第17話




 ウラナンジュと二人で話すのは初めてだったが彼は意外にも冗談が好きで、話をするのが上手い。何度か笑っているうちに随分と気持ちが解れて、自然と様々な話ができた。おかげで随分と心の整理もついたので帰ってからアルノシュトとも落ち着いて話せそうだ。

 結構な時間話し込んでいたので辺りはもう真っ暗になっている。星や月が輝くようになり、空気も冷えて指先が冷たい。



「これ以上は君の体に負担を掛けてしまいますね。残念、もうこのような機会はないでしょう」


「そうなのですか? 以前は屋敷に会いに行く、とおっしゃっていませんでしたか?」


「ええ。けれど君はあの男が好きでしょう?」



 面と向かってそれをはっきり言われたのは初めてだ。ミランナも気付いていただろうが、口にはしなかった。胸がぐっと詰まったような心地になるのはきっと、私がいくらアルノシュトを好いても好かれることはないからである。



「だからね、フェリシア。私は君と適切な距離を保たなければなりません。本当に全く、忌々しい狼ですよ」


「よく、意味が分からないのですけれど……」


「伝わらなくて結構ですよ。明日にはおそらくすべてが変わっているでしょう。……だからこれが最後です」



 ウラナンジュの温かい手がそっと私の手を取る。またキスをされるのかと思ったら彼は私の手を自分の頬に当てた。おそらくこれも獣人たちの一種の頬擦りなのだろう。猫や狼とは違うが梟のそれなのだと、驚きはしたがすぐに理解できた。



「アルノシュトはうじうじと悩んで手紙のことを言い出せないだけでしょう。帰ったら、君から話をしてみればいい。そうすれば君の悩みもきっと……ああやっぱり忌々しいですね、あの狼男は」


「ラナ……本当にアルノー様が嫌いなのですね」


「嫌いというか、持っているくせに不幸ぶっているところが気に食わないだけですよ。横から掻っ攫ってやりたくなります」



 そう言いながら彼は私の手から名残惜しんでいるかのようにゆっくりと離れた。彼の体温のおかげか、冷えていた指先が少し温かくなっている。



「屋敷まで送ってさしあげたいところですが、待っている者が居る様子ですね。フェリシア、お気をつけてお帰り下さい」


「! ありがとうございます、ラナ。それではまた」


「ええ。……また、どこかでお会いしましょう」



 どうやらまだミランナは近くで待っていてくれるらしい。さすがにもう帰っていると思っていた。荷物を慌ててまとめ、ウラナンジュに別れを告げたら屋敷の方に小走りで向かいながら彼女の名を呼ぶ。するとすぐに慌てたように飛び出してきた。



「フェリシア! 何かあった!?」


「あ、いいえ。ミーナを待たせてしまっていると思って……」


「そっかぁ……危ない目に遭った訳じゃないならいいの。手紙の人はどうだった?」


「ふふ、それがね……」



 現れたのは別人で、手紙の相手はアルノシュトだと教えてくれた。そう話した途端ミランナの耳と尻尾がピンと立ち上がる。何かに気づいた、と言う様子だった。



「ふぅん……? そっかぁ、なるほど……」


「どうしたの?」


「フェリシアは早く帰った方がいいかも。きっとアルノシュト、気が気がじゃないからね」



 そういえば書置きには手紙の相手に会うと書いてきたのだ。思っていたよりも長く話し込んでしまったので、アルノシュトも帰宅する頃だろう。あの書置きを見たアルノシュトが「自分はここにいるのに」と戸惑うのは間違いない。確かに早く帰った方がいい。

 ただミランナはとても機嫌がよくなったようで、鼻歌交じりにスキップしていた。屋敷の前まで来ると元気よく「じゃあまた明日! ゆっくり来るから!」と珍しい言葉を言い残して帰っていく。


(ゆっくり……? 大体いつもは出来るだけ早く来る、と言うのに)


 そんな彼女を不思議に思いつつ一度厨房へと向かい、空になった水筒などをゴルドークに預けた。私の表情が分かりやすく明るかったようで「フェリシアが嬉しそうでよかったです」と片づけを引き受けてくれる。


(文通相手はアルノー様だったんだもの。……会いたいと思っていたけれど、傍に居たのね。アルノー様が妙な反応をしていたのもそのせい)


 私が手紙の相手について話す時、彼はよく分からない反応を見せることが多かった。それもこれも、自分だと言い出し辛かったのだと思えば納得だ。

 しかし私がこの事実に気づいた以上もう隠す必要はない。思い出話もできるだろうと機嫌よく自室に戻ると人がいたので驚いた。しかしよく見ればそれはアルノシュトでありその手にある小さな紙を見て、書置きを見ていたのだと分かってほっとする。



「書置きを見ていらしたところでしたか。ただいま戻りました」


「おかえり、フェリシア。……勝手に入ってすまない」


「いえ、構いません。私もそのつもりでここに書置きを残しましたから」



 アルノシュトの部屋には一度も入ったことがなく、そちらに持っていくのは憚られた。私の部屋に入って貰う分には構わないのでこのテーブルに置いていったのだ。

 さて、どう話を切り出すべきだろう。今目の前に、私の大事な文通相手がいる。そして彼は私が“そうだ”と知っていることをまだ知らないのだ。弾むような気持ちでアルノシュトの元まで歩く。

 部屋には明りが灯されていない。満月のおかげで普段よりは明るいが、それでも離れていては彼の顔が見えないのである。



「フェリシア、機嫌がよさそうだが……手紙の相手には、会えたのか?」



 約束の時間には会えなかったが、たった今目の前にいる。それがおかしくて口元が笑ってしまう。きっと私が知ったと伝えればアルノシュトは驚くのだろう。



「ふふ。それが、聞いてくださいませ。私が手紙の方を待っていたら、空からラナが降りてきまして」


「……ウラナンジュが?」



 やはり順序だててウラナンジュが現れたことから説明するべきだろう。はじめのうち彼は手紙の相手が自分であるかのような口ぶりで話していたが、私はそう思えなかった。そう伝えれば彼が本当の手紙の主を教えてくれたのだと。



「“自分がその手紙の相手だと言ったら驚くか”と言われて、私」


「違う……!」



 それは聞いたことのない声だった。悲痛な咆哮、とでも言い表せばよいだろうか。その声に驚いた次の瞬間、気づけば私は息が詰まるほど強い力で抱きしめられていた。背中に回った腕の力と、押し付けられた胸板から聞こえてくる激しい心音だけを感じる。ただ昨夜とは打って変わって、アルノシュトの体は随分と冷たく感じた。



「っ……アルノー、さま……?」


「俺だ、フェリシア。ウラナンジュじゃない……!」



 強い力なのに私を捕える腕は震えていて、まるで怯えているようだ。見上げたアルノシュトの顔は強張っていて、その大きな耳は弱弱しく垂れ下がっている。

 これは勘違いをさせてしまった。ちゃんと分かっていると、そう言いたくても上手く声が出せない。締め付ける力が、強すぎるのだ。



「貴女の手紙に何度も救われて、貴女に鈴蘭のハンカチを貰ったのは俺なんだ……っ! 俺には貴女だけしかいない。貴女だけが好きだ。だから、他の男には」



 身体強化の魔法を使ってどうにか彼の私を抱く力に抵抗した瞬間、何か聞き捨てならない台詞が聞こえた。しかし今はとにかく、この力を緩めてもらわなければ会話などできそうにない。



「っ……あるの、さま、くるしい、です……!」


「! すまない、大丈夫か……!?」 


「ッ……大丈夫、です」



 一気に力が弱まり、やっとまともに呼吸ができるようになった。突然入ってきた空気に体が驚いたようで咳き込んでしまう。苦しかったし痛かったけれど、そんなことはどうでもいい。


(今、私のことが好きだと……言った、のは……聞き間違いではない、はず)


 アルノシュトは過去に想い人がいて、その人は死んでしまったから私を愛せないのだと言った。それが狼族の特性だから、本能だからどうしようもないのだと。それが私を好きだとは一体全体どういうことか。


(アルノー様は秘密の場所で出会ったどなたかを……)


 彼が秘密の場所で出会った人物を思い出そうとして、その相手について、容姿や種族の情報が一切ないことに気づいた。獣人は種族ごとに性質があり、おおよその性格傾向があるようで、アルノシュトが性格や価値観を話す時は種族としての特徴もあげてくれる。出会ったとは言っても、実際に顔を合わせたのではなく――相手の姿を知らない、手紙という形で出会って繋がったということだったのか。


(彼が恋をしたのは……文通をしていた、私……ということ……?)


 そう考えると急にあらゆる物事が繋がりだした。アルノシュトが私の文通相手だと分かってもそれが彼の想い人とつながらなかったのは、アルノシュトが想い人の話をする時に手紙の話を一切しなかったからだ。


(手紙でしか知らない相手に恋をしたというのは……たしかに、言いづらいでしょうけれど……)


 狼族の習性を考えればかなり言い出しにくいだろう。会ったこともない相手を愛してしまって、相手がどこの誰かも分からないのに二度と他の誰も愛せないのだから。


(私が命を落としたと思い込んでいたのは……時期が、悪かったのね)


 彼が想い人を亡くしたと勘違いしたのは私がマグノ南部の貴族学院に行ったせいだ。その時のアルノシュトは手紙の相手を獣人だと思っていて、国境からは正反対に行くとぼかして伝えた私がヴァダッド北部へと赴いたのだと考えた。その時期にちょうど北部では魔獣による災害が起きてしまい、私は学院から出られない状況であったことがこの勘違いに拍車をかけた。


(いくら探してもにおいが残っていなかった、と……そのにおいは、私の刺繍にこもった魔力の香り……?)


 そして彼の様子がおかしくなったのはバルトシークの宴の後、私の魔力封じを解いてから。魔力には香りというものが存在し――私は、魔力を込めた刺繍のハンカチを、別れ際に文通相手へと贈っている。その香りで探していたのなら、魔力を封じられた私が目の前に居ても分からないのは致し方のないこと。


 彼が恋をしたのは私だった。ただ、それを理解した途端に体が火を噴くように熱い。……一旦冷静にならなければ。



「すまない。我を忘れてしまって……」


「いえ……ラナが言ったとおりでした」



 明日にはすべてが変わっている。私が屋敷に帰って、手紙の話をすれば変わるのだとウラナンジュは言った。彼は手紙を探しに来たアルノシュトの様子で察していたのだろう。そして私の気持ちも確認し、互いに打ち明ければ私たちの関係が変わると思った。……だから、距離を保つと宣言したのかもしれない。



「……どういうことだ?」


「私の文通相手はアルノー様だと。おそらく言い出せずに悩んでいるので、私から話してみればよい、と。……ラナは手紙を持って行って、私の文通相手を確認したかったようですよ」



 ウラナンジュの話をアルノシュトに伝えた。隠れていたらアルノシュトが来たので手紙を返す気がなくなってしまって、代わりに彼が私の指定した時間に現れた。私はウラナンジュと暫く話してから帰ってきたのだと。



「……あのいまいましい梟め……」



 その台詞がウラナンジュとそっくりで、おかしい。私はあの人を食ったような性格も嫌いにはなれないのだが、アルノシュトはそうもいかないらしい。……それは、きっと。ウラナンジュが私に見せていた態度が原因なのだろう。



「先ほどの言葉は、本当でしょうか?」


「ん、そうだ。俺が貴女と手紙のやり取りをしていた」


「いえ、そちらではなく。……私のことが好きだと」



 彼の尻尾がピンと立ち上がった。動揺していた様子だったが口にした自覚はあるのだろう。そして、その気持ちも本物なのだ。なんだか涙が零れそうな気分になってきた。

 私はずっと、彼の性質として愛されないのだと。不可能なのだと思っていたから自分の感情を殺そうとしていたのだ。



「私のことを……何度も、愛せないと……」



 ついに言葉に詰まって俯いた。感情が渦巻くと、声にもならなくなるらしい。もっと早く教えてくれれば。もっと早く、私が気づいていれば。悩むことも苦しむこともなかっただろう。



「それは……本当に、すまない。俺は貴女に鈴蘭の刺繍をもらった時から……ずっと貴女が好きだった。貴女を、探していた。貴女だと分かったのは首枷を外した時で……それまで俺は、貴女に愛せないと言い続けていて……」



 私が恋した相手だと知って、けれど自分が投げかけ続けた言葉に対し「私も愛さないので安心してほしい」という答えを出した私にどう真実を伝えればいいのか分からなくなった。申し訳なくて、今更「貴女を愛している」などと言えはしない。それに、私に拒絶されたらもう二度と愛したいと思ってもいけないからそれも怖かった、と言われた。


(獣人の告白は一度だけだとミーナが言っていたけれど……こういうことになるのね)


 文化の違い、価値観の違いによる認識のすれ違いだ。彼も私が友人へと贈ったハンカチを愛の告白だと受け取り、その相手を失ったと思って六年を過ごしてきたのだ。文通相手が獣人だったら勘違いさせたのでは、と私が考えていた時よりも状況が悪い。想像以上に傷つけてしまったことだろう。

 私が探し人だと気づいた彼も感情の整理をつける時間が必要だったのは、分かる。そうしているうちに文通も再開してどんどん言いづらくなっていただろうことも。しかし、それでも。



「もっと早くおっしゃってください。傷つきました」


「す、すまない……」


「私は貴方が愛せないとおっしゃったから、それを受け入れようと……貴方への気持ちをどうにか、捨ててしまおうとしていたのに……」



 けれど、捨てられるはずもなかった。そして、捨てられなくてよかった。

 目の前にある体を抱きしめる。アルノシュトを愛して彼の愛を求めれば今の関係すら崩れてしまうと思っていたから。今以上の幸せなど望めないならせめて、今あるものを失わないように自分の感情を捨てようとしていた。そうなっていればきっと、無理やり開けた心の穴からこの瞬間に手に入るはずだった幸福が零れ落ちていたのだろう。……だから、捨てられなくてよかった。



「私はアルノー様をお慕いしております。……そして私も、六年もの間貴方に辛い思いをさせてごめんなさい」



 これは私が謝りたかったことだ。すべては勘違いによるすれ違いから始まった。無知が罪だとするならどちらも悪くて、知らぬ過ちを赦すとするならどちらも悪くない。私たちはこれまでお互いを知らな過ぎただけ。

 このような行き違いを失くすために私はヴァダッドの、アルノシュトの花嫁となった。自らが体験して、身を持って知る。私たちはもっとお互いを理解するべきだ。



「あの時のハンカチは友人への贈り物でしたが……今度は、妻としての愛情を込めて贈らせてくださいませ」


「……ああ、もちろんだ。……フェリシア、好きだ。貴女を愛してる」

 

「はい。……私も愛しています」



 風を切る音を聞きながら、初めて重なった唇の熱が心地よくてくすぐったい。これから私たちは本当の夫婦になれるだろう。

 ――そう思ったがしかし。何故かその夜も別室で眠ることになった。



「同じ部屋で眠るのは危険だ。だから、また明日」



 そう言い残して彼は私の部屋を出ていった。……何故か相変わらず、アルノシュトの様子はおかしいままである。

 だがこのままで終わらせるつもりはない。すれ違いも勘違いも、もう充分だ。明日はしっかり、その訳を問いただそうと心に決めた。




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