第8話
私が花嫁としてヴァダッドにやってきてから早三か月が経った。屋敷の中でほとんどを過ごすため季節の移り変わりを感じなかったが、宴の準備で久々に庭に出たことでその景色の変化に驚く。
初めてこの屋敷に来た時は明るい緑と鮮やかな花が美しい夏の季節であった。今は花の姿は見えないが、木々が赤や黄色に色づき目に楽しい紅葉の秋である。
そんな木々に囲まれながら大きく開いた広場の中心に大きな薪が組まれていた。夜になれば外の空気は冷たくなってきている。しかしあれだけ大きな火を焚くならその熱で辺りは温かいだろう。その近辺にテーブルや敷物が用意されており、時間になれば招待客の持ち寄った料理が並び、敷物には人々が集まって談笑の場となるのだ。
「日が暮れる前には火をつけるが……フェリシアは危ないからあまり近づくな」
「いくら私が幼子のように非力といっても、幼子ではないのですよアルノー様」
「それはそうだが……やはり近づくな。宴の間も俺から離れないでくれ」
アルノシュトはこの通り何故だかとても過保護である。私が貴方の家族だと、そう伝えた日から彼は私を守ろうとしていると感じる言動が増えた。それは妻に対する態度というよりはどことなく私を可愛がる兄に似ているので、妹のように考えてくれるようになったのかもしれない。
(もう家族を失いたくないという気持ちがあるのでしょうね、きっと)
失うことを知っている人はそれを恐れるもの。この過保護具合は彼が私を家族と思うようになってくれた証だろうから、反発せず受け入れている。
「そろそろ今晩の料理の飾り切りをしようかと思うのですが」
「分かった、行こう」
今日の宴にはミランナとシンシャも招かれており、宴のために着飾ってくるというのでいつものように昼からではなく、宴が始まる前に来てくれるらしい。だから今日はほとんどアルノシュトが共に行動してくれることになっている。
この三か月で上達した飾り切りのおかげでマグノの魔法調理と遜色ない出来になった。本来なら一品作れば充分のはずだがあるものは出さなければもったいない、主催側なら複数出してもいいはずだと主張するゴルドークの熱意に押され、今回バルトシークが出す料理は三品目だ。
飾り切りの根菜スープと装飾フルーツの盛り合わせ、そしてローストビーフを薔薇の花のように飾りつけたものである。
(ルドーがやりたかっただけ、という気もするけれど……)
ヴァダッドには料理を飾り立てる文化がなかった。しかし彼らが刺繍をこよなく愛するように、芸術性の高いものは好ましく感じるようだ。ただそれを表現する器用さを持っている者が少ないので、なおさら希少性があがる。
肉類が好きな種族もいるから肉でも飾り切りができないかと尋ねられ、薄く切った肉を花弁に見立てて飾る方法はあると教えたらルドーは大喜びでメニューに追加した。ただ、肉を薄く切るところまではできても飾り付けは難しいとのことで、そちらの作業ものちほど私がすることになっている。
「注目を浴びること間違いなしです。皆がフェリシアを……魔法使いとの交流を、望むようになってくれたらいいと思います。隣の国にはもっと、知ればわくわくすることがいっぱいあると気づいてくれれば、きっと」
「ルドー……ありがとうございます」
相変わらずの硬い表情のまま彼はそんなことを言ってくれる。私が今まで出会った人々はマグノに寛容な者だけをアルノシュトが選別していた。今日の宴はそういうものばかりではなく“比較的否定的でない者”まで集めていると言う。
不安もあるが期待も大きい。そういう獣人が魔法使いに、マグノの文化に興味を持ってくれれば――それは本当に大きな意味を持つだろう。
宴の時間が迫る頃に肉の飾りつけまでを終わらせて、アルノシュトとともにミランナが来るのを待った。彼女が来たらアルノシュトも宴用の衣装に着替えてくるという。私の衣装は出来上がったばかりでミランナが届けてくれることになっていた。
「少し緊張してきました。うまくできるでしょうか……」
「フェリシアはありのままでいい。そのままの貴女が一番魅力的だ」
平然とこのような台詞が出てくるのだから困ったものだ。これで私のことは全く異性として見ておらず、しかし本心なのである。親しくなってきたおかげか彼から素直な好意を示されることが多くなった。異性として意識してはならないと理解しているのに、彼がこういう言動を見せると妙に心がざわつくのだ。だからその度に私は己を戒める。……私は、彼に愛されることはないと。思い違いをするな、と。
「貴女の言葉はとても……温かくて心地いい。この宴で、貴女に好感を抱く者は多いだろう。俺は自信をもって貴女を皆に紹介できる」
「……アルノー様がそうおっしゃるなら、少しは自信が持てそうです」
気取ったことを言わず、ありのままの私でいる。人間性を見てもらうならそれが一番いいのは分かっている。私だけが魔法使いではないのだから、まずは私を知ってもらって、私からマグノへと興味を持ってもらわなければならない。
興味を引きそうな料理は用意できた。あとは私自身がどれだけこの国の人々と言葉を交わし、打ち解けられるか。積極的に話しに行こうと心に決めた。
「フェリシア、服を持ってきたよ!」
「……では、またあとで」
しばらくしてミランナが訪ねてきた。彼女の衣服は普段より刺繍が多く複雑で、そして金糸をふんだんに使っているものだった。彼女が動くたびにきらめいて美しい。
私もだがアルノシュトも着替えるため、彼は一度自室に戻っていった。私はさっそくミランナが持ってきてくれた箱を開け、衣装を取り出す。こちらも金の糸で刺繍を施されている。濃紺の生地にその金がよく映えて美しい。
「ミーナの衣装も、こちらもとても素敵。……この金の糸には何か意味があるのかしら?」
「だって金色は綺麗だからね。特別な日は金色の刺繍の服を着るんだよ。フェリシアの瞳も、金色で綺麗だから私は大好き」
そういいながらミランナは私に頬ずりしてくる。これにはもう慣れたもので「くすぐったいわ」と笑うだけだ。……アルノシュトに頬を寄せられるのにはいまだに慣れないのだが。
ヴァダッドの服の着付けは宴の衣装であっても変わらない。いつもの通りマグノの服の上に重ねて着て、そのあとは髪を軽く編みこんでみた。それをミランナが興奮気味に見ていたので、彼女の指ではこういう髪のセットも難しいのだと思い至る。
「ミーナもやってみる?」
「でも私じゃ難しいよ」
「いいわ、私が結ってあげる」
「ほんと!? ありがとうフェリシア!」
他人の髪であれば自分よりも簡単だ。自分は横髪を軽く編み込んだだけにしたが、ミランナは後ろでしっかり髪を編み、結い上げる。彼女の髪は元々黄と黒が混じっているのでそれだけでとても華やかだ。
合わせ鏡で自分の髪形を確認したミランナは大いに喜んで私に抱き着こうとし、寸前でピタリと止まった。
「この思いのままフェリシアを抱きしめたらせっかく作ってくれた髪が崩れそう」
「ふふ。気持ちは充分伝わったわ」
陽気な彼女のおかげで宴の前の緊張も随分ほぐれた。暫くして衣装に着替えたアルノシュトも戻ってくる。黒の布に金の刺繍がよく映える、素敵な服だった。宴衣装というのはこの金糸を目立たせるために暗めの布地を使うのが一般的のようだ。
「……珍しい髪型をしているな。フェリシアがやったのか?」
「うん。きっと注目されるだろうし、しっかりフェリシアのことを宣伝してくるね!」
まさかそんな意図があったとは思わなかった。ミランナも私がよく思われるようにと考えていてくれたのだろうか。
自分を想ってくれる優しい人たちに囲まれているのだと改めて思う。……私はこの場所が、好きだ。
「フェリシアもよく似合う。……ヴァダッドの者にはない美しさで、とても惹かれる」
「……ありがとうございます」
他意なくこのようなことを言われて体に集まる熱を逃がそうと深呼吸をしてから、努めて冷静に返事をした。ミランナはアルノシュトをきょとんとした顔で見て、彼を指さしながら私を見下ろす。
「ねえ、アルノシュトっていつもこんなの?」
「そうね。最近はこんな感じよ」
「ふぅん。……フェリシアも大変だね」
どうやら彼女はアルノシュトが私を愛していないことを理解している。それでいてこのような態度なので、私の苦労が分かるらしい。こくりと頷いて返事をする私にアルノシュトは小首を傾げていたが、これが彼の自然体なのだから致し方ない。
「じゃあ私は先に広場にいるね! 宴でも話そうね、フェリシア!」
「ええ。またあとでね」
元気よく部屋を出ていったミランナを見送って、残された私たちも並んでゆっくりと歩き出した。屋敷を出れば外はまだ明るく、空がほんのりと茜に染まり始めた頃だった。
広場の方からは人々の賑やかな話声が聞こえてくる。そちらに向かっていくと、いくつもの視線がこちらに向いて――声が、ピタリとやんだ。
(全員、私を見ている。……大勢の視線というのはやはり、居心地のいいものではないわね)
緊張で心臓の鼓動が早くなる。踏み出す足は広場に近づくほどに重くなり、笑みを浮かべる頬が引きつりそうになってきた。すると突然、自分の手を誰かに握られて驚き、肩が跳ねそうになる。……この状況で私の手を取れるのは、隣に居るアルノシュトしかいないのだけれど。
「なんだか今にも倒れそうに見えてな。転ばないよう、俺に掴まればいい」
「……ふふ。はい。ありがとうございます」
彼の腕に手を添えるように絡めて歩けば足が軽くなったように感じた。私に向けられる視線は必ずしも好意的なものではないだろうけれど――大丈夫だ。私は一人ではない。
大きく組み上げられた薪の前まで進み出ると、アルノシュトがその傍に用意していた種火を手に取った。
「今宵はバルトシークの宴に集まって頂いて感謝する。……彼女がマグノからの花嫁、フェリシアだ。ここに居る者たちは多少なりともマグノに興味があるだろう。存分に言葉を交わしながら宴を楽しんでほしい」
そう言って彼は種火を薪へと移した。これで、日が暮れる頃には立派な焚火が出来上がる。その火が消える頃には宴もお開きとなるという訳だ。
さて、宴は始まった訳だが――――途端に私の前に行列が出来ている。獣人たちの素早い動きで目の前に列ができ、思わず組んだままだったアルノシュトの腕を掴んでしまった。
「初めまして、花嫁殿。バルトシーク家の料理を見たのですが、あちらは花嫁殿がご用意されたのですかね。特にあの、兎に見えるリンゴなど」
「え、ええ。そちらは私が手を加えたものです。飾り切りという調理法で……」
最初に話しかけてきたのは長い耳を持つ、兎の獣人だった。その俊敏さでいの一番に駆けつけてきたのである。彼は兎型のリンゴをいたく気に入っており、飾り切りに強く興味を持ってくれていた。
そのような感じで並んでいた人たちの大半は飾り切りへの興味と、女性はミランナや私の編み込みが気になっていたようだ。中にはマグノにはもっと変わったものがあるのか、マグノの人間は貴女のように小さいのかと興味を広げてくれている様子の人もいて、私はそれが嬉しかった。おかげでずっと自然に笑っていられたように思う。
そしてそのほとんどがおおよそ同世代の、若い獣人たちである。少し上の世代も混じっているがそちらは遠巻きに私を見ているだけだ。……料理の方には多少興味があるのか、テーブルのあたりに集中しているが。
「もしかして……若い世代はあまり、マグノに対して確執がないのでしょうか」
「俺たちは戦争を知らないからな。……少なくともこの場にいる者の大半はそうだ」
行列がなくなったところでアルノシュトに尋ねてみるとそう返答が来た。つまりこの場に呼んでいるのは偏見の少ない者たちで、若い世代でも上の世代から伝わった意識を持っている者は多いのだろう。
この場だけ見るとマグノとヴァダッドの交流も簡単に思える。けれど、これは本当にごく一部なのだ。
炎に照らし出される獣人たちの衣服の金の刺繍が火の揺らめきを反射して輝く様は美しい。もし、マグノ式の宴をするならやはり、その衣装が映えるような設営にするべきだろう。……さすがに気が早すぎるだろうか。けれどそんな未来を思い描きたくなるほど、私は今の光景に安堵していた。彼らがマグノを受け入れてくれる可能性が見えたから。
「俺たちも料理を食べよう。……我が家の物は無理そうだが」
「ふふ……ありがたいことですね」
宴が始まってからバルトシークの出した料理の元には常に人が集まっている。しかし彼らはなかなか食べようとせず、珍しい形の食材を鑑賞しているようだ。
そんな中で誰かの「ああっ!」という、落胆と驚愕の入り混じった大きな声が響く。よくよく見てみればシンシャが料理を取り分けてぱくぱくと口に運んでいた。
「料理だぞ。食べないともったいないだろうに」
そんな台詞が聞こえてきていつぞやのミランナを思い出した。やはり兄妹は似ているものである。ミランナとも話したかったけれど彼女は女性の獣人に囲まれていて話せそうにないので、暫く各家の料理に舌鼓を打った。どの家も肉や魚の料理を持ってきていたのでバルトシークが野菜メインのスープを出したのは良かったのかもしれない。
「こんばんは、花嫁殿」
料理を楽しんでいたところで背後から声を掛けられて振り返った。そこに居た男性は少し色のついた眼鏡をかけていて、耳の形がとても変わっているので一瞬種族が分からなかった。耳の位置にあるのはアルノシュトやミランナのような耳ではなく、羽に見える。髪の色は茶色を基調にした斑で、眼鏡の奥の獲物を狙うような鋭い眼光に背中がぞくりとした。
(……
その人はゆったりとした動きで大きく首を傾げて私を見る。その動きでやはり梟の獣人なのだと確信した。
「我々を獣と嘲る魔族の貴女は、一体何を思ってこの場においでなのかお伺いしたく」
その言葉はまるで鋭い爪のように私の中に食い込んで、心臓を鷲掴みにするようだった。
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