第6話
獣人の挨拶については大分理解できたと思う。まず彼らは自分の名を名乗り、親しくなる気があるなら呼び名を教えてくれる。それが愛称であれば、友人になりたい、もっと親しくなりたいというアピールだ。
(そういえばアルノー様も最初は呼び名を名乗ってくださらなかった。……けれどあの時は意味も分かっていなかったから)
明確に距離を置かれていることを、その名乗りで理解できたのは今回が初めてだ。猫族の特徴的な口元のせいで笑っているように見えるけれどシンシャは私に気を許していない。彼から感じる威圧感に少し、息が詰まりそうな気さえする。獣人たちのこの風習は相手の自分に対する感情が良くも悪くも分かりやすい。取り繕わない彼らの態度は心地よく、時に怖くもある。
しかしそれでも彼は自ら私に会いに来た。何か用事があるのだろう。
「私に何かご用でしょうか?」
「ちょっと気になることがあってな。一度話を聞いてみようと思って」
「左様ですか。……では中へどうぞ」
何か重要で長い話かもしれない。部屋の前で立ち話というのも失礼だろうと室中へ案内する。彼が部屋に入ったところで扉を閉めると、薄暗い部屋なのにさらに影が降りかかってきて驚いた。
見上げれば、暗い影の中に緑の瞳が輝いて浮かんでいる。私はどうやら扉とシンシャの間に挟まれた形になっているらしい。彼が天井の月明かりを遮ったせいで突然暗くなったように感じたのだ。
「魔族ってさ、誑し込むのが得意なのか?」
「魔族……?」
魔族とは一体何か。一瞬その意味を考えて、直ぐに思い至ることがあった。マグノにも獣人のことを「亜獣」と呼ぶ魔法使いがいる。獣人は人ではなく、獣である。そのような蔑みを込めた呼び名だ。
これはきっと、ヴァダッドの獣人たちが魔法使いに使う蔑称なのだと理解して、心臓が軋むような感覚に胸元の服を握ってしまった。
「ミーナは最近お前の話ばっかりでな。ここの料理人もすっかりお前のことを気に入って、アルノーも……お前に会ったやつは皆、お前のことが好きになる。魔族らしく妙な術でも使ってんのかと思ったんだけど」
「そのようなことは……」
「それに猫族を夜の寝室に招くなんて、そういう気があるってことだよな」
「えっ!?」
驚きすぎてはしたないほど大きな声が漏れたので慌てて口を押えた。たしかに夜、寝室に異性を招く行為はマグノでもそういう合図と捉えられ兼ねないが、そう言ったお誘いはまず手紙や贈り物でするものであって、突然訪ねてきた話のある相手を部屋に入れることで
私は決してパートナーを変えないという狼族アルノシュトの花嫁だ。そのルールが自分にも適用されると思っていたが、どうやら違うらしい。相手にする種族、自分の種族によってルールが変わるのだろうか。……ヴァダッドの文化を理解するのは本当に時間がかかりそうだ。今は間違えたことを謝り、彼らのルールに従って行動するしかない。
「申し訳ございません。それは存じ上げず……大変失礼とは承知ですが、部屋を出て頂けますか?」
「……部屋を出ろ?」
「はい。廊下でお話しましょう」
「……廊下で」
「はい」
シンシャは暫く無言で私を見下ろしていた。彼の後ろで縞模様の尻尾がゆっくりと揺れ動いているのが見える。まるで考え事をしている人が無意識に指遊びをしている時のような、そんな印象を受けた。
「俺にこのまま襲われるとか思わない?」
「それはないでしょう」
「何故断言できる?」
「貴方はアルノー様のお友達ですから」
意外そうに目を丸くされたが、シンシャが私に乱暴なことをしないと思うのはひとえに彼がアルノシュトの友人だからである。
私がアルノシュトと過ごした時間は短い。結婚してまだ半月ほどしか経っていないのだからその本質を知るには短すぎる期間である。しかし、彼が優しい心根の持ち主で、甚く真面目であろうことは窺えた。そんな彼と親しくできるのだからシンシャは奔放に見えて、真面目なアルノシュトの意に沿わないことはしないのだと思う。
それにアルノシュトはシンシャと会うなとは言わなかった。危険な相手には会わせられないと会う人間を選別している彼が放って置いたということは、会っても危険はないと信用しているということでもある。
「アルノー様は貴方を信用しています。貴方はそれを裏切らないから、アルノー様のお友達なのでしょう」
「……なるほどなー」
何を納得したのか。分からないが彼はすっと身を引くと頭の後ろで手を組んだ。先程まで大きな体に遮られて暗かったせいか、月明かりでも充分にあたりが見えるようになっている。
なんとなくだが、シンシャから感じる圧のようなものが減っているような気がした。心なしかその顔も笑っているように見える。……猫族は元から笑っているように見える顔立ちなのだけれど。
「思ってたのと違ったなぁ」
「……思ってたの、とは?」
「ミーナはお前を可愛いって連呼するし、終いにゃ俺の花嫁にすればよかったのになんて言うし。アルノーもお前がか弱いから絶対に危ないことさせられないって思ってるからもっと庇護欲をそそる感じなのかと」
ミランナが私を赤子か子供のようにひ弱で可愛い存在だと思っているのは普段の言動から分かっていたが、帰ってから家族にもその印象を伝えているようだ。アルノシュトも湯を運ぶことができない私を見ているのでそのように感じているのだろう。
私の肉体が獣人たちに比べて大変弱いことは知っている。魔力を封じられているから尚更、私が何もできない非力な存在であるのは間違いない。
「魔族のイメージに合わないし。まあ実際お前は小さくて細くて脆そうだけど」
「一つ申し上げたいのですけれど……」
「ん?」
「私たちは魔法使いです。……そう呼んでいただけませんか?」
本人には蔑む気持ちはないのかもしれない。ただこれは蔑称であると私が気づいてしまったから、その呼び方はやめてほしい。私も彼らを決して「亜獣」とは呼ばない。彼らと同じように「獣人」と呼ぶ。親しくなりたいからこそ、そうしてくれないかと願った。
「ああそっか、これ蔑称か。悪いな、年寄り共は皆そう言うからさ。魔法使い、な」
「ふふ。ありがとうございます」
このあっけらかんとした謝罪は心地いい。彼自身にはそこまでマグノに対する嫌悪感がないのだろう。あっさりと訂正してくれたことが嬉しかったし、私はこの正直な人柄も結構好きだ。獣人も魔法使いと変わらず、個性豊かで魅力的な人達だと思う。……やはり、マグノとヴァダッドの交流が盛んになってほしい。折角隣り合う素晴らしい国があるのに、ただ知らぬままいがみ合うことほど惜しいことはない。
「意外だった。……はっきり物を言うし、アルノーの話を聞いた感じもっと大人しいと思ってたよ」
「こちらに慣れてきて素が出るようになったのかもしれません。昔はこっそり国境まで遊びに出かけるくらい、活発な子供だったのですよ」
平和条約が結ばれたとはいえ不安定な隣国との国境まで親に隠れて出掛けるなど、今思えばやんちゃがすぎる行動だ。ただ私は子供の頃から魔力が溢れていたし、魔法を使えた。家から国境までは魔法を使って移動すれば十分程度の道のりで、秘密の散歩のようなものだったのである。
「……国境まで何しに来てたんだ?」
「友人と交流をしていたといいますか……おかしなことはしていませんよ? そこにしか来られない友人とちょっとした文通をしていただけです」
シンシャが急に真面目な顔をしたので「国境でよからぬことをしていたのか」と怪しまれてはいけないと思い弁明する。国境付近は危険だからと殆どの人間は近寄ろうとしない。そんな場所だからこそ逃避の場所としていたらしい平民の兵士と、私は手紙のやりとりをしていた。
このことは家族の誰にも明かしていない。国境へ出かけていたことも、平民と親しくしていたことも知られてはならないと思っていたから。しかしマグノ国の貴族の事情などヴァダッドには関係がないだろう。シンシャに不信感を抱かれる方が問題だ。
「ふぅん……?」
今度は興味深そうに私を見つめ、そしてその目を弓なりに細めた。この顔はミランナもするので知っている。おそらくこれは私たちでいうところの“笑顔”に相当する表情だ。獣人のほとんどははっきりとした笑顔になれないというけれど、知っていれば笑顔になるような気持ちなのだと理解できる。
「面白くなりそうな予感がするな、フェリシア」
「……そうですか?」
「ああ、そうだよ。じゃあ夜も遅いから俺は警備に戻るわ。だからお前は
彼はどうやらこの屋敷の、ひいては私の部屋の警備をしていてくれたようだ。この部屋にある唯一の窓は天井だから、屋根の上から侵入する者がないか見張る役か何かだったのだろう。そこでふと、一人不安げに自分の体を抱く私が目に入り、声を掛けに来たのかもしれない。
私という人間がどのような性根なのか見てみたかったというのもあるだろうけれど――彼のおかげで不安が和らいだ。シンシャもまた、優しい人なのだと思う。
「ありがとうございます。……おやすみなさい」
「ん。……あ、そうだ。俺のことはシンシャって呼べよ、じゃあな」
そう言い残し、気まぐれな白猫は去っていく。私は暫くシンシャの出ていった扉を見つめていた。……彼は私を確かめに来たはずだ。
(……合格、なのかしら?)
呼び名を教えてくれたということはおそらく、それなりに認められたということなのだろう。なんだか少し心の内が温かい。
今ならよく眠れそうだと、直ぐに柔らかなベッドに潜り込んだ。
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