第9話
「おい、ウラナンジュ。フェリシアに失礼だ」
「君は黙ってなさい、アルノシュト。私はこの魔族と話がしたいだけですよ。君が“言葉を交わせ”と言った通りに」
そう言われるとアルノシュトは言葉を告げなくなったようで、唇を噛んで押し黙った。小さく唸り声のようなものが聞こえてくるがウラナンジュと呼ばれた梟はお構いなしの様子だ。
彼の山吹色の瞳が私を見下ろす。その瞳には温かみがない。彼は――
「それで、お答えは?」
「……マグノの魔法使いに、貴方達を蔑む者が居るのは事実です。けれどすべてではありません。少なくとも私は、ヴァダッドの人々と親しくなりたいと思っています」
「ほう? 我々と親しく……かように素晴らしい文化をお持ちなのに、何故我々と親しくする必要が? マグノには素晴らしいものが溢れていると、そう自慢していらっしゃるのに」
そのようなつもりではなかった。私はただ、周りの人達が喜んでくれたものを、他の誰かも喜んでくれるならと思って用意しただけだ。ただそれを、このように捉える人間もいるのだという現実は直視しなければならない。
そして私は、彼のような人間とこそ話し、言葉を尽くさねばならないのだろう。
「こんなに近くに、全く違う文化の国があるというのに……そこに住む人たちも、物も、何も知ろうとせず、嫌い合って生きていくだなんてあまりにも惜しいでしょう」
「惜しい、とは」
「ええ。嫌うにしてもせめて全て知ってから嫌って頂きたいわ。目の前にある新しい知識を放棄するだけの行為はとても……勿体ないもの」
こちらを面白そうに見るシンシャがウラナンジュの向こうに見えたせいで“勿体ない”という言葉がでてきたけれど、本当にそうだ。
私たちはお互いのことを知らないのに、嫌い合っている。相手が何を思い、何を考え、どのような性格をしていて、どのような価値観を持っているか。目の前にしている個人のことを知らぬまま、属する国や種族だけで嫌うなんてあまりにも惜しいことだ。
「私はまだヴァダッドのことを殆ど知らない。ヴァダッドの人々も、私やマグノのことを知らないでしょう。私たちを知って判断してもらうために、貴方達を知るために私はここに居るのです。……これで、答えになりましたか?」
「……ええ、充分。よく分かりましたよ」
眼鏡の奥の鋭い眼差しはほんの少し和らいだように思う。鳥の種族である彼に耳や尻尾がないためいまいち感情が分からないけれど、強い拒絶や警戒は感じないような気がした。
「それと……貴方のことも教えてくださいませんか。そしてどうか、私という人間を知ってください。私の名はフェリシア。フェリシアと呼んでくださいませ」
魔法使いを魔族と呼び、敵意を剝き出しにして話しかけてきた彼のことを私はまだ何も知らない。彼のそれは、上の世代に植え付けられた感覚であって、実際に魔法使いを見てどう思うかはまだ分からないのだ。
嫌われたならそれまでだけれど。初めから諦めるようなことはしたくなかった。握手を求めて差し出した手を、ウラナンジュがそっと拾い上げた。袖口から覗く腕には翼が生えているように見える。これが鳥の種族の特徴なのかもしれない。
「よろしいでしょう、フェリシア。私もマグノの文化には興味がありましたし、実際に目にして好奇心を刺激されましたよ。……私の名はウラナンジュ。ラナとお呼びください」
「……え?」
教えられた呼び名が愛称だったことに驚いていると、手を取った彼は私の指の先に軽く唇を押し当てた。あまりにも突然の出来事に固まっていると横から現れた手が私の手をウラナンジュから引き離す。
「いい加減にしろ。他人の妻に愛情表現をするとは何事だ?」
「鳥種にとってはただの親愛表現ですよ。甘噛みすらしてないでしょう? 食べ物を差し出してもいないではありませんか」
どうやら先ほどのは彼にとっては他愛ない行為で、ミランナやアルノシュトが私に頬ずりするようなものであるらしい。獣人は種族ごとに愛情表現が違うようだ。
正直、すべてを把握するのにはかなりの時間がかかりそうである。鳥の種族にキスをされても驚いてはいけない、と頭の中にメモをした。……しかし態度が一変しすぎて驚くのは仕方ないと思う。
「それでも誰かの番に対し異性が愛情を示すのは控えるものだろうが」
「何をおっしゃるのか。妻であっても番としては愛していないのでしょうに。君は、二度と誰も愛せないと公言しているではありませんか」
二度と誰も愛せない。それは一体、どういう意味だろう。私を庇うように立つアルノシュトの表情は見えないけれど、唸り声がその場に響いているので怒っているのは間違いない。
しかしウラナンジュは全く意に介さないようで、アルノシュトではなく私に視線を移す。
「新しい知識に対する欲があるのは良いことです。私にもそれがありますから。……君の言葉通り、君のことを教えてくださいね、フェリシア」
自分で「私のことを知ってほしい」と言ったのだから断ることはできない。知りたいと言ってもらえるのは望んでいた結果なのだが、かといってこの状況で「はい、よろこんで」と返事をするわけにもいかず、曖昧に頷いた。
「お前は二度と屋敷に呼ばん」
「アルノシュトではなくフェリシアを直接訪ねるので、ご安心を。しかし今日はお暇致しましょう。他にも話したい者が居るでしょうからね。……それでは、また」
ウラナンジュはそう言い残して去っていく。まるで嵐が通り過ぎていったような心地だ。アルノシュトからは相変わらずうなり声が漏れているし、耳や尻尾の毛が膨らんで大きくなっていた。
「アルノー様……大丈夫ですか?」
「…………ああ、すまない。……ウラナンジュは今日の招待者の中では最もマグノに懐疑的だったはずだ。あれがああも変わるなら……この宴は、もう成功と言っていいだろうな」
彼の言葉通り、その後はとても穏やかな時間が過ぎていった。ミランナが連れてきた女性たちにその場で簡単な編み込みをしてあげたり、料理や刺繍の話で楽しく談笑したり。シンシャがふらりとやってきて先ほどのウラナンジュとのやり取りについて話を振って、アルノシュトは軽く愚痴を漏らしたことでスッキリできたようだ。
(シンシャって人をよく見てるのよね。アルノー様も肩の力が抜けたみたいだし……このために声をかけてくれたみたい)
自由気ままで空気を読まないというより、自由気ままだからこそ空気を変える存在というべきだろうか。彼のおかげで飾り切りの料理を他の者達も食べる気になったようだったし、アルノシュトが彼を信頼している気持ちがよく分かる気がした。
焚火の炎が弱まると、招待客もそれぞれ帰路につく。帰っていく人々を見送っているとアルノシュトだけではなく、私にも多くの声がかけられた。
「我が家でも近々宴を開くので是非、花嫁殿を招待させてください。……その時はあの、ウサギの果物を持ってきていただければ大変ありがたい」
兎族の彼のように我が家の宴に来てくれと言ってくれる人も少なくはなかった。ウラナンジュが帰り際の挨拶に来た時はアルノシュトが警戒心を剥き出しにしていたせいか、彼も普通に「またお会いしましょう」という挨拶だけで帰っていった。
「フェリシアとあんまり話せなくて寂しかったよー……また明日ね! 明日たくさん話そうね!」
「ふふ……ええ、また明日ね」
最後に思いっきり頬擦りしながら別れを惜しむミランナが帰り、その兄であるシンシャはバルトシークの屋敷の中にするりと消えていったので今日も警備をしてくれるのだろう。直接会話する機会は少ないけれど、彼という存在に助けられているという自覚があるので勝手に親しみが湧いている。
「片付けは明日するから、今日は俺たちも休もう」
「はい。……楽しい宴でしたね」
「ああ。いい宴だった。……この後少し、時間を貰えるか?」
「ええ、勿論です。私も丁度、アルノー様に用があります」
そういえば宴が成功したら話をしたいと言われていた。私も丁度彼に渡したいものがあったので頷く。ひとまず私の自室へと二人で戻り、テーブルを挟んでそれぞれ椅子に腰を下ろした。
「……貴女の用を先に聞こう。俺の話は長くなりそうだ」
「ではお先に。……こちらを、貴方へ」
テーブルの上に用意しておいた小箱を差し出した。中身は彼に渡すために刺繍していたハンカチである。飾り切りの練習で完成が遅くなったので、いっそのこと宴という仕事を終えたら渡そうと考えていたのだ。
箱を受け取って中身を確認したアルノシュトのワインレッドの目が軽く見開かれ、大きな耳が天井に向かって立ち上がる。
「これは……フェリシアが刺繍したのか」
「はい。マグノでは友人や家族に刺繍したハンカチを贈る風習があります。……私は貴方に出会えて、本当に良かったと思っています。アルノー様、これからもよろしくお願い致します」
アルノシュトを表す狼と小さな五本の薔薇。薔薇は本数で意味が変わるが五本の薔薇は“あなたに出会えた心からの喜び”だ。私はこの政略結婚を前向きに捉えることができている。その意思を伝えたかった。
「……そうか、マグノではそういう文化なのだな。ヴァダッドで刺繍入りのハンカチを贈るのは愛の告白になる。俺以外には贈らない方がいいな」
「まあ……ミーナにも贈ろうと思っていたのですけれど」
「ミランナか……そういう文化だと説明して贈ってもいいが、親しい相手に送るなら腰帯に刺繍してやればいい。とても喜ぶだろう」
箱の中の刺繍を傷付けないようにそっと撫でる指先に目を吸い寄せられた。彼の後ろでぱたぱたと尻尾が振られている。愛せないと言っているのに愛の告白をされたと思って驚いたが、他意がないと分かって純粋に喜んでくれた――というところか。
「フェリシア、ありがとう。……こんなに美しい刺繍を貰えるとは思わなかった。嬉しい」
「喜んでいただけてよかったです。また贈らせてくださいませ」
「ああ。……大事にする」
箱から取り出したハンカチを懐に仕舞って、柔らかい表情を見せた。口元がはっきりと弧を描く訳ではないがこれがアルノシュトの笑顔なのだと私は思っている。
「……宴の時、ウラナンジュが言っていたことを覚えているか?」
「ええ」
「俺が話したいのはそれについてだ。……俺はもう誰も愛せない。狼族は生涯、ただ一人しか愛することができないからだ」
その言葉でようやく、アルノシュトが結婚したその日に「貴女を愛せない」と口にした理由が分かった。彼は過去に誰かを愛し、そしてその口ぶりから察するに――その相手を何らかの理由で失ったのだと。
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