第一裁判
ミツキに連れられ、たどり着いた建物は、朱塗りの門構えの巨大な宮殿だった。
「ミツキ、裁判所って、ここ? 広いねぇ」
「あぁ、普通は亡者は三途の川を越えたら迷わずここへたどり着くものなんだが」
大きな門をくぐると、那津は待合室のようなところに入る。
けれど、そこには那津以外の亡者は誰もいない。
「あれ? 私一人だけ?」
「朝の裁判は、もうお前で最後なんだろう、寄り道なんかしているからだ」
「なるほど。現世で真面目だったんだから、死後の裁判での遅刻くらい大目に見てくれるだろうか?」
「死後に会いたい人に一目会えるのは、亡者の権利だから、お咎めはないはずだが」
「そっか、よかった」
那津は、今から裁判で自分の希望を伝えるのだから、少しでも心証を良くしたいと思った。椅子に座って隣にいるミツキにちらちらと視線を送る。
小さい頃のミツキしか知らなかったけれど、話していても、不思議と今のミツキに違和感はない。
「なんだ? 何かあるのか」
「うん。あのね、ミツキ、立派な神様になったんだね」
「……なんでそう思うんだ?」
「なんでって。私と現世で出会った時は、修行中だったんでしょう? こっちに帰っているってことはもう修行は終わったのかなって」
「那津、あの社行ったのならわかるだろう。俺は神様の中では落ちこぼれだよ、参る人もいない社は朽ち果てて、下界では、なんの力も影響力も持たない」
確かに、死ぬ前にミツキに出会った神社へ行ったが、空虚な箱のようだった。けれど、それは単にミツキが神様の国へ帰っているから空っぽなのだと思っていた。
「ミツキ……けど私は」
そう続けようとした時だった。入り口から、銀色の長髪をした大男が顔を覗かせる。
「あれ? ミツキ様だ。なんで、神様が裁判所なんかにいるの?」
その大きな声に、那津はびくりと体を震わせる。形は大男だが、歌舞伎に出てくるような美丈夫で花がある男だった。
「鹿島こそなんで、第一裁判所なんかにいるんだ? 三途の川の守はどうした」
「ん? 今は三島がいるから、ちょっとくらい亡者を待たせたところで問題ないわ、渡航記録の書類持ってきただけ」
三途の川で働いているらしい鹿島と呼ばれた男は、手に紙の束を持っていてそこには、名前と日付が書いてあった。
「鹿島。こいつも多分、近々渡るから、その時は頼む」
「そうなの? あれ? けどどうして川を渡っていないのにこっち側にいるわけ? 死者の国へ違法入国なんて重罪人とどういう知り合いなの」
「昔の」
ミツキは、その先を言わなかった。友達だって紹介してくれると思っていただけに、少し那津はがっかりした。
「ふーん。若いのに、ご愁傷様です。けど既にこちら側に渡ってきてしまっている以上、もう一回戻って川を渡ることはないんじゃないかしら? その分裁判で罪が加算されることになるでしょう」
「なんだ、それ」
ミツキは鹿島に食ってかかった。
「だって、その亡者死後七日経っているんでしょう? 死者の旅の逆戻しなんて聞いたことがないし、ここへくるまでの旅路全てを含めて亡者の罪の重さになるんだよ」
「え、じゃあ、川を渡っていない私は、すぐに地獄に落とされるんですか?」
那津は、それは正直困ると思った。自分は裁判所で何が何でも自分の希望を叶えてもらわなければいけない。
――死者の国で働きたい。ここにいたい。
「そうねぇ、うーん」
鹿島は、まじまじと品定めをするように那津の顔を覗き込む。そして、何かが見えたのか、にっこりと人のいい笑みを浮かべた。
「普通は川を越えないでこちらにくることは出来ないのよ。けど、それが出来たということは、三途の川越えるよりも優先すべきことがあると、この世界に判断されたんでしょう」
鹿島はそういって那津を安心させるように頭を撫でた。鹿島が言った三途の川を渡るよりも優先させるべきことというのは、ミツキともう一度会うことだった。
病気で伏せっていただけで、現世で善行を重ねていた訳でもないのにこの世界の理はとても自分に優しい気がした。
自分の希望を叶えてくれたのだから。
「まぁ、もし地獄落ちになったとしても、ちゃんと刑罰を受ければ、すぐに転生できるから、心配はいらないわね。その年で転生できないほどの重い罪を犯してるとも思えないしぃ」
那津は鹿島からバチンとウインクを送られる。
ただ鹿島とミツキに心配されても、那津は転生する気などなかったので、もう一度三途の川を渡る心配や、地獄での刑罰の重さなど心配していなかった。
「で、さっきの続きだけどぉ。この可愛い亡者、ミツキ様の知り合いなんでしょう、現世のどこで手つけたの? 修行中? やらしいんだ」
「おい、言葉に気をつけろよ。天部から十王庁へ苦情だすぞ」
「あら? 十王庁へ苦情を出したところで、私は渡し守よ、代わりなんてすぐに見つからないし、すぐに解雇なんてできないでしょうよ」
「チッ」
「神様に目をかけられている亡者なんて普通いないわ、きっと、あなたはミツキ様のトクベツなのね」
「そう、なのですか?」
「そうそう、死んでまでこうやって神に付き添われる亡者なんて、特別じゃなくてなんなのかしら、面白いったらない」
鹿島は大きな声で笑う。
「おい、鹿島」
鹿島は、ミツキの怒りなど気にもしていないようだった。
「じゃあ、私はもう行くわ、ではミツキ様、たまにはうちにも遊びに来てくださいな」
「誰が行くか」
「あら、よく河原に地蔵菩薩様と来るじゃない、お茶くらい出すわよ」
「あれは仕事だ。遊びに行っている訳じゃない」
「つれないのね。まぁーあんまりサボらせると、私がミツキ様のお師様に怒られるか、じゃあね」
鹿島は笑いながら部屋から出て行った。ミツキは大きなため息をついて天を仰ぐ。
「那津。別に、鹿島はああいってたが、地獄の刑罰なんて、一瞬だからな、そんなに痛くないし、怖くない」
ミツキは那津の方を向かずそう言った。照れているのだろうか。
「あれ? ミツキ心配してくれてるの。ありがとう」
「ただの昔のよしみ、だ」
「私はミツキが昔のこと覚えてくれていたことが嬉しい」
友達だとは言ってくれなかったが、昔あったことはちゃんと覚えてくれていて、心配してくれていることが那津は、純粋に嬉しかった。
「ねぇ、ミツキ」
「なんだ?」
ミツキは、隣に座っている那津に視線を向ける。
「あのね。私、間違ってないと思うから、いつか分かってね、ミツキ」
怒られると分かっていても、この場所にまだ居たいと願っている。
「……おい、那津。やっぱりお前何か、し」
「――佐山那津さん。お時間です」
ミツキが言いかけた時、ちょうど事務官らしい漢服を着た女性が入り口から顔を覗かせる。那津は椅子から立ち上がるとミツキに手を振る。
「じゃあ、行ってきます。ミツキ」
「……おい、まて事務官。裁判を傍聴することは可能だよな」
「え、ミツキ様が亡者の裁判の傍聴ですか? 神様が地獄の裁判なんて見ても何も面白いことなんてありませんよ。もちろん、裁判長の許可があれば構いませんが」
「あぁ、来ることはさっき秦広王には伝えている」
「え、ミツキ見に来るの」
今から那津が裁判で言うことをミツキが絶対に止めると分かっていただけに那津は来て欲しくなかった。
事後報告をしても怒られそうだったが。
「なぁ、那津。神様の勘は当たるんだよ。邪魔されたくないなら、お前は真面目に泰広王の裁判を受けるんだな」
「……わかった、けど、でも終わるまで静かにしててね」
「那津、俺がうるさくするようなことでも言うのか?」
「そんなことは……ないと思う」
「じゃあ、別にいいだろう」
「ぅ、うん」
那津は、すっきりしない物言いを残して、事務官の後ろをついていきミツキの側から離れる。長い廊下を進むと左右の壁には幾つもの部屋があって。他の事務官たちが忙しそうに仕事をしていた。
死者の国といっても現世と変わらず人が生活しているのだなと思った。
(人?)
ただ、少しの違和感を覚えてよくよく見れば、人に見えているけれども、額にはツノが見える者もいた、鬼だ。ただ自分が想像していた鬼の姿とは違って一目見ただけでは人と変わらない姿をしている。
「あの」
那津は、前を歩く事務官に声をかけた。
「はい? 佐山さん」
「あなたも鬼ですか?」
「いいえ、私は違いますよ。たしかに十王庁で働いている者は鬼ばかりですが、全てではありません。元亡者で死者の国に残った者、その末裔、現世から迷い込んでそのままここにいる者もいますね。現世では神隠しというのでしたか」
那津は神隠しは、ただの現世での行方不明者をさす言葉だと思っていた。どうやら現世で突然いなくなった者の中には、死者の国へ迷い込んでいる人々がいるらしい。
「ミツキは裁判所によく来るんですか?」
「ミツキ様は神様ですから、裁判所なんて普段は来ませんよ。地獄と天部は隣合わせに存在しますし、神様は行き来も自由ですが、神様は裁判に干渉出来ませんし」
「そうなんですね」
「えぇ、ですから、今日ミツキ様がこちらに来られると聞いて驚いたのですよ。神様が一体何の御用だろうって。あ、ここです」
自分の背丈の何倍もある高さの大きな扉の前についた。事務官に扉を開けられると、現世のテレビドラマでよく見たような裁判所のセットが目の前に広がる。
この建物自体が中国の宮殿を模したような外観をしている。法廷も同じような形を想像してので拍子抜けした。
「ふふ、もしかして期待はずれでした?」
「少し」
「ここには亡者が考える裁きの場が現れるんですよ。時代によっても変わりますし」
「確かに日本人だから。こっちの方が馴染みがあるけど、自分が裁判の当事者になることなんてほとんどの人がないですね。ドラマで見たことがあるくらい」
「そうですねぇ。あ、さぁ、前へどうぞ」
那津は被告人が立つ台の前へ進むように促された。
後ろを振り返ると、ミツキと宇多が傍聴席に座って那津の方をみていた。
(ミツキ本当に居るし……)
一人証言台の前に立つと、目の前には、裁判官らしい黒髪の眼鏡をかけた生真面目そうな女性が座っていた。秦広王というくらいだから、髭の生えた強面のおじいさんを想像していた。
「佐山那津、十八か。若いのに、現世では苦労したんだな」
「病気でしたので」
「まぁ、病状からすれば、長く生きた方か、誰の願いで長く生きられたか、については貴様の裁判とは関係がないが……」
泰広王は巻物を端から目を通していく。沢山の巻物が置いてあったけれど、那津の巻物の長さは他のものよりも短かった。十八歳までしか生きていないからだろう。
「さて、目は通した。別に、取り立てて殺生などの罪は犯していないようだが……ミツキか。神が後ろについているなんてやり難いことこの上ない。不文律いくつ破れば気が済むのか」
泰広王は傍聴席へと目をやると大仰に息を吐く。
「佐山那津。彼奴が後ろに座っているが、裁判に神が顔を出したところで情状酌量はないぞ」
「それは大丈夫です。ミツキはただの興味で見に来ているだけなので」
「ほぉ、亡者なのに現世での罪に対する減刑をこの場で求めないのか、罪が軽ければ早く転生できるというに」
「はい。もう、此処へ来る前にどうするかは決めていたので」
那津は息を吸った。そして、決めていたその言葉を口にする。
「この世界で働かせてください。私、佐山那津は、現世への転生は望みません」
「働く? 久しぶりだな。我が第一裁判所でそんなことをいう奴は。なんだ、現世での暮らしがそんなに嫌だったのか」
「嫌ではありませんでした。けれど、現世で私は病気で選択肢の中で選べなかったことがたくさんあった。働くという未来もその一つです」
「ここが自分にとって選びたかった選択肢の一つになると、しかし、それだけが望みではないし、一番の望みは、それではない……違うか?」
「それは……」
ここは、地獄の裁判所だ。嘘をついても、裁判官にはお見通しなのだろう。
「まぁ、いい。お前にも譲れぬものがあるのだろうし、ミツキが後ろにいては、やりにくいか」
「いえ、そういう訳、では……」
実際ミツキが裁判へくるのは想定外だった。那津の言葉を境に後ろが騒がしくなる。ちゃんとミツキの声は聞こえていた。けれど、聞こえないふりをして、最後まで言った。
「那津! お前は何を言っている、真面目に裁判を受けろと言っただろう」
振り返ればミツキは今にも殴りかねない剣幕をしている。席を立って翼を使い那津のところまで飛んで行こうとして、宇多と事務官たちに止められていた。
「傍聴席。というかミツキ、静粛に。いかなる理由があろうとも、亡者の言葉は変えられない。知っているだろう」
「秦広王! 那津のそれはただの気の迷い。好きな仕事など転生すればいくらでも得られるものだ」
「ふん……気の迷い。まぁ、それも間違いではない。亡者の気持ちは移ろいやすい。存在自体が不確かなものだ。気が変わることもある。だから、猶予がある。そうだろう?」
「しかし」
「宇多。ミツキを連れて退廷を命じる」
泰広王は宇多に向かって宣言する。
「承知いたしました。泰広王、主の非礼代わりに謝罪致します。ミツキ様、いきますよ」
「おい、まて宇多!」
「待てません。ここは、泰広王の御前ですから、ね」
宇多が、そういって、ミツキの肩に触れると。建物の中だというのに風が吹き、二人の姿はその場から一瞬で消える。
「さて、邪魔者は去ったな」
「すごい……宇多さん……一体何者?」
「アレは、神使の兎だが、風を使う力はミツキより優秀だよ。真面目だし、ミツキの神使なんか辞めて、うちで働けばいいのにな」
泰広王は席から那津を見下ろしてニヤリと笑う。
「では、判決を言い渡す。と言っても、労働希望か。締まりのない終わりだ。佐山那津、四十九日の間であればいつでも裁判の続きを行おうぞ。それ以降は、いかなる理由があっても、亡者の裁判は開かれない。その魂が朽ちるまで死者の国で永遠の時を過ごすことになる」
「わがままを聞いてくださって、ありがとうございます泰広王」
「しっ、かしなぁ。亡者の国で仕事といっても、貴様のような子どもにできるようなものがあっただろうか」
「なんでもします! 働きたいんです」
「ほぉ、その心意気やよし。そうだ。三途の川で三島が鹿島がサボると愚痴っておったなぁ。そこで、働くといい、書類は回しておこう」
「はい」
勢いよく返事をしたものの、三途の川というのは、あの三途の川だろう。
地獄絵図でみるように亡者が泳いで渡ったりする、どこかおどろおどろしい場所だと思っていた。
(怖いところだったら、どうしよう)
ただ、当初の目的を達成することが出来たことで、ひとまずほっと胸をなでおろした。
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