第3話
結婚式の翌日。余程疲れがたまっていたのか、ベッドの寝心地がよかったせいか、それとも服の補正を遅くまでやっていたせいか、私は普段より二時間ほど遅い時間に目を覚ました。
そこから朝の支度を一人でやる、という慣れない作業にも時間を費やした。前ボタンのマグノの服の上に、補正し幅を詰めたヴァダッドの服を重ねて着る。こうして着ればだぼつきも左程なくそれなりの見栄えになった。
(二国を結ぶ役だもの。それを体現するような服装で、いいと思うわ。……私はヴァダッドに、恋愛や結婚生活をするために来たのではない)
新婚初夜であっても同室で眠らないのは、私とアルノシュトが夫婦であって夫婦でない証。私たちは不仲の続く互いの国の理解度を高めるべく、一緒に暮らしてお互いの文化の違いを知り、分かり合い、その過程を国へ報告する。そういう“仕事仲間”なのだ。
これが私の仕事だと思えばやる気もでる。侍女がいない状況では複雑な髪形にはできないので、自分で簡単に結ってからふと気づいた。そういえば屋敷から出ないようにと言われていたのだと。……部屋からは出ていいのだろうか。
(何をして過ごせばいいのだろう。……刺繍ならできるけれど)
こちらの国では服に刺繍が施されているのが一般的な様に思える。私に用意されていたものも、アルノシュトが着ている服にも刺繍があった。婚礼衣装などはかなり豪華であったし、好まれるものなのではないだろうか。
(ん? けれど獣人は手先が不器用なのではなかったかしら?)
もしかしてアルノシュトが不器用なだけなのだろうか。後で尋ねてみようと思う。
マグノ国では刺繍は女性の嗜みである。己の魔力を込めた糸で様々な意味を持つ刺繍をして、大事な人に渡すのが文化だからだ。私も刺繍は得意な方で、政略結婚とはいえ旦那になった相手には刺繍入りのものを渡したいと考えている。
アルノシュトにどんな模様を贈るべきかと思考を巡らせていたら部屋の扉を叩く音がした。
「起きているか?」
「はい。もちろんです」
扉を開けるとアルノシュトが立っていた。彼はあまり表情が動かないようで、真顔で感情が読み取りにくい。ただ機嫌が悪そうにも見えないのでそこにはほっとした。
不快感を露にした時は表情がはっきりと出る。獣人はマイナス感情の方が顔に出やすいのではないだろうか。
「その恰好は……」
「はい。これならみっともなくはないかと思いまして……いかがですか?」
下にマグノの服を着ているので、ヴァダッドの服は上着のように扱っているのだ。着方としては邪道かもしれないし、アルノシュトの意見を聞いてみたかった。私としては割と合う組み合わせだと思っているのだが。
「悪くない、と思う」
「ふふ……よかった。私も悪くないと思ったのです」
ぴったりと体に沿うマグノの服とゆったりと体を包むヴァダッドの服。全く違うからこそ組み合わせられる。アルノシュトはしばらく私の顔を眺めながら尻尾を揺らしていた。……もしかするとこれは、ちょっと機嫌がいいのだろうか。
「それにしても朝が早いんだな、花嫁殿は」
「むしろ寝坊したと思っていたのですけれど……」
「……魔法使いは朝型なのか。なら、空腹だろう。朝食が用意できているから食べながら話したい……と思う」
「ええ、喜んで」
お互い知らないことだらけの私達には会話が必要だ。断る理由などない。了承すればこちらまで食事を運んでくるので待っているようにと言われた。
昨晩も自室で食事を摂ったので、やはり私を部屋から出したくないのだろう。だが虐げられているようにも感じない。それはおそらく、アルノシュトが自ら料理を運んできて、テーブルに料理を並べるところまでやってくれるおかげだ。
「先ほどの……朝型というのはどういう意味でしょうか?」
「獣人は種族で活動時間が違う」
食事をしながらお互いの国や人を知るために会話を重ねる。獣人にはいくつも種族があって、たとえば狼であるアルノシュトは朝よりも夜の方が活動しやすい夜型であるらしい。私は元々朝はそれなりに早かったけれど、ここでの生活に合わせようと考えた。
「私もアルノー様に合わせて生活してみます」
「……無理をして合わせる必要はないが」
「いえ、人間は元々活動時間が決まっている訳ではないと思いますので……夜遅くまで起きていて、昼まで眠る者もいますから」
魔法研究者たちなどはむしろ夜の方が元気で、魔法の明かりを灯しながら夜明けまで研究をし、日が昇る頃に眠り始めると聞く。人間は種族で活動時間が決まっている構造ではないのだろう。充分な睡眠がとれるならどの時間に活動しても良いという訳だ。
「……そうか。それから。今日は貴女のサポートをする女性が午後に来る予定なので、俺がいない間は彼女を頼ってくれ」
「ありがとうございます。……どのようなお方でしょうか?」
「あれは……猫族らしい気性だな」
その猫族らしい気性というのが分からないのだけれど。私が困って笑っているとそれに気づいたらしいアルノシュトが説明を加えてくれた。
猫族というのは縛られるのが嫌いで、自分の好きなように生きる気ままな性格をしていることが多い。気に入らないものには見向きもせず、しかし気に入ったものに対する執着は強い。好かれればあらゆることを手伝ってくれるだろうが、嫌われれば何もしてくれない可能性があるということだ。
「好かれようと余計なことはしない方がいい。花嫁殿は……素でいればいいだろう」
「そう、ですか」
そうして食事を終え自室で刺繍をしながら過ごしていると件の猫族の女性がやってきた。アルノシュトは彼女を部屋に招きいれると兵士の訓練があるということで直ぐに出かけてしまい、女性と二人きりになる。
彼女は私よりも背が高く、ゆったりとしたヴァダッドの服を着ていてもわかるほどに凹凸のはっきりとした体をした女性だ。手足が長くしなやかで細く見えるが、私よりもずっと骨格がしっかりしていて筋肉質である。
「はじめまして花嫁さん、ミランナでーす。ミランナって呼んでね」
鮮やかな緑色の大きな猫目で、可愛らしい顔立ち。口元が弧を描くような形をしているのが印象的だ。そして彼女の髪は黄色の髪に黒い部分が混じって、どこか虎を思わせる。ゆらりゆらりとうねる尻尾も縞模様であった。
「はじめまして、フェリシアです。よろしくお願いしますね」
「……それは何?」
握手をしようと手を差し出すとその手を指差しながら首を傾げられた。こちらには握手の文化がないらしい。
マグノの国の挨拶だと伝えると彼女は左手を出してくれた。そして「どうするのかな?」と尋ねられたが、右手と左手では握手ができない。正面に立つ私を鏡のように真似したのだろう。
「ふふ。この挨拶は右手同士でするんです」
「……こっち?」
「はい。改めてよろしくお願いします」
右手を出し直してくれたミランナの手をそっと握る。彼女な私の顔と手を交互に何度か見て、少し痛いくらいの強い力で握り返してくれた。
そして彼女は身を屈めて私に視線を合わせる。目が近くなるとその瞳孔が大きく開いたり細くなったりしているのが分かって驚いた。
「よろしくね、花嫁さん。……貴女の手って小さくて柔らかい。爪もないし、赤ちゃんみたい」
当然だが獣人にも赤子はいる。しかし私が出会った獣人はアルノシュトとミランナの二人で、どちらも自分より大きい存在なのでちょっと驚いてしまった。……獣人の子供や赤子はどのような姿をしているのだろうか。
「あ! あれ、刺繍!?」
「ええ、刺繍です。趣味なので……」
「いいなぁ! 花嫁さん刺繍できるんだ!」
ミランナの興味は移りやすいらしい。私の手を放して机の上に置かれた製作途中の刺繍を見に行ってしまった。なんだか好奇心旺盛な子供の様で可愛い。
彼女は中途半端な図を見ても楽しそうにしている、ように見える。尻尾がゆらゆらと動いているのはどうも気分がいいのではないかと思うのだ。
「ミランナさんは刺繍がお好きですか?」
「刺繍はみんな好きだよ。でもほら、上手くできないじゃん」
獣人はほとんどがその手に長い爪があり、手先が器用ではない。しかし繊細な刺繍は皆が好み、刺繍ができるほど器用な獣人なら嫁でも婿でも貰い手は引く手あまた、刺繍職人として一生食うに困らないだけの待遇が得られる。そんな刺繍職人には比較的に爪が短く手先が器用な猿族が多いという。
ミランナの話はあちらこちらに飛んでしまうこともあってそれだけのことを理解するのに少し時間がかかった。とにかく刺繍はヴァダッドで大いに喜ばれるものらしい。
「私の手もさー興奮すると爪が出ちゃうから。あ、ほら今もちょっと出てる」
「まあ、ほんと。……でもとても綺麗」
元から長い彼女の桃色の爪が、初めに見た時よりも伸びて弧を描いている。けれど艶々と光っていて宝石の珊瑚のようだ。純粋に美しいと思う。
ミランナは私の言葉を聞いて数秒固まって、そのあとは弓なりに目を細めた。獲物を定める獣のようにも、笑っているようにも見える表情に戸惑う。
「花嫁さん、私のことはミーナって呼んでいいよ」
「ミーナ、さん?」
「違うよ、ミーナだよ。言葉も砕けてるんだからその敬称もいらないでしょ」
ミランナの人柄が明るく元気なところにつられて私もいつの間にか丁寧な言葉遣いを忘れていた。改めて「ミーナ」と呼んでみると彼女はするりと私に抱き着いて、すりすりと頬ずりをしてくる。柔らかい猫毛の髪が顔に当たってくすぐったい。
「花嫁さん、仲良くしようねー。私、なんでも手伝ってあげちゃう」
そういいながらも呼び方は「花嫁さん」なのだなと不思議に思った。ミランナからはしっかり親しみを感じるけれどこの呼び方だけは壁がある。
何か理由があるのか、尋ねてみなければ分からない。素直に「何故私を花嫁さんと呼ぶの?」と訊いてみた。
「え? だって呼び名を教えてくれないから」
「呼び名を……?」
「そう、呼び名を。花嫁さんをなんて呼んだらいいか教えてもらってない」
私はここでヴァダッドとマグノの文化の違いに一つ気づいた。名乗りさえすれば相手がふさわしい呼び方をするものだと思っていたが、ヴァダッドでは相手に呼ばせる名前を自ら指定するらしい。そうしなければ名前で呼べず役職や二人称で呼ぶことになるのだろう。
「ええと……じゃあ、私のことはフェリシアと呼んでくれる?」
「うん。フェリシア」
「……ちなみに、愛称を教えてくれることに意味はあるの?」
「そんなことも知らないんだね! それはもちろん、仲良くなりたい人に教えるんだよ」
ということはミランナは私と仲良くなりたいと思ってくれたということか。それは私も嬉しいし、彼女と仲良くなりたいので愛称を教えたいと思った。だが、しかし。
「マグノの貴族には愛称で呼ぶ文化がなくて……自分の愛称がよく分からないわ」
マグノでも平民の間では仲のいいもの同士を愛称で呼び合う習慣がある。しかし貴族にはそれがなく、敬称を省くことが親しさの証となるのだ。ヴァダッドの文化に合わせて自分の愛称を教えたいとは思うけれど、馴染みがなさ過ぎてその愛称のつけかたが分からないのである。
「え! そうなんだ……ううん。普通は親がつけてくれるから、愛称がない子に会ったの初めてだよ」
私は獣人たちの文化風習を全くと言っていいほど分かっていない。そういえば、アルノシュトにも名前を呼ばれていないことを思い出し、そして彼が何と呼べばいいか教えてくれる前から名前で呼んでいたことも思い出した。彼が帰ってきたら気分を害してしまったのではないかと謝罪してみよう。
「でも呼び名を教えてくれないから仲良くなりたくないのかと思ったよー。なんだ、フェリシアは何も知らないだけかぁ」
「ごめんなさい。本当に何もわからなくて」
「いいよー。私もそっちのこと知らなかったし。私にもいろいろ教えてね、そうしたらもっと仲良くなれるはず!」
いまだ私に抱き着いたままのミランナから不思議な音が聞こえてきた。ゴロゴロと低く響く、聞きなれない音。それが彼女の喉から漏れている音だと気づいて驚く。
魔法使いはこのように喉を鳴らすことはない。というか、このような音は出せない。やはり獣人の体の構造は私たちとは別物なのだろう。
(……アルノー様も鳴るのかしら、この音)
なんだか心地よくて眠気を誘われる音だ。それからしばらくミランナにねだられて刺繍をして見せた。彼女はそれをただ喉を鳴らしながらずっと見ているだけで、満足そうであった。
彼女に手伝ってもらいながらお湯を張ってお風呂にも入り、寝る支度まで整えた頃になって帰ってきたアルノシュトは、私に抱き着いて離れないミランナを見て固まっていた。
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