第5話



「よろしくお願いします。ゴルドークです。ルドーと呼んでください」



 勢いよく尻尾を振りながら名乗られた。自己紹介から愛称で呼んでほしいと言われたことに驚きつつ、表情から受ける印象よりもずっと好意的なのだと理解して嬉しくなる。勢いのいい尻尾は彼の興奮を表しているのだろう。



「フェリシアと申します。フェリシアと呼んでください。よろしくお願いしますね、ルドーさん」


「ルドーでいいです」



 ミランナに続き彼からも愛称に敬称を付けないようにと言われたので、呼んでほしいと言われた名の通り呼ぶのが彼らの文化なのかもしれない。

 今後は気を付けようと思うが、アルノシュトの場合「アルノー様」で定着してしまったので、今更呼び名を変えるのは難しい気がする。折を見て尋ねるべきだろうか。



「ところでフェリシア。……これは?」



 挨拶の癖で私が差し出した右手にゴルドークがそっと自分の手を合わせてくれていた。しかしその後首を傾げて不思議そうに尋ねてくる。意味が分からないけどとりあえず真似をしてくれたようだ。



「これはマグノ式の挨拶ですよ」


「そうですか。覚えました」



 私が軽く手を握ると彼もそっと優しく握り返してくれた。表情は相変わらず引き締まって不機嫌そうにも見えるけれど、素直で実直な性格に見える。少なくとも私に対して好意的であるのは勘違いではないだろう。



「……ミランナが来るまでは俺もここにいる」


「ありがとうございます、アルノー様」



 厨房の隅に移動して壁に寄り掛かるアルノシュトはおそらく、私を護衛してくれているのだろう。彼とミランナは私が魔力を封じられていることを知っていて、だからこそあまり傍を離れないようにしてくれているのだ。



「早速始めましょう」



 耳と尻尾に袋のような布を被せてからゴルドークが厨房の調理器具について教えてくれる。この格好が料理人の正装なのだろう。彼が一つ一つ見せてくれたのはどれも魔法で動くことのない、自然の摂理に従った道具たち。包丁一つでも私には重たく、すぐに疲れそうだった。

 この中で私が扱えるのは小さな果物ナイフくらいである。小さいと言ってもマグノの通常の包丁と殆ど変わらないサイズだが、しかしこれ一つあれば今回私がやりたいと思ったことはできるはずだ。



「フェリシアは食材を装飾品のように切ることができると聞いて興奮して寝付けませんでした」


「ふふ。……けれど、私も魔法を使わないで作るのは初めてですから、期待に沿えるかどうかわかりません。練習させてくださいませ」



 彼が初対面であるはずなのに好意的だったのは飾り切りという調理法に強い興味があったからのようだ。まずは簡単にリンゴを使ってウサギやペンギンを作り、次は難易度をあげて白鳥を切り出してみる。どこに切り込みをいれるかはわかっていても、実際に己の手でやってみるというのは難しい。魔法であればどこをどのように切るのか指定すればあとは道具が綺麗に命令をこなしてくれるのだけれど、そのサポートがなければ私は包丁をほとんど扱ったことのない素人同然なのだ。

 出来上がった作品たちは形にはなっているけれど拙い。魔法で正確に作ったものとは段違いで、やはりこれは数をこなして慣れるしかないだろう。



「やはり難しいですね。やり方は理解しているのですけれど、実践となると……」


「いえ。でもこれは、みな喜ぶと思います。特にこちら、鳥族は喜ぶでしょう。ところで犬はないんですか?」



 ゴルドークはやはり硬い表情だったが尻尾がぶんぶんと揺れていて興奮している様子が伝わってきた。表情と体の表現の差異がなんだか可愛らしいので不出来な自分に下がり気味だった気分がすぐに持ち上がる。



「ごめんなさい、犬の飾り切りは……もう、彫刻の域ですもの。技術ではなく芸術になりますから、私は作り方を知りません」


「そうですか」



 あからさまに尻尾が元気をなくした。声の調子は変わらないけど力がないように見える彼の話によると、獣人たちは自分たちの祖となる種族を大事に思っており、その動物のモチーフを好む者が多いという。本当に単純で簡単な構造のウサギでも兎族は喜び、ペンギンや白鳥の飾り切りは鳥族とその中でもペンギンに近い者、白鳥に近い者が特に喜ぶだろうと教えてくれた。



「……宴には鳥族も声を掛けられそうな種族があるから、呼んでみよう」


「それはいいですね、きっと喜びます」



 宴の参加者はまだ正確に決まっている訳ではなく、選別中らしい。反発の少ない者から少しずつ、私という“魔法使い”に慣れてもらう。いつか、大勢の獣人と魔法使いが交流できる宴が開けるようになればいい。そう思っているのはきっと私だけではなく、アルノシュトも同じなのだ。

 ゴルドークには他の動物は作れないのかと尋ねられたが飾り切りはほとんどが植物の形を模しているので首を振った。あとは練習してできそうな花をいくつかの野菜で作ってみたが、出来はどれも似たようなものである。



「練習あるのみ、ですね」


「充分すごいと思いますけどね。じゃあこの、今日の練習の成果は僕が使わせてもらうので」



 真面目に引き締まった顔で皿の上の飾り切りの成果を引き寄せたゴルドークの尻尾はやはり風を切りながら振られていた。随分と気に入ってくれたらしい。……微笑ましくて仕方がない。

 材料を切り出しすぎても料理で消費しきれず無駄にしてしまうので今日の練習はこれで切り上げることとなった。昼食にはさっそく飾り切りのリンゴがデザートとして出てきたが、ちょうどそのデザートを食べる頃にやってきたミランナが目を輝かせてはしゃいでくれたので、彼女にも席についてもらって私の分のデザートを分けることにした。



「これいいなぁ、なんだか普通に食べるよりおいしい気がする。可愛くてお腹が空いちゃう。フェリシアが花嫁に来てくれた家ではこんなに楽しいことがいっぱいあるんだね」



 嬉しそうにリンゴを平らげた彼女はそんなことを言いながら、まだ白鳥の姿がまるごと残っているアルノシュトの皿を見つめた。彼はこのリンゴは口に運ぼうとせず、周りにある小さくカットされた他の果物だけを食べていた。



「アルノシュトは食べないの?」


「崩してしまうのが惜しくてな」


「でもリンゴだから食べないともったいないよ」


「……それもそうだな」



 ミランナの言葉でようやく白鳥の羽にフォークを刺したアルノシュトの耳がしゅんと下がったのが見える。そんなに残念がらなくてもいいのにと思いつつ、そんな姿はどこか幼く見えて愛らしい。……たしか彼は私より五歳年上の二十三歳で立派な成人男性であるはずなのだけれど。



「フェリシアが兄さんのところに花嫁に来てくれてもよかったのになぁ」



 アルノシュトが口の大きさに見合わず小動物のようにリンゴをかじっている中、ミランナがそんな言葉を漏らした。

 彼女には兄がいるらしい。私が会う人間はアルノシュトが選んでいるのでまだ会ったことがない。



「お兄さんがいるのね」


「うん。アルノシュトと仲いいから、そのうち会うんじゃないかな」



 そう言われてアルノシュトの方に目を向けると彼はリンゴを齧っている姿のまま動かなくなっていた。私に見られていることに気づいたのか、齧っている途中だった白鳥の薄い羽をパクリと口の中に入れて飲み込む。



「あれも気まぐれだからな。気が向いたら会いに来るだろう」


「兄さんは自由人だからね」



 その時ミランナに向けられたワインレッドの瞳が「人のことは言えないだろう」と語っている気がした。猫族というのはこのように縛られる物の少ない性格が多いとは聞いていたから、彼女によく似た兄なのだろう。小さく笑っていると真横と正面から視線を感じて、少し落ち着かなくなる。



「やっぱりいいなぁ……フェリシア、いまからでも兄さんの花嫁になってもいいんじゃない?」


「狼族は離婚しないから無理だ」


「あ、そっか」


「……獣人は種族ごとに結婚制度の違いがあるのですか?」



 ヴァダッドでは夫婦の形が決まっている訳ではないらしい。種族によって一夫一妻や一夫多妻、パートナーを数年で変えるなど色々あるがその中でも狼族は一夫一妻であり、生涯パートナーを変えることがなく、たとえ伴侶を失ってしまっても再婚しない。それが狼族としての掟であるという。


(……それは……私で本当に、良かったのかしら)


 そんな狼族だから決して別れさせぬようにとこの政略結婚に選ばれたのかもしれないが、アルノシュトの心境はどのようなものだったのだろう。……真っ先に「愛せない」と言われたくらいだからあまり良いものではなかったのではないか。

 私たちの関係は悪くない。夫婦らしくはなくても仲間意識というか、友人のような、同僚のような親しみならお互いに抱けるだろう。けれどそれはやはり夫婦ではないのだ。

 獣人に離婚・再婚や重婚といったものが許される種族がいるなら、私はそちらの花嫁となった方が――花婿の幸福の妨げにはならなかっただろうに。


(けれどアルノー様も私もそれを選べる立場ではなかった。……ならせめて、この結婚が苦いものにならないようにしましょう。いつか人生を振り返った時、「悪くなかった」と思えるように)


 時間のかかる大仕事を任されているのだ。私とアルノシュトがきっかけでマグノとヴァダットに住む人々が今よりもお互いを知り、親しくなれれば――きっと、私たちの結婚の意味はあったのだと思えるはずだ。

 そうなるように、私はもっとたくさんの獣人と関わって、マグノの魔法使いに興味を持ってもらいたい。そのためには宴を成功させるのが大きな一歩となるだろう。

 ゴルドークやミランナの反応を見ていればその第一目標を達成する目処は立ったように思う。とにかく私は努力するしかない。



 そんな決意から数日後。私はミランナによく似た猫の獣人に出会った。

 私の一日の中で一人で過ごす時間というのは少ない。朝目が覚めて支度を終えた頃になるとアルノシュトがやってきて、午後に彼が兵士たちを鍛えに行くと出かける頃にはミランナがやってくる。そして彼女はアルノシュトの帰宅まで傍にいてくれて、そのあとは就寝時間までアルノシュトと過ごす。

 だから朝目覚めた時と就寝前の少ない時間が私の“一人きり”の時間だった。この部屋は屋敷の中心部なので天井窓しかない。部屋の明かりを消してしまえば、空から月明りが入ってくるだけとなり薄暗い。


(私には暗くて見えづらいのだけど……獣人は目がいいから、これで充分なのね)


 獣人の身体能力の高さと五感の鋭さは悉く魔法使いを上回っている。そして魔法に頼って暮らしている私たちは身体能力が退化してきた。この二種族の体の能力差は圧倒的であり、歴然である。

 暗く静かな夜に部屋で一人になるとなんだか心もとないような、漠然とした不安が湧き上がりそうになってぎゅっと自らを抱きしめた。早く寝てしまうべきなのだろうが、天井の窓からのぞく満月が青く輝いているのを見ていたら眠気が飛んでしまったのだ。

 そしてふと。私が見上げる窓に人影が写りこむ。月光を背にして顔が見えないが獣の耳がある獣人だ。その人物はひらひらと手を振ったあと部屋の中を指さした。その先に視線を送ればこの部屋の扉があり、もう一度窓に目を戻すとその影はいなくなっていた。


(……部屋の……外?)


 人影が何を伝えたかったのか。しばらく迷ったが気になって眠れそうにないと扉に向かう。アルノシュトの言葉を信じるならこの屋敷は安全で、彼もすぐ隣の部屋に居る。扉を外を確認するくらいなら大丈夫だろう。

 そうっと扉を押し開いて外の様子を確認してみると人が立っていた。私と目が合うとひらひらと手を振って見せる。……先ほど、天井窓の外にいた人物に違いない。



「よう花嫁さん、初めまして。俺はシンシャ。妹がいつも世話してるって言えば分かるか?」



 白毛に黒い縞模様の猫。鮮やかな緑色の瞳がミランナとよく似ている。彼がアルノシュトと仲のいい、ミランナの兄だということはすぐに分かった。



「初めまして、私はフェリシアです。フェリシアと呼んでください」


「そっか。よろしく」



 これで私が出会った獣人は四人目。そしてシンシャは――呼び名を教えてくれない、獣人だった。


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