第4話



「もう帰ってきちゃった。じゃあまた明日ね、フェリシア」


「ええ、また明日ねミーナ」



 アルノシュトが帰宅したらミランナは交代で帰ることになっている。彼女が部屋から出ていくのを見送った後、アルノシュトが無表情ながらもどこか元気がなさそうに見えて首を傾げた。

 自分でもなぜそう思ったのかと考えて、彼の尻尾と耳が垂れ下がっているからだと気づく。ミランナと数時間過ごしたせいか、なんとなく尻尾や耳の動きによる気分というものが分かってきたような気がした。



「おかえりなさい、アルノー様。……お疲れですか?」


「……いや。それより、花嫁殿はもう食事を摂ったのか?」


「いいえ。アルノー様がお帰りになってからご一緒しようかと思っていましたから」


「なら、直ぐ食事にしよう。持ってくる」



 彼の耳がすっと持ち上がったので、もしかすると空腹で力が出ないような状態だったのかもしれない。

 暫く部屋で待っているとアルノシュトが食事を運んできてくれた。二人掛けのテーブルにヴァダッドの料理が並べられる。こちらの国では肉や魚が中心のメニューが多く、味付けもシンプルなものが多い。素材の味を生かすような調理がなされている、というべきだろうか。マグノでは複雑な手順を踏む料理が高級とされているので、こちらの料理は新鮮だった。



「随分と……仲が良くなったようだな」


「ええ、ミーナはとても気さくで親しみやすい方でしたから。それに、とても人懐っこい性格といいますか……」



 アルノシュトが帰宅を知らせるために私の部屋を訪ねた時もミランナは抱き着いたまま離れず、別れを惜しんで頬ずりまでしていた。マグノにはここまでスキンシップが好きな大人などいないがこちらではそういう文化なのだろう。私も嫌ではなかったのでそれも普通なのだと受け入れることにしたのだ。



「人懐こい……そうか。まあ、予想以上だったが、いい関係を築けそうだな」


「ええ。彼女を紹介してくださってありがとうございます。とても助けられました」



 午後から共に過ごしたミランナによれば私は獣人の幼子程に力がないので世話を焼く甲斐があるらしい。椅子一つですらかなり重いので位置をずらすのも彼女に手伝ってもらったし、風呂に入るために湯を運ぶのも手を借りた。初日はアルノシュトにやってもらったのだがこればかりは毎日誰かに助けてもらわないといけないようだ。



「それから呼び名のことを聞いたのですけれど……申し訳ありません。自国にない文化とはいえ、呼び名を聞く前からアルノー様の名を呼んでしまって、失礼だったのではないかと」


「ああ……いや、気にしていない。文化の違いかとは思っていたからな」


「よかった……ありがとうございます。それでは、私のことはフェリシアと呼んでくださいませ」



 彼が私を「花嫁殿」と呼ぶのは私が呼び名を伝えないせいだ。彼はヴァダッドで生きてきた人なのだから、マグノとは文化が違うのではないかと思っていても名乗られていないのに名前を呼ぶのは抵抗があるのだろう。



「分かった、フェリシア。……もっと早く尋ねるべきだったな」


「いえ……そうですね。何でも疑問に思うことがあれば、尋ねるべきなのでしょう。お互いに」



 隣り合っているのに様々な違いがある。折角同じ言葉を話せるのだから、私たちは会話で理解しあえるはずだ。種族は違っても同じ“人間”なのだ。絶対に分かり合えないということはない。

 分かり合うためにはまず相手を知るところから。今日だけでもマグノに報告したい発見は沢山あったし、私自身もっとヴァダッドやアルノシュトのことを知りたいと思う。



「俺はあまり話すのが得意じゃないんだがな」


「けれど私は貴方ともっとお話ししてみたいと思っています」


「…………それは……俺もそう、思っている」



 その答えは意外だった。嫌われてはいないはずだと思っていたけれど、もしかするともっと好意的に見てくれているのかもしれない。

 なんだか嬉しくなってきて自然と笑顔になってしまう。するとアルノシュトがじっと私の顔を見つめるので、首を傾げた。……彼は私が笑っている時、よくこうして観察するように見ている気がする。



「どうしました?」


「フェリシアのその表情が好ましいから、見てしまう」



 全くの予想外の答えに面食らう。なんだか顔に熱が集まってきた。好きな人柄だと、仲良くなりたいと思っている相手に「好きだから見てしまう」と言われて何も思わないでいられるはずもない。

 しかし、私は彼から「愛せない」と断言されているのだ。これはそういう好意ではないはずだから落ち着かなければ。



「魔法使いは皆そうやって笑うのか?」


「え? ……どういう意味でしょうか?」


「俺たち獣人はそういうはっきりとした笑顔になれない者が多い。魔法使いたちが皆そうやって笑う顔になれるなら、獣人にとっては好ましい表情だ」



 その話には驚いた。獣人は笑顔になれない種族らしい。ミランナはずっと楽しそうに笑っていたような気がしたが、それは口元の形によるもので笑顔になれている訳ではないようだ。

 だから獣人はその尾や耳で喜びや楽しさを見て取るものなのだという。そう言われてアルノシュトの尻尾に目を向けた。椅子の広い座面の上でぱたん、ぱたんと時折動いている。



「アルノー様は……今、楽しいですか?」


「そうだな。……フェリシアが笑っているのを見ている時は悪くない気分だ」



 それならよかった。私はこれからも思う通りに笑っていられるし、それはアルノシュトとの関係も良好にしてくれるだろう。

 私はきっとアルノシュトと親しくなれるし、他の獣人たちともきっとそうだ。ならば、魔法使いと獣人もそうであるはず。


(自分の役目に、自信が持てそう。……頑張らなくちゃ)


 その意気込みをその夜、早速報告書という形にした。私が知ったヴァダットとマグノの文化の違い、獣人の性質――それらをまとめて書き記したものをアルノシュトに間違いがないか確認してもらう。



「こうしてまとめられると分かりやすいな。それに……字が整っていて読みやすい。魔法使いは皆、綺麗な字を書けるのか?」



 獣人は手の形が種族ごとに違うので器用さにバラつきはあるものの、おおよそ整った文字を書き難いという。

 マグノの貴族なら誰でも美しい文字を書けるように教育を受けているが、平民はそうでもないはずだ。昔、私は平民と手紙のやり取りをしたことがある。相手は兵士の訓練を受けていたから大人だったはずだが、文字は子供のように稚拙だったのだ。……その頃の私は人のことを言えるような文字ではなかったが。おかげで辺境伯の娘だと相手に知られることはなかったけれど。



「貴族なら美しい文字を書けるよう教育されます。私もそのおかげで綺麗な字が書けるようになりましたけど、昔は酷い癖字だったのですよ」


「そうなのか。貴女の手は器用そうな形をしているのでなんでも最初から出来るのかと……」


「ふふ。私はそのような天才ではありませんよ。すべて練習の成果ですね」



 趣味である刺繍だって昔は下手な方だった。けれど楽しくて何度も何度も繰り返すうちに上達したのだ。今では描ける絵も模様もたくさんあるけれど、昔は簡単な花しか刺繍できなかった。学校へ入学することになって実家を離れた時、大事な人たちにスズランを刺繍したハンカチを贈ったけれど、今思えば拙い出来だったと思う。……魔力だけは昔から多かったのでそちらの質は申し分ないはずだが。


 今なら大事な人に、美しい刺繍で贈り物ができる。本来なら魔力を込めて針を刺すべきなのだけれど、今はそれができないのが残念だ。

 アルノシュトへ送るハンカチの刺繍は作っている途中だが首枷を外してもらえる日が来たら改めて、しっかりと魔力を込めた刺繍をしたいと思っている。



「……まだ先の話だが、この屋敷で宴を開く予定がある」


「宴というと……社交パーティーですか?」


「そちらの国の形式と同じか分からないが……マグノとの交流に好意的な者を集めて、貴女を紹介する場にしたい」



 マグノでの社交パーティーは広い庭に立食形式で食事を用意して、主催側が魔法を使った様々な趣向を凝らすものだ。会場を魔力で覆って花畑を再現したり、幻想的な明かりを灯したり、美的センスと使える魔力量によって評価が大きく変わる。

 ヴァダッドの宴というのは大きな焚火を起こし、それを囲いながら料理と酒と交流を楽しむものらしい。食事はそれぞれ参加する家が自慢の物を持参してくるので、主催側が用意する料理も一品でいいという。



「……大抵の家はその家の女主人が料理を作るのが慣例だな」


「なるほど。……練習が必要ですね」



 料理は基本的に料理人の仕事だ。私の場合は厨房に出入りしては有り余る魔力を使って豪華な間食を作るのが好きだったので料理が出来ない訳でもない。しかしここでは魔力が使えないため、魔力を使わない調理器具の扱いを学ぶところから始めなくてはならないし、料理を出すというなら練習は必須である。

 


「フェリシアには無理だ」


「……何故ですか?」



 マグノの料理は口に合わないということか、それとも私が信用されていないから料理を出させたくないということか。どちらにせよ少し悲しいと思いながら尋ねると彼はゆったりと首を振りながら答えた。



「調理器具が、貴女には重たすぎる」


「……それは……問題ですね」



 そういえば獣人は皆力が強いのだ。こちらの基準で作られた道具は皆、私が簡単に扱うには重たすぎるのであろう。鍋一つですら運ぶのに苦労するに違いない。獣人の手でも扱いやすいようにするなら調理器具はすべてが大ぶりで、彼らの大きな手に合うようになっている。それなら私は包丁一つですらまともに扱うのは難しいということになる。



「そうなると私が出来るのは料理の盛り付けや……食材を飾り切りするくらいでしょうか」



 小刀を用意してもらえれば料理を彩る食材の切り出しくらいは出来るのではないか。普段は魔法で形を作るのだが、刃をどう入れるのかは知っている。知識がなければ魔法は形にならないから。

 自分の手でそれをやったことはないけれど、それを練習すればどうにか携われるだろう。という提案だったのだがアルノシュトは少し目を丸くしながら私を見ている。



「飾り切りとはなんだ」


「野菜などを花などの形に見えるように切ることです」


「……そんなことができるのか?」



 ヴァダッドには料理を飾り立てる文化はない。何故なら彼らのほとんどは不器用であり、器用な獣人は料理人ではなく刺繍職人になるからだという。

 ならば私が魔法を使わず飾り切りを出来るようになり、それをヴァダッドの料理で生かして貰えるなら――これは、二国の文化交流の一端になるだろう。



「料理人の方に調理のほとんどをお任せすることになりますけれど……私がいなければ出来上がらない料理であれば、意味があるのではないでしょうか」


「ああ、そうだな。……料理人にも話を通しておく。承諾を得られたら紹介しよう」


「ええ、ありがとうございます」



 そうして翌日には使いたい材料について尋ねられ、翌々日には料理人に会わせるからと厨房へ案内された。バルトシーク家の料理人として紹介されたのはまだ幼さの残る顔立ちの青年だ。鋭く光る青い目を大きく見開きながら睨むように私をみている。しかし口元を固く引き結んだ彼の真っ白な尾は、風を切る音がするほどに大きく振られていた。


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