ミツキの神使

  * *


 天部の神々が住んでいる山の一つにミツキたちが住む社がある。修行中は、師匠の社にいたミツキも神として一人前になってからは家を持つようになった。

 鳥居をくぐると自分の神使、宇多が竹箒で石畳の落ち葉の掃除をしていた。頭の上で、白い兎の耳がゆらゆらと揺れているが、この男は兎ではない。兎が好きなだけの男だ。

「あーミツキ様、いけないんだー朝帰り」

 鳥居をくぐったミツキを見るなり、宇多はニマニマと笑って楽しげだった。

「誰のせいだ、誰の……このっ」

 ミツキは宇多の前に立つと左の頬をぐいとつねりあげる。昨晩、夕餉のときに宇多から那津に仙桃を渡したと聞いて、ミツキは那津の家に文字通り飛んで行った。

 そしてミツキの嫌な予感は的中していて、那津は仙桃を食べて苦しんでいた。

「ふぁ、わ、私のせいですね。ミツキ様、痛いですよぉ」

「仕置きで痛くしてるんだ。お前は、どうして余計なことばっかりするんだ……死者の裁判の話といい、仙桃といい、俺に何か恨みでもあるのか」

「恨みなんかないですけど、余計なことですか?」

 宇多はきょとんとした顔で首を傾げた。その惚けた神使の顔に再び怒りが込み上げてくる。

「余計に決まってるだろ!」

「えーそりゃ私だって、那津さんがずっと死者の国でいるべきじゃないって分かってますよ。だって、亡者の幸せってものは、新しい命を生きることですし。それはこの世界の常識ですから」

「そうだ。分かっているんだったら余計なことをするな、那津は、さっさと転生するべきなんだ」

 ミツキは顔を曇らせて、宇多から顔を背けた。

「けど、ミツキ様だって、分かってるんでしょう? 私が、何の考えもなしに、要らないことはしないし、言わないって」

「それは……」

 宇多は、その場から一歩移動して膝を降りミツキの顔を見上げる。

「なんだよ」

「私はミツキ様と契約している神使ですから。私の意志に反して、使う言葉、行動は全て仕える神様の意志です。貴方が、望んでいる願いをお手伝いするのが、私の務めですから、そういう契約でしょう」

 ミツキ自身も分かっていた。この世界の常識は宇多の中に染み付いている。

 宇多が那津に教えた「死者の国で働くこと」は本来なら那津に伝える必要のない情報だ。普段の彼なら正しく判断出来ただろう。

 宇多の失言の理由は、ミツキ自身が那津を死者の国に留めたいと願っているからだ。

 神使の宇多にとって、神の意思は絶対だ。

「じゃあ、なんだ? お前は那津に仙桃やったのも俺の意志だっていうのか?」

 亡者が仙桃を食べると、媚薬的な効果がある。それを知っている自分が欲望を叶えるために神使を使ったなど神格剥奪ものだ。

「あーそれは私が本当に良かれと思って、ついうっかり、です。てへ?」

「お前なぁ、あんなもの亡者が食えばどうなるか分かるだろう! お前はこの世界で何年生きてるんだ!」

「でも、何年住んでても、那津さんみたいな亡者は初めてじゃないですか? 少なくとも私が物心ついてから百年くらいは、ここに労働希望者なんて」

 宇多の頭上の兎耳がぴこぴこと動く。容姿が子どもでも、宇多はミツキより長く神様の世界で生きている。

「それは、そうだが」

 ミツキは言い淀む。

「それで。――那津さんと、ゆっくりお話できましたか? ミツキ様」

 宇多は眉尻を下げてミツキに問う。ミツキが神様になってから、ずっとそばに仕えている宇多だからこそ、ミツキの辛さは理解しているのだろう。

 人間の一番の幸せを願っているのは、他の誰でもない神だ。

 ミツキは首を横に振る。抱きしめて体を重ねても、一番大切なことは何一つ那津に伝わっていない。

 神は亡者を迷わせてはいけない。自分は『導きの神』だから、那津にとっての正解は痛いほど分かっている。

 那津は早々に新しい命を生きるべきだ。

「ミツキ様」

「なぁ、宇多。もし、俺が那津と一緒にいたいと心から望んでいるのだとしても、それは正しくない。お前も神使なら正しいことをしてくれ……頼むから」

「そんなこと言われましても」

 出来ないのだから仕方がないと、宇多は肩を落とした。ミツキは宇多に頭を下げた。

「ミツキ様! 困りますよ、そんなことされては」

「宇多、俺は那津をここへ縛り付けたくない」

 昨夜、那津を抱きしめたとき、ミツキは、ずっと那津のそばにいる方法を考えてしまった。それは、神として決して考えてはいけないことだった。

「私は確かに那津さんは転生した方がいいと思っています。けれど二人が同じ思いなら反対したりしませんよ?」

「それじゃ駄目なんだ」

 苦しげな声で切に訴えるミツキに宇多は、そっと寄り添うように語りかける。

「那津さんは、きちんと分かってますよ……自分が正しくないって。それでも変えられないと言ってました」

「そう」

「ミツキ様、私は貴方の神格を剥奪させるような未来は絶対に選ばせないつもりです。ですから、ミツキ様は、ミツキ様のお仕事をしてください。大丈夫です。ミツキ様は神様ですから、ちゃんと那津さんにとって一番いい道を示すことができますよ」

「アイツは俺の言うことなんて聞きやしない。ずっと見てたから分かる。ひょろっとした見た目の割に、我が強いから」

「よく知ってるんですね」

「――好きなんだよ……那津が」

 好きだから一緒に居られない。これは何の苦行だろうか。

 天界と下界で会えない時間より、会えた今の時間の方がつらく苦しい。

「それ、那津さんに言ってあげたらどうですか? 私に言われましても、ねぇ」

 宇多は真剣な顔で告白するミツキを茶化した。

「言えるわけないだろう」

「まぁ確かに、言ったら最後。絶対に那津さんを転生なんかさせられないですし、わかりますけど」

「分かってるなら、何も言うな」

「ねぇ。ミツキ様。神格剥奪に関しても、一回大丈夫だったんだから、二回目も大丈夫だったりしないですかねぇ」

「俺が今も河原で修行させられてるの忘れてないだろうな」

「お師様怖いですからね。まぁ、それは頑張っていただくとして。過去のご自分の罪ですから自業自得です」

「俺は子どもが嫌いなんだ。地蔵菩薩の慈愛の心など子どもと遊んでどうやって養えと? お師様の考えなど、俺にはちっとも分からない」

「だから修行させられているのでは?」

 宇多は、にっこりと毒気のない笑顔をミツキに向ける。正論だった。神として正しい心を養う。ぐうの音も出ない。ミツキはその場にしゃがみ込む。己が情けなかった。

 同じ目線の高さに宇多の顔があった。

「今更だけど、宇多、よく俺みたいな落ちこぼれの神様の神使なんかやってるよな」

「今更ですね」

「感謝はしてるよ」

「だったら、もーっと、優しくしてくださいな、ほっぺたつねりすぎです。これ以上ぷくぷくになったらどうしてくれるんですか」

 宇多は頬を膨らませる。

「そうなったら、ずっと兎のなりでいればいいだろう。お前、兎好きだし」

「兎は動きにくいんです。あと寂しいと死んじゃうんですよ、だから、大事にしてください」

「それ、今じゃ嘘だって下界で知れ渡ってるぞ、俺だって知ってる」

 ミツキはしたり顔で返すと、頬を膨らませた宇多を残し母屋の方へ歩いていく。

「ねぇ、ミツキ様! 大事な話」

「なんだ?」

 ミツキが振り返ると、ふざけていた宇多が急に真面目な顔になっていた。

 神として立場が上で、雇用者の立場でも、ミツキは宇多のことを年長者として敬い、聞くべきことは聞こうと思っていた。

「那津さんは、あなたと一緒にいたいだけでここに留まったわけじゃないです。あまり、自惚れないことですよ。そうでないと、大切な選択を間違うかもしれない」

「大切な選択?」

「ちゃんと、今の那津さんを見てあげてくださいね。答えを出すのはそれからでも遅くないです」

 今の那津と言われて、ミツキは昨日、河原で見た那津を思い出す。那津は裁判のとき仕事を得たいと言っていた。

 そして今は三途の川で自分の望み通りに船頭の仕事をしている。下界では病気ばかりで少しの自由もなかった。そんな那津が仕事を得て生き生きとしていた。

「分かった。覚えておく」

「とにかく、まだ時間はありますから、四十九日の間は、ちゃんと、神様として見守ってあげましょうよ。転生しろと頭ごなしにいうことだけが、導くことではないはず。那津さんの話を聞いてあげましょう」

「あぁ……そうだな」

 確かに、宇多の言うことも一理ある。頭ごなしに、さっさと生まれ変われと言っても、那津が頑なになるだけだ。自分の思いも伝えて那津の話も聞くべきだ。短気になってはいけない。

 自分は、神様なのだから。

「あと、ミツキ様は、那津さん個人の守護神というわけじゃないので、他の仕事もちゃんとしてくださいね」

「わかってるよ」

 ミツキは空を見上げる。自分も神として仕事をしなければいけない。下界の人間たちと縁を結び、彼らが良い方向へ進めるように願う。自分のすべきことは分かっていた。

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