第14話
手紙の主から贈り物を貰った。それは深い赤の宝石と金の糸で出来ていて、日にあたればキラキラと光って美しい髪結いの紐だった。どこにも魔力が含まれている感覚はない。そしてその見慣れないデザインはマグノの工芸品というより、ヴァダッドのものであるように見えた。
『店で一番綺麗なものを選んできた。あなたに似合えばよいのだが……お礼の品だ。受け取ってほしい』
手紙にも魔力が籠っていない理由などは書いていない。やはり手紙の彼は獣人なのではないか、と思う。そしておそらく、彼は私がマグノの魔法使いであることを知っている。
知っていた上で手紙をやりとりしてくれたなら彼はマグノに寛容な獣人だろう。初めて手紙を交わしたのは八年前だ。……いつ、気づいたのだろうか。私がマグノの魔法使いだと。
『とても綺麗なものをありがとう。大事に使わせてもらう。……私、あなたに会って直接伝えたいことがあるの。次の満月の日の日暮れ頃にここで待ってるから、もしよかったら来てください』
日暮れを指定したのは私が去った後に彼は来ているのではないか、と思ったからだ。もしかしたら早朝の可能性もあるが――昼間に活動的ではない、夜型の獣人なのではないかと考えている。昼でなければ来てくれるかもしれない。
次の満月は三週間後で、兎族の宴の翌日である。そのひと仕事を終えた後なら私も落ち着いた気持ちで彼に会えるだろう。……来てくれれば、の話だけれど。
帰る前にさっそく貰った結い紐で髪を結った。ミランナはそれを見てとても嬉しそうに尻尾を揺らしている。
「綺麗な結い紐だね。その人、赤毛かなぁ」
「え、どうして?」
「赤い宝石だから。好きな人には自分っぽいもの贈りたくなるでしょ?」
ミランナはすっかり手紙の主が私に恋をしていると思い込んでいるようだ。そんなことはないはずだけれど、私を大事に思ってくれているのは間違いないだろう。私もこの手紙の主を大事な友人だと思っている。
(私はアルノー様にまだ、気持ちがあるから……他の方のことは、あまり考えられない。ごめんね、ミーナ)
彼女は私が幸せになれるようにと考えてくれている。こちらもまた大事な友人だ。私は本当に人に恵まれている。ミランナにも心配を掛けないようにしたいのだけれど、気持ちの整理をつけるにはまだまだ時間が必要そうであった。
「んー……?」
「どうしたの?」
「うーん……気のせいかも。なんでもないよ」
帰路について大木から離れ、その太い幹がすっかり見えなくなった頃。ミランナが突然振り返って首を傾げた。私も彼女と同じように振り返ったが、獣人のように五感が優れている訳でもない。彼女が覚えた違和感と同じものを感じ取ることはできなかった。
その日の夜、アルノシュトは私の髪飾りを見ると目を細めて「綺麗だな。似合っている」と褒めてくれた。
「手紙の方からハンカチのお礼にと頂いたものです」
「そうか。……嬉しいか?」
「はい。とても」
「それはよかった」
柔らかい表情で頷くアルノシュトの姿に、どこか残念な気持ちになるのは――きっと、異性からの贈り物であるこの結い紐に対し、何も思っていないのが分かるからだ。ミランナの反応をみると想い人に贈ってもおかしくない品であるようだったのだが、やはりアルノシュトにとっての私は大事な家族であって、妻ではないのだと再確認させられてしまう。……期待してはいけないと何度も思っているのに、そう思ってしまう自分に困る。これが恋、というものだろうか。厄介な感情だ。
「……今日も手紙を出してきたのか?」
「はい。会ってみたいと思って、そのお願いを」
「何?」
驚いたようにピンと黒い耳が立つ。私は何かまずいことをしてしまったのかと不安になりながら「いけませんでしたか?」と尋ねた。
「いや……そんなことはない」
「よかったです。兎族の宴が終わってからの日程でお誘いしたので、きっちり仕事は終わらせてから行きます。ご安心ください」
「…………ああ……」
何やらアルノシュトの様子が変だった。落ち着きがないというか、戸惑っているような、不安そうな。最近の彼はやはり、何を考えているのか分からないことが多かった。私の言葉に、予想とは違う反応が返ってくるからだ。
「……その、手紙の相手に会いに行く時は教えてくれ」
「ええ、分かりました。……ところで兎族の宴に持って行くのは、果物の飾り切りにしようと思っているのですが、他に何か喜ばれることがないか、私が魔法を使って何かできることはないかと考えているのですけれど」
こんな時は仕事の話でもするべきだろうと次の宴の話題を持ち出した。今の私なら魔法が使えるので、やれることがかなり増えている。
「それはもし、主催側から頼まれることがあればすればいい。基本的に宴は主催が取り仕切るものだからな。招待者は頼まれごとがなければただ、宴を楽しむのが礼儀だ」
「そうなのですね」
「宴の趣向に沿って楽しめばいい。前回の我が家では話すことを楽しんでくれ、と言っただろう? だから皆、積極的に話そうとしていたはずだ」
主催の挨拶にはそのような意味があるらしい。兎族の宴に出向いたらその挨拶を聞いて宴の趣向を理解し、その通りに行動すればいいようだ。アルノシュトによれば兎族の宴は明るい趣向が多いというので、難しく考える必要はないと言われた。
「賢族三家の宴に行くと難問を吹っ掛けられることもあるが……」
「まあ……謎解き大会のようなものでしょうか」
賢族三家というのは特に知能が高く生まれやすい種族のうち、代表的な三家のことを言っている。猿族・烏族・海獣族の中にそれぞれ代表の家があるらしい。ちなみに身体能力の高い者が生まれやすい獅子・象・狼・熊・虎の種族にそれぞれ代表する五家を武族五家と呼び、バルトシークはそのうちのひとつである。
私が花嫁として入る家はこのうちのどれかで話し合って決められたと聞いたので、私はバルトシーク家に来られてよかったと、そう思った。
「兎族の宴は……楽しみ、ですね」
「ああ。……参加する以上、何があっても俺が貴女を守るので安心してくれ。貴女は俺の大事な妻だからな」
その言葉に胸が甘く疼きそうになって、咳払いで自分を誤魔化した。喜んではいけないのに喜んでしまう。
(これ以上、好きになりたくないのに……)
頭の中でミランナが「その気がないのに思わせぶりなことを言うのは酷いんだよ!」と言っていた声が蘇る。全く、酷い人だ。……けれど嫌いになんてなれやしない。
宴までの三週間は国境に行くことなく過ごした。返事は見に行かなくても当日になれば分かる、と思ったからだ。そちらに気持ちを取られることなく、次の宴へと意識を向けるためでもある。
持っていくフルーツの取り合わせや飾り方をゴルドークと相談したり、ミランナの腰帯に刺繍をしたり、アルノシュトに改めて魔力の籠った刺繍のハンカチを作ったりしていたらあっという間であった。
そして宴を前にした日暮れ前。金の糸の刺繍が施された宴衣装を身に纏い、手紙の彼からもらった結い紐で髪を結う。そして盛り付け用の皿と果物、そして小さなナイフとカット台を籠に詰めてしっかり固定し、屋敷を出た。
ちなみにこの籠はアルノシュトが持っている。重いものを私に持たせられないと言われたのだが、今は魔法があるのでいくらでも運びようがあるのだけれどその善意をむげにはできないとありがたくお願いした。
「緊張してしまいますね、やはり……」
「貴女なら大丈夫だ。それに、その場で作って見せるのは良い方法だと思う」
宴に持参する料理は完成品を持ち込んでもいいし、可能な品あればその場で仕上げても構わない。ならば果物は切って持っていくよりも、その場で飾り切りをしたほうが鮮度も高くなるだろう。という話になったのだ。
料理を目の前で作って見せるのはそういう趣向の店でもあるし、楽しませることができるものである。飾り切りを見るだけで楽しいらしい、というのはゴルドークやミランナの反応で知っているし、私ができることで楽しんでもらえるならその方がよい。
「では……跳んで行きましょうか」
「ああ。……よろしく頼む」
兎族のミョンラン家まで空を跳ぶ魔法で向かう、というのは事前の話し合いで決まっていた。アルノシュトが私と出かける機会があまりないためこの移動で魔法を体験したい、ついでに魔法の有用性を示すにもいい機会だという彼の提案だ。
「まず手を握ってください」
「……ああ」
そっと重ねられた手が驚くほど熱を持っていて、ついアルノシュトの顔を見上げた。やはり顔も赤くなっているし、熱でもあるのではないかと心配になる。……尻尾は元気な様子だが。初めての魔法に興奮しているだけだろうか。
「最初は私が支えるので安心してくださいね」
自分たちに魔法をかけて軽く地面を蹴った。ミランナと同じように、アルノシュトも二歩目には跳び方を覚えたようで私と並んで空を跳ねる。こうなったら自分の歩幅の方が楽だろうと手を放した。
手を放した瞬間、驚いたのかバッとこちらに顔が向いたが、安心させようと微笑む。
「アルノー様もやはり上手いです。私の補助はもういらないでしょう。……獣人はやっぱり、身体能力が優れています」
「そう、か。……だが、そうだな。これは楽しい」
「それはよかった」
私は軽くステップを踏むように一歩ずつ踏み出すだけだが、アルノシュトは何ができるのかいろいろ試している。しばらくするとあまり力のこもらない跳び方を理解したようで、私の歩幅に合わせて並んでくれるようになった。……本当に制御が上手い。
「これなら障害物もなくまっすぐ目的地に向かえるし、体も軽いのであまり疲れないな。かなり時間短縮になる」
「はい。昔はよくこれで国境まで出かけていました。まあ空に上がっては見つかってしまうので、森の中を跳んでいたのですけれど。それでも普通に行くよりはとても早く、そして遠くへ移動できます」
「……随分活発だったんだな」
「ふふ、はい。きっと家族は手を焼いていたと思います」
そんな話をしながらアルノシュトの示す方向へとまっすぐ向かった。バルトシーク家ほどではないが広い屋敷があり、そこの広場で薪が組まれているのが見える。再びアルノシュトの熱いと感じるほどの手を握って広場に降り立った。
「今のはなんでしょうか花嫁殿……!?」
「お久しぶりです。……今のは魔法ですよ」
挨拶も忘れるほど勢いよく掛けてきた、あの時の兎族の男性に笑いかける。彼は本当にマグノへの抵抗感がないのだろう。ちらほらと会場にいた他の獣人たちが驚いてこちらを見ている中、いの一番に駆けつけてきたのだから。
「今のがマグノの魔法……あれはとても、楽しそうですな!」
「良ければ後で体験されてください。今は……飾り切りができる用意をしてまいりましたので、この場で一品作らせていただければと」
「おお、なんとありがたい。是非見学させてください。……あ、アルノシュト。ようこそ、ミョンラン家へ」
「……いままで俺が視界に入っていなかったのか、バゼラン。まあ、構わないが……今日はよろしくな」
兎の彼の名前はバゼランというらしい。彼は「子供たちにも是非見せてやってください」とまだ膝の高さくらいしか背丈のない小さな子たちを連れてきた。ふっくらとした頬が可愛らしい子供たちにも、しっかりと兎の耳と尻尾がある。
そんな彼らに囲まれながら私は飾り切りを披露することになり、子供たちを含めその場にいた兎族の獣人たちに囲まれて――そうして、宴が始まる前から賑やかに、そして温かく迎えてもらえた。
それからしばらくして、宴の開始時刻となる。薪の前に立ったバゼランが高らかな声であいさつを始めた。
「今宵はミョンランの宴へお集まりいただき感謝いたします。自由に歌い奏で、踊って、宴を楽しんでください」
薪へと火が投げ込まれ、宴が始まった。すると途端に、音楽が奏でられる。兎族の何名かが打楽器を手にし、明るく心地よいリズムを作り出していた。
これはダンスパーティーのようなものなのだろう。それが今宵の趣向なのだ。
「花嫁殿、頼みがあります! 私を先ほどの魔法で、空へとあげてください!」
薪の前から一跳びするような勢いで私の元へやってきたバゼランは、耳をピンと立てて目を大きくし、どこかキラキラした表情でそう頼み込んできた。
断る理由もなく、また断れる気もしない。了承して彼を空へと導いたその後――私は次々と、あらゆる獣人に魔法をかけることになってしまった。
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