第13話



 国境の大木を訪れてから一週間後、私はミランナと共にまたそこを訪れた。刺繡入りのハンカチ自体はもっと早く出来上がっていたが、相手が手紙に気づいているかは分からなかったからだ。

 期待しつつもまだ早かったかなと思いつつ洞の中のバスケットを覗く。そこには新しい紙が一枚入っていて、開いてみればそれは私の手紙への返事だった。



『ずっと心配していた。あなたが無事で本当によかった。俺もまたあなたと話せれば嬉しい。六年間どうしていたか聞かせてくれ。……それにしても随分と字が綺麗になったんだな、驚いた』



 変わらない筆跡で、間違いなく手紙の友人だ。私はその場ですぐに返事を書く。遠い地で様々な勉強をしていたこと、そこで綺麗な字の書き方を習ったこと。貴族学院とはいえなかったが平民向けの学校だっていくつもあるのだ。不自然ではない。



『刺繍も上手くなったから、受け取って。たくさん心配させてごめんなさい。待っていてくれてありがとう。これが貴方への気持ちです』



 手紙と共にカモミールの刺繍のハンカチをバスケットに残して、もしかしたらその人が来ないかと少しだけその場で待った。六年前もそうしていたが出会ったことはない。やはり手紙の主は私が待っている間に訪れることはなかった。



「どんな人だろうねー」



 私の気持ちを代弁するようにミランナが言う。私は彼がとても優しい人であることは知っていても、顔も年齢もどこに住んでいるかも知らない。



「会ってみたいなんて思ってはいけないかしら……」


「そんなことはないよ、向こうだって会いたいって思ってるはず! 会いたいって手紙に書いてみたらどう?」



 ミランナは私が手紙をやりとりしているとどこか嬉しそうで、毎日「今日は国境に行かないの?」と尋ねてくるのだ。

 彼女は私と手紙の相手が恋仲になればよいと思っている節がある。猫族はどうやら多夫多妻の婚姻制度らしく、自由な恋愛観をもっているらしい。マグノでは一夫一妻なのだと言っても、私がアルノシュトに愛されていないなら恋人はできてもいいじゃないかと思っているようだった。……それはおそらく、私のためなのだ。


(ミーナは最近アルノー様を見るとちょっと……そっけないのよね)


 自由な恋愛観を持つ猫族としてあらゆる相手を好きになるのは構わないがその気がないのにまるで愛しているような素振りを見せるのはいけない、ということらしい。恋愛観も人それぞれ、種族それぞれでヴァダッドの文化は奥が深い。


 そんな彼女に急かされるような形で、ハンカチを贈った翌日にはまた国境へと連れ立って出かけた。散歩だと思えばいいので構わないけれど、さすがに返事が来るには早いだろうと思っいていたがバスケットの中には新しい手紙が入っていて驚く。昨日私が帰ってから彼はここに来たようだ。



『とても嬉しい贈り物だ、ありがとう。俺もあなたに何か返したいが、こういう時何を贈ればいいのか分からない。何かほしいものはあるか?』



 その返事に違和感を覚えた。魔力の籠った刺繍入りのハンカチへのお返しであれば、魔力の籠ったお守りや装飾品を贈るものだ。それは平民貴族問わずマグノの文化であるはずで。……それを、マグノの兵士が知らないはずはない。


(……この方はやはり、ヴァダッドの……? だとすれば何故、刺繍のハンカチについて何も言わないのかしら)


 しかしヴァダッドの獣人であるなら、愛の告白をされてもそれについて何の反応もしないというのは不思議だ。……もしかすると、相手は私がマグノの魔法使いであることに気づいていて、刺繍のハンカチの文化についても知っている、のだろうか。

 分からない。ただ贈り物について疎く、装飾品を贈りたくても妻以外の女性に贈っていいものか迷っているという可能性もある。



『お返しを頂けるなら、髪を結う紐だと嬉しい。それなら奥さんも嫌がらないでしょう』



 だから私はそのように返事をした。結い紐であれば魔力を込めやすい。もし相手が結い紐を贈ってくれて、それに魔力が籠っていなければ――手紙の彼は、獣人だと思っていい。

 手紙の彼は何者なのだろう。次の返答次第で、私は彼に会ってみたいと言ってみるつもりだ。……獣人であるなら私は、自分の正体を明かせると思う。マグノの貴族では平民と親しくできないが、ヴァダッドの獣人なら話が変わる。


 その日の夜、アルノシュトと食事を摂っていると「宴の予定がある」と切り出され、結婚して直ぐにも似たようなことがあったなと思い出した。



「宴を開くのですか?」


「いや、宴の招待状が届いた。兎族のミョンラン家からだな。……我が家の宴でも貴女を招待したいと言っていた兎族を覚えているか?」


「ああ、あの……ウサギの飾り切りを持ってきてほしいとおっしゃっていた方ですね?」



 いの一番に駆けつけてきた、兎の彼だ。その宴に持って行くなら彼の要望通りに兎の飾り切りが入った、フルーツ系の一品にしたいと思う。



「前回は様々な種族からマグノに反発の少ない者を俺が選んで呼んだ宴だ。しかしこれは、ミョンラン家が招待者を集めている。兎族の者が多いだろうな。……中には貴女に反発するものもいるのではないかと、思う」


「ふふ、それはやりがいがありますね。望むところです」



 親しい者達と親交を深めるのももちろん大事だが、そうでない人達に私を見てもらう機会があるなら私は行くべきだ。私という人間が嫌いならば仕方ない。種族ではなく、個を見て欲しい。

 そもそもヴァダッドは獣人という大きな括りはあれど、様々な価値観や生態を持った多様な種族がまとまって暮らしているという、実に多様性ある国である。それを考えればマグノの魔法使いという新しい種族とだって上手く関われるはずだ。

 ウラナンジュがすぐに私への態度を改めてくれたように。彼らはとても柔軟な思考を持っているのではないだろうか。……むしろ獣人たちが受け入れてくれたところで、魔法使いたちが変わらなければ意味がない。

 そのために魔法使いを受け入れてくれる獣人と、マグノの魔法使いを招く宴を企画する。それも新たな目標として胸に刻んだ。



「貴女のそういう前向きなところが好きだ」



 相も変わらずアルノシュトはこのようなことを言って、私の胸の妙なざわつきも一向に消えることはない。……少しだけ、胸が苦しい。



「本当は……危ないかもしれないと、招待を断らないかと提案するつもりだった」


「まあ……アルノー様。それでは私たちの仕事は前に進みません」


「ああ。けれどフェリシアが傷つくかもしれない。それに……誰かに求愛されるかもしれない。貴女はとても魅力的な人だからそれも心配だ」



 まるで愛されているかのように錯覚してしまう。ミランナが「アルノシュトは思わせぶりなことをする」と怒る気持ちも、分かる。

 しかし彼はもともと愛情深い人なのだろう。これは家族に向けた、親愛の情であってそれ以外はあり得ないと私は知っている。思わせぶりなことをしているつもりはないに違いない。……困った人だ。



「大丈夫ですよ、アルノー様。もし求愛されたとしても、お断りすればよいのでしょう? ヴァダッドでは断られた相手に求愛し続けることはないと聞きました」


「それはそうだが……」



 マグノでは告白を断られても熱烈に愛を語り続けてついに結ばれた――なんて話も持て囃されるのだけれど、ヴァダッドでは歓迎されないらしい。本能的に“無理だ”と判断されたのだから、それ以上求めても無駄なのだという考えだ。男でも女でも、断られたら諦めるしかないのである。

 だから告白するまではしっかり親交を深めるものであるという。時には互いに一目惚れという強烈な惹かれ方もするようだが、基本的には愛情表現を重ねて互いに好きになっていくのだと。最近恋の話にお熱なミランナが教えてくれた。



「……もし……手紙の相手が告白してきたら、どうするんだ?」


「それはないでしょう? あの方には妻がありますから」


「……もしもの話だ」



 そのような仮定の話に意味はないと思うのだけれど、アルノシュトが真剣に尋ねてくるので考えてみた。文通だけの、顔も名前も知らない友人。六年もの間、私の身を案じ続けてくれた人。争いを好まない優しい人。

 けれど私は彼のことを何も知らない。もしかしたら獣人かもしれない、と最近思うようになったくらいで、本当に何も知らないのだ。……そんな状態では何の答えも出せはしない。



「……分かりません」


「……そう、か」



 アルノシュトはなんとなく残念そうに耳を下げた。彼は、私にどう答えて欲しかったのだろう。やはりまだ――他に愛されたいと思う相手が出来れば恋人を作ればよいと、思っているのだろうか。そう考えるとちくりと胸の中が痛んだ。


(……不毛な恋などしたくなかったのに)


 政略結婚でも構わなかった。貴族の娘として、恋愛結婚など望むべきではないと理解していたから。けれどそのあとに、まさか夫に愛されることが絶対にありえない、なんてことは想像したこともなかった。しかもこれは感情の問題ではなく、アルノシュトの獣人としての本能なのだから私も彼にもどうしようもない。絶対に変わらないし、変えられない。


(私はアルノー様をお慕いしてしまった。……叶いもしないと知っているのに、人間の感情って自分ではどうしようもないのね)


 だから気づかないように、望まないように、必死に自分へと言い聞かせていたのにもう限界だ。これ以上自分を誤魔化しきれそうにない。……気づきたくなかった。

 私がアルノシュトに、家族とは違った愛情を持って惹かれていることに。でも気づかざるを得ない。彼が私への好意を示す度に喜んでしまい、決して愛されることはないと自分を窘める度にくる痛みを、いつまでも知らぬフリなどできるはずもない。


(はやく……はやく、この気持ちがなくなってほしい)


 そうすればきっと――今度こそ、本当に家族として愛せるのだ。この先私は何十年と彼と暮らす。いつかは私も彼と同じ親愛を持って普通に接することができるような、そんな日がきっとくる。ただ今は、この苦い痛みがはやく薄れるようにと祈るばかりである。


 

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