エピローグ

 *  *  *



 そうして那津は、神様になるための道を歩み始めた。

 神様見習いになっても、ミツキのように空を飛んだりは出来ないし、見た目は全く以前と変わっていない。それでも、那津は、自分の中で何かが少しづつ変わっていくのを感じていた。

 人とは違っていく意識。

 それでも変わらない大切な人を思う心があった。

 修行として現世へ行くと、那津が暮らした家から仏壇は消え、両親は別の子どもと幸せそうに暮らしていた。少しだけ通った学校の卒業アルバムにも那津の名前はない。

 佐山那津は、最初から存在しなかったことになっていた。

 那津は、自分の歴史が天部に引き継がれたことの意味を全て理解した。

 悲しくないといえば嘘になるが、それでも後悔はなかった。



「那津、おかえり。どうかしたのか?」

 現世の修行から久しぶりに天部の山に帰ってきた那津は、ミツキが住む社の裏庭から朝靄に包まれる山並みを見下ろしていた。

「ミツキただいま。綺麗だなぁって思って山を見てた」

「そのうち、飽きるだろ」

「そんなことないよ? 私、ここが好きだから」

「なら、良かった」

 いつの日か、神様の国と呼ばれる、綺麗な世界をみせてあげると約束したとき。

 ミツキは幼いながらも、住む世界が違う人間と自分は、共に幸せになれないと分かっていた。だから、せめて現世で那津が幸せになれるようにと、何度も大切な人のために糸を結び願った。

 けれど、共に生きることが出来ないはずだった二人は、今たしかに同じ世界で生きている。

 神様に愛された人の子は、同じように神様を愛してしまったから。

「ねぇミツキ。あの木、登っていい?」

 那津は、唐突にミツキの手を引いた。

「急に何だ。もう子どもじゃないんだぞ。それに、お前だと落ちて怪我する」

「大丈夫。ミツキがいれば落ちないし。いいじゃない。たまには昔を懐かしんだって」

「怖いとか言うなよ」

「言わない言わない、ちょっとミツキに今から見せたいものがあるの」

 那津の木登りが下手なのは分かっていたので、ミツキは自分の翼を使って飛び、二人で木の上に降り立った。さっきより高い位置から見下ろした山の景色に、那津は満足しているようだった。

「……なぁ、那津。現世へ行ってきたんだろう」

 那津と共に生きることを決めたのだから、もし那津が悩んでいるのなら、ミツキは一緒に悩みたいと思った。

 きっと、自分の生きた証が全て消えていたことに気づいて落ち込んでいるだろう。どんなに今が幸せだったとしても、過去が消えているのを目の当たりにして傷つかない訳がない。それが大切な家族だったら尚更だ。

「うん行ってきた。全部、無くなってたよ」

「……そうか」

 ミツキは、隣に座る那津の手に自分の手を重ねた。

「でも、消えてないものもあったから、大丈夫。もちろん少しだけ悲しかったけどね」

「消えてないもの?」

「うん。私とミツキが初めて出会った山の景色、今も綺麗だったよ。だから、ね。早く帰ってミツキに会いたくなった」

 那津はふわりと微笑む。思ったほど落ち込んでいないことが分かって、ミツキは少しだけ安心した。最近、よく宇多に那津のことになると過保護だと言われるが、その通りかもしれない。

 この世界に那津を縛り付けた責任、無論、惚れた弱みもある。

「ちゃんと、修行は真面目にしてきたのか」

「もちろん。ちゃんとしてきたよ。だから、ミツキに最初に見て欲しくて、ほら、お師様に見つかったら、修行中のくせにって、怒られちゃうから、ここで、ね」

 那津は口の前で人差し指を立てて秘密だよと言った。もちろん、天部の山にいる限り、何かすればすぐにお師様にはバレるだろう。

「何をする気だ? お前が怒られると、俺も怒られるんだけどな」

「んー、じゃあ一緒に怒られてくれる? これは、怒られてもやりたいことだから」

 那津は、そういうとミツキの手首を掴み自分の顔の前に持ってくる。そして、昔、現世で、ミツキが那津にしたのと同じ手順をなどった。

 縁の糸を結ぶ。

「な、那津」

「黙ってて! 真剣なんだから」

 那津はミツキの手を取り、そっと小指に口付けた。

 まだ修行中で、その那津の辿々しい手つきが、あの日の自分と重なった。

 ずっと好きだった。

 物怖じせずに声をかけてきた那津、その眩しい笑顔に、魂に惹かれてしまった。

 この子どもを自分が幸せにしたい、共に生きたいと願った。共に生きれば不幸になると知っていても、願わずにはいられなかった。

「ミツキが、この世界で私と幸せになれますように」

 那津は一連の流れが終わると、恥ずかしそうに笑った。

「どうかな? ちゃんと、結べてる?」

「あぁ、ちゃんと見える」

 天に手をかざせば、銀糸が小指に輝いていた。

「けど那津。お前は、これから神様になるんだ。神様の幸せなんか願うな」

 改めて願われなくても、十分すぎるくらいに幸せだった。苦言を呈しながらも内心は那津に結ばれた糸が嬉しくて、心が浮ついている。

「じゃあ、まだ、私は神様じゃないから、ギリギリセーフ?」

 神様同士で幸せを願い合うなど、お師様に知られると叱られるだけでは済まない。

 それでも、いいと思った。この件に関しては、一緒に怒られ罰を受けようと思う。

「……どうだろう。ま、今だけだ」

「ねぇミツキ」

「なんだ?」

「――私の幸せ、願ってくれてありがとう」

 ミツキは那津の頬に優しく触れ、そっと唇に口付ける。

「どういたしまして。こちらこそ、そばにいてくれてありがとう、那津」 

 

 ――これは、長い時をかけて縁の糸を紡ぐ神様たちの物語。


  おわり

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