第2.5話 side:アルノシュト



 長らくいがみ合っていたマグノ国との現状を鑑みて、その関係を改善するべく隣国から花嫁を迎えることとなった。花嫁はマグノの貴族家であり、ヴァダッドで格の釣り合う家となれば武族五家か賢族三家の八つの家しかない。

 どの家が花嫁を迎えるかと押し付け合いの口論になって、最終的に代々国境警備隊を取りまとめてきたバルトシーク家が選ばれたのは当主のアルノシュトが“穏健派”かつ、結婚を約束した相手――つがいがいなかったことが大きい。

 大抵の獣人は強く惹かれる相手を思春期の頃には見つけ、つがう約束を交わしている。成人と同時に結婚することがほとんどだ。アルノシュトのように成人しても番がいないのは珍しいことである。


(惹かれた相手と約束することは叶わなかったのだから、仕方ない)


 アルノシュトはおそらく番を見つけられない。だから一生独り身でいるつもりだったのだ。それがまさか、マグノの花嫁を押し付けられることになるとは予想外であった。



「まあ、結局誰も愛せないなら政略結婚こういう相手の方が分かってくれるんじゃねぇの? その辺の事情はさ」



 最も親しい友人であるシンシャは猫族らしい大きな目を細めてそう言った。それは気休めの言葉であったのだろうけれど一理ある。獣人の女は子供を産むことを幸福と考えているのに、子供を作れない夫の元に嫁げば不幸にしかならない。

 だがマグノ国が同じ価値観とは限らない。それにこの結婚は子供を設けるためのものではなく、二国を強制的に結び付けて国交のきっかけを作るためのものだ。一緒にいて、互いの国の間を取り持つ役をこなせればいい。番というより外交職につくようなものだと思えば納得できた。



「……ならせめて、強い女がいい。腕が立てば身の危険を減らせるだろうしな」


「それくらいの要求なら叶えてくれるでしょ。なにせ、英雄なんだから」



 アルノシュトが生まれたのは丁度平和条約が結ばれ、マグノ国との戦争がなくなった年だ。しかしヴァダッド北部には魔獣の生息地が広がっているため、武力で国を守る軍人はまだ必要なのである。

 魔獣は獰猛で狂暴、獣人の膂力を持ってしても一筋縄ではいかない相手だ。知能は低くとも繁殖力の高い厄介な獣。戦争がない今の時代、軍人は魔獣を狩った数で武勇を示す。アルノシュトは多くの魔獣を狩り、強い力を示すことで名を馳せた。

 今、ヴァダッドの武族の中で最も強いのはアルノシュトとされている。しかしどれほど優秀であったとしても誰とも番う気がないなら――つまりその力を子孫に紡ぐ気がないなら丁度いいだろうとこの役目を押し付けられたのだ。……花嫁を愛する必要はないのだから、と。


(上の世代はマグノに対する嫌悪感も強い。……俺が適任、ではあるな)


 ヴァダッドを支える武族五家の当主ではアルノシュトが最も若く、ほかの当主は一つ上の世代となる。彼らからすれば息子に元敵国の女を娶らせたくないしそんな女を家に入れたくない、何ならバルトシーク家が没落すればいいので丁度良いくらい思っているのだろう。……どちらにせよ子供を作る気がないのでバルトシークはアルノシュトの代で終わるだろうし、構わないのだが。

 両親はすでに他界した。兄弟もいない。これから途絶えるだけの家に来る、花嫁の方が憐れというものだ。


(さてどんな奴がくるか……話の通じる相手だといいが)


 魔法使いは獣人を、獣人は魔法使いを嫌っている。幼い頃から大人に植え付けられた意識は成長しても抜けることはないのだ。そうして差別は連鎖していく。アルノシュトは両親が「己の目で見たものを信じろ」と教育してくれたおかげで魔法使いに強い嫌悪感を抱かずに済んでいるが、それでも周りが悪しざまに罵るのを聞き続けてきたのだから好きにはなれない。それはあちら側でも同じはずで、花嫁とされた相手の方はどうだろうか。


(……俺からすれば初めて見る異種族だ。風聞通りなのか、それとも……)


 相手の顔すら見ないまま結婚の準備は進んでいく。屋敷の中に妻となる人間が住む部屋を作り、家具を揃え、背丈に合わせて服を用意した。身長は170㎝もないというから小柄であるらしい。しかしマグノ国の未婚の女性で一、二を争う強者だと聞いたので多少は安心した。これが結婚相手だと渡された姿絵でも随分と武骨で、背丈の割に横幅はしっかりある女性だった。これなら申し分ない強靭な体であるに違いない。

 肉体の強さは精神の強さにもつながる。見知らぬ土地、慣れぬ環境、同族のいない場所。そんな場所でも気丈にやっていけるような人間に違いない。



 婚姻の日、アルノシュトはバルトシーク領の端にひっそりと建つ小教会で花嫁を迎えた。ここは訳ありの夫婦が婚姻を結ぶ場所で人気がない。何かあっても住民を巻き込むことはないだろう。見えない位置に部下を配置し、万が一にも備えてある。


 マグノの兵士と思しき人間に囲まれた馬車の扉が開かれた。アルノシュトは扉の前に進み出て手を差し出す。そこに乗せられた手が、子供のように小さかったことに驚いて――馬車の内部から現れた女性が、想像以上に小柄であったことにもっと驚いた。


(小さくないか……?)


 白い衣装は体に沿うように作られたものでその細さが際立っていた。おそらく骨格からして獣人とは違う。簡単に手折れそうで、心配になるほどだ。スミレの花を思わせる艶やかな髪と、ヴァダッドで最も好まれる色である黄金こがねの瞳を持った小さな女性。獣の耳も尾もないため、自分を見つめる彼女の感情は全く察することができなかった。

 とにかく姿絵とは別人だ。しかし、約束の時間に約束の場所に現れたのだから花嫁はこの女性で間違いない。一応、同一人物であるか確認するためにも名乗りを上げた。



「……はじめまして、花嫁殿。俺がアルノシュト・フォン・バルトシークだ」


「はじめまして、花婿さま。私はフェリシア=ミリヴァムと申します」



 花嫁となる女性の名で間違いない。あの姿絵はおそらく、何者かにすり替えられていた。しかし彼女は聞いていた背丈以上に小さく感じる。

 マグノからやってきた兵士たちが何事もなく引き上げたのを確認し、一人残された女性を見下ろした。その華奢な体つきは到底鍛えらているように見えない。……姿絵との違いはともかく、これが本当にマグノ国の誇る強者なのだろうか。


(魔法使いという種族は見た目に反して強い力を持っている、ということか……?)


 そのフェリシアという女性は大人しかった。ただ、彼女の首にある銀の飾りからは毛が逆立ちそうになる嫌な感覚が伝わってくる。彼女がいくら非力そうに見えてもまだ警戒は解かない方がいいだろう。

 誰もがマグノとヴァダッドの友好を望んでいる訳ではない。王同士がそれを望んだとしても、互いを嫌いあってきた種族同士だ。この政略結婚を崩して、また戦争を起こしたいとたくらんでいる者だっているだろう。……それが目の前の相手でない、とも限らない。


(……害意はなさそうだが)


 式を略式にすると言った時も特に反応せず了承したし、アルノシュトの言葉にはおおよそ肯定が返ってくる。そんな彼女が何を考えているか分からない。獣人ならその気持ちは耳や尾に現れるので、それがない人間の気持ちをどう察すればいいのか分からなかった。


 屋敷に案内したあとはまず、この結婚において重大なことを伝えておく。それはつまり、アルノシュトが――子供をもうける気がない、ということだ。



「俺は貴女を愛せない」



 狼族の特性で、狼の男は好いた相手がいなければ欲を覚えることもない。そして、その相手は生涯一人だけだ。その恋が叶わなければ、もう他の誰かを愛することはできなくなってしまう。その特性のせいで狼族は少しずつ数を減らしており、将来的には絶滅するのだろう。

 そしてアルノシュトは一度、おそらくもう二度と会えない相手に恋をしてしまったのだ。今後、他の誰かを愛することは一生できないだろう。

 だからフェシリアには子を為すような行為はできないことを伝えたのである。彼女がそれを承知してくれたのは、とてもありがたかった。



「いやぁ……それはダメじゃないか?」



 その夜、警備交代の時間となったシンシャにフェリシアのことを話して放たれた第一声がそれだった。

 アルノシュトは花婿として花嫁を迎える役目があったため彼には警備の総括を頼んでいた。夜になりシンシャが日中の警備の報告にやってきて、その後すぐに「で、花嫁さんはどんなだったんだ?」と好奇心満々に尋ねられたから答えてやったというのに何故かダメ出しされている。



「何がダメなんだ、シン」


「言い方がな……その花嫁さんは、魔力を封じられてきてるんだろ?」



 フェリシアは魔力を封じる首枷をはめられている。その話には驚いたし、マグノ国に対して憤りを感じた。彼女は確かに隣国では強いらしい。しかしそれは魔法が使えることを前提とした強さであり、現在はその強さを奪われている。……自分を信用するまで預かるようにと渡された小さな鍵は酷く重く感じた。

 そして、魔法の使えないフェリシアは子供以上に非力である。浴槽に湯を運ぶことすらできないのには心底驚かされた。あちらの国ではどうやって身を清めるのかと訊けば、それは魔法を使って簡単にできるのだという。



『まず頭上に湯で出来た水球を作り、そこから雨のように降らせて洗い流します。ヴァダッドのように大きな器にお湯をためて浸かることはないので……楽しみです』



 魔法使いは耳や尾がない代わりに表情をよく動かすらしい。大きさの合わない服で不格好になった時もそうだったが、風呂の支度一つでも楽しそうに笑って見せるのだ。獣人の中ではっきりとした笑顔を見せる者は少ない。珍しい表情をつい見つめてしまったが、あれを見るのは悪い気がしない。

 種族的な差異か彼女は魔力を奪われた状態だと獣人の幼子よりも非力だ。生活にも苦労するだろうことは想像に難くない。だからアルノシュトは彼女の援助を惜しむつもりはなかった。



「一人ではほとんど何もできないだろうからな、サポートはする」


「そういう問題じゃなくてさ……気持ちだよ、気持ち。心の方の話。花嫁さんは一人敵国に送り込まれて、しかも手足の自由を奪われたような状態で生活しろと言われてるわけだ」



 マグノ国とヴァダッドは友好を結んだからもう敵国ではない――という単純な話にならないのはこの結婚自体が証明している。この国にもマグノの人間を入れたくない獣人は多く居るだろうし、この結婚を利用してもう一度戦争を起こしたい輩もいるだろう。そこで狙われるのは間違いなく花嫁だ。

 ただ、直ぐに事を起こそうとはしないだろう。何せ相手は魔法を使う。……魔法使いは一人で百人の軍人を殺すこともあるという。彼女が魔法を使えないと知られない限り手を出しては来ないと見ている。

 さすがに警備に関係することなのでシンシャには話したが、必要以上この事実を広めるつもりはなかった。直接彼女を守ることになる者だけ知っていればいい。



「彼女の話が事実なら、彼女の魔法は危険だ。……本当に信用できるまでは外せない」


「まあ、そりゃそうだ。それは花嫁さんも分かってる。……問題はお前の言い方なんだって」


「特に威圧的な話し方はしていないが?」


「いやだから……お前の事情を知らない花嫁さんにいきなり“愛せない”の一言だけはきついだろ。それ、ちゃんと意味伝わってるのか?」



 シンシャに言われて自分の言動を振り返った。……確かに説明不足、言葉不足であったような気がする。しかしこれはアルノシュト自身がまだ心の整理をつけられていない話でもある。正体のわからぬ文通相手を好きになってしまい、その相手はおそらくもうこの世にいない。それでもこの体はもうその相手以外を恋しいと思えなくなってしまった。

 それは友人であるシンシャだから話せたことで、他の誰にも話していないことを今日顔を合わせたばかりのフェリシアに説明できるはずもない。



「魔法の鍵を外さないから信用されてない、愛情を向けられることもないって思っちまうと心細いんじゃないの」


「……いつかは説明できるかもしれないが、今は無理だ。それまでは態度で示す」


「態度、ね。……お前愛想悪いからなぁ」


「お前のように意地が悪いよりマシだ。それより、妹の方は本当に来てくれるのか?」



 たった一人で訪れる花嫁が生活の違いに戸惑うことは予想できていた。今日だけでも随分と文化の違いを見せつけられた気分だ。呼び名を教えていないのに名を呼んだり、愛称を教えてもその愛称に敬称を重ねるなど――おそらく呼び名の文化がないのだと思っているが、実は獣人が嫌いでそのような態度をとっているとも限らない。判断しかねて流してしまった。


(俺だけではすべてを教えてやれないかもしれないからな。同じ女でなければ分からないこともあるだろう)


 元から同性のサポート役が必要だと考えていたものの、人選にはかなり悩んだ。マグノに対し強い悪感情がないこと、いざという時に戦える力があること、そしてある程度の信用が置けること。それらの条件をすべてクリアしたのがシンシャの妹だけだった。


(想像以上にあの娘がここで暮らすのは苦労が多い。……来てもらわねば困る)


 猫族というのは多かれ少なかれ気まぐれな気質を持っているものだ。昨日やりたがったことでも今日にはやる気をなくしているなんてことも珍しくない。シンシャの妹はその〝気まぐれ”が強くでていたと記憶している。



「大丈夫だろ。アレは好奇心も強いから、初めて見る魔族に興味津々だったし」


「……力加減を間違えて怪我をさせないようにしっかり言っておいてくれ。彼女は本当に脆そうなんだ」


「へぇ……俺も興味あるなー。年寄り共はみーんな魔族を化け物みたいに言うじゃんか。そんなに弱そうなのか」



 魔族、というのは魔法使いたちの蔑称である。アルノシュトはその言葉を使わぬよう気を付けているが、他の者からすれば蔑称という認識すらないほど当たり前の呼び名だ。

 隣の国には魔法という恐ろしい力をつかう魔族が住んでいる。彼らは醜く恐ろしい化け物だ。魔法使いを見たことのない大人ですらそうやって子供に教えている。しかし、決してそんなことはなかった。少なくとも――アルノシュトが初めて見た魔法使いはあまりにも非力で、そしてとてもいい表情を見せるものだ。


(魔法使いたちが皆ああいう顔をできるなら……獣人は結構、魔法使いを好きになれそうだがな)


 笑顔というのは獣人にとって特別だ。微笑程度ならともかくはっきりと笑顔を作れる者が少ないこともあり、元から笑っている顔に見える猫族などは美男美女とされやすい。彼らの口元は三日月を二つ並べたような形をしているので無表情でも笑顔に見えるため、好まれる顔立ちなのだ。……獣人は大抵、笑顔が好きなのである。


(明日はもう少し話をしてみるか。……出来るだけ早くあの枷を外してやりたい)


 彼女を信用したいと思っている。フェリシアが決してヴァダッドに害をなす存在ではないと信じてあの枷を外してやりたい。そもそもアルノシュトの勘はでは彼女に悪意も害意も敵意もないと感じる。しかしそれでもその人柄を知るまで鍵は外せない。……あの場ですぐに枷を外せば、あの枷をはめてこの国へとやってきたフェリシアの覚悟に対しても失礼だ。アルノシュトが彼女を心底信用できた時に外すべきである。


 ただ、アルノシュトはいまのところフェリシアが嫌いではない。魔法使いについて少し興味も沸いた。明日からの生活は大きく変わるだろうが――まあ、苦痛ではないだろう。


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