一匹狼の花嫁~結婚当日に「貴女を愛せない」と言っていた旦那さまの様子がおかしいのですが~
Mikura
一章 「愛せない」という旦那さま
第1話
人間には二種類いる。一つは魔法という奇跡の力で様々な現象を起こすことができる魔法使い。もう一つは獣の力を体に宿し、強靭な肉体を持つ獣人である。
この二種族は数百年の間争い続けていた。命を奪いあう戦争となったことも少なくはない。しかしここ数十年は冷戦状態が続いており、平和を望む王が両国にぞれぞれに立ったことで両国の関係は変化した。
現在は平和条約を結んで二十年が経つ。それでもまだ、二種族の確執が消えたわけではない。魔法使いにはいまだ「獣人は粗野で野蛮である」と毛嫌いする者が多いし、中には魔獣と同類だと人間扱いしない者だっているくらいだ。
直接的な戦争はしていないが交流はないに等しく、国王同士が和解しようにも国民同士の感情が追い付かぬままであった。
『これは由々しき事態である。我々は友好国となっていかなければならないというのに。ああ、そうだ。互いを知らぬから争いが起きるのだ。二国の交流を盛んにするためにも、両国の重要な家同士を結び付けるというのはどうだろう』
魔法の国マグノの平和主義の王からそのような話が飛び出して、獣の国ヴァダッドの王が大賛成した。そうして最終的に互いの国境に位置する魔法貴族、獣国要人の家から妙齢の男女が選ばれて――――この盛大な政略結婚の花嫁となったのが私、フェリシア=ミリヴァムである。
純白の花嫁衣装に身を包み、色とりどりの花で飾られた馬車でこれから私はヴァダッド国へと向かう。まさか十八歳の成人と学園の卒業と共に呼び戻され、いきなり結婚させられるとは考えてもいなかった。
(貴族の娘なのだから将来的に政略結婚するのだろうとは思っていたけれど……さすがにこれは予想外だわ)
相手はヴァダッドで名の知れた軍人であり、国境領地を治めている男性だ。おそらくマグノとヴァダッドの名家では最も近い家同士になるだろう。
その人は狼の獣人で、姿絵ではかなり毛深く獣じみた容姿に血走った目をした男性であった。それを見た父は目を見開いて「ありえない。獣人はここまで獣に近い風貌ではない」と言っていたので、どうやら結婚をどうにか破談にしたい勢力に姿絵をすり替えられたようである。つまり、私は相手の顔も知らないまま嫁ぐことになったのだ。
「フェリシア、お前にこんな重荷を背負わせることになってすまない。そんな首枷まで着けさせて……」
「お父様……」
父であるフレデリクは普段から深い眉間の皺をさらに深くして、怒りを堪えるように声を震わせていた。
自分の首に手を伸ばす。指先に触れた冷たく硬い感触は装飾品のように魔宝石をちりばめて作られた銀のチョーカー。これは本来犯罪者につけられる魔力封じの魔道具を見栄えよく改造したものだ。
獣人の身体能力がいくら高くても、一対一では強大な魔法には太刀打ちできない。だから魔力の多い私はこの枷で力を封じてあちらに危害を加える気がないことを示さなければならない、らしい。……これは王命であり、国王の決めたことに逆らうつもりはない。
「マグノのためなら本望です。貴族として生まれた以上、国のために尽くすのは当然のことでしょう?」
国家防衛の要である辺境伯の娘として生まれたのだ。ミリヴァム家は国を守る盾である。私は我が家を誇りに思っているし、この役目も国を守る一助になると信じて受け入れた。
私自身は獣人を嫌ってはいない。むしろマグノと全く異なるらしいヴァダットの文化には興味がある。ただ、まだ互いの国の関係が不安定で簡単に行き来できるような状態ではなく、危険がないとは言えない。だからこそ家族は私の身を案じている。……私は今、己の身を守る術がないから。
「可愛い娘、フェリシア。……離れていても貴女のことを常に想っているわ。どうか、無理はしないで」
「はい、お母様。私も家族のことを想っています。どうかお元気で」
「……フェリシア。こちらのことは気にしなくていいから、君は自分の身を大事にね」
「ええ。お兄様も、無理をして体を壊さないでくださいね」
母と兄にもそれぞれ別れを告げ、私は馬車に乗り込んだ。連れていける従者はいない。この馬車も護衛も私を相手の家に送り届けたら帰る。私は一人でヴァダッドに嫁ぎ、そこで暮らすことになるのだ。……不安は勿論大きい。
(……けれど、きっと酷い扱いにはならないでしょう。相手がこの結婚をどう思っているかは分からないけれど)
私の身に何かあれば再び戦争となりかねない。だからこそ相手も私を丁重に扱うしかなく、少なくとも最低限の生活は保障されるだろう。花嫁というより人質という方が分かりやすい役目だ。
これからはヴァダッドで暮らし、そこで暮らす人々の習慣や文化を知り、それらをマグノへと伝える。獣人と交流し、マグノや魔法使いがどんな人間なのかを知ってもらう。私に課せられた役目は大きく分ければその二つであり、結婚はヴァダッドで暮らすための手段のようなもので、本来の“結婚”とは随分違う。
(でも、楽しみがない訳ではない。ヴァダッドには昔から行ってみたかったんだから)
魔法使いは知的好奇心が強い種族だ。私の関心は、見たことのない隣の国の人や文化に向いていた。子供の頃は獣人に会えないかと国境までこっそり出かけていたものだ。……まあ、会えたことはなかったけれど。
だから今日、私は初めて獣人を目にする。出会えるものに思いを馳せながら馬車に揺られ、一時間程で到着を告げられた。暫くして扉が開かれたので心して外へと一歩踏み出す。
護衛の騎士がエスコートをするものだと思っていたが、馬車を降りる私の手を取ったのは見知らぬ男性だった。
(……狼?)
本来人の耳が生えている場所に大きな耳が生えている。鈍く輝く銀灰色の髪と、同じ色の犬に似た形の獣耳。切れ長の鋭い目の中に浮かぶ瞳は熟したワインのような深い赤で瞳孔がアーモンドのような縦長だ。整った顔に野生の獣のような鋭さが滲む、不思議な人だった。人間であるはずなのに、見た瞬間に思い出したのはいつか小高い崖の上で見かけた狼の姿だ。
黒くゆったりとした服に金の糸で刺繍の装飾を施した衣装。そのはためくマントの間から大きな尻尾が覗いている。初めて見る服だがきっと、特別な日のために仕立てられたもの。……これがヴァダッドの花婿衣装なのだろう。
「……はじめまして、花嫁殿。俺がアルノシュト・フォン・バルトシークだ」
「はじめまして、花婿さま。私はフェリシア=ミリヴァムと申します」
彼が私の対となる存在。ヴァダッドから花婿として差し出された軍人。爪の先が尖った大きな手を借りて私はヴァダッドの地に降り立った。そうすると彼が驚くほど長身であることが分かる。私は平均より背の高い方だが、それでも頭一つ分以上は彼の方が高かった。
(獣人ってみんな大きいの? それともこの方の背が高いのかしら……)
馬車と護衛は直ぐにマグノ国へ向けて出発し、私は一人でこの地に取り残される。しかしアルノシュトから強い嫌悪を感じなかったせいか、まだ落ち着いていられた。
獣人は魔法使いを嫌っている。差別、侮蔑を向けてくる相手を好ましく思えないのは当然のことで睨まれるくらいは当然だと覚悟していたのだけれど、彼は無表情に私を見つめただけだった。
「婚礼の儀は略式で行う。参列者はいない」
「ええ、承知いたしました」
冷淡な声だがやはり怒りや憎悪などの感情が含んでいるようには感じない。婚礼が略式だと告げられても予想の範囲内なので驚かなかった。この結婚を祝う者は、互いの身内にはいないに違いない。私の家族とてこれから娘を戦地にでも送り出すかのような表情だったのだから。
(アルノシュト様はどう思っているのだろう。この、結婚を……)
小さな礼拝堂で私たちの式は淡々と執り行われた。招待客も親族もいない。夫婦となる両名と頭から布を被った顔の見えない司祭が一人だけの、ひっそりとした結婚式。証人となる司祭の前で夫婦になることを誓い、一つのグラスから神より賜ったという水を交互に飲んで飲み干したら終わりだ。出会ったばかりの私たちにとってこれはただの義務であり、感慨もなにもなかった。
ただ、祖国の婚礼とはまた違った様式であることには興味を惹かれ、それを体験できたこと自体は少しばかり興奮してしまったのだけれど。
(私達の国では装飾品を交換するけれど……神から賜った水って一体どのようなものなのか気になるわ。尋ねればアルノシュト様はお答えくださるかしら)
式を終えればまた馬車に乗り込んで、次はアルノシュトの屋敷――つまり、私の新しい家でもある場所へと向かう。一応夫婦なので同じ馬車に乗り込んだが、お互いに何と切り出せばいいか分からず無言だった。
彼の大きな尻尾が不規則に動くので、私はついそれを目で追ってしまう。毛並みのいいふかふかとした尾だ。あれは髪と同じように手入れをする必要があるのだろうか。
(……見られてる?)
落ち着かない心をなだめようと外の景色を見ていたら時々視線を感じる。ちらりとそちらに目を向けるとアルノシュトが私の方を見ていた。ただ、目が合うこともなくふいと顔をそらされてしまう。
それから何度かそういう視線を感じて、気づいた。彼は私の身体を見ているのだ。特に耳や首のあたりを見られている気がするのだが――。
(ああ、そうか。私と同じね。……自分と違う部分が、気になってしまう)
己にあるものがなく、ないものがある。お互いが初めて見る“異種族”なのかもしれない。しかし互いに視線を送り合うだけというのも落ち着かない。だから、声をかけてみることにした。一応私たちは乗合いになった赤の他人ではなく、夫婦なのだから――会話くらい、してもいいはずだ。
「気になりますか?」
私から話しかけられると思わなかったのかアルノシュトは驚いたように少しだけ目を大きくした。ピンと立った耳の先が小さく動いているのは動揺なのだろうか。
「……ああ。花嫁殿はずいぶん小さいと思ってな」
小さいというのはつまり、身長のことだろうか。何故そんなことを言うのかと考えて、出会った瞬間に“獣人は皆背が高いのだろうか”と己が疑問に思ったことを思い出した。
私が彼らをよく知らないように、アルノシュトもまた私達を知らないのだ。戦争が終わって二十年が経っても、私たちが今まで交わって来なかった証ともいえる。
それを変えていくための結婚。互いを知り、分かり合う先駆けとなるのが私たちの役目だ。
「私は背が高い方なのですけれど……」
「そうなのか。……では、あちらの女性は皆、華奢すぎる訳か」
「アルノシュト様はとても背が高いですね」
「俺は平均だがな。……貴女達からすれば大きいんだろう」
私たちの国は戦争を終えてから殆ど交流がない。互いの国を行き来しないから、実際に戦争に参加した人間以外で互いの姿を目にした者も少ないのだ。王同士も対面したのは一度きりでずっと文書のやり取りをしているのだという。……「二国手を取り合って仲良く」なんていうのは表面上の話で、お互いを信用しきれないから行き来できないのだろう。
上がそんな状態なら国民はそれ以上に不信感を持っている。互いを知ろうともせず、ただ睨みあってきた。だから本当にまだ私たちはお互いのことを知らない。私が知って――それを、祖国に伝えていけば。いつか、両国は本当の交流ができるようになるのだろうか。
「……屋敷に戻ったら今後について話したい」
「はい。それは願ってもないことです」
それ以降、屋敷に到着するまでの数十分は無言で過ごした。アルノシュトは何か考え込んでいるようだったので話しかけるのは躊躇われたし、帰ったら話がしたいと言われたのだからそれを待てばいいと思ったのである。……いや、本当はこのぎこちない関係と緊張した空気の中、話しかける勇気が持てなかっただけかもしれない。自分は活発な方だと思っていたけれど、やはり萎縮してしまっている部分があるのだろう。
「到着だ。……こちらへ」
「ありがとうございます」
馬車が止まると扉を開けて私の手を取り、降りる手助けをしてくれるのだから彼はきっと怖い人ではない。
これは政略結婚だ。国同士が決めたことで、私と彼の意思はそこにない。無理やり結ばれた縁ではあるが、結ばれたからには夫婦として仲良くできたらいいと、そう思う。
「俺は貴女を愛せない」
異国の装飾が施された、馴染みのない部屋の中。結婚したばかりの夫の発言に、私は固まった。……嫌われている訳ではなさそうだったけれど、仲良くなることもできないのかも、しれない。
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