の提案を否定して尚、市役所に向かうことに決めた。

 うん、今もその思いに従って動いているはずだ。


 本当に?

 だとしたら、僕はどうして――


 いや、今は僕の感情なんかより目の前の少女だ。

 頭に浮かんだ疑問を追い出して彼女を見据える。


「クゥも一緒だよ。気に病む必要なんてないんだ」


「むぅ」


 虚を突かれた表情を見せるクゥ。何となく気落ちしてるように見える程度だったが、どうやら図星なようだ。

 彼女は視線を外して苦しそうに言葉をこぼす。


「わらわの場合は己の力が暴走したのが原因。

 最善を尽くそうとした篤史とは違うのじゃ」


「さっきの言葉をそのまま返すよ、クゥ」


「……わらわは若人とは違う。お主の何倍も生きておるんじゃぞ?」


「年齢なんて関係ないよ。

 だいたいクゥだってその力に目覚めたのは最近じゃないか」


「それはそうじゃが……」


「僕らはさ、共犯者なんだよ。

 もし誰かに責任があるとしたら、それは僕ら二人の責任。クゥ一人のせいじゃない」


 クゥは困り顔のまま黙り込む。未だその心は晴れてしないようだ。

 咲との約束がよみがえる。引き下がるわけには、いかないよな。どうしようか。


「そうだ、さっきの言葉は訂正。やっぱり子守唄を聞かせてよ」


「ほ?」


 ただの戯言だったんだろう、素っ頓狂な声を上げるクゥ。

 なんだか前にも誰かのこんな顔を見た気がする。


「色々あってこのままだと寝れる気がしないからさ」


「……仕方ないのお。一曲だけじゃぞ」


 逡巡の後、口角を緩めてクゥは歌い始める。


「ねんねんころりよ おころりよ

 坊やはよい子だ ねんねしな」


 夜空に響き渡るしなやかな歌声。

 それを紡ぐ彼女の優しい表情と合わせて、思わず聞き入ってしまう。 


「坊やのお守はどこへ行た

 あの山越えて里へ行た

 里のみやげになにもろた

 でんでん太鼓にしょうの笛

 起き上がり小法師に豆太鼓」


 ほっと息を吐いて歌手は口を閉じる。

 わずかに残る余韻。それが完全になくなってようやく感想を言う気になった。


「すごいよクゥ。きれいな歌声だった。

 確か江戸子守歌っていうんだっけ? 後半はそんな歌詞なんだ」


「まあの。各地で色々と違っているようじゃが、わらわの地域は昔からこれが歌われておった。

 ……なつかしいのお。赤子だけは何故かわらわを見聞きできての。よくこんな風に聞かせてやったのじゃ」


「へえ。確かによく眠れそうだ」


「かっか、あ奴らも勝手に子の夜泣きが止まって不思議がっておったわ」


 上機嫌に笑うクゥ。

 あれ、変異前は話せなかったって咲が言ってなかったっけ?

 そんな疑問を飲み込む。それを言うとクゥがこれ以上自分の過去を話してくれなくなる気がしたから。


「他にはどんな子守歌があるの?」


「そうじゃのお、やはり定番はーー」


 それから僕らは昔(多分江戸時代くらい?)のことを語り合った。

 流行った歌や遊び、仕事や食事事情など。いろんな分野にわたる話の中で、クゥの楽しそうな様子が印象的だった。



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