第15話
獣人たちが空を自由に跳んで、踊っている。さすがに十数人へ魔法をかけるのは疲れを感じたが、楽しげな彼らを見ていれば吹き飛ぶ程度のものだ。
ただ少し休憩してからでないと私自身は踊れそうになかった。賑やかな場所から離れて休もうとしたのだけれど、あまり火の明かりがない場所にいても視線が刺さる。私に好意的な者は今空を跳んでいるので、そうでない獣人たちの視線だろう。しかし、なんだか――妙な視線だ。
「……大丈夫か?」
「ええ。休めばすぐに回復いたします」
「何か食べるものを取ってきたいが……貴女を一人にするのはな……」
幼子でもあるまいし、一人にされても問題ないのにアルノシュトは私の傍を離れたがらなかった。相変わらず過保護だと思って苦笑していると、彼がぱっと顔を上げた。そしてその顔はみるみる不機嫌になり、小さなうなり声が聞こえてくる。
「私がついていましょうか。それとも、こちらの料理を召し上がりますか?」
「まあ、ラナ。おひさしぶりですね」
「ええ。お久しぶりですね、フェリシア。それからアルノシュト」
声をかけてきたのは梟の獣人であるウラナンジュ。彼に会うのはバルトシークの宴以来だ。アルノシュトはどうも彼に警戒心を掻き立てられるようで、不機嫌の上うなり声がやまない。
「こちらの肉料理など大変深い味わいで美味でしたよ。いかがですか?」
「他人の番に求愛するなと、以前も言ったはずだが?」
「おや、それは失敬しました。では君がフェリシアに食べさせてあげればよいでしょう。私はただ、疲れた顔をしているように見えたから心配しただけですよ。……ねぇ?」
こてりと梟らしく首を傾げる。その動きはなんだかユーモラスで、少し可笑しい。前回は威圧的に感じたけれど、今日の彼に私に対する敵意はないせいか可愛らしく見えた。
すると途端に隣のアルノシュトのうなり声が大きくなって少し驚く。……今日のウラナンジュは攻撃的ではないのに、なぜだろうか。ウラナンジュも少し驚いたのか目を丸くしている。
「君の変わり様には驚きますね……まあ、君に興味はないからどうでもいいのですが。私はフェリシアと話しがしたいのですよ」
「ふざけるな、帰れ……!」
「やれやれ……これではダンスを申し込むこともできません。いまにも噛みつきそうな番犬がいますから」
私は二人やりとりをハラハラして見守った。アルノシュトは声まで荒げて本当に今にも嚙みつきそうなのである。対してウラナンジュはあまり気にしておらず、からかっているようにすら見えた。
「そういえば明日は満月ですね、フェリシア」
「? ええ……」
「ではまた。お会いできるのを楽しみにしておりますよ。アルノシュトはちゃんとフェリシアに食事をさせてくださいね。細くて心配になりますから」
「うるさい、お前に言われる筋合いはない」
私に向かって一礼してみせたウラナンジュが去っていくと、毛を逆立てていたアルノシュトもだんだんと落ち着いてくる。そしてどこか不安げに耳を低くしながら私を見下ろした。
「……怖くなかったか?」
「え? いえ……今日のラナは、特には」
「いや、あいつではなく……俺が、だ」
たしかにアルノシュトは怒っていたがそれが私に向けられた訳でもない。過保護すぎる彼が私を守ろうとした行動であるのだろうし、怖いとは微塵も思っていなかったので驚いた。
「二人の喧嘩に発展しそうな空気は心配していましたけれど、アルノー様を怖いと思っていた訳ではありません」
「そう、か。……よかった。俺も自分がこんなに短気だとは知らなくてな」
ぱたぱたと勢いよく振られる尻尾が見えた。先程までの様相とまるきり違って、そんな彼を見ていると肩の力が抜けていく。
彼は最近よくこうして尻尾を振っている。私の香りがそうさせるのか、首枷を外したあの日から深く信頼されるようになったのか、もしくはそのどちらもなのだろう。
「貴女は俺の妻だ。……他の男に余計なちょっかいを掛けられたくない」
たとえどこか嫉妬しているような台詞を言われたとしても他意はない。彼は私を愛せないのだから、違うのだと。高鳴る鼓動も上がりそうになる体温も、同時に感じる胸の痛みも、すべて隠すように笑った。
「大丈夫ですよ、アルノー様。私は貴方の愛を求めませんが、他の方の愛も必要としていません」
「っ……そう、か」
私は彼の望む言葉を告げたはずだった。何故黒い耳と尻尾が垂れ下がってしまうのか、分からない。その場に漂う妙な空気は「ねえ花嫁さん!」という子供特有の高い声で壊された。
視線をむけると私の肩の高さほどの背丈の兎族の少年が、頬を染めて私を見上げている。
「花嫁さん、踊らないんですか?」
「少し休憩していたところなの。そろそろ踊ろうかしら?」
「それなら、俺と踊ってください! 俺、ルルージャです。ルルって呼んでください!」
「ええ、ルル。私はフェリシア。フェリシアって呼んでね。……行ってきてもよろしいでしょうか?」
ルルージャに手を取られながらアルノシュトを振り返った。彼はまだ微妙そうに半分しょげたような尻尾をしていたが、頷いて送りだしてくれた。
「ルルも空へ行きたい?」
「それはきっとフェリシアが疲れるから、地面の上で大丈夫です!」
「まあ……ありがとう。こちらの国の踊り方を知らないから、教えてくれるかしら?」
「もちろん!」
ルルージャは良い子だった。明るくて、兎族らしくぴょんぴょんと軽快に跳ねて踊る。そして私にも踊り方を教えてくれて、段々と回りに集まってきた兎族の子供たちと一緒に踊った。
子供とはいえ獣人の体力にはついていけない。私は早々に離脱して、ルルージャに心配されてしまった。
「大丈夫ですか?」
「ええ……やすめば、大丈夫よ。貴方は優しいのね。ありがとう、ルル」
笑いかけると彼は頬を染めて照れ臭そうに後ろで手を組んだ。こういう年頃の子は誉め言葉が嬉しかったりするものだ。とても微笑ましい。
「あの、フェリシア。俺が大きく」
「フェリシア、そろそろ何か食べた方がいい。倒れてしまうぞ」
ルルージャが何か言いかけたところで後ろから遮るようにアルノシュトの声が降ってきた。その手には小皿に盛られた料理がとりわけられていて、私が踊っている間に用意していてくれたのだろう。
「ありがとうございます、アルノー様。頂きますね。……ルル、何か言いかけたでしょう? 何かしら」
「ううん、なんでもないです。じゃあ俺、またみんなと踊ってきます」
脱兎のごとく駆けだしていく小さな背中を見送って、何か複雑そうな尻尾の動きを見せているアルノシュトと共に人の踊っていない広場の端へと移動した。
その尻尾を見ていると落ち込んでいるようにも見えて「どうかしましたか?」と尋ねてみる。
「いや……器が小さいな、と」
「アルノー様が持つと確かに小さなお皿に見えますけど、料理はたくさん乗っていますよ」
「…………そうだな」
それからアルノシュトが取り分けてくれた料理を食べて、空を跳ぶのに満足した獣人たちを地面に降ろし、また別の獣人を空へ上げ――そんなことをしていたら、あっという間に宴が終わった。
結構な魔力を使って疲れたけれど、たくさんの獣人に話しかけられて呼び名を教えてもらうことができた。マグノに対し含む者があるように感じる人は――少なくとも、私は気づかなかった。
「興奮して名乗り遅れましたがバゼランと申します。バゼランと呼んでください」
「よろしくお願いします、バゼラン。私はフェリシアです。フェリシアと呼んでください」
「フェリシア。今日は本当にありがとうございました。こんなに楽しい宴は、初めてでしたよ」
帰り際には主催であったバゼランと互いに名乗り合い、実に和やかな空気で宴はお開きになった。ルルージャはバゼランの息子であったようで、大きく手を振りながら帰路につく私たちを見送ってくれている。それに軽く手を振り返して、体は疲れているが心はぽかぽかと温かい気持ちになった。
「いい宴でしたね、アルノー様。けれど……しばらく魔法が使えそうになく……申し訳ありません」
本当は帰りも空を跳ぶ魔法で帰るつもりだったのだ。しかし今、私は魔法の使い過ぎで結構足元もおぼつかないような状態である。しっかり休んでからでないと魔法は使えなかった。
獣人であれば大した距離ではないバルトシークの屋敷までも、私のこの足では随分と時間がかかってしまうだろう。
「……顔色もあまりよくないし、貴女の香りも随分薄くなった」
魔法を使って体内の残存魔力が減ると香りも薄くなるらしい。それなら今は、アルノシュトも私といても普通でいられるだろう。いつも振られている尻尾もおとなしい。
「ふふ、今ならアルノー様も私の香りで苦しくなりませんね」
「……そういうことではない。フェリシアはもう歩くな」
「え……?」
突然視界の高さが変わった。抱き上げられていると気づくのに数秒要し、いつもよりずっと間近に見る整った顔と、自分を見下ろす赤い瞳に呼吸すら忘れてしまう。
「今日の貴女は動きすぎだ。屋敷までこうして帰る」
「し、しかし……」
「フェリシアは寝ていてもいい。……とにかく今は休め」
心配をかけてしまったのだと理解して、おとなしく彼の腕の中に納まった。自分より高い体温に包まれるのは落ち着かない。……いや、アルノシュトだからだろうか。
心も体も全く休まる気はしなかった。耳の中で鳴っている心臓の音が自分の物なのか彼の物なのかもわからない。私を抱えながらアルノシュトが走ったのでしがみつくことになってしまい、さらに頭の中が混乱する。何が何だか分からないうちに屋敷について地面に降ろされるまで、どれほどの時間が経ったのかも分からなかった。……ただ、心臓がうるさく騒ぎ続けていた上に呼吸も乱れていて、今にも倒れそうだ。
「あり、がとうございます……。今日は、もう……やすみます、ね」
「……ああ。…………フェリシア、おやすみ」
アルノシュトは突然私の腰を抱いて引き寄せ、抱きしめながらいつものように優しい頬ずりをしてきた。本当にもう限界で、そのあとのことは覚えていない。
気づいたら日が昇っていて、私はベッドの上だった。
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