第七話「これから」



 ……。

 …………。



 六年生になってから中学に上がるまでの一年間、遠縁にあたる老夫婦のもとで暮らしていた。

 片田舎の一軒家で、長閑な日々を過ごす二人。子供達も皆それぞれの家庭に入り、たまに孫を連れて訪れる程度。近所づきあいも野菜の交換をするくらいで、都会の喧噪の中で生きてきた僕は、そこに流れる穏やかな時間を存外気に入っていた。


 それに彼らは過度に干渉してこなかった。

 妖怪(そこは多い地域だった)に驚いたり、明らかに友達がいない様子でも、何を言ってくるわけでもない。僕がどうしようと毎日当たり前のように世話してくれた。まるで、怪我をした生き物を勝手に助けているかのように。

 実際、彼らは度々そうした動物を拾ってきては傷が治るまで保護していた。


 ただ一度だけ本気で怒られたことがあった。あの時は質が悪い妖怪に惑わされて帰宅が遅くなったのだ。ボロボロで帰ってきた僕を見て彼らは大丈夫かと心配し、遅くなるときは連絡しろと叱ってくれた。


 よく考えれば、彼らなりに新しい家族として受け入れようとしていたのだろう。ただ僕にはそれに迎合しなかった。

 だからこそ、そこを出て今の学校に行くと話したのだ。


 話を終えると、彼は寂しそうに語った。



 ……。

 …………。



「そうか、篤史君は檻に捕らわれているんだね」


「おり、ですか?」


「そう、世界と自分を隔てる檻だ。ルールと言えば良いかな。

 心を守るために、世界を閉ざしたんだよ。

 ……まるで、ピー子のようにね」


 ビー子、それは彼らが拾ってきた小鳥の名前だ。傷ついて道端に倒れていたところを救われ、今現在は家で元気に暮らしている。


「君も知っているだろう?

 彼女は未だにここを離れようとしない。どころか、食事の時にも鳥籠から出ない。よくあることだ、元ペットの子には特にね。


 楽なんだよ、自分で行動を縛ってしまうのは。

 希望を持たなければ、落とされず済むから。無駄な労力を費やさなくて済むから」


「……」


「でもね、いつかは理解するーー自由なんだと。もう誰にも縛られていないんだと。その時彼女は漸く自由になれる。初めて自分の翼で、自分の意思で飛べる。


 君も同じさ。確かに、今まではままならなかったかも知れない。

 ただ子供の時代を、庇護される立場を抜ける時は否応なくやって来る。その後、君の檻を壊してくれる何かが現れるはずだ。人か出来事か、あるいは単に時間経過なのか、私には分からないけれど、それはきっとやってくる。

 だからその時までどうか、変わることを忘れないで欲しい、恐れないで欲しい」


 噛みしめるようにゆっくりと紡がれるそれはーー“何か”になろうとした彼らの言葉だった。当時の僕はそれを受け入れることはできなかったけど、心が温かくなったものだ。


 だから、恩返しするつもりだったのだ。

 彼らは決してお金を受け取ろうとしなかった。だとしたら頻繁に顔を見せるのが良いか、とかそんなことを考えていた。


 最も、差し出した礼が受け取られることはなかったけれど。


 その一ヶ月後、二人は死んだ。まるでその役目を終えたかのように。死因は他殺。家に侵入した強盗と運悪く鉢合わせになり、殺されたらしい。

 葬式の日、主人を亡くした家で見たのはピー子の亡骸だった。


 世間とは隔絶した生活を送っていても、強制的に競争にさらされ命を落とす。そんな理不尽に彼らは最期に何を思ったのだろうか?

 それは分からない。

 ただきっと失望したはずだ、この世界に。少なくとも僕はそうだった。だからこそ、自身に課したルールを強固にしたのだ。



 ……。

 …………。



「気付いていると思うが、このクラスに一人、外部から受験してきた子が入る。

 彼はトランスジェンダーの一種で、えー、FtXというらしい。まあ、詳しいことは本人から聞いてくれ。ほれ、自己紹介を頼む」


「オレの名前は賀老井 司。

 FtXってのは体は女だけど、性自認は男女に当てはまらない奴のことだ。オレの場合は男9割、女1割って感じだな。

 だから、ほぼ男だ。ゲームとか漫画も好きだしな。みんなもそういう風に接してくれると嬉しい。

 一年間、よろしく頼む」


「というわけだ。学校としても基本的に男として扱う。

 ただトイレとかは別に用意されている上に、保健体育の時とかは別行動になることもある。全力で対応するつもりだが、初めてのケースゆえ行き届かないところもあるだろう。思うところがあったら遠慮なく言って欲しい。

 それじゃ、みんな普通の友達として仲良くするんだぞ」


 高等部に上がったとき、司が入学してきた。

 ここ次縹学園は全寮制の中高一貫校で、そうした“訳あり”を助けることを目的に作られた。制服が選択制だったりと制度も充実している。それゆえ彼は来たのだろう。

 だけどそれはーー


「え、えっと賀老井、君?

 先週のアンケート、締め切りは今日なんだけど……」


「おお、そうだったな。助かったよ。はいこれ。

 それとオレのことは司で良いぞ」


「あ、うん、分かった……」


 理解があるだけで、受け入れられるわけではない。


 成熟した人間関係に突如入り込んできた部外者。しかも、如何にも面倒そうな要素を孕んでいるときた。誰も積極的に話しかけようとせず、学校もその特殊性ゆえ腫れ物を扱うように対応する。

 どれだけ環境が整っていようと、彼はどこまでも異端で、一人だった。

 勿論僕だって皆と同じようにした。隣の席だったので、一応は気にかけるふりはしながら、深く関わらない。さながら問題児のクラスメイトとほどよい距離感を保つかのように。


 ただーー次第に彼と仲良くなりたいと思うようになっていった。

 それは、彼を取り巻く光景に見覚えがあったからとか、御度の陽(男)の部分が多いだけでFtXは特別なものじゃないと分かったからとか、そんな綺麗なものじゃない。


 多分、自身が抱いた絶望を、誰かと共有したかったからだ。辛い過去を経験してきただろう彼の絶望がどれだけ深いのか知りたかったのだ。

 そして安心したかった。自分だけが酷い目に遭ったわけじゃないと。

 自分を慰めたかった。僕よりも不幸せな人間が目の前にいるじゃないかと。


 かくして僕らは友達になった。司は僕のことを優しい奴だと思ったかも知れないけれど、その裏にあるのはそんな身勝手な感情だ。

 だから司を本当の意味で守れると分かって、本当は嬉しかったのだ。

 何もかも間違いだらけの関係をやっと終わらせられるから。



 ……。

 …………。



「篤史、大丈夫か?」


 いるはずのない、いてはいけない人の声が聞こえる。

 彼はあの時確かに逃げたはずだ。まして僕には過失がある。陥れることはあれど、ここに戻ってくる何てこと、あるはずがない。そのはず、なのに……その気配は消えてくれない。


 恐る恐る振り返ると、そこには息を切らす司の姿があった。視界の端を式神が横切る。きっと僕はあれに守られたのだろう。

 助かったのは確かだけど、それよりも聞きたいことがある。


「どうして、ここに? 援軍は呼べたの?」


「いや、呼びに行くつもりだったんだけど……途中であの鼠のモンスターを見つけてな。こっちに走って行ったから急いで戻ってきたんだよ。

 さすがの篤史でも二体は厳しいだろ?」


「あれが見えてるのか……て、そうじゃ、ない。何でそれで戻ってきたの?

 オークだけでも手に負えなかったのに、もう一体追加されてどうにかできると思った?」


「それは……わからない。

 ただ万が一でも可能性があるなら足掻くべきだと考え直したんだ。

 それに、よく考えたら篤史だってそうしたんだろ。だったら篤史が一体を相手して、もう一体をオレが相手すれば良いと思ったわけ」


「いや、僕はどうだって良いんだよ。借りを返しただけだから。

 でも司は違う、何も悪くない。だからーー」


「なんだよ、それ。借りとかそんなことを考えてたのかよ、めんどくせえ。


 オレたち、友達だろ?

 助ける理由なんて、それで十分じゃん」


「っ」


「てっきりオレは、ありがとうって泣きついてくれると思ったんだけどな。

 友達甲斐のない奴だよ、全く」


 やれやれ、と大げさに肩をすくめる司。

 僕はそのあっけらかんとした態度に、言葉に唖然としていた。


 友達だから助けるだって? 

 司と僕じゃ、友達の価値観が随分と違うらしい。僕の知ってる“友達”は僕と一緒にいると仲間はずれになると分かったら、あっさりと離れていったよ?

 その判断は正しいと思うし、かくいう僕も司以外はそうしてきた。

 目の前の彼が言ってることは全くのナンセンスだ。


 でも、どうしてだろうーー心が軽くなったのは。

 胸の内から熱いものがこみ上げてくるのは。


「……はは、ばか、なんじゃないの」


「ああ?」


「今時、『友達だろ』なんてクサイ台詞、アニメでも言わないよ」


「はー、分かってねえな、篤史は。

 努力・友情・勝利。やっぱ男ならこの王道三要素に燃えてこそよ」


「僕は日常ものが好きだからなー。

 まあ……ありがとう」


「ん」


 司は満足そうに頷く。

 そこに何ら含みは見えない。ただ友達が危ないから助けに来て、感謝されて喜んでいる。驚くほど純粋で、真っ白。


 ……そんな人も、いるのか。僕が知らないだけで、そんな世界があったのか。


「っと」


「おい、大丈夫かっ」


 体勢を崩したところを司に手で支えられる。

 そういえば、今は戦闘中で僕は負傷者だった。


「よく見たら酷い怪我だな。悪い、オレがもっと早く来れてたら……」


「ちょっと休めば平気だよ、気にしないで。

 それより早くここを離れよう。いつまであいつらがこっちを無視するか分からないし」


「だな。このまま外に出よう。

 オレは後ろの奴らを警戒するから、司は前を頼む」


「わかった」


 司の肩を借りながら、地下駐車場の中をよたよたと進む。

 後ろから響く衝突音と咆哮。未だ戦闘は続いているのだろう。

 入り口に差し掛かったあたりで司は足を止めて、何かに惹かれるように呟いた。


「……しっかし、一体何だろうな、あの鼠のモンスターは。

 俺たちに目もくれないし、篤史は何か知ってるか?」


「いや、僕も分からない。ただあれはモンスターじゃなくて妖怪だから、それが原因とか……?」


「確証は無いってか。

 本当に知らないんだよな? 結構遠くから走ってきたし、明らかに目的を持って動いていたと思うぜ。それこそ司を助けに来た、と思ったほうが自然な位だ」


「あんな巨大な妖怪を見たら忘れないと思うなあ。危険そうな奴には出来るだけ近づかないようにしてきたし。

 それこそ……あ」


 そうだ、大きさに惑わされていたけど、その姿形には覚えがある。

 授業中に落ちてきた、鼠の妖怪だ。

 なるほど、最初に抱いた既視感の正体はこれだったか。

 あの小さい姿から随分と変化したものだ。これも瘴気の影響?

 ただそうすると恩を返しに来た、ということになるのか……。


 駐車場の奥で、オークに組み伏せられている鼠の妖怪。強烈な殴打を受け、あの時とは比べものにならないほど傷付いている。加えて、主要な攻撃の噛みつきも相手の硬い皮膚に弾かれ、有効な攻撃を与えられてない。

 このままだと負けは濃厚。それなのに奴は逃げようとない。

 さっきまでの僕と同じだ。違うのは、僕が与えた恩は命を懸けるには余りに軽いということ。


 対抗手段がないゆえ、分別が着く頃には妖怪と距離を置いていた。遠目からしか見ることが出来ない神秘的な世界。その一員が僕なんかに恩を感じて、今目の前で戦っている。


「その顔はやっぱり覚えがあるみたいだな。全く、無自覚とは恐ろしいことで。

 それで、どうする?」


「……もしあいつを助けたいって言ったら?」


「そりゃあ、全力を尽くすに決まってる。

 それに仲間に出来るかも知れないじゃん。オレ、動物の相棒とか結構好きなんだよ」


「なるほど、ね」


 にやりと悪戯っぽく笑う司。

 意外と、それも悪くないかも知れない。

 どのみち僕ら二人で生き延びるには戦力が圧倒的に足りないのだ。オークの攻撃を耐えられるフィジカルは強力な武器になるだろう。


 ……ああ、いつの間にか今後も二人でいることを前提にしている。

 ほんと、馬鹿みたいだ。


「じゃあ、お願いしようかな。

 でも無理はしないでね。危なくなったらすぐに逃げよう」


「ああ。ただ問題はどうやってあの戦いに割り込むか、だな。

 この式神じゃ大したダメージは与えられないと思うぜ」


「それについては僕の持論で新しい術を教えるよ。一から修行するよりはーーって、そういえば渡した本は持ってる?」


「あー……どっかに落としちまったみたい。悪い」


「いや、大丈夫。我流のやり方だから、むしろない方が都合良いかな。

 戦闘の経過も見たいし、あの裏にいこうか」


「了解」


 予定変更。二体と外、両方から死角になる壁まで移動する。

 全く、最近の僕は随分とガラにもないことをしている気がする。今も司が何か言いたそうにニヤニヤ笑っているし。


 ……でも、これくらい好き勝手に生きた方が良いのもしれない。こんな世界じゃ、色々なものを切り捨てる必要があるだろうから。

 

「まず、御度で式神を飛ばす以上のことをするにはワンクッション必要になる。

 そもそもね、御度は霊魂と肉体の維持に特化された気なんだよ。式神の飛行はそれに近い特性だったからこそ、動かすだけで良かった。だけど、多くの自然現象はそれとはかけ離れたものが多い。

 だから、一度その性質を消失させて真っ白な状態に必要があるんだ。

 イメージとして、固まった泥団子を崩していく感じ、いや、汚れた洋服を洗濯する方が分かりやすいかな。まあ、とにかくそんな風に属性を取り除く想像でやってみて。

 ……できそう?」


「なるほど、よくわからんがやってみる」


 何とも心許ない返事で、司はむむと右手の平を睨む。

 急速に集まっていく御度。やはり、もう既に御度の操作については達人の域だ。

 

 奴らの方を警戒しながら待っていると、次第にその御度が変化し始めた。

 糸状に張り巡らされていた御度がその形を失い、集約しながら白く丸くなっていく。――成功、しやがった。


「おお、おおお?」


 不思議な感覚なのか、変な声を上げる司。

 御度も見えないのにそこまで感じられるとは。さすがだ。


「うん、大丈夫。その状態をキープしながら、次は自分の再現したい現象を頭の中で想像してみて。ここからはイメージ勝負だよ、頑張って」


「よしっ、まかせろ」


 さっきよりも高いテンションで再び呻り始める。

 色々と説明を端折っているものの、多分天才肌の司には自由にやらせた方が良いだろう。そもそも僕は五行の術を使えないわけだし。


 白球がぐにゃぐにゃと変形し、やがて一本の炎の矢に変わった。轟々と燃える炎で形成された、巨大なそれ。時間が経っても崩れる様子はない。どころか、自由自在に飛ばせてみた。

 これも成功だ。しかも御度はちっとも減っていない。……もう驚くまい。


「で、できたっ。見ろよ篤史、ファイアアローだぜ!?

 これでオークを倒せるなっ」


「うん、凄い凄い。でも、少し話を聞いておくれ。

 実は、戦闘を見ていて気付いたことがあるんだ。

 モンスターには、その体を維持する核が存在して、それさえ破壊できれば奴らを倒すことが出来るんだと思う。

 僕なら見つけられるから、攻撃する箇所は僕の指示に従ってほしい」


 ゴブリンを倒したときに抱いた感触や、今もオークの体表で常時移動して、見えたり消えたりしている黒い球体を見てそう判断を下す。

 どうしてそう思うかは説明できないけど、何となく分かってしまう。これも、人より少しばかり「もの」の構造に詳しい陰陽師の特権だ。

 こんな特徴を考えるに、モンスターは意思のある生物というより兵器に近いのかも知れない。


「『暗殺者』が弱点を見えるようなもんか、分かった。

 篤史の指示に会わせてオレがこいつをくらわそう」


 司が炎の矢をぶんぶん飛ばしながら答える。頼もしいことだ。


 二体の戦いは、今まさに決着を迎えようとしていた。

 オークの巨大な両手が相手の首を締め上げる。妖怪鼠はろくに抵抗できていない。


 ぎゅーと断末魔が上がる。核はまだ見えない。

 前足がオークの顔をひっかき、はたかれる。核はまだ見えない。

 次第に力が失われだらんと腕が下がる。核はーー。


「今、右肩上!」


「まかせろっ」


 ゴォと空気を燃やしながら突進した矢が、右肩の核に激突する。

 衝突音、一瞬の発光。目を細め、状況を注視する。


 後に残ったのは鼠の妖怪、ただ一体だけだった。


「よっしゃ、成功だな。

 あのオークをたった一発で倒せるとか、オレ天才じゃね!?」


「だね、凄い威力だった。ただ……」


 ぐたっとしている命の恩人第一号。

 体は瘴気に呑まれながらも、こちらを見るその瞳には確かに理性が感じられた。現に敵を失って尚僕らに襲いかかる様子は見えない。


「おい、篤史っ。体は大丈夫なのか!?」


 司の叫びを背後に近づいていく。それよりも妖怪鼠の状態が心配だった。


 近くで見ると、その負傷の酷さが分かる。至る所に切られた傷が残り、鮮やかな紫色の体毛も今やボロボロ。その体に宿る膨大な御度も瘴気に動きを阻害されていて、上手く回復に回せていない。やはりだ。


 あんなことに恩を感じてオークと戦い、その結果がこれ。

 ……ほんと、莫迦ばっかりだ。


「今から瘴気を取り除こうと思うんだけど、いい?」


 使える御度はもう三分の一ほどしかない。一回発動できるか否かレベルで、下手すると御度が足りなくなって体が維持できなくなる。


 それでも、見捨てたくはなかった。


 投げかけた言葉に妖怪鼠はきゅう、と鳴きながら頷く。

 ありがたいことに、意思疎通可能な妖怪なようだ。これなら頼み事も出来そう。


「わかった、――」


 その体に触れ、浄化の呪文を唱える。

 干渉する霊気。閉め出す間もなく御度が入り込んでくる。

 

 そこにあるのは、日常の中で生まれた感情の残滓。記憶。

 どうやら彼は誰かを探してきたらしい。それも、探し人の顔も分からなくなるほどの途方もない期間。

 僕と出会ってからは、想像通りだ。助けられた恩を感じてーーいや違う、これは重ねているのか、僕とその人を。随分と強い感情だ。


「っ、――」


 “思い”の激流に呑まれそうになったのを、無理矢理引き剥がす。

 ……良いものじゃないな、これは。他人の秘め事を盗み見ているようで。

 ともあれ、術の方は成功しそうだ。司の時よりも少ない霊気で瘴気を包めている。これも妖怪の特性だろうか。


「――恐み恐み(かしこみかしこみ)も白す」


 最後の霊気を送り込み、術を完成させる。

 浄化され、正常な働きを取り戻す御度。妖怪鼠の様子が見るからに良くなっていく。安心だ。


「ずっと誰かを探しているんだよね。

 その人を探すのを手伝うからさ、良かったら一緒に行動しない?」


 落ち着いたところで問いかける。

 それに妖怪鼠は嬉しそうに鳴くと、ぎゅっと抱きついてきた。ゴワゴワとした体毛。体高1mはありそうで、ほぼほぼのしかかられている印象だ。


「っと、嬉しいけど今はやめてくれ。傷にーー」


 響く。そう言おうとして、体の痛みが弱くなっているのに気付く。

 いつの間にか、僕の中に何か温かいものが流れ込んできていた。


 これは、濾過された御度だ。

 さっきとは違って感情が乗っていない、それでいてちゃんと生命維持の機能を持った御度。妖怪鼠から送り込まれた膨大な御度が僕の傷を癒やしている。

 御度の譲渡、とでもいうべきか。でもそんなの聞いたことがない。ない、はずだ。


「一体何が……」


「浄化も出来て、そいつを仲間に引き込むことにも成功した感じか?

 体は大丈夫かよ?」


「うん、その通り。体も平気。だけど……」


「だけど?」


 試しにその御度の動きを止めてみる。多少の違和感を無視すれば、問題なく出来た。この分なら、練習すれば複雑な陰陽術も使えるようになりそうだ。

 ……本当に意味が分からない。

 あらゆる生物は自分の御度しか操作できない、それが絶対原理のはずだ。だからこそ御度の少ない僕は陰陽術を使うことを絶望視していたわけだし、陰陽術それ自体にかなりの制限があった。

 ただもしそれが覆されるのであればーー


 妖怪鼠を見る。正確にはその身に宿る、桁違いな量の御度を確認する。どれだけ余剰分があるかは不明。ただ普通の陰陽師が使える位は問題なく確保できるだろう。


 相棒だけでなく、自身の強化も出来てしまった。

 杞憂点がなし崩し的に解消されていく。……本当に世界という奴は。


「……ねえ、司は学校に戻りたい?

 五行も使えるし、重宝されると思うよ?」


 今更すぎる僕の言葉に、司は笑った。屈託のない笑みで。


「何言ってんだよ、ここからが面白いところじゃないか。

 二人、いや二人+一匹で楽しい旅を続けようぜ」


「ああ、そうだね。ここまでお膳立てされたら仕方ない。

 生きてみようこの世界をーー自由に」


『――』


 誰かの声がする。

 

 それはきっと僕を縛り付けていた呪いの言葉。

 でももう惑わない。こんな僕を慕ってくれる人達に報いようと思うから。



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