衝突


 この日、那津は朝から賽の河原で亡者の子どもたちに囲まれていた。仕事で使う道具を取りに対岸へ行った帰り道だった。

 賽の河原にいるのは、獄卒の鬼と子どもたちだけで、今日は地蔵菩薩もミツキもいない。

 荷物の木箱を持った那津の姿を見た子どもたちは、定期的にくる地蔵菩薩やミツキたちと同じように那津が遊んでくれる人だと思ったらしい。

「あの……私は、どうしたら良いのでしょうか?」

 困っているのは那津だけではなく、仕事で刑罰を与える鬼たちも同じだった。

「私らは、子どもたちが、ちゃんと石さえ積んでくれればそれでいいんですけどねぇ、困ったな」

「じゃ、じゃあ、私は、これで」

 那津がその場を離れようとすると、子どもに着物を掴まれる。

「えーお兄ちゃん、遊んでくれないの? その箱なぁに?」

「これは、向こう岸に送る荷物で」

 楽しそうにまとわりついてくる子どもたちを那津は無下にも出来ない。その様子を見た鬼たちは仕方がないと那津の肩を叩く。

「あの、もう、一緒に石積んでくれませんかね、この際それでいいんで」

「それを鬼さんたちが崩すんですよね、なんだか泣かれると可哀想ですよ」

「そう言われましても、この場所は刑罰を与えるところですからねぇ」

「いーやーだー那津くんと遊ぶの」

 那津に纏わりつく子どもたちは、次第に駄々をこね始めた。

「うーん。困ったなぁ、早くこの箱を届けないといけないんだよ」

 那津は、その場にしゃがみ、子どもたちと目線を合わせ、ごめんねと謝った。

「お子達、聞き分けてくださいよ、こっちも仕事なんですから」

 鬼たちが困り果てていたところ、突然、那津たちが立っていた場所が陰る。

 見上げると、そこにはミツキがいた。

 黒い大きな翼を一度翻し、翼を仕舞うとその場に降り立つ。

「那津。お前は、何、人の仕事場で邪魔しているんだ」

「えっと、私は、ただ通りかかっただけで」

 ミツキの姿をみた鬼たちは歓喜の声を上げた。

 どうやらミツキは鬼たちに信頼されているようだ。

「ミツキ様、来てくださったんですね! ありがとうございます。地蔵菩薩様は、いま現世に行っていてお子達を諭す者がいないんですよ」

「地獄の獄卒も形無しだな、殴りつけてでも言うことを聞かせればいいだろう」

「いやぁ、刑罰といっても肉体的なのは駄目ですね、あくまでここは石積みなんで」

「分かってる」

 この騒ぎを聞いて、ミツキはやってきたらしい。

 ミツキは那津を一瞥すると、子どもたちに向き直り声をかける。

「お前たち遊ぶのは、あと三日後だと約束しただろう」

「でも、石積むのやだー」

「嫌でも、やるんだ。でないと、遊んでやんない。分かったか」

「だって、そこのお兄ちゃんも亡者なのに、石積んでないもん、ずるいもん」

 確かに自分も子どもたちと同じように亡者だ。子どもたちから見れば、ズルして遊んでいるように見えたのかもしれない。

「あーもう、面倒臭いな」

 ミツキはそう言って、頭を抱える。

「お前たちは、早く転生したくないのか?」

 ミツキの言葉に子どもたちは顔を見合わせた。

「ずっと、このまま、一生ここで石を積んでいたいのかってきいてんだよ」

「それは……いやだ」

「うん。いや」

 子どもたちは顔を見合わせ口々にそう言った。

「早く、転生してお母さんに会いたい」

 一人の女の子がそう言った。

「お母さんに……会いたいの?」

 那津は、そう口にした。

「うん。お兄ちゃんも、亡者なんでしょう? なんで、早く転生しないの? お父さんお母さんに会いたくないの?」

「え、だって……転生したら」

 転生すれば新しい命を生きられる。けれど父にも母にも再び会うことはできない。獄卒たちは、その事実を隠して子どもたちに石を積ませ転生を促している。

 那津が、その先を口にしようとしたとき、ミツキは乱暴な手つきで那津の口を塞いだ。そして、子どもたちから那津を引き離す。

「ちょっと、こいつ邪魔になるから、先に奪衣婆のところに届けてくる、それまで頼む」

「えー、収集つかないんですよ、この騒ぎ」

「すぐ戻るから」

 ミツキは那津の腕を掴むと、足早に賽の河原から離れた。



「那津、お前、自分が何言おうとしたのか分かってるのか?」

 河原にある物置の陰に連れて行かれた那津は壁に肩を押し付けられた。ミツキの表情からは、苛立ちと怒りが滲んでいる。

「あの子たちが、河原で石を積むのは、あの子たちのためなんだ。早く幸せな新しい命を生きるためにな」

 辛い刑罰を終わらせて新しい命を生きること、それはここでは当たり前のことだ。違う道を選んでいるのは、あくまで自分一人。

「那津、お前が、どういう考えを持っていようと、勝手だが、あの子どもたちの幸せを奪おうとするなら容赦しない、神としてお前を許せない」

 那津はミツキの言葉に項垂れる。ミツキの怒りは理解できる。間違っているのは、自分だということも。

「聞いているのか!」

「聞いてるよ」

「どうして、お前は! 何故、分かろうとしない! お前の幸せは」

「違う」

 那津はミツキの言葉を止めた。

 どんなに自分が人として間違っていても、選んだ道を真っ向から否定されるのは違うと思った。ミツキは、まだ何も那津自身の気持ちを理解しようとしていない。だから、今はまだ、自分の幸せをミツキの尺度で測られたくなかった。

「ミツキ、分かってる。ちゃんと分かってるよ。さっきのは、私がいけなかった。頑張って転生しようとしている子どもたちに言うべきことじゃない。あと、ミツキの仕事の邪魔をした、そのことは、私が悪いから、反省してる」

「分かってるなら。お前も、あの子どもたちと同じように、さっさと転生しろ」

「でも、分かろうとしていないのは、ミツキでしょう? 私がここにいる理由をミツキは少しでも理解しようとした? あの子どもたちの未来を考えるのと同じように……考えたこと、ないでしょう」

「この世界の秩序を壊そうとするなら、お前はここにいるべきじゃない、俺が言えるのは、それだけだ」

「じゃあ、邪魔にならなければ、ここにいていいの?」

「……邪魔だなんて、言ってないだろ」

「同じことだよ」

 言い合っていた時だった。

 コンコンと、物置の木の壁を叩く音が響いた。音が聞こえた先を見ると、鹿島がこちらを見ていた。

「ちょっと、ミツキ様。うちの従業員連れ込んでなにしてくれてるの?」

「鹿島……」

「違うんです。あの、私が、ミツキの仕事の邪魔しちゃって」

「そう。もし、そうだとしても、那津くんは今、仕事中。ミツキ様も仕事中。仕事中に問題が起こったのだったら、先に私に話を通してくれる? ミツキ様が、地獄のルールを彼に教えてくださるのは結構ですけど、三途の川には三途の川のルールがありますから」

 鹿島は、那津とミツキの間に入ると、那津の肩を押し付けていたミツキの手を掴んだ。

「それで? まだ、その結論の出ない話は続くの? 続けるのなら私も聞きますけど」

「いや、もう必要なことは伝えた。鹿島、那津を賽の河原の子どもたちに近づけないでくれ」

「それは何故? 禁じるのならその理由を聞きます」

「那津は、子どもたちの刑罰の邪魔になるからだ」

「邪魔って?」

「……那津が亡者だから、子どもたちは那津をみると不公平に感じる」

「そういうことなら、分かったわ。こちらにも悪いところがあったみたいだし、天部へ謝罪を」

「いいそっちの方が面倒」

 ミツキはそういって踵を返すと、さっききた道を戻って行った。

「那津くん。聞いた通りよ、子どもたちがいるときは、あまり賽の河原には近づかないで」

「……分かりました」

 鹿島は那津を慰めるように頭を撫でた。

「あのね、那津くん。刑を受け、出来るだけ早く転生する。それが、あの子たちの幸せだというのは、間違っていない。だって、延々と続く刑罰の方が辛いじゃない? 小さい子にとっては大人のように難しい選択肢がたくさんあるわけじゃないから、単純な話でいいのよ」

「単純じゃないのって、私のこと……ですよね」

「そうね、皆が皆、那津くんのように、永遠の命を生きることを幸せだと思えるわけじゃない。子どもなら尚更。立ち止まるのではなく、前へ進んで欲しいと思う」

「私が歪な形で生きようとしていることは分かってます。それでも……」

 ――ここにいたいと願ってしまう。

「やーねぇ那津くんを責めたい訳じゃないのよ、ミツキ様の仕事のことも分かってあげてっていう話。ほら三島が待っているから、早く仕事に戻りなさい」

「はい……迷惑かけてすみませんでした」

「いいのよ、部下の面倒をみるのも仕事だから」

 那津は鹿島に頭を下げ、船をつけている川岸に駆けていく。船にはすでに何人か乗り込んでいて、三島が待っていた。

「もぉ遅いよー、なっちゃん」

「ごめんなさい。あの、これ、言われてた荷物です」

「ありがとう」

 ちょうど船を出した時、山側の空にミツキの姿が見えた。どうやら騒ぎは収まったようで少しだけ安心した。

 鹿島が言っていることは正しい。ミツキが言っていることも正しい。

 ただ、那津自身がどんな考えを持っていても、それは同じように自由だ。

 けれど、それは河原で新しい命を生きることを寄る辺としている子どもたちには関係のない話。

 自身の問題を彼らの問題と一緒くたに考えようとしていたのは、ミツキではなく本当は自分だった。


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