亡者
仕事の邪魔をしたことを、きちんとミツキに謝りたかった。
けれど、時々ミツキがやってくるという賽の河原へも行けていない。
――じゃあ、邪魔にならなければ、ここにいていいの?
放った幼稚な言葉が、自身を縛っていた。
那津が今すべきことは、この場所で立っていられるように仕事を得ること。
だから目標に背くような行いをしては意味がない。ミツキに会いたくても、賽の河原へは行けなかった。
仕事を初めて三日は三島にほとんど船を動かしてもらっていたが、七日を過ぎた頃、那津は、やっとまっすぐに動かせるようになってきた。操舵には慣れてきたが、川を泳ぐ亡者の姿を見るのは慣れない。
三島は船を動かすついでに、サボっている亡者を見つけては、棹で殴りつけて川底に沈めていた。那津には、まだそれができなかった。仕事だと分かってはいても、同じ亡者という立場もあって、彼らに非情にはなれなかった。
「なっちゃん、だいぶ船動かすの上手くなってきたね。才能ありかな」
「そうですか?」
「あとは、もう少し力をつけたら完璧。免許皆伝で一人で船も出せるよ」
「ありがとうございます」
「まぁ、けど。一人で動かせなくても、なっちゃんが居るだけで、俺は亡者に目を向けられるから正直助かってる」
三島にそう言われるとお世辞でも、この場所で必要とされているようで嬉しかった。
こうやって、一つ一つ努力して、仕事を認められていけば、いつかミツキにも認めてもらえるのだろうか。
那津は船を動かす櫂を持つ手に力を込めた。
「じゃあ、もっと頑張らないといけないですね」
「無理はしないで」
話しながら三島が那津から目を離した時だった
「ッ、痛っ」
那津は、突然右腕の痛みを感じて、櫂から手を離してしまった。
「どうしたの?」
「大丈夫です。昔の傷が痛んだだけで」
「傷?」
亡者になっても、生前の自分の体の傷は消えなかった。傷といっても点滴や注射の跡だった。青くなっていたり、皮膚が硬くなっている場所もある。皮膚が引き攣れて時々痛むのだ。
「それって、注射の跡?」
三島が心配そうに那津の腕に触れた。那津は、この汚くなった肌を見せたくなくて、外へ出るときはいつも長袖を着ていた。ここへきてからは着物だったので、あまり気にしていなかったけれど、腕の傷はその場所に残ったままだ。
「ずっと病気してたから、私の肌汚いでしょう?」
「そんなことないよ。だって。それはなっちゃんが現世で頑張った証なんでしょう?」
「頑張った証?」
「だって、注射とか痛いのに、それに耐えたって、頑張った証拠じゃん」
そんなことを言われたのは初めてのことだった。
スポーツで頑張って、怪我をしたりするのと同じように病気のことを言われるのは、なんだか気恥ずかしい。自分にとっては、仕方のないことで当たり前のように耐えてきた治療だった。
「そんなこと言われたの初めて」
「俺さ、なっちゃんのこと何も知らなくて。ほら、最初会った時、現世で悪いこといっぱいして、転生したくないのかと思ってたから。ごめんね。色々誤解してた」
「そんな、私がちゃんと話さなかったのが悪いんです」
会ってすぐの人に身の上話なんてするものじゃないと思っていた。
けれど、この世界にとって自分が例外の存在なら、伝えるべきだったかもしれない。現世で出来なかったことをするために死者の国に留まっていること。
仕事をして誰かに認められたい。
――やっぱりこの世界で自分を理解してもらうことは難しいだろうか。
いつかミツキにも分かってもらいたい。
そんなことを考えていると、三島は何か思い出したような顔をした。
「そっか……じゃあミツキ様が寿命を延ばした人間ってなっちゃんか」
「寿命を、延ばした?」
三島の言葉に那津は目を見開いた。三島は失言だったらしく口を押さえている。
「あ……ごめん。今の聞かなかったことにして。深い意味はなくて……。結局何もなかったんだし。うん。なっちゃん、今の、ミツキ様には訊かないで」
三島は顔に後悔の色を浮かべていた。見てるこっちが可哀想になるくらいに。だから那津は自分の中にある沢山の質問を全て飲み込んでしまった。
「……うん。わかった」
返事はしたけれど、頭の中は三島のふいにこぼした言葉でいっぱいになっていた。
確かに子どもの時、ミツキは自分が現世で幸せでいられるようにと願ってくれたし、小指に糸も結んでくれた。けれど、それは一種のおまじないのようなものだった。現世でいうところの言霊みたいなもの。
那津はミツキの言葉に支えられて、重い病でも、明るく過ごすことができた。
そして十八歳で死んだ。それは自分の寿命だったからだ。もし、自分の命が本来の寿命より長く生かされた命だったとしたら。
何も知らなかった自分を那津は許せないかもしれない。
「なっちゃん。あのね、分かってると思うけど。もし、その人がなっちゃんだとしても、なっちゃんはきちんと本来の寿命分を生きてるから、ズルとかしていないし、誓って、それだけは間違いないよ」
「すみません。変な空気にしちゃって。私気にしてないですから、仕事しましょう」
「そうだね。俺も変なこと言ってごめん」
那津は努めて明るい声で返した。けれど、それは、三島には空元気に映ったかもしれない。
三島が嘘や冗談をいうとも思えなかった。自分の寿命は十八歳だった。
それならミツキは一体自分に何をしたのだろうか。あるいは、自分以外の誰かに、どうして? 何の理由で。
疑問ばかりが次から次へと浮かんでくる。
那津は船が対岸についても上の空だった。三島にはミツキには言わないと言ったけれど、ミツキに問いただしたい気持ちもあった。でも、本当のことを聞いた時、自分は、それでもこの場所で生きたいと同じように願えるだろうか。
自分のためにそこまでしてくれた神様に、我を通してまで、ミツキの願いを裏切ってまで、そばにいたいと願うことができるのだろうか。
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