第十話「休息」



 時は夕刻――あと一時間もすれば空が赤くなり始める頃。

 僕らは、名古屋市の道を急いで進んでいた。探索(しかも成果ゼロ)に時間をとられたせいで、随分と時間が押していたのだ。この分だと、予定地点に間に合いそうにない。


 強行するか、無理せず手頃な所で休むか、司と相談しようとしたその時、式神がとある景色を捉えた。


 これは……随分と悲惨だ。


「どうした、何かあったのか?」


「うん、ちょっとね。

 司はこの先に何があったか覚えてる?」


「あー、と……消防署、か」


 その通り。司の言葉に頷く。

 火災にいち早く駆けつけ、消火活動を行う組織の司令塔。市民が安全に生活するには必要不可欠な機関は、今はもう機能していない。

 橋を越え、右側の対岸にかつての防災の要が姿を現す。


「……」


 燃えていた。


 数多の窓が黒煙を吐き出し、炎が轟轟と建物の中で蠢いている。納められた消防車はその全てが倒され、潰され、役割を果たすことなく鎮座している。

 そんな無残な姿を、司は食い入るように見つめていた。


「……生存者は、いそうか?」


「いや、さっきから中を飛ばしてる式神でも、見つけられないね。

 そもそもあんな状況じゃ中にいたとしても……」


「そう、だな」


 重苦しい空気。避難訓練とかで火災の恐ろしさは聞いてる。煙を吸いすぎると命に関わることも。

 あの煙は三日前から既に見えたものだ。普通に考えて、中にいる人は既に……。


 ああ、やっぱりここは地獄の淵だ。

 この世界の惨状を改めて実感する。


 きゅう。そんな空気を感じ取ったのか、ムラサキが声を上げた。振り返り頭を撫でようとして、それが全く別の意味であることに気付く。

 ムラサキは前足で消防署とは逆の方を指していた。必死に、何かを訴えるように。


「そっちに何かあるの?」


 こくこくと頷くムラサキ。

 司と顔を見合わせる。寄り道をしたら予定地点には間に合わないだろう。


「どうしよう、あっちに行ってみる?」


「オレは構わないぜ。

 そこまで急いでるわけじゃないし、予定を変えよう」


 ー-本当に? 直前まで出た言葉を飲み込む。

 司もその可能性を理解した上でそう言ったのだ。あるいはもう心のどこかで諦めているのか、諦めようとしているか。

 ともかく部外者の僕が踏み入れるべき問題じゃない。今は司の判断に尊重するべきだ。


 それに、正直司の言葉はありがたかった。

 ムラサキの探し人(?)の問題が後回しになっていたからだ。

 探すのを手伝う契約で一緒にいるのだけど、あの後何度も聞いても明確な反応を示そうとしなかった。何というかまるで現状に満足しているかのように振る舞うのだ。

 どうしたことか、と困っていたときに今回の行動だ。何か手がかりになるものを思い出したかもしれない。


 ムラサキ先導のもと、国道一号を離れ街中に入っていく。

 歩くこと十分、一つの建物の前でムラサキが立ち止まった。


「ここはーー」






「あー、極楽極楽」


 頭上に広がるのは赤みがかった空。もうすぐ人の時間は終わり、やがて魔の時が来る。

 僕はそれを温泉につかりながら眺めていた。


 そう、温泉だ。

 ムラサキに案内されたのは古びた老舗旅館だった。

 流石にその中は荒らされていて物資はなかったし、生存者も見つけられなかった。

 ただ、ここの露天風呂が源泉から湧き出る温水を利用した天然温泉だったこともあって、奇跡的に人が入れる状態だったのだ。


 まあ設備の故障で水温は若干高いし、掛け流しみたいになっているとかの不満はあるけど、関係なし。

 むしろ熱めのお湯が疲れた体に染み渡り、癒やされる。

 隣でムラサキも気持ちよさそうにボーとしていた。因みに司は木製の壁の向こう側。

 周囲を結界で囲み、式神で警戒しているから、完全に僕らの貸し切りだ。


 これはいい。

 幸福感に身を任せ、深く沈み込む。だぱあと湯が溢れた。

 こうして湯にゆっくりつかるのは久しぶりだ。

 学校では水が貴重でシャワーも一日十数人しか使えなかったし、他の場所では設備が壊れてて使えない。陰陽術で代用できないかも、試したくらいに、風呂ロスだった。

 

 ぼーとしながら、向こう側の司に思いをはせる。

 たった四日ぶりの僕でもこうなのだ、約十日ぶりの司にとっては天国みたいな気分じゃなかろうか。


 十一日、世界が壊れてもうそんなに経つのか。


 僕が寝ていた一週間、全てが知らないところで進んでいた。

 それだけあればこうも常識が変質してしまうのは仕方ないだろう。ステータスによる分断、モラルの崩壊。実際に僕らも万引きに不法侵入、無断使用等の犯罪を悪いと思いながらも犯してしまっている。


 旅の終着点、その先に平和が、日常があったとしてーー僕らは元の生活に戻れるんだろうか。

 急に不安になってきた。それにステータスの問題もある。

 全員等しく、不平等に与えられた超常の力。政府は果たしてそれを制御できるんだろうか。それこそ僕の力のようなーー


「おーい、そっちはどうだ? 篤史」


 不意に思考を遮られる。

 静まり返った世界に響く司の声。どうやら向こうから声をかけてきたらしい。これも貸し切り故だ。


「凄くいいよ。疲れがとれていく。

 初めて世界が変わって良かったと思ったね」


「はは、違いない。

 こんなに気持ちいいなら、毎日入りたいくらいだな」


「確かにねえ。

 ただ、今はまだ難しいかなあ。ドラム缶も見つからないし、陰陽術でやるにしても素材とかの問題をクリアしないと」


「だったら、このままここに住んじまうか?

 ここなら水の心配もないし、モンスターも少ない、後は食料さえどうにかなれば良さそうじゃないか?」


「それ、は」


「――冗談だって。

 家族の安否が分かった後に、ここに住んでも良いかと思ったんだよ」


「そういうことなら、まあ納得かな」


 安否が分かった後に、か。

 言葉上では賛同しながらも、司の真意を探る。

 何となく他人事っぽく聞こえるのは気のせいだろうか。それに、直前の提案も冗談に聞こえなかった。

 そもそも消防署のあんな光景を見せられて、ここに寄ろうとするのがおかしいのだ。万が一を考えて急ぎたくなるのが普通だろう。

 

 司の一言から始まったこの旅。それを発案者自身が否定しようとしてる。

  

 司、君は一体何を考えられているの?


「ところで、まさか式神でこっちを覗いてないよな?」


「へ、いや、してないよ!?

 第一そんなことする度胸が僕あると思う?」


「ふ、びびりな篤史にゃあ、無理か。

 そんな度胸があったら、とっくにオレのことを押し倒してるか」


「!? なかなか凄いこと言うね、司は。

 僕は可愛い女の子が好きなんだ、しかも年下の。残念ながら司は対象外だよ」


「へー、んなこといって、篤史が女子と話してるのを全然見たことがないんだけど?」


「そ、それはっ」


 極力司以外とは関わらないようにしてきたから。

 とは言えなかった。何でオレは例外なんだ、とか調子に乗りそうだし。


「ともかくっこの話はこれでおしまい。

 急にどうしたのさ、恋バナなんて。僕たちらしくもない」


「いやー、篤史のこと、良い奴だと改めて思ってな。

 今ならその力があればハーレムとか作れるんじゃないか?」


「いや、今は誰かとどうにかなることは考えてないかな。

 世界がどうなるか分からないし」


「ほーん、そんなもんか」


 喜ぶような、ガッカリするような、なんとも言えない声音。


 そういえば、司の恋愛対象はどっちなんだろう?

 男の部分が九割、女の部分が一割ある司。そういうことは今まで話したことがなかった。司の好む下ネタがチンコとかおっぱいとか小学生レベルのものだったからだ。

 好きな女優の話とかしたし女だと思うけど……まあ、どっちでもいいか。

 司が話してくれるまで待とう。少なくともこういう風に勝手に想像すべきじゃない。きっとデリケートな問題だろうから。






 充分に堪能した後、ムラサキと一緒に温泉を出る。

 脱衣所でムラサキの体を拭こうとしたら、さっと避けられてしまった。


「ちょっと大人しくして、ムラサキっ。

 あー」


 制止を無視して、部屋を出ていくムラサキ。天井に設置した式神ゆえ明るいエントランスの方で、体を振って水を落としている。


 ……不思議な所で嫌がるなあ。

 仕方なく一人で着替えて出る。ドライヤーは使えないから濡れた髪のままだ。


「お、篤史も来たか。

 ムラサキが逃げていったけど、何したんだ?」


 外には風呂上がりの司が立っていた、白地に紺色の幾何学模様があしらわれた浴衣を着て。僕と同じ、備え付けの奴だ。

 ただその、しっとりとしたショートの黒髪と、浴衣の隙間から覗く肌を見て、あんな話をした後だからか、何だか妙に恥ずかしくなってきた。

 さっと視線を外して、答える。


「いや、ムラサキの体を拭こうとしたら飛び出しちゃったんだ。

 司と違って変なことはしてないよ」


「ち、残念。篤史もムラサキに嫌われたかと思ったのに。

 それよか、ちょっと実験に付き合ってくれない?」


 にっこりと、良い笑顔でどこかで聞いた言葉を言う司。

 断れるはずもない。

 

「変なことはしないでよ?」


「大丈夫大丈夫、ちょっとやけどするかも知れないだけだから」


「え、ちょっとまって!?」


 静止むなしく司は後ろに回る。

 身構えたところで、ぶわっと何かが髪にあたる。熱すぎず、それでいて強すぎない熱風。

 これはーー


「陰陽術でドライヤーの再現をしたの? 

 そんな繊細なこと出来たんだね」


「さっき温泉の中で練習したんだよ。

 まあ、最初は暴発して色々と吹っ飛ばしたんだがな」


「……僕の髪が燃えたら?」


「その時は髪を生やす術で何とかなるさ。

 ほい、出来た」


「お、ありがとう。

 そんな術があったら、僕らはきっと大金持ちになれるね」


「おお、いいじゃん。平和になったら二人で育毛のプロになろうぜ。

 これでもう薄毛に悩まない! 

 準備不要、瞑想するだけで出来る陰陽術式育毛術とは!? てな感じで」


「……どうぞ一人でやって下さいな」


「えー」


 そんな風に軽口をたたき合いながら、二人+一匹分の乾燥が終わる。

 最初は手のひらから温風を出していた司も、最後の方は慣れて別の場所から出せるようになっていた。こんな所で才能を見せつけられるのかあ。


「それじゃ、あそこで遊ぼうぜ。

 いやーオレ、さっきから凄い楽しみだったんだよな」


 司がそう言って向かったのは、木製の卓球台だ。

 珍しくここは、温泉卓球が出来る旅館だったらしい。

 幸いなことに台の御度も結構残っている。やはり、瘴気による御度の減少は随分とものによって差があるようだ。食料関係や木製のものはほぼ変化無し、それに対して精密機器やコンクリートは減少が多い。基本的に人工物の方がより影響を受けているようだ。まあ、精密機器はほぼ全滅したみたいにその中でも大小はかなり異なるようだけど。


 それにしても、と卓球台を挟んで対面に立つ司に目を向ける。

 ラケットを構えながらキラキラと目を輝かせる司。


 この状況を完全に楽しんでいた。

 朝とは随分と焦燥具合が違う。それだけあの説得が聞いたということだろうか? 

 それにしても、食料はもう一日分もないしもう少し焦っても良い気がする。急ごうとしなかったのもあるし……。

 まあ、あんなにのんびりしていた僕が言っても説得力がないか。


「不思議か、篤史? 

 オレがこんなふうにしてるのが」


 司がコツンとピンポン球をサーブしながら聞いてくる。

 仕方なくそれを返しながら続ける。


「まあね。ついでにここに来たのも疑問だった。

 ……家族のことを聞いても良い?」


「おう、勿論。むしろ話したかったくらいだぜ。

 篤史にお礼したかったからな」


「お礼? 僕言われるようなことしたっけ?」


 こんこんと繋がっていくラリー。

 左右に振られ、次第に苦しくなってくる。元々司の方が運動は得意なのだ。


「篤史が言ってくれただろ、未来は神様が決めるって。

 オレはさ、正直彼らに対して良い感情を持ってないんだ。

 勿論生んで育ててくれた感謝もある。それでも理想を、女としてのあり方を強制されて、苦しんだ記憶の方が圧倒的に強い」


「……」

 

「だからどうでもいいんだ。

 そりゃあ生きててくれた方が嬉しいよ。

 でも積極的に助けたいとは思えないだな、これが。もし助けを求められたら応じるかも知れないけど、そうならない限り多分オレは家族が危機にあっても静観する。

 命をかけてくれた司とは大違いだよな。

 結局の所、その程度なんだ。家族に対する愛情はっ」


 浮いた球。司が強く振り切りスマッシュを放つ。その顔は悲痛に満ちていた。

 球が鋭い軌道を描き右端に向かってくる。これは間に合わない。ならーー


「ならっどうして家族のもとに行こうっていったの?

 どうでもいいんでしょ、家族なんて?」


 霊符発動。

 下にスタンバイさせていた式神から風が出てピンポン球を卓球台の上に押し戻す。

 式神に専用の効果の霊符を貼り付けて運用させたものだ。照明も安定してるし、これは使えそうだ。

 司が目を丸くして驚くと、ゆったりとした球をこちらに返してきた。


「多分、最期くらいは良い子でいたかったんだ。

 ほらあの時オレはあんな環境で生きていけるとは思ってなかったからさ。司に知っていて欲しかった、オレが家族思いの良い奴だって。

 だから篤史についてきて、そう提案したんだ。

 ……まあ、オークの恐怖でそんなの吹っ飛んじまったけどな」


「そっか、そんなことを考えていたんだね」

 

 あんな環境とは学校と外の世界両方を刺すのだろう。最期を意味のあるものにしたい気持ちは僕もよく分かった。

 今度は緩い球の応酬。……これ、卓球しながらする話かな?


「そんで、ある程度安全に生きられるようになって、けど引くに引けなくなって……。

 オレは思ったわけだ。

 助けようとした奴らが苦しんでいるのに、お前が楽しんでいて良いのかよって。

 馬鹿だよな、自分勝手に決めたのにそれに振り回されてる」


 偶然卓球台の淵に当たって、ファンブルする球。絶対に追いつけない角度で地面に向かいーー司の手元に吸い寄せられる。


 風だ。風がブラックホールのように吹いている。

 まさか、卓球版のあの技?


「そんな時だったよ。篤史に説教されたのは。

 気負う必要はない。未来は神様に決められてるからって。

 その通りだと思った。オレが楽しもうが、思い詰めようが、あいつらの境遇が変わるわけじゃない。

 オレはこの世界で自由に生きて良いって分かったんだ」


 なるほど、だからあれからテンションが高かったのか。ただ恐怖を和らげたくて言った言葉がそんなところに刺さるとは……不思議なものだ。

 司が空中で静止する球に大きく振りかぶり、口元を緩める。


「だから、ありがとう、司。

 オレを救ってくれて、オレを泥沼から出してくれて」


「っ」


「ほらよっ」


 豪速で放たれる球。

 僕はそれに反応できず、そのまま後ろへ飛んでいきーー突如乱入したムラサキの尻尾に叩きつけられる。

 バシンと音を立てて司の方に向かう球。司はノーバウンドで打ち返そうとラケットを振る。消耗したラケットと強烈な運動エネルギーを持った球がぶつかりーー瞬間、勢いに耐えきれず柄<グリップ>の根元からぽっきりと折れる。

 

「あっ」


 持ち手を失って彼方へと飛んでいく、球を当てる部分<ブレード>。

 がしゃんと壁にぶつかり、材木ごと崩壊していく。中からどこかの空間が顔をのぞかせた。


「やっちまったな……おお、こいつは。

 こっちに来い、篤史っ」


 司が穴の方に行って、感嘆の声を上げた。

 のろのろと進んで、のぞき込む。


「こんな所に食べ物があるとはな。

 社員用の非常用食料って奴か?」


 司の言うとおり、そこには大量の保存食が棚に並んでいた。

 ざっと見た感じ50食以上はありそうだ。


「ほら、遊んでいただけで問題が解決した。やっぱりどんなことも楽しむことが大事だな。

 ……篤史、どうしたんだ? さっきから黙って」


 不思議そうに聞いてくる司。僕が喜んでいるように見えないのだろう。

 そうじゃ、ないんだ。ただーー

 

『だから、ありがとう、司。

 オレを救ってくれて、オレを泥沼から出してくれて』


 司の言葉が、はにかむような笑顔が、脳を焼き付いて離れない。ドキドキと鼓動が高鳴って、抑えられない。

 さっきから司の顔もまともに見れなかった。

 ー-まるで僕が誰かさんに惚れてしまったかのように。


 いやっ、これは違う。感謝をいわれて舞い上がってるだけだ。風呂の話題のせいで、変に意識しているせいだ。

 そもそも僕はアニメとかでも可愛い子が好きだった。美人系の司はーーてああ何を考えてるんだ、僕は!?

 

「こ、このあとは、どうするの?

 名古屋に向かうのは止める?」


 やっとの思いで出したその言葉を、司は頭を振って否定した。


「いや、それは続けようか。

 一種のケジメだ。篤史にオレの都合で付き合わしといて、やっぱやめたはしたくない。

 ただ無理に急がない。普通に寄り道をして、やりたいようにやろうぜ」


 憑きものがとれたように、司は朗らかに笑う。

 ……はあ、漸く落ち着いてきた。

 大きく息を吐く。これなら大丈夫そうだ。

 二人であれやこれやと今後の希望を話し合う。普通の男友達のように。うん、やっぱり司との距離感はこれくらいで丁度良い。


 だから、あの感情は勘違い、全部間違いだ。

 もし本当だったとしても、それはあっちゃいけないもの。感情を隠すのは得意だ。心を縛って身動きできなくすれば良い。

 大丈夫、今までずっとそうやってきたんだから。



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