一緒にいる方法
* * *
那津は一人で法廷の扉の前に立っていた。最初に第一裁判所で裁判を受けた時も最後だったが、今日も他の亡者たちの裁判はすでに終わっていたらしく、自分以外は待合室にいなかった。
名前が呼ばれて法廷内に入ると、目の前の裁判官席には泰広王が一人で座っていた。
本来の亡者の裁判というのは、こんなふうに静かなものなのだろう。あの時、ミツキと宇多がいた裁判のほうが例外。
「……決めたのだな。佐山那津」
「はい」
証言台の前に立ち、那津は泰広王と向かい合った。
「裁判の続きをといったところで、以前と同じで、佐山那津には、特筆すべき罪もない。次の裁判所へこの書類を回すだけだ。貴様はすぐにでも転生できるだろう。現世での行いが良かったということだ」
泰広王は、那津の現世での行いが書かれた巻物を手に取った。
すでに、第一裁判自体は前回終わっているので形式的なものだった。
「ありがとうございます」
「さて、残された時間はまだ少しだけある。せっかく二人きりなんだ。話でもしようか」
「話、ですか?」
「あぁ、ただの雑談だよ。三途の川で働いて楽しかったか? 勧めたのは儂だから、感想くらい聞く権利があるだろう」
「楽しかったです……とても」
「それは良かったな」
那津は頷いた。本当に、ここでの時間は楽しかったと思っている。辛い出来事もあったけれど、現世では病で叶わなかった自由がここにはあった。
もう会うことが叶わないと思っていたミツキにも会うことが出来た。言葉を交わすことができた。
「はい、色々わがままを言って、すみませんでした。だから、もう十分です」
「十分か、しかしな……貴様がどう思っているにしても。まだ、十分と思っていない者がいるらしい。本当に、困った神様だな」
泰広王が呆れ声で巻物を机に置いたときだった。法廷内に突風が通り抜け、後ろの扉が勢いよく内側に開いた。
「ミツキ様、兎使いが荒いですよ!」
「そこは、人使いが荒いでいいだろう、間に合ったから、感謝はしている」
「それは、どうも! さすが私ですね」
傍聴席には、前回裁判を受けた時と同じようにミツキと宇多がいた。
(もしかして、見送りに来てくれた……の)
あの場で振り返ってミツキの顔を見なかったのは、もう一度顔を見れば動けなくなると分かっていたからだ。
「……ミツキ、どうして」
「那津に、伝えることがあったから」
ミツキは傍聴席からまっすぐに那津だけを見つめていた。
「ミツキ。貴様は、何度ここで問題を起こせば気が済むんだ?」
泰広王は机の上に頬杖をついてミツキにそう言った。ただその口調は、困っているというよりは、どこか楽しげだった。
「那津、そっちへ行く」
「は、儂のことは無視か。さすがミツキだな。まぁ、それでこそ、お前か。いい好きにしろ。どうせ、最後だ」
泰広王は手のひらを前後に動かして、先を促した。
ミツキは、歩いて那津が立っている証言台の前にきた。そして、那津の手を握って向かい合った。
「み、ミツキ、ほんと、どうしたの急に」
「那津。俺は、やっぱり那津の幸せを願えない。ごめん」
「私の……幸せ」
ミツキに「那津の幸せ」と言われたとき、自分の幸せは、今だと思った。こうやって、ミツキと言葉を交わし、同じ時を刻んでいる今が那津の幸せだった。
だから、これ以上の幸せは、この先きっとどこにもない。
そんなことは、わかっていた。
それでも、ここを去ることを決めた。
亡者である自分が、ミツキのそばにいることは、神様であるミツキを苦しめることだと知ったから。
「ミツキ……私は、大丈夫だよ、そんな謝らなくても、それに、ミツキは私の神様じゃないんだから、ね」
上手に笑えているか自信がない。ミツキは唐突に那津を自分の胸に引き寄せた。
「那津、俺は、神様をやめる」
突然自分の頭上で言われた言葉が理解できなかった。那津は慌ててミツキの拘束から逃れるとミツキの目を見る。
その瞳は冗談でなく本気だと言っていた。
「な、なんで、ミツキ、頑張って修行したのに! どうして」
「那津がこの世界を選べば、この先、どんなにお前が願っても、もう次の命を生きることは出来ない。ここは、ずっと変わらない世界だから。そんなつらい未来を俺は那津に望んでいる」
「ミツ、キ……?」
ミツキは苦しそうにそう吐き出した。
「それでも……那津、一緒にいて欲しい。俺は、そう願っている。だから、もう神様ではいられないんだ」
「駄目だよ、そんなこと。だって、ミツキはせっかく神様になれたんだよ……」
那津はミツキから顔を背けた。自分が願っているのは、この世界で生きるミツキの幸せだ。自分のわがままに付き合わせるわけにはいかない。
自分は、ここでミツキと生きたいと願ってはいけない。ミツキの幸せを願わなければいけないのに、それができない。
「何故、駄目なんだ? 佐山那津」
「泰広王、だって、私は、ミツキの幸せを」
「言ってるじゃないか、そこの馬鹿な神が。お前がここにいるのが、ミツキの幸せだと」
「……え」
那津の手を握るミツキの顔を恐る恐る見上げる。真剣な目は、まっすぐ那津を見つめていた。
「神様でなくなっても、佐山那津がいれば、それでいいと言ってるんだ。現世のドラマでもこんな面白いこというヒーローは今どきいないぞ?」
泰広王はからからと楽しそうに笑った。
「……ミツキは、私といると幸せ、なの?」
那津は、ゆっくりと言葉を確かめるようにミツキに尋ねていた。ミツキは、優しげに微笑んでいた。
ミツキはこんなふうに笑う。那津はミツキの、この貌を知っていた。
現世で子どもの頃、共に笑い合った。キラキラと今でも色鮮やかに残っている。楽しかった思い出。
生まれ変わっても消したくない、那津の大切な記憶だった。
「お前をこの先苦しめると分かっていても、那津が、そばにいるだけで幸せを感じてしまうんだ。駄目な神様だろう?」
どんなに自分が一緒にいたいと願っても、言葉を返してくれなかったミツキが、自分と一緒にいることを望んでくれている。
「駄目じゃない、駄目じゃない。嬉しいよ、けど」
それは、許されることではないと思った。
「けど、なんだ?」
「せっかく神様になれたのに、つらい修行だって。それに、ミツキが神様じゃなくなったら、困る人々はたくさんいる。宇多さんだって、仕事がなくなっちゃうよ」
突然、話を振られた宇多は目を丸くする。それは今聞いたという顔だった。
「え、やめる? ミツキ様、神様やめるんですか。言葉の綾でなく?」
「俺は、もう神として相応しくない、神格はこのあと、お師様に返すことにする」
「そんな、ミツキ様。急に」
「あぁ、その件は、大丈夫だろう宇多」
泰広王は何か思いついたような顔をした。
「泰広王が私を雇ってくれてるってことですか? 嫌ですよ、お役所仕事は」
宇多は焦り涙目で泰広王の方を向く。対して泰広王は、それほど大事に感じていないようだった。
「宇多、落ちつけ。そうじゃない、お前は神使のままで大丈夫かもしれないよ? ところで、佐山那津」
泰広王は、那津を呼んだ。
「……はい」
「貴様の本当の願いを、今、ここで言え」
泰広王に、そう言われて那津は、胸に手を当てた。
「私の……本当の、願い」
ここで仕事をしたいと願った。現世で出来なかったことをこの世界でやりたかった。その願いが叶った今も、ここに那津がいたいと願う理由。
最後に残った自分の望み。
――ミツキと生きたい。
ミツキと共に生きていく方法を探したい。那津がミツキとここにいるために、ここで、ミツキと共にいるためにできることが知りたい。
那津は、現世の山で宇多に聞いた言葉を思い出していた。
――え、死者の国で働けば神様になれるの人間が?
――神様になるための修行も必要ですよ。よっぽど現世で徳を積んでいれば、簡単ですが、それでも、人間からみれば、気の遠くなるような時間がかかります。
那津は、ゆっくりと口を開いた。そして、自分の本当の願いを言葉にする。
「……私は、ミツキと同じになりたい。神様に……なりたい」
「那津」
どんなに、苦しくて、つらくても、どんなに時間がかかっても。
この世界で、ミツキのそばにいるために、那津ができることをしたいと思った。
「佐山那津。貴様がこの先、どんなに願っても次の人生は選べなくなるぞ、人ではなくなるのだからな。いいのか? それに、今までお前が生きた過去の歴史は全て消えてしまうぞ」
那津は笑った。
「それが、私の本当の願いです」
那津は隣にいるミツキの顔を見上げる。
「だ、そうだ。ミツキ。そういう訳で、これで、お前は、どんなことがあっても神をやめたり出来ないよな? これから続く長い長い那津の修行、お前はただのミツキとして隣で見ているだけか? 違うよな。正しく神として導きたいと思うだろう」
「泰広王……」
泰広王は、席を立つと那津の前まで歩いて行き、那津の裁判記録の巻物をミツキに手渡した。それは、ここで那津の人としての魂が終わることを意味していた。
もう再び、この魂は人に戻ることはない。神様になれたとしても、なれなかったとしても。
その魂が消滅するまで、永遠の時をここで過ごす。
「那津……簡単じゃないんだ。辛くても、後戻りはできない」
那津は頷く。
「ここで、この世界で、ミツキと生きたい。誰にも理解されなかったとしても、ミツキと同じ世界で生きたい」
やっと伝えられると思った。いつか、この思いを伝えたいと思っていた。ミツキが同じように願ってくれるのなら、迷う理由はなかった。
「私と一緒に生きてくれますか? ミツキ」
「あぁ、遅くなってごめん」
ミツキは、泰広王から、那津の裁判記録を受け取ると。那津の手を引き法廷から出て行った。
「宇多、また、お前を十王庁へ引き抜くことが出来なかったな」
「泰広王、そろそろ諦めてください。私は、神使の兎です。この先もミツキ様にしか仕える気がないんです」
「たいした忠誠心だ」
「忠誠心、というよりは恩義です。もし、ミツキ様が神様をやめるとしたら、私は、きっと、その時点で消えてしまうと思います」
宇多は言い終わると泰広王に頭を下げた。
「それは残念だ。さて、では閉廷としようか宇多」
「はい。我が主に代わって、お世話になりました」
「あぁ、また、佐山那津を連れて、遊びにくればよい……いや、違うか、あいつはもう、ただの那津だったな」
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