兎の涙

* * *


 那津と三島を見送った鹿島は、その場で煙管に火をつけてくわえた。

「で、いつまで、そこにいるの?」

「……気づいていたのか」

 小屋の裏には壁を背にしてミツキが立っていた。すでに二人が乗った船は小さくなり、こちらの姿は船から見えない位置にある。

「私を誰だと思っているの?」

「奪衣婆」

 ミツキは鹿島の前に姿を現した。

「よくご存知で、ここは私たちの領域だから嫌でも分かるのよ。三島も船を出すときに気づいたんじゃないかしら? で、ミツキ様。私なんかにあれこれ言われたくないだろうけど、本当にいいの? 那津くんがしているのは、あくまで後悔しない覚悟だけ。それに転生して幸せになることが、あの子の本当の願いじゃない」

「那津の……本当の、願い」

 ミツキは鹿島の目を見る。神様は自分なのに、全てを見通されている気分だった。無論、今の那津のことなら、そばで一緒に仕事をしていた、彼らの方がよく知っているだろう。

「あのね。あの子は、ここでやり残したことを全てやって次の命を生きる覚悟を決めた。転生することも、自分で納得している」

「あぁ」

「けれど、それは他でもない、あなたのためよ。ミツキ様が望んでいるから出来た覚悟」

「俺が、望んだから」

「そう。人としての幸せを望んだのは、ミツキ様よ。それに、あなたが自分の全てをかけて守った大切な魂を、あの子は、粗末にできない」

「鹿島……お前も、分かってるだろう。それは、正しいことだ」

「そうね、けど、那津くんも、ミツキ様も、ここで一緒にいたいと思ってるんでしょう。分かっているの? 転生するってことは、記憶も魂も、何もかも消えてなくなるってことなのよ」

「言われなくても、そんなことは分かっている。那津が、幸せなら」

「あーもう! ほんとに分からず屋のうざったい神様ね」

「は? うざ……」

 ミツキは、鹿島に突然大声でキレられて、思わず一歩後ずさった。

「貴方が守りたいのは、人間の那津くんなの?」

 鹿島の言葉にミツキは目を見張った。

「那津くんもミツキ様も、結局似た者同士なのかしら? 人間だから、神様だから、貴方たちは惹かれあったの? 違うでしょう?」

 似ていると言われた瞬間、抑えきれない衝動に突き動かされた。ミツキが、那津に惹かれる理由も、幸せになって欲しいと思う理由も、そばにいたい理由も、一緒にいられない理由も。全てが同じだったら。

「ミツキ様。神使の兎は、今どこなの」

「……山にいるが」

「じゃあ、いいから、今すぐここへ呼びなさい」

「何でだよ」

「いいから、つべこべ言わずに呼ぶ」

 押し切られて、ミツキは仕方なく宇多を呼び出した。ほどなくして、目の前に風が吹く。

「どうしたのですか、ミツキ様……」

 その場に現れた宇多は、ぼろぼろと泣いていた。宇多の嘘泣きは見慣れているが、本気で泣いている姿を見ると胸が痛くなる。鹿島は宇多に話しかける。

「あなたミツキ様の神使でしょう。だから、この神様の気持ちは嫌ってほど知ってる」

「ミツキ様の……気持ち」

「そう、神様と神使の繋がりは、そういうものだって聞くけど」

 宇多は涙目でじっとミツキの顔を見る。

「ミツキ様は、那津さんが大好きです。愛してるって」

「おい、宇多! 勝手に人のこと」

「ほぉら、見なさい、神使は、嘘をつけないし自分が仕えている神様の意思には逆らえない。それをこんなに苦しめて縛り付けて……ミツキ様、貴方に人の心は無いの!」

 鹿島はミツキに指を突きつける。

「俺は神だ、人じゃ無い! 現世の人々の幸せを祈るのが、仕事だ。だから、どんなに愛しても」

「認めるのね。神様じゃないミツキ様自身は、那津くんとはなれたくないって」

「……あぁ。共に生きられたらと願わなかった日はない」

 ミツキは、観念したようにそう口にする。

 神でなければ、那津と同じ人であれば、那津のそばにいられた。

 神である自分に出来たのは、遠く離れている間、ずっと那津が幸せであるようにと願うことだけだった。

「神使の兎、いまの言葉はちゃんと聞いたわね。ミツキ様を、那津くんのところまで連れて行きなさい」

「はい! 鹿島さん」

 宇多の目はキラキラと輝いていた。そして、ミツキの手を握る。

「おい、待て、何言ってるんだ。聞いていたのか、神様としての俺は」

「神使は仕える神様に逆らえませんから。もう、ミツキ様の強い言の葉で縛られてしまいました。だから、諦めてください」

「っ、くそ」

 二人の前に一陣の風が吹く。宇多の力を使えば、裁判所へは一瞬でつく。

「最後に決めるのは、那津さんです。ただ、本当のことを言わないでお別れしたら、絶対に後悔しますよ。ね、ミツキ様」

「後悔……」

「本当に、那津さんに、幸せになって欲しいなら、笑って見送ってください。それが出来ないなら、縛ってでも、閉じ込めてでも、そばにいてください」

「そんなの、神様ができるわけ」

 宇多に手を引かれ、ミツキは宙に浮いた。

「あら、そんな、悪い神様が、一人くらいいたって、別にいいんじゃないかしら?」

 鹿島は腕を組んで二人を見上げた。

「鹿島……」

「いってらっしゃいませ。ミツキ様」

 宇多が手を上げると、つむじ風が巻き起こり二人はその場から消えた。

「さて、三島もちゃんと、伝えたかしら」

 どんな場所でも、大切な誰かと出会い、共にいることで、幸せになれたことを。

「まぁ、でも。せっかく、従業員が増えたのに、三途の川としては、残念だわ」

 鹿島はそう言って、楽しげに一人笑った。

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