第2話



 ヴァダッドの建築の特徴か、屋敷は一階建てで横に広い。マグノ国の建築物は縦に長くなりやすいのでそれも新鮮だ。広い庭は初夏の美しい緑に輝き、見たこともないような鮮やかな花が咲いていて美しい。屋敷の中も見慣れない模様の絨毯や装飾に興味が尽きない。

 そんな中、屋敷の中心部にある部屋へと案内され「ここが貴女の部屋だ」と言われた。一応服は数着こちらに送ったが、出来るだけヴァダッドに合わせて暮らすつもりなので生活に必要なものは全て揃えてもらえるようお願いしていたし、その通りにこの部屋はしっかり調えられている。薄い天幕の張られたベッドなどはとても柔らかそうで一目で気に入った。

 慣れるのには少し時間がかかるかもしれないが丁寧に作られた部屋だと分かって安心したのだ。……しっかり、花嫁として迎えてくれるつもりなのだと思ったから。


(愛せない、か……まあ、仕方ないけれど)


 愛を望んでいる訳ではなかった。これは政略結婚で、私たちは見た目も文化も違う異種族だ。ただ、それを面と向かって言われるとなかなか辛いものがある。親しくなる気はないと壁を張られたような気さえした。



「寝室も勿論別だ。俺の部屋は隣にあるから何かあれば呼べばいい。この屋敷に居る限り貴女の安全は保障する」


「安全、ですか?」


「この結婚を壊したがっている者もいるからな。花嫁殿はできるだけ屋敷を出ないでくれ」


「……ええ、承知しました」



 この部屋は屋敷の中心部にあるなと思っていたが警備の観点からこのようにしたらしい。自分の身が危険である可能性に不安がこみあげてきて、自然と首元の冷たい装飾に手が伸びた。



「それはなんだ? 見た時から気になっていたが、何か嫌な感じがする」



 私の首にあるこれは一見すればただの装飾品だが魔力封じの魔道具であり、人によっては呪具と呼ぶような代物だ。馬車の中でも彼はこれを気にしていた。効果を知らなくても何か力を感じ取れることに驚く。



「獣人の方は勘が鋭いのでしょうか? これは魔道具です」



 アルノシュトの耳がピンと立ち、縦長の瞳孔が絞られるように細くなった。その場に漂う緊張感に、少し呼吸が苦しくなる。私の一挙一動、指先の動きまで見逃さぬように見られていると感じた。

 これは警戒、いや敵意だろうか。アルノシュトは決して、魔法使いが好きなわけではないのだろう。



「……何の道具だ」


「私の魔力を封じるものです。私はこれを着けている間、魔法を一切使えません」



 それを聞いた途端、アルノシュトの耳の先は下を向き、固く結ばれていた口がほんの少し開いて犬歯が覗いた。たしか、彼は花嫁の条件に“強い女性”を挙げたのだと聞いている。マグノで一、二を争う魔力量を持つ私が最大の候補になったのはそれが理由だ。

 私が魔法を使えば一人であっても脅威となる。だからこそ、信用を得るための首枷が必要とされた。



「国王からのお達しだったのですけれど……ご存じありませんでしたか?」


「何も聞いてない。……それは、苦しくはないのか」


「身体的な苦痛はありません。まあ、両手が不自由になったような不便さはあるのですけれど」



 私たちは魔法と共に生活をしている。お湯を沸かすのも、明かりをつけるのも、重たい荷物を移動するのも、何もかもが魔法によるものだ。これを奪われるのは両腕を縛って生活しているようなものである。自分のできることが半分以上奪われた状態なのだから。



「ヴァダッドに魔道具はなく、魔力も魔法も必要ないから封じても生活には困らないだろう、とのことでした」


「確かにここで魔法を使うことはないかもしれないが……そこまでする必要は」


「しかし私は一人で一つの街を覆う結界を張れる魔力を持っています。攻撃魔法を使えば町一つを焼けるでしょう。……だから、この鍵を貴方に」



 懐から銀の鍵を取り出してアルノシュトへと差し出した。私の首枷は真後ろに鍵穴があり、そこにこの鍵を差し込めば外れる仕様だと聞いている。そしてこれは本来罪人にはめる枷なので、使用者本人――つまり私には外すことができない。



「この鍵で外すことができます。私が決してヴァダッドに敵対するものではないと判断出来たら、外してください。……これがマグノの誠意です」


「……不愉快だな。しかし、了解した。それとこのことは他言無用だ。話す相手は俺が選ぶ」


「はい」



 アルノシュトは鼻に皺を寄せ言葉通り不快感を露にしながら鍵を受け取った。すっかり耳も尻尾も垂れ下がってしまっているけれど、これは彼の感情も沈んでいることを示しているのだろうか。

 自分にはないものであり、そして彼らについても詳しくない私には正確に理解することができない。共に過ごす時間が長くなれば分かることもあるだろうが、私たちがこの先親しくなる未来など想像もできなかった。



「魔法を使える者を連れて行くわけにはいかないということで侍女も連れては来なかったのですけれど……そういえば、こちらの屋敷では使用人も見かけませんでしたね」


「そういう存在がいるとは聞いていたが……本当にマグノでは身の回りの世話を必要とするんだな。俺たちにはそういう習慣がない」



 文化の違いに驚きつつ互いの生活について話し合う。私は今まで傍に使用人が控えていて、人に何かをしてもらうことが多かった。しかしこちらの国にはそういった習慣がなく、幼い子供か傷病者以外に身の回りの世話を必要とする者がいない。この家のように広い屋敷の場合は清掃員や庭師、料理人といった役職を雇うことはあっても使用人や侍従のようなものは存在しないという。

 そのような生活をしたことのない私には暫くの間、慣れるまでサポートが必要だ。アルノシュトも生活の違いに戸惑うだろうことは予測していたので、あらかじめ知り合いの女性に頼んであるという。そしてその女性はやってきてくれるらしい。……ここで問題が一つ浮上した。



「マグノの貴族の服は、誰かの手を借りるのが前提のつくりですから……その……」


「…………もしかしてその服は、一人で着替えられないのか」


「……はい……」



 ヴァダッドの服はゆったりとした作りで、前合わせの布を腰帯で締めて着るような形をしている。対してマグノの衣服は布がぴったりと体に沿い、紐で引き締め、ボタンでかっちりと固めるもの。身分の高い人間であればそのボタンが背面にあり、着替えに手伝いを必要とするのである。……魔法が使えれば外せなくもないが、今の私にはその手段も取れない。

 そしてこれは婚礼の衣装だ。かなり重たい上に締め付けも強く、さすがにこの格好で翌日まで過ごすのは身体的に辛いため出来れば早めに着替えたいところなのだが。



「どなたか女性がいらっしゃればお手伝いをお願いしたのですけれど……」


「……今日は警備と料理人しかいない。全員男だ」



 さて、大変困った。この場合着替えの手伝いをお願いできるのはただ一人になってしまう。お互いに辿り着いた答えは同じなのだろう。無表情のアルノシュトとしっかりと目が合って、私はすっかり困りはてながら唯一頼める相手にお願いすることにした。



「……お願いできますか? 緩めて頂くだけで結構ですから……」


「……さすがに妻の着替えを他の男には頼めないからな。分かった」


「それから……こちらの服の着付け方も教えて頂けますか」


「……それも必要だな」



 ひとまずこちらの服の着付け方を教わった。複雑ではないので帯の結び方を理解できれば充分だった。ただ、服の着丈は問題ないのだが幅の方に随分とゆとりがあり、婚礼装束の上から羽織っても尚、布が余る。



「背丈に合わせて用意したんだがやはり大きいな。既製品で貴女に合うものはないだろう。直ぐに新しい仕立てを注文するが……しばらくはそちらの国の服で過ごした方がいいんじゃないか」


「そうですね。数着なら持ち込んでいますから……もっと必要であれば、手紙を出せば実家に用意してもらえるかと」



 侍女を連れてこられないことは分かっていたから、念のためにと前ボタン式の平民の服も二着ほど用意していてよかった。私が持ち込んだのは服と使い慣れた裁縫道具だけだったけれど早速役に立ちそうだ。



「ここから国境までなら三十分と掛からない。手紙を出したい時はいつでも言え」



 そんなに近いのかと驚いた。結婚式を挙げた教会よりもこの屋敷の方がまだマグノ領土に近いらしい。こちらの国に辺境伯という役職はなさそうだが、彼の家がそれに近い役割を果たしているのだろうという予想はできた。

 国と国が接する土地を任されるのは国王の信頼の証である。私たちを結んだのは両国王にとっては大きな決断であり、本当に二国の関係を良くしたいと願ってのことなのだろう。


(責任重大ね。……せめて友人くらいの関係になれないかしら)


 まずは歩み寄る努力をしよう。愛せないとは言われたが、嫌いだ関わるなと言われた訳ではないのだから。しかし、まずは。

 


「あの……着替えの手伝いをお願いいたします」


「…………ああ」



 とても低い声で短い返事をするアルノシュトに背を向けた。ボタンに手をかける感触が伝わってきて恥ずかしい――と思ったのは数秒だった。外すのに大変苦労しているようで、一分ほどかかってもまだ一つ目のボタンが取れない。



「難しいですか?」


「いや……そうだな。俺たちは細かい作業が得意じゃない。こんなに小さなボタンは……服を破かないようにするのがだな……」



 そういえば彼の手を見た時、指や爪が尖っていたのを思い出した。あの手の形が獣人たちに共通しているものなら確かに細かい作業は難しいだろう。

 あの大きな手でこの衣装を傷付けないようにと苦労しながら外そうとしてくれているらしい。それがなんだか可愛く思えて、笑ってはいけないと分かっていても堪えきれずに肩が震えた。


(愛せないとは言われたけれど……私は好きになれそう)


 アルノシュトはきっと悪い人ではない。むしろ優しい人ではないだろうか。夫婦としての情はなくてもこの人と親しくなりたい、友人になりたいと自然な気持ちが湧き上がってくる。



「よし、取れた」


「ありがとうございます。あと九つほどお願いしますね」


「…………ああ……」



 それからたっぷり十分程かけてボタンを外してもらった。これだけ緩めてもらえれば服を脱ぐこともできるだろう。ヴァダッドの服自体は難しい構造ではないので着替えもできるはずだ。



「ありがとうございました、アルノシュト様。これで着替えられそうです」


「ああ。……扉の前にいるので何かあったら呼べ」



 アルノシュトが退室したところで早速着替えを始めた。クローゼットの中にはヴァダッドの服と私が送っておいた服が収められているが、せっかくなので一度くらいはちゃんと着てみたいとヴァダッドの服を手に取った。

 こちらの国では女性の服もスカートではないようだ。幅にゆとりのあるズボンが足首の辺りできゅっと締まる形をしている。これが一般的な下衣であるらしく、クローゼットの中にあるのはこの形だけだった。その上に帯紐で締める上衣を身に付けて――鏡を見ると、かなり服に着られている自分が映っていて笑ってしまう。丈はともかく、幅があっていないのでかなりだぼついているのだ。

 しかし袖口に施された刺繍などとても美しいため、服自体は気に入った。自分が綺麗に着ることができないのがとても残念だ。


(こちらの女性は身体がもっとしっかりしているのね、きっと。これでは大人の服を着た子供のよう)


 あとで裁縫道具を使ってあちこち補正してみよう。そう思って部屋を出て、アルノシュトに声をかけた。彼は着替えを終えて出てきた私を見て、尻尾と耳を垂れ下がらせる。



「…………これは酷いな」



 それは正直な感想だろう。私も鏡の前で苦笑したのでその評価は妥当だと思う。このままでは大変みっともなく、とても人前に出られるような恰好ではない。ただ、これ以外に着るものはないのだから致し方あるまい。



「ふふ、分かっています。自分でも笑ってしまったくらいですから。……でもとても素敵な服で、私は好きです」



 サイズが合わないだけで服の質は高く、デザインも嫌いではない。どうにか上手く着こなす方法を見つけたいところだ。

 私の反応が意外だったのかアルノシュトは瞬きながら無言で私を見ていた。しばらくして、ふっと表情を和らげる。今日初めて、彼が穏やかな顔をしたのを見た。……少しは警戒心が解れた、ということだろうか。


「アルノシュト様は着替えられなくてもよろしいのですか?」


「食事の前には着替える。……それから、アルノーでいい。身内はそう呼ぶ」


「では、アルノー様とお呼びしますね」



 身内の愛称を教えてくれたことでなんだか少しだけ近づいたような気がする。それは素直に嬉しいし、自然と顔には笑みが浮かんだ。そんな私をアルノシュトはじっと見つめていた。


(きっと大丈夫。……時間はかかるかもしれないけれど、頑張ればいい関係を築けそう)


 こうして私の結婚生活は始まった。苦労はするだろうが、ひとまず悪くはなさそうだ。


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