神使になりたかった白兎

七都あきら

神使になりたかった白兎

 現世には、さまざまな兎が出てくるお話がある。

 仇討ちでタヌキを泥舟に乗せた兎、カメとかけっこした兎。そういえば、可愛い女の子を不思議の国へ連れてったすごい兎もいたかな?

 兎は、よく分からない生き物らしい。

 宇多は、現世の人間の考えたその多岐にわたる兎のキャラ付けに、いい加減うんざりしていた。

 兎って笑わないし、無表情だって言われるから、それが原因だろうか?

 犬や猫は、その豊かな表情のせいか不思議とキャラ設定は一貫していた。

 忠犬だとか、気まぐれな猫だとか。


 兎って、一体どんな、生き物かと聞かれても宇多は分からない。

 ずる賢いところもあり、ちょっぴり抜けているところもある。

(寂しがり屋で死んじゃったのって本当?)

 兎のことは、兎が一番分かっているだろうって、言われても。宇多は元々兎じゃないので、まだまだ兎について、理解の及ばないところが沢山あった。

 だからこそ、兎のことを知りたいって思った。

 今日、宇多は、朝から、そういう気分だった。


 こんなことを考えてしまうくらいには、宇多は、暇だった。

 神様のお使い「神使」といえど、休日くらいは普通にある。


 宇多は、現在、自分が仕える神様、ミツキが住んでいる社の居間で寝転がって、世界の兎の物語を読んでいた。畳の上、だらしなく、うつ伏せて本を読んでいたので、緋袴の着付けはぐちゃぐちゃ。髪の毛は寝癖で跳ねている。

 宇多は、兎の姿になれるだけで、実際は兎ではない。

 天部の山に住む住人には、兎の姿は、ただのコスプレだといつも言っている。

 実際、兎が好きなので嘘は言っていなかった。

 兎の仮の姿は実に便利だ。

 事実、この社に、神様見習いとして勉強に来ている那津が、宇多の兎バージョンを大変お気に召している。

 時々、動物の姿に変身して遊んでもらっているが、本当は可愛いなりでも百歳をゆうに超えているので、少々後ろめたく感じたりもする。

 けれど、もふもふされると、なんだが気持ちいいし、兎になるのはやめられない。これが動物の、否、兎のさがなのだろうか?

「……はっ! もしかして、これが、イメクラ? 兎のお触りプレイ」

 宇多が、そう口にした時だった。後ろから勢いよく本で頭を叩かれた。振り返るまでもなく、ここの家主である神様であることは分かっている。宇多の頭の上の兎耳はペタリと垂れてロップイヤー状態になった。

 ミツキはいつも宇多には容赦しなかった。

 この神様が、見ているこっちが胸焼けするほど恋人の那津を甘やかしているのを知っているだけに、これは、きっと兎差別だろう。

「い、痛いですよ。ミツキ様ぁ」

「宇多、お前は、昼間っから人の家で、なんつーエロい本を読んでいるんだよ!」

「別に、えっちな本なんか読んでませんよ、ミツキ様じゃあるまいし」

 宇多がそう言うと、ミツキは眉間にしわを寄せて宇多の頬をぐいっと抓った。

「……誰が読むか。別になぁ、休みの日くらい自分の神使がどこで何していてもとやかく言う気は無いが、エロ本なら自分の家で読め」

「だーかーらー誤解です! 絵と写真は多いですけど」

 宇多は、自分の横に積み上げていた絵本をミツキに開いて見せた。

「ね、ちゃんとした本でしょう」

「絵本って、お前、そんなの餓鬼が読むもんだろ」

「えー、でも面白いですよぉ、現世の絵本。十王庁にある図書館から借りてきたんです。ミツキ様もどうですか? 読書」

「絵本ねぇ」

 そう言って、宇多の隣に胡座をかいて座ったミツキは、積み上げられた本に目をやる。

「お前、これ兎の本ばっかりじゃねーか、自分大好きかよ」

「違いますぅ。兎会でいま流行りの自己分析ってやつです」

「はぁ、兎会? あんまり怪しげな集まりには行くなよ、仮にも俺の神使なんだから」

「怪しげな集まりて、別にサバトに行ってるわけじゃないですよ」

「どうだか……」

「ただの野うさぎの井戸端会議ですって! で、兎って、キャラ設定が一貫していないって話が、前回の議題で……私も兎がどういうキャラかよく知らないので本でも読んでみようかと」

「兎ねぇ、兎は兎だろ」

「そんな、身も蓋もないことを言わんでください。これでも、兎たちは、日々キャラ設定に悩んでいてですね……兎って、やっぱり不思議ちゃんかな?」

「宇多」

 ミツキは、宇多の話を遮るように呼ぶ。宇多が絵本から顔を上げて振り返ると、ミツキは宇多の頭をぐしゃぐしゃとかきまぜた。乱暴にするので頭の上の兎耳が痛かった。

 那津と違って、ミツキは、本当に兎の扱いがなっていない。

「なんですか?」

 宇多が、不満げにそうたずねると。ミツキは、小さく息を吐いた。

「今日は暇だ。それに、部下の悩みを聞くのも、上司の仕事だから聞いてやらなくもない」

 素直に、心配だと言えばいいのに、ミツキは、わかりにくいけど優しい神様だった。

 確かに、言われてみれば、部屋で読書なんてらしくない行為だ。変になったと思われても仕方がない。

「……別に、悩んじゃいません。ただね、珍しく雪が降っていたので昔が懐かしくなっただけですよ」

 下界と違い、この辺りの山は、年中同じような景色だ。

 けれど、時々風流なんてものを思い出したかのように、この世界の誰かが下界の季節を真似てみせたりする。だから、今日は朝から雪が降っていた。

「ほら、悩みがあるなら早く言え宇多、速攻解決してやる。そろそろ那津が来るしアイツは心配性なんだよ」

「……過保護ぉ」

「五月蝿い。お前だって、那津に心配されたいわけじゃないだろう」

 ミツキが言うように、那津に、自分の身の上話なんてしたら、きっと泣いてしまう。

「それはまぁ、そうですけどぉ。てか、ミツキ様、早く那津さんと暮らせばいいのに。そしたら私も、那津さんにもっとお膝で撫でてもらえますし」

「……おい、宇多」

「はい?」

「俺は、まだ、那津に膝枕もしてもらっていない」

 ミツキに恨みがましい目で見下ろされる。

 自分を優しく抱きしめる那津の姿に、宇多は、遠い昔の自分を重ねていた。

 昔、白い兎を抱きしめて、癒されていたのは、外でもない自分だった。

 けれど、宇多は兎の魂を持った今でさえ、兎の本当を何も知らない。

 知っているのは、その兎が、とても心優しい生き物だったということだけ。

 今日、こんなに、ひどく寂しい気持ちになるのは、きっと寒いからだ。

「ねぇ、ミツキ様、私が、ミツキ様の神使になった日のこと覚えていますか?」

 

 ――その日も、こんな風に、気まぐれに雪が降っていた。


* * *


 宇多は、ミツキの神使になる前は、とある山の神様だった。

 自分が山神になったのは、何も自然を愛していただとか、人里の五穀豊穣のような、大層な志があったわけじゃなかった。

 山神の家系に生まれ、神様になるためのレールの上を歩いた結果、神様になっていた。

 だから、神様なんてものは、ただの仕事で、資格職。そこに神様らしい心なんてものは、必要ではないと宇多自身、身をもって知っていた。

 神様になったばかりの、宇多は、とにかくすれていた。ぶっきらぼうで、世を悲観的にみていて、可愛いのカケラもなかった。近寄りがたいその雰囲気は、ある意味神様らしいとも言えた。

 宇多が思うに、威厳と冷たさは紙一重。

 だから、宇多は、神様のような心は、いつも神様以外が持っていると感じていた。

 例えば、いつも宇多の荒んだ心を癒してくれる、この隣にいる白兎がそうだった。

「山神様は、いつも寝てばかりですね」

 この山で修行しているという白い兎は、ぴょこぴょこと跳ねて宇多のところにやってきた。

「山の神様だから、いま此処で山を守ってるんだよ」

 ただサボっているだけだった。

 宇多は白兎に嘘をついた。この兎は、素直で、心優しく、勉強熱心。自分が持っていないものを沢山持っていた。

「へぇ、そうなんですね。じゃあ、俺も山神様の近くでいます。何か学べることがあるかもしれませんから」

「どうだろ、あ、じゃあ、私とお昼寝しよ白兎」

 そう言って、そばにひっついてくる白兎のことを宇多はとても気に入っていた。神として自分がどうあるべきか日々悩んでいても、その白兎が側にいてくれるだけで、荒んだ心がふんわりと温かくなったから。

「ねぇ、でも白兎」

「なんでしょうか? 山神様」

「私にひっついていても。私は、兎の神使は持たないよ」

「確かに、そう思われても仕方ないですが、そんなつもりはないですよ。でも、俺が、もしお狐様なら、山神様のそばで一緒にお仕事が出来たかも」

「白兎は、神使になりたいの?」

 寝転がっていた宇多は体を起こして、白兎を見下ろした。

「えぇ、俺は、まだまだで、なんの力もありませんが、いつか神様の力になれる神使の兎になりたいと思っています」

「……そう」

 例えば宇多が山の神じゃなければ、すぐにこのお気に入りの白兎を自分の一番の神使にした。

 宇多がこの山で意見出来る立場なら良かったが、現状では、この白兎を自分のそばに置くことは、土台無理な話だった。

(父も母も兎嫌いだからなぁ)

 理由は、兎が、とてもずる賢く、意地の悪い生き物だかららしい。昔話のことを言っているのかもしれないけれど、そんな一部の兎を例にして言われても、実際目の前にいる白兎は、真面目ないい兎だった。どんなにすごい力を持っていても悪い狐だっている。

「ねぇ、白兎。別に、私のそばにいたければ、ずっとそばにいればいいよ。少なくても私は狐より、兎の方が好きだしね」

「え、本当ですか! わー。嬉しいなぁ」

 ゆくゆくは、神様の使いとして働くことが夢だと語った白兎は宇多の言葉をとても喜んでいた。兎の顔は無表情だなんて言うが、宇多はこの兎の表情の変化だけはよく分かった。

 嬉しそうにしたり悲しそうにしたり。ころころ表情が変わる。

 なんなら、神様のお使いなんかじゃなくて、白兎自身が神様になった方が、人里のためになるはずだ。

(こういう真面目でまっすぐな彼の方が、きっと神様に向いているのだろう)

 宇多は、山の木々の隙間から青い空を見て、そんなことばかり考えていた。

 神様なのに、宇多の心は、日に日に荒んでいた。そして、荒んだ心は、山をも荒らす。父と母には、何度も叱られた。

 けれど、仕方がなかった。多分、自分には神様の資格なんかないのだから。


 ――宇多は、自分が神様でいることに悩んでいた。


 山を守るという仕事はちゃんとしていた。ただ、結局それだけで、いつも心が伴っていない。

「ねぇ白兎、修行中ってことは、人の姿になれたりするの? ていうか、名前は? ずっと白兎じゃ呼びにくいよ」

「人の姿、ですか? うーん。やってみますけど、変でも笑わないでくださいね」

「笑わない、笑わない」

 白兎は、じゃあというと、ポンと煙に包まれた。そして、現れたのは、黒い髪になのに、頭へ白い兎の耳をつけたままの青年だった。それをみた宇多は、その場で転げ回って笑った。

「山神様! わ、笑わないって言ったのに!」

「だって、白兎なのに、黒髪のお兄さんだし。変だけど可愛い〜」

「俺が、知っている人間の姿は、この人里の方々くらいですから、必然的に似てしまって。化けるのはやっぱり下手ですね。兎なので」

 それこそ、キツネや狸ならそういうことも得意だろうと白兎は言った。

「笑って、ごめんごめん。でも、人の姿になれるってことは、そろそろ神使にもなれるんじゃないかな」

「そうですね、今度、俺、天部へ面接に行くんですよ。ミツキ様って神様です。どうやら、気難しい方らしいのですが、気に入ってもらえるといいなぁ」

 そう言いながら、白兎は、もとの兎の姿に戻った。もう少し、頭の上に兎の耳を乗せた可愛い姿を見ていたかったので宇多は少し残念だった。

「……ミツキ。あぁ! 分かった。知ってるよ。ミツキ様」

 噂では、無愛想で、冷たい神様だと聞いていた。心優しい真面目な白兎がちゃんとやっていけるのか、他人事ながら、少し心配になってきた。

 自分なら、この白兎をちゃんと使えるのに。突然そんな思いが湧き上がってきた。――嫉妬かもしれない。

「きゅ、急に黙らないでください! 山神様。もしかして、ミツキ様は、すごく、こ、怖い方なのですか?」

「……どうだろ、神様なんて、ろくなもんじゃないから、期待しない方がいいよ」

 自分も神様だというのに、気づけばそんなことを言っていた。

「あ、白兎、あと、名前教えて」

「俺の、名前ですか。うーん。兎の個体を、それぞれ判別出来るのは、山神様くらいのものですよ。俺に名前なんてありません。ただの白兎ですから」

「……そう、なんだ」

 宇多は、その白兎を名前で呼べないことが少しだけ寂しかった。自分の名前を教えて、互いの名前を呼び会いたかったのだ。

「けれど、山神様だって、お名前ないでしょう?」

「あるけど、山神で通じるから、あまり呼ばれないね」

「え、あるんですか! じゃあ教えてください」

「どうしようかなぁ」

 勿体ぶらずに教えればいいのに、宇多は小さな白兎を抱き上げてそのふわふわの毛並みを撫でて楽しんでいた。

「あ、そうだ、白兎が、無事に神使になれた時、教えるってどうだろう」

「えー、それじゃあ、いつになるか、それになれるかどうかも分かりませんし」

 白兎は、困った顔をした。

「大丈夫。幸い、神様は長生きだから、そこは安心していいよ」

「あ、確かに、山神様は、山が無くならない限りは生きられますからねぇ」

 そういって、白兎は嬉しそうに笑って、宇多も同じように笑った。

 自分が生きている限り、白兎は自分のそばにいる。白兎が神使になれば、同じ時を長く過ごせるということが嬉しかった。

「白兎が神使になって、名前をもらった時、私の名前も教えるよ」

「はい、山神様」

「ズルして、他の神様に聞いたら駄目だからね?」

「はい。約束です」

 素直で、優しく、清い心を持ったその白兎が、早く神使になって名前がもらえるといい。ミツキという神様に新しい名前を贈られて喜ぶ白兎を想像すると、少し嫌だったけど。宇多はその日を楽しみにしていた。


しばらくの間、山で白兎と宇多の交流は続いた。

 ミツキに仕えるという話は、進んでいるらしく、お互い名前を教えあうという約束ももうすぐ叶いそうだった。


そんなある日の出来事。

 宇多は、山の神々に呼び出されてしまった。山神である自分が、ただの獣である兎と親しくしているのを良しとしない家族が、白兎と離れろと言い出したのだ。

 どんなに、白兎が素晴らしい心を持っていて、もう少しで天部のミツキという神に仕えると言っても、ただの獣だと一蹴されてしまった。

 そして、そんな家族へ反発する心は、山を荒らしていった。

 神として正しくあろうとすればするほど、自分が、神様という立場から遠くなっていく気がした。

 例え、兎という生き物がどんな生き物でも、宇多が「白兎」を大事に思う気持ちは間違っていないと訴えたかった。白兎と同じ優しい心を持ちたいと願い続けた。


荒れる宇多の心を鎮めるためと、家族から山奥の祠へと閉じ込められて、数ヶ月。

 帰ってきた時には、季節が変わり、すでに山は一面の雪に覆われていた。

 何度修行をやり直しても、宇多の白兎に会いたいという思いは変わらなかった。だから、自分は間違っていないと信じていた。

 はやる心で、宇多は、雪山の中、一生懸命白兎を探した。

(白兎、寒がっているかもしれない)

 会って、早くあの白兎を抱きしめたいと思った。

 けれど、こんなに雪がつもり、山が白ければ、白いほど白い兎を探すのも一苦労だった。

 そうして、やっとのことで、宇多が、山の麓で白兎を見つけたときだった。

 足場の悪い中、宇多は白兎を呼び、駆けていった。

 

 ――それは、一瞬の出来事だった。


破裂音が宇多の目の前で響く。そして、自分と同じように駆けてきた兎は、目の前で動かなくなった。

「……しろ、うさぎ」

 猟銃で白兎が撃たれたと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 白い、雪の中。赤い血に染まった白兎へ、宇多は、よろよろと近づいていく。何度も転んだ。山神が聞いて呆れた。自分の庭なのに、上手く歩けやしない。

 白兎は、猟銃から宇多を守ったのだ。

「なんで、なんで……私は神様で、撃たれたって、何ともないのに、白兎、なんで、こんな」

 宇多の声は、震えていた。

「やっと、久しぶりに、会えたから、俺、嬉しくて、油断しちゃったんですよ。山神、様」

 かばったのだと知れば、宇多が傷つくと思ったからなのか、白兎は偶然を装った。

「猟銃の弾なんて神様があたったら、穢れてしまうから、良かった、です」

 息も絶え絶えに、白兎はそう言った。命の灯火が、みるみるうちに消えていく。せっかく、修行して、もう少しで神使になれるはずだった命が、また一からやり直しになってしまう。

 否、再び同じ命は、生きられない。ここで、この優しい白兎の命は終わってしまうのだ。

 誰よりも、清く優しい心を持っていて、宇多よりも神様みたいな、白兎の命。

 宇多は、そっと白兎に手を伸ばそうとした。

「ダメ、です。触らないで、ください。山神様……が、穢れてしまいますよ」

「でも、人間が……」

 人間に、山神の姿は見えない。

 兎を撃った猟師がもうすぐここへやってきてしまう。そして、白兎を遠くへ連れていってしまう。

 血で真っ赤に染まった兎を前にして、宇多は、手が震えた。

「いいんですよ。兎は、食べ物になる方が、人のため、だから」

 こんな時なのに、白兎は優しげな顔で笑っていた。

「だって、白兎は、神使に……なるって言ったのに。それに、夢が叶うって、名前、教えるって約束したのに」

「……また、頑張るから、次に俺が、白兎じゃなくて、白狐に生まれたら、山神様の側にいさせてください、ね。やく、そく……」

 そう言って、息絶えた白兎を前にして、宇多に迷いはなかった。

 たとえ、自分の神格を剥奪されたとして、その身に穢れを受けて、神様として二度とこの山に戻れなくなっても白兎と離れたくなかった。

「ねぇ、穢れって何、白兎は、綺麗だよ」

 そう言って、宇多は、白兎を優しくその胸に抱きしめていた。


その日は、珍しく天部の山では下界と同じように沢山の雪が降っていた。

 ミツキは「白兎」を使役できる神様だった。だから、この「方法」が上手くいけば、白兎は、ミツキの元で仕事ができるはずだった。白兎は、夢を叶えられると思った。

 宇多は、気付いた時には、ミツキに会うため天部の山に来ていた。


* *


「ミツキ様。お願いです。私を、神使として使ってください」

 ミツキが、初めて宇多と話した時、彼の身なりは、ボロボロでお世辞にも神様には見えなかった。

 以前、下界にいた時の、宇多の美しく凜とした山神の姿を知っていただけに、ミツキは驚きを隠せない。そもそも、神様になったばかりの自分と、目の前の宇多とでは神としての格が違った。

 本来、ミツキは、宇多に頭を下げられるような立場ではなかった。

 そんな宇多が自分の目の前に跪く。

 そして、驚いたのは、姿だけじゃなかった。宇多は、歪な魂の形をして、ミツキの目の前にいた。

「山神の宇多……。神様を使う神様がどこにいるんだ? そんなの聞いたことがない」

「いえ、実は、私、さっき神様じゃなくなくなったので」

 そう言って、自分の目の前で、涙をこぼしている宇多のそばには、不安げな顔をしている白兎が一緒にいた。それは、以前自分の神使になりたいと会いに来た兎だった。

 その白兎は何か言いたいことでもあるのか、ミツキをじっと見上げていた。

 宇多は、そばにいるその白兎の姿を、感じることはできないらしい。

「ミツキ様しか、頼める方がいなくて、私に神使としての力はありません。もう神様でもないですし。でも、白兎は誰よりも、貴方に仕えるべきだった。だから!」

 最初から気付いていたけど、今回の出来事で、宇多は自分が神様の器じゃなかったことを身を以て理解した。

 大切な兎(ヒト)を守れない無力な存在だったことが悔しくて、悔しくて、ミツキの前で、ずっとずっと泣いていた、神使にしてくれるまで帰らないと言ってミツキに縋った。

 それは、大切な人の、夢を叶えられる唯一の方法だったから。


――そして、宇多は、ミツキの神使となった。


* * *


「なぁ、結局、宇多、お前は、俺の神使になってよかったのか? 別に今からだって、修行し直せば山に帰れるだろう」

 そもそも、神様でなくなっても、宇多の力は、泰広王が欲しがるくらいに強い。ミツキは、神使として神様を使っているようなものだった。

「突然何言うかと思えば、私が神様に今からですかぁ?」

「別に、できないわけじゃないだろう。俺だって、色々あったけど、まだ神様だ」

「ミツキ様と私とじゃ事情が違いますよ」

「でも、そんな兎会だ、キャラ分析だするってことは、思うところがあるんだろう」

「違いますぅ」

「じゃあ、なんだ」

 確かに、最初は、大切な白兎の願いを叶えるため、宇多にできることは、一緒に神使になることだけだと考えていた。けれど、今はそれだけじゃない。この仕事にやりがいを感じていた。

 過去の神様の立場に未練もない。

「ミツキ様。そんなこと言って、私を社から追い出す気でしょう。うううう。悲しいです。那津さんと二人っきりで楽しくやろうとして、そうは問屋がおろさないんですからね!」

「おい、茶化すなよ。俺は、真面目に心配してんだからな」

「えーミツキ様……。どうしたんですか? らしくない。いつもなら、ここでほっぺたつねるのに」

「お前が、元気ないからだろう!」

 ミツキはそう真面目に切り返してきた。正直困った。ミツキは、口は悪いが、あの白兎と張り合うくらいに心優しい神様らしい神様なのだ。

「あー。すみません、ミツキ様、心配かけて。でも、本当に、もう神様になるのはいいんですよ。実際、神様には向いていなかったし、前にも言いましたけど、この仕事が天職だと思ってます。そりゃあ、ミツキ様は、那津さんが側にいればいいんでしょうけどね」

「宇多、じゃあ、なんでこんな話したんだ」

「だから! ただ……雪降ってるし、急に白兎に会いたくなって。昔話したくなっただけです。付き合わせてすみません。ホント……やっぱり、あの時、一緒に消えておいた方が良かったかな、なんか今日は、すごく寂しくて……」

 らしくない一言に自分でも驚いていた。

 実際のところ、神格を失った時、白兎の魂と一緒に自分も消えても良かった。神様になるため生まれて、そのためだけに生きてきて、その神様でなくなったのなら魂ごと消滅するべきだった。

 無論、家族も、山神一族の恥だといって存在ごと消えることを望んでいた。

 けれど、どうせなくなる命なら、白兎に、この世界で名前をつけてあげたかった。

 白兎の魂と共に、二人で神使の「宇多」になろうと思った。

「お前がどう思ってるにせよ、宇多……お前が、居てくれてよかったと俺は思ってるよ、そもそも落ちこぼれの神様の神使になりたがる奴はお前らくらいだったし」

「ミツキ様……」

 そう言った時だった、ぐすぐすと鼻をすする音が廊下から聞こえて、襖の向こうに視線を向けた。

「私も、宇多さん、大好きです。消えないでくれて良かったですからぁ」

 襖の陰には、那津が立っていた。そういえば那津がくると、ミツキが言っていたことを思い出した。ここへきてから泣き虫になったという那津は、ぼたぼたと涙をこぼしていた。

 こうなるから聞かせるつもりはなかったのに、うっかり、ミツキと話し込んでしまった。

「あ……えーっと、那津さんいらっしゃい!」

「宇多さんに……、そんな、過去があったなんて……ごめんなさい、私何も知らなくて。兎が可愛いとか抱っこしたいとか、無神経なことを」

 那津はそう言って、宇多とミツキが止める間もなく走っていく。

「あ、ま、まってください。那津さん! 抱っこしてくれていいんですよ! その方が私も嬉しいし……って行っちゃいましたね、ミツキ様」

 玄関の戸が閉まる音が聞こえた。

「行っちゃいましたじゃ、ねーだろ! これ、どうすんだよ」

 昔の悲しい思い出を語って聞かせるつもりではなかったのだ。ただ、誰かに白兎のことを聞いて欲しかっただけで。

「ミツキ様! 早く、早く! 追いかけてフォローしてきてください、お願いします!」

「言われなくても行く。つか、宇多」

 外へ行った那津を追いかける為に、ミツキはその場から立ち上がる。けれど、再び宇多の顔を見下ろした。

「なんですか、ミツキ様」

 その目は、宇多のその隣を見ていた。

「お前らは、宇多だ」

 そんなこと言われなくても、分かっていると思った。ミツキには、今、自分の中に白兎の魂が一緒にあることは伝えている。

「あ、はい……そうですね」

「だから、ちゃんと、俺には、お前じゃない白兎も見えているから」

「……え、そう、なのですか?」

「俺は、最初から、お前とその兎まとめて、自分の神使にしたつもりだ。……欲張りなんだよ」

 ミツキは、そう言い残して那津を探しに外へ出て行った。

 宇多は、一人、静かな居間に残された。

「そっか……良かったね、白兎。あぁ、違う、宇多、か」

 宇多は、もう声が届かない、白兎の魂に呼びかけた。

 宇多という名前と、神使という立場を白兎が喜んでくれているかどうかは分からない。余計なお節介だと、もしかしたら、怒っているかもしれない。

 それでも、時々兎の姿で、彼のことを思い出している時、宇多はとても幸せだった。

(だから、この我儘をどうか許してほしい)

 もちろん、自分勝手な行いだったことはわかっている。だからもう、神様には戻れない。

「多分、初恋かな」

 今更、自分の淡い恋心を自覚したけれど。狐より兎が好きと言ったくらいで、告白らしい告白はしていなかった。そのことを少しだけ後悔した。

「まぁ、でも、毎日一緒にいるんだから、鬱陶しいくらいに、私の気持ちなんて、白兎にも伝わっているだろうけど」

 自分に神様としての資格があったとすれば、雪山で、命を落とした白兎を抱きしめた時だったと思う。確かにあの時は、神様らしい心が、そこにはあった。

 もし、あの時、白兎に手を伸ばすことができなかったら、きっと後悔していた。

 選択を誤らずに大切な人を抱きしめることが出来たことは、今でも宇多の誇りだった。

 山神として、どうしても、あの綺麗な魂を消すことが宇多にはできなかったのだ。

 それが、自分が神として最後にした、正しい行いだと宇多は思っている。

 結局のところ、借りてきた兎の本で、宇多が知りたかったのは、自分のことじゃなくて片割れの白兎のことだった。

 けれど、本を見たところで、宇多以上に、自分の中にいる白兎を理解しているものなどいないことがわかった。

 兎は、無表情。

 意地悪くて、時々可愛くて、ずる賢くて、悪い兎だっているかもしれない。そんなことは、どうでもいいと思えた。

 ミツキの言う通り、宇多は宇多でしかなかった。

「さてと、私も、那津さんを探しましょうか。今日も、もふもふして貰わないと、兎の宇多が拗ねちゃいますからね」

 そう言って、宇多は、目の前に風を吹かせた。

 ミツキより、先に那津を見つける自信がある。

 なにせ「宇多は優秀なミツキの神使」だからだ。

 


 終わり

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