騒がしい朝


 目が覚めると、もう隣にはミツキは居なかった。一瞬あれは夢だったのだろうかと思った。けれど自分の頬に触れると、泣いて乾いた跡があり昨晩のできごとが夢ではないと示している。

 部屋の格子窓から外を見るとすでに日は高くなっていて、今から急いでも仕事に遅刻だった。死者の国で、亡者は何もしないでいると消えてしまうと言っていた三島の言葉を思い出し顔が青くなる。

 那津は身支度もそこそこに三途の川まで全速力で走った。

 もし現世でこんなに走れば、倒れて病院に運ばれていただろう。



「わ、私、ちゃんと、働きますから! クビにしないでください」

 河原に着いて鹿島と三島を見つけると、那津は息も絶え絶えで訴えた。

「なっちゃん、そんな泣きそうな顔して来なくても、ちゃんと遅刻の連絡聞いてるよ」

 三島は亡者の罪の重さを測るという衣領樹の上にいた。血相変えて走ってきた那津を見て、勢いをつけてひょいと飛び降りてくる。

「でも……三島さん、昨日、働かないと消えちゃうって」

「あぁ、そのこと。あれはサボったら、なっちゃんを消しちゃうとかそういう話じゃなくて、亡者自身がここにいる理由がなくなったらって意味。なっちゃんはまだ、ここで働きたいんでしょう? それなら、消えたりしないから大丈夫だよ」

 三島は那津の肩をぽんぽんと叩いて安心させるように優しく声をかけた。

「走ってきたのねーご苦労様。ミツキ様が朝、謝りに来てたわよ。うちの神使がそちらの従業員に仙桃食わせたから今日は来ないかもしれないって」

 衣領樹に背を預けた鹿島は、キセルを片手にして那津の顔を見上げる。

「ミツキが?」

「えぇ、なかなか面白い顔してたわよ、ミツキ様。那津くんの為なら地獄の人間にも頭を下げられるのね。あの偉そうな神様が」

「そんな、ミツキが謝ることなんかないのに」

 確かにミツキの神使である宇多からもらった仙桃は食べたが、それはミツキのせいではないし、宇多は知らなかったのだから、そのことを責めたくない。

 そもそも寝坊したのは自分の責任だ。

 ミツキが優しくしてくれて、そばにいてくれた夜があまりにも心地よかったから、目を覚ましたくなかったのかもしれない。

「それで、体は大丈夫なの?」

「ぜ、全然大丈夫です。元気ですし」

 むしろ、ぐっすり眠ったから気分はすっきりとしていた。

「仙桃。あんなもの亡者が口にしたら、一晩中苦しむことになるのに。本当に体おかしくなってない? そのまま昇天されても困るけど」

「しょう、てん?」

 那津は鹿島が言わんとしていることがわからなくて首を傾げた。

「要は媚薬、でしょう。仙桃って」

 媚薬と言われた時、昨晩の行為が頭の中でフラッシュバックする。朝は慌てていて何も考えていなかったけれど、何かすごいことをミツキとしてしまった気がした。

 性的なことについて経験も知識も真っ白なままの那津は、ミツキが教える通りに体に快感を教えられた。最初から最後まで、痛いことなど何もされなかった。ただ、気持ちよくて、満たされる気持ちだった。顔が次第に真っ赤になる。

「鹿島、言葉に気をつけて、ほら、なっちゃん固まってるよ」

「あら。泰広庁では手出してないって言ってたのに。神様もしょせん欲には勝てませんってことかしら? 別にカマかけたわけじゃないんだけど」

「鹿島は、ほんっとデリカシーってものがないよね。別になっちゃんがミツキ様と一晩中セックスしてたからって、仙桃のせいなんだから、気にしなくていいし」

「ちょっと、三島の方が、デリカシーないわよねぇ? 那津くん」

「あ、あの……私」

 那津は口をぱくぱくさせている。つまり、鹿島にも三島にも、昨晩自分が仙桃を食べてどういう状態になっていたか知られているということだった。

「ま、あんまりイジメても可哀想だから、遅刻の罰はこの辺にして……元気なら問題ないし、仕事しようか。鹿島もサボってないで、さっさと衣剥いできてよ。時間経ったら測っても意味じゃん」

「はいはい。働けばいいんでしょう。にしても、那津くんが、ミツキ様とちゃんと話ができたのに未だに消えずにいるってことは、この世界で生きること、本気ってことよね」

 ミツキと話せて満足して、ここにいる意味がなくなれば、自分は消えるということなのだろうか。

 地上をさまよう幽霊が望みが叶うと成仏して消えてしまうのと同じように……。

 そういう意味なら自分の欲というのは、底なしだった。一目会えたら、もっと一緒に居たくなり。ちゃんと向き合って話せば、それで満足するどころか離れがたくなるのだから。

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