優しいお別れ

 那津は、裁判所へ向かう前に、もう一つ行く場所があった。

 ミツキには、三途の川の近くまで送ってもらったあとすぐに別れた。

 そして、そのまま振り返らなかった。さよならは、約束の場所で十分にしたから。

 それに、振り返れば、その場から動けなくなると分かってたから。

 三途の川の仕事を始めるにはまだ早かった。

 けれど小屋の前には、鹿島と三島が立っている。最初から、那津がこの時間にくることを知っていたかのようだった。

 那津は、二人の前に立つ。


「鹿島さん、三島さん、どうしたんですか? こんな早くに」

「それは、那津くんもね」

「あの……私は、話があって」

「そんな、気がしてたの」

 鹿島は、那津の言葉を待たずに続けた。

「鹿島……さん」

 鹿島は、その大きな手で那津の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜて笑う。

「会いに来てくれて、ありがとう。那津くんは、黙っていなくなったりしない、そういう真面目でいい子だって知ってた」

 鹿島は優しい目で那津を見下ろしていた。

 この世界の常から外れた那津のことを、理解しようとしてくれた二人。泰広王がいうように、生きてきた世界も常識も違うのだから合うはずがない。

 それでも那津が最後まで楽しく仕事が出来たのは、二人が歩み寄ってくれたからだ。

 那津は伏せていた顔を上げて、真っ直ぐに二人の顔を見る。言わなければならないことがあった。

 知ってるからといって、彼らに全てを察してもらってはいけないと思った。きちんと自分で決めたことを自分の言葉で伝えなければいけない。

「……まだ、私、何も、言ってないです」

「あら、確かにそうね、私が勝手に想像で話しているだけだもの。じゃあ、那津くんの話とやらを聞こうかしら」

 鹿島が那津を促した時、三島が割って入ってきた。

「鹿島、俺は嫌だよ、嫌だ。待って、なっちゃん。まだ、考える時間はあるんでしょう、せっかく、仕事だって、できるようになったのに、急ぐ必要なんて」

 三島は那津の両肩に手をかけて訴えた。

「三島さん、私」

「なっちゃん!」

 三島の瞳には涙が浮かんでいた。那津は首を横に振る。

「悩んで、考えて、考えて、自分で出した結論なんです。だから、聞いてください。鹿島さん、三島さん。今日、これから泰広庁へ行って、裁判の続きを受けます。私は、自分の命を次へ繋げます」

 那津は、はっきりと自分の決意を二人に伝えた。

「でも、なっちゃん、あんなに、ここにいたいって言ってたのに、いいの?」

「本当に、勝手でごめんなさい。ここへ来たときも、居なくなるときも突然で、この世界に迷惑しかかけてない」

「迷惑なんかじゃない。俺、なっちゃんが、いてくれてよかったと思ってる」

 三島の言葉に嘘も偽りもないと那津自身分かっていた。一緒に働いていて、三島は嘘がつけないと知っていたから。だからこそ、ここにいてくれてよかったという言葉が、何より嬉しかった。

「でも、本当、役立たずだったよ? 私」

「ううん。仕事だけじゃないから。ここで、ずっと鹿島と二人だけだったから。なっちゃんが入ってきて最近ずっと楽しかったんだ」

「ちょっと、三島、黙ってたけど。聞き捨てならないわね。それじゃあ、私と二人じゃ不満だったってこと?」

「そ、そうは、言ってない。でも、鹿島だって、楽しかったんでしょう!」

 三島は、鹿島の顔を見てそう言った。

「まぁ、それは、そうね。確かに。那津くんは、素直で、いじりがいがあって……とても楽しかったわ」

 楽しいと感じていたのが、自分一人じゃなくて、よかったと那津は思った。

「私も、楽しかったです」

「そっか、決めたのね。じゃあ、最後に、質問、那津くん。私が、ここへ貴方を連れてくる前に言ったこと覚えている?」

「言ったこと、ですか」

「えぇ、大事なことよ」

「……はい」

「貴方は、絶対に後悔しない自信と覚悟は持てている?」

 どんな道を選んだって、きっと選ばなかった未来を想像して後悔する。大事なのは、選ばなかった道を諦める覚悟だと思った。

 どちらを選んでも、結局正解なんて、自分が決めるものだから。

「覚悟を、したんです。この道を選んで後悔しないと」

「本当に、それでいいのね。他の誰かのために選んだ選択じゃないって、言い切れるの? それは、自分の為の選択かしら?」

 鹿島の言葉に、胸が少しだけ痛んだ。後悔しない覚悟は出来ていた。けれど、その選択が、自分の為なのか、人の為なのか、そう問われた時に、すぐに答えが出なかった。

 自分とミツキのためだと思っている。那津は、ミツキが願った自分の未来を生きたい。それが今の自分の願いだから。

「大丈夫です。それに、一つだけやり残したことは、今から終わらせて行くつもりですから」

 そう言って、本当の願いをはぐらかした。

「分かった。まぁ、決めるのは、結局那津くんよね。三島も、これで納得した?」

「……なっちゃんが、決めたことだから。分かってる。ちゃんと見送る」

「それで、やり残したことっていうのは?」

「はい。お願いがあります。最後に、船を出してもいいですか?」

「船? でも、まだ、この時間じゃお客は居ないわよ」

「いいんです。仕事、ここでしたかった、もう一つのことだから、中途半端に終わらせたくなくて、一人で、船を向こう岸までつけたいんです。それが、やり残したことです」

「わかった。と、言っても、私は、こっち側で、少し用があるの。だから、三島、ついて行ってあげて」

 鹿島に言われた三島は頷いた。

「じゃあ、那津くん。私とは、ここでお別れね、一緒に働けて楽しかったわ」

「はい、私も楽しかったです。向こう岸に着いたら、そのまま、裁判所へ行きます」

「じゃあ、いってらっしゃい。気をつけて」

 鹿島は那津に手を振る。そうして船を出す二人を一人岸から見送った。



 今朝の三途の川の流れは穏やかだった。

 那津一人でも、まっすぐに向こう岸まで漕げそうで、ほっと一安心する。一人でやると言った手前、出来なかったら目も当てられない。

 三島は、一生懸命な那津の様子をじっと船の上で見つめていた。

「ほんと、才能あるよ、なっちゃん。もう一人でも船出せるね。免許皆伝」

「ありがとうございます」

「でもね、なっちゃん。本当はね。俺、そんな漕ぎ方じゃ、まだまだ免許皆伝じゃないから、もうしばらくここにいろ! って言いたかったんだ。でも、この調子じゃ無理そうだね。本当上手くなった」

 三島は、そう言って大げさに肩を落とす。

「亡者がこの川を渡って去っていくのは、ずっと繰り返されてきた、当たり前のことで、俺は、そんなことに疑問なんて少しも持ったことがなかった。目の前で同じ毎日が繰り返される。それが、この世界の常識で……。明るい未来がある亡者が、ここで変わらない時を過ごすのは、つらいことだって、ここの住人は思っている。うーん。思っているっていうか、知ってるとか分かってるに近いかな」

 以前、宇多が同じことを言っていた。ここのルールで生きてここの常識で生きてきた、だから転生するべきだと思うと。

 三島は、そう言いながら手持ち無沙汰に川の水に触れた。触れた指で水面に筋を作っていく。

「けど、それはあくまで亡者の話。じゃあ変わらない日々を過ごす死者の国の住人は、ずっと不幸? それともずっと幸せ? そんなこと考えてたら、俺本当は、なっちゃんが、この世界を選んで、幸せになるか、不幸になるか、結末を知りたかったのかも……って、俺、性格悪いな」

「……そんなことない」

 那津は首を横に振った。

「だから、なっちゃんが、正しい選択をしているのに、俺が引き止めたくなるのは、俺のわがままな気持ちというか、この世界への反発みたいなのも、ちょっとあったかもしれない、これって反抗期ってやつかな?」

 三島の手を那津は、思わず握っていた。亡者である自分は鹿島や三島たちからみれば、どれほど自由に見えただろうか。

 自分は、結局、勝手にやってきて、周りを傷つけて出ていくのだ。

 死者の国の住人は魂が消えるその時まで、永遠の時をここで生き続ける。自分たちとは違う。分かっていたのに。

「なっちゃん、急に動いたら危ないよ。船から落ちちゃう。湿っぽくするつもりじゃなかったのになぁ。ごめんごめん、俺が言いたいのはね。代わり映えがしないっていったけど、よく考えたら、今は口うるさい鹿島がいつも隣にいる。だから、永遠に続く毎日を少しだけ楽しいって思ってる。この世界も、現世も、どこにいても、世界って、それほど変わらないのかも、って気づいた。これって、すごくない?」

 三島は、そういって茶化す。

「なんて、ね。ほら、もう、なっちゃん、サボらない。最後まで、ちゃんと、漕ぐ!」

「は、はい。頑張ります」

 三島は、そう言うと「最後まで頑張れ」と伝えて、那津の背中を押した。

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