第六話「分岐点」
……。
…………。
「まさかあいつがこんな形でいなくなるとはなあ……」
「陰陽師? とか、そんな胡散臭いことをやっていたからバチが当たったのよ。
どうせ痴呆の老人から金をだまし取っていたに違いないわ。じゃなきゃ、あんな立派な家に住めやしないもの」
「せめて遺体が見つかれば、相続とか色々できるのにねえ」
「本当にその通りよね。……それよりあの子について考えないと。
私の家には六歳の子供を養う余裕なんて無いわよ」
「私だって同じよ。
それに、うちの子は今年受験なのよ。変な影響が出たら、どうするのよ? あなた、責任とれるの?」
「ちょっとそんな言い方ないじゃない。母親に続いて父親もいなくなった可哀想な子なのよ、きっと深く傷ついているはずだわ。
だからね、家族が沢山いる家庭の方が良いの。田所さんもそう思うわよね?」
「そんなこと言われても、私は今で手一杯よ。もう一人増えたら手が回らないわ。
あ、そうだ、そこのあなた、前に男の子が欲しいって言ってなかった?
お子さんも手のかかる時期を抜けたし、丁度良いんじゃない?」
「い、いえ、私には、母の介護もありますから……。
そういう沢島さんこそ、ご主人が役職付きだって自慢してませんでした?」
やいのやいのと面倒ごとのようにその役目を押しつけ合う大人達。
そして、そのやり取りを襖の外から他人事のように聞く幼い自分。
この光景だけは今も鮮明に思い出せる。子供ながらに、きっと予感していたんだろう。これから待ち受ける暗い未来を。
……。
…………。
「暫く一緒に暮らすことになった、如月篤史君だ。
流、お兄ちゃんが出来たと思って仲良くしてやるんだぞ」
「はーい、よろしくね。あつふむくん」
「うん、よろしく」
「あつふみ、だれとはなしてるの?」
「ようかいさん。このせかいにはね、ふつうの人には見えない生きものがいるんだよ。
ここにいるのはとうふこぞう。とうふをはこんでくれるの」
「なに、いってるの? こわいよ……」
「そんなことないっ。とうふこぞうはすごくいいようかいさんだよ。
ほら、いまもながれのそばでーー」
「っ、もういいっ」
「ねえ、あなた。あの子やっぱりおかしいわ。
妖怪が見えるなんて嘘をついて。そのせいで、流も怖がっている」
「父親のせいで妄想と現実の区別が付いてないのかもしれないな。
可哀想だが、これ以上は無理か。流まで真に受けたら大変だ」
「ええ、そうね。半年も我慢したし、文句は言われないでしょう」
「そうと決まれば兄さん達に連絡だな。番号はーー」
初めて預けられた家では悪いことをした。
あの時はただ純粋に妖怪を知って欲しい一心だった。陰陽師のみが見えるという、自身の異常性を理解してなかったのだ。
こんなことを繰り返し、親族間を半周ほどした頃には、家でも学校でも普通な子供になりきっていた。
……。
…………。
「なあ、篤史。もしかしてゲームが好きだったりする?」
「あーと、うん、結構好きかな。
前にいた家でマ〇オをやらせてもらって、楽しかったよ」
「お、まじか。うちはみんなゲームとかやらねえからな。話せる奴が来て嬉しいぜ。
ほら、これが俺の好きなゲームなんだ。一緒にやろうぜ」
「あいつの話は何だったんだ?
時折おかしなことをするが、基本的には良い子じゃないか」
「そうねえ。素直だし、この間なんか洗濯物をたたむのを手伝ってくれたのよ。ほんと助かっちゃうわ。うちの子にも見習って欲しい位よ」
「ねえーー」
「ち、うっせえな。居候の分際で、随分調子に乗んなよ」
小学校高学年の頃、預けられた家にいた同年代の子供には、随分と嫌われてしまった。いや、最初は仲が良かったのだ。それが何故か時が経つごとに悪化していった。
当時は理由が分からなくて、仲良くしようと、良い子でいようとしたものだ。最もそれは彼とのさらなる対立を生んだだけだったけれど。
……。
…………。
「なあ、お前ら知ってるか?
――あいつ親に捨てらたんだって。
色んな所に住んだことがあるのも、親せき中をたらい回しにされてるんだよ」
「ちょっと、それがどうしたってんのよ。あつふみ君が悪いわけじゃない」
「ちがうちがう、本題はその理由なんだよ。
それがな、呪われてるから、見えちゃいけないものが見えるからなんだって。
ほら、みんなも覚えがあるだろ、変なところをみておどろいてる姿とか」
「た、確かにあるけど……」
「だろ? おい、柏木もあつふみと仲が良かったよな、どうだった?」
「い、いや、その」
同じ頃、学校でも上手くいかないことが多くなった。
繰り返される転校。共同体に馴染めない疎外感。悪意があるとしか思えない行動。簡単に壊れていく関係。
そんな経験から段々と人と関わるのが億劫になっていった。
愛は有限。でも人はそれを求めずにはいられない。
誰の言葉だっけ。
ああ、そうだ。その頃に公園にいたホームレスの男の言葉だ。
家から離れたくて彷徨っていたときに会った彼。好きな野球チームが一緒で仲良くなって、愚痴を零したんだ。今はもう顔すらはっきりと思い出せないけど、あの話だけは覚えている。
……。
…………。
「アダムとイブは知ってるかい?」
「え、と、何となく聞いたことがあるよ。
その二人からぼくたちが生まれたんだよね」
「よく知ってるね。そう、神様が作った最初の人類がアダムとイブなんだ。
エデンの園で平和に暮らしていた彼らは、とある理由から追放されてしまう」
「確か、禁断の果実? を食べちゃったんだよね」
「そう、禁断の果実―つまりは愛を口に入れてしまった」
「愛?」
「恋愛、家族愛、友愛、それら全てを含めた愛さ。
だからこそ彼らは渇望し、ついには神様からその一部を奪ってしまった」
「そんな、話だった?」
「ああ、そうだよ。僕が最初に真理に気がついたんだ。
神様の逆鱗に触れ、地上に落とされた二人は子供を増やしていく。愚かにも、ね。
奪った愛は有限。でも分配先は際限なく増えていく。どうなると思う?
そう、一人一人に与えられる愛が足りなくなっていった。
生まれたときから満足に愛されず、必死に働いても報われることはない。
さあどうしよう。
諦める? できるはずもない。たとえ制約を破ることになろうと、人はそれを求めたんだから。
他人から奪ってしまえば良いんだよ。
どんな方法であろうと良い。戦争、殺人、いじめ、あるいは恋愛なんて方法もあるかも知れない。
そうして僕らは歴史を、社会を作ってきたのさ」
「??」
「こほん、ちょっと難しかったね。そうだなあ……学校の給食に例えてみようか。
最初にクラスの人数分の給食がありました。そこに篤史君が転校してきました。
当然、篤史君の分はありません。さあ、どうしよう?」
「それは……みんなからわけてもらう、とか」
「その通り、分かってるじゃないか。
貰うっていっても、相手の分は減ってるわけだからね、奪うのと変わらないんだよ。
学校や家庭でのことも同じさ。君が来たせいで先生や友達、親から貰える愛が減ったから、君は嫌われてるんだ」
「……」
「特に篤史君は親に愛されなかった過去があるからね。空っぽだから愛を貰いやすいんだよ。
ほら、捨て猫を見て可哀想だと、助けたいと思うだろう。
人間、自分より愛を持ってものを見ると、分けてあげたくなっちゃうんだ。当然善意じゃない。無償の愛なんてない、ただ誰かを助けたっていう自己満足に浸りたいだけさ。
だって、自分を犠牲にしてまで誰かに尽くす人なんて、見たことないだろう?」
「……じゃあ、どうしたらいいの? どうやったら返せるの?」
「何馬鹿なこと言ってるんだ。返す必要なんて無い。
いっただろう、彼らの自己満足だって。誰かに与えた時点でその目的は達成されているんだよ。
いいか、君は生まれながら勝者なんだ。今後も多くの愛を貰い続けられる。
素晴らしいことじゃないかっ。僕がこんなことまで手に入れた地位を最初から持ってる。
胸を張って良い。君は僕と一緒だ。だから僕は声をかけたんだ。真理を教えてるんだ」
熱に浮かされたように、男は講釈をたれる。煌々と輝く瞳で、色あせた帽子を被って。
勿論、その話を完全に理解したわけではない。ただ心の中にストンと落ちたものがあったのもまた事実だった。
家庭に学校。確かに僕は周りの愛を奪う異物――邪魔者だった。だからこそ彼らは僕を疎んだのだろう。
けれども、彼のように嬉々としてそれを享受する気にはなれなかった。人間のそういう利己的で排他的な面に辟易していた。
だから、一つだけ心に決めたのだ。
――愛の強奪合戦に参加するくらいなら、誰とも深い関係を築かなければいい。
それからは周りにうまく溶け込みながら、一定の距離を取るようにした。それでも誰かの愛を奪ってしまったのなら、全力で返そうとした。そして失踪宣告が受理されて遺産が振り込まれたときには、全寮制の中高一貫校に進学した。
快適だった、一人でいるのは。誰も、傷つけないですむから。
誤算なのは、司と仲良くなってしまったことだ。
切っ掛けはそう――何だっけ? あれ、上手く思い出せない。こんなことになってる原因のはずなのに。
……こんなことって? 僕は何してたんだっけ。
……。
…………。
意識が浮上する。
目の前には、こちらを見下ろす緑色の怪物。右手と左足から容赦のない激痛が送られてくる。
どうやら、あまりの痛みに意識が飛んでいたらしい。
「……走馬灯って、やつかな」
今後を思って、思考を巡らせる。
一体どれだけの時間が経った? いや奴の位置を考えると一瞬の出来事か。
だとしたら司はまだ、学校に着いてすらいないだろう。
対して、僕は哀れにも一本の柱にもたれかかっている。これ以上動けそうになかった。
周りや化け物の足下に転がる瓦礫の山が目に映る。あっちこっち行きながら何度も避けたのだ。よくやったよ、うん。
オークは、クソみたいな化け物は嘲笑うかのように口角を上げて、巨大な棍棒を振り下ろす。豪速で迫る鉄塊。それに僕は体を動かせずーー
「――解」
寸前で唱える、術を解除する呪文を。
足場がずれ、体勢を崩す化け物。ぐしゃあ、とすさまじい衝撃が僕の頭上を襲った。周囲を舞う、破壊されたコンクリートの粉。何とか、直撃は免れた。
オークが乗る瓦礫の下に、式神を滑り込ましていたのだ。
大した力を持たない式神だが、使い方によってはそこそこの能力を発揮する。色々な試行錯誤の末に発見したやり方だった。とはいっても、こういう狡い扱い方しか出来ないし、御度の量的にも繰り返し使える技じゃない。それにーー
白い粉塵の奥、赤色の瞳が瞬く。ゴウ、と棍棒が煙を薙ぎ、振りかぶられる。
結局の所、足止め程度にしかならない。
何も無ければ、これで終わり。祈るようにそれを睨む。
瞬間、頭上から天井が振ってきた。
上階の床と、恐らくは雑貨店の商品がなだれ込むように落ちてくる。
一階の局地的な崩落だ。御度が弱くなっていたこの場所まで誘導したのだ。瘴気の功名とでも言うべきか。一か八かだったが、成功して良かった。
大量の瓦礫に押し潰され、沈黙するオーク。対して、こちらには幾つか軽いものが当たった以外の損害はない。総じて運がこちらに向いていた。
……こんなに効果的なら、彼らに『式神術』と『心眼』をもっとアピールしておけば良かった。あの時は『浄化』の能力を切り札にしていたからなあ。
その所為で追い出されたし、失敗だ。
とにかく、奴が起きる前にここを離れないと。
右手と左足にも力を入れ、何とか立ち上がる。ふらふらと揺れる体。崩壊前の攻防で負った傷は存外深いみたいだ。
……ってか、今更だがめっっっちゃ痛くなってきた。血もドクドク溢れ出てるし、何だか気分も悪い。冗談抜きで死ぬかも。
不安に駆られながらも、大部分の御度を治療に回し、よたよたと入り口へ進む。
機動力も御度も少ない。これ以上の戦闘は無理だ。
このまま眠っていてくれると良いんだけど、と崩落した方に目を戻す。
腕が生えていた。
緑色の巨大なそれは、一匹の猛獣のように荒々しく瓦礫をどかす。段々と出てくる、オークの全身。汚れはあれど、そこに一切の傷は見られない。
一連の工作はたった数秒程度の足止めにしかならなかった。
「化け物、かよ……」
絶望。まさしくこれは絶望だ。B級ホラー映画でももうちょっと手心を加える。
憤怒に染まる瞳が細められる。両手の鋭いかぎ爪がキラリと光る。
もう何の策もない。今度こそ終わりだ。
時間的には、司はギリギリ防衛線内に入ったくらいだろうか。まあ及第点かな。命を賭けた甲斐があった。
よく考えたら、他でもない僕が自己犠牲的な事をしているじゃないか。
不意にそんなことを思う。
ただ僕のこれは、奪った愛を返しただけだ。決して褒められるようなものじゃない。
……案外、聖人といわれる人達もこういう理由があったのかもしれないな。
なんて、現実逃避をしていたその時、紫色の何かがオークにぶつかった。そのままもつれて、塞がれた出口の方へゴロゴロと転がり離れていく二つの巨体。
ー-なんだ?
回転が止まる。ば、と離れ対峙する二体。
乱入者は、オークの背丈の半分ほどの体高をした四足歩行の妖怪だった。瘴気に侵されているが、形からして鼠だろう。何故だか見覚えがある気がする。
一瞬の逡巡の後、モンスターと妖怪鼠は激突する。前者はそのパワーを、後者はスピードを生かして己の肉体で攻撃し合う。まるで命など気にかけていないかのように。
爪や牙に切り裂かれ、瘴気と血が飛び散る。それは、人間など塵芥に過ぎないほど圧倒的な存在同士の戦いだった。
ともあれ、奴の注意がそれたのはありがたい。今のうちにこの場を離れよう。
そう思った刹那――ほんの一瞬のことだ。警戒を解いていたわけではない。ただ気がついたときには既に、目の前に迫る瓦礫があった。
反応できない体。途方もない運動エネルギーを持ったそれは、そのまま僕の体に衝突するーー事なく弾かれた。
「篤史、大丈夫か?」
ー-聞こえるはずのない声と共に。
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