泰広庁
目の前にそびえ立つ、荘厳な朱塗りの建物。
しかし、一度中に入ると下界のテレビドラマでよく見るような裁判所と同じ作りの部屋がいくつも並んでいる。派手な外観とは異なり、どちらかといえばシンプルな内部。
泰広庁の中に入った那津は、入り口できょろきょろとあたりを見渡す。時間帯のせいなのか、館内の人通りは少なかった。
近くの案内板を頼りに受付に向かって歩いている時だった。那津は、運良く以前お世話になった事務官の女性を廊下で見つけることができた。
「あの、水華さん!」
那津は、長い廊下で少し先を歩く水華を呼んだ。振り返った水華は、那津の顔を見て少し驚いていた。
「あれ、私の名前、佐山さんにお伝えしていましたっけ? もしかして鹿島さんかしら」
水華は、首元で切りそろえている綺麗な黒髪を耳にかけると、手に持っていた沢山の巻物を抱え直し、那津に向き直った。
「はい、鹿島さんに。裁判の時はお世話になりました」
ぺこりと頭を下げる那津に、水華はふわりと微笑み返す。
「いえいえ。どうですか? お仕事頑張ってますか?」
「いろいろ大変ですけど。頑張ってます」
「それは、良かったです。あ、でも、もしかして、ここへ来られたということは、裁判の続きの申請ですか? でしたら、この先に、手続きの」
そう続けた水華の話を那津は言いにくそうに遮った。
「い、いえ、それは、まだ……今日は、私、鹿島さんのお使いで」
水華に裁判の続きの申請と言われた時、那津は一瞬言葉に詰まった。
確かに、裁判所にきたのなら、自身の裁判の続きの申請と思われてもおかしくない。それが本来自分が選ぶべき道だから。
「あ! ごめんなさい、私、佐山さんに、裁判を強制したい訳じゃなくて」
「分かってます。あの、私が、間違っていることも……ちゃんと分かったので」
まだ仕事中だから、普段通りの自分でいなければいけない。分かってるのに今日はどうしても上手くいかなかった。
那津は表情を曇らせた。
「何か、あったのですか? 私で宜しければ相談に乗りますよ」
「えっと、違うんです、私、そんなつもりじゃ」
「大丈夫です。仕事柄、いろんな方の相談に乗ることも多いですし、ほら、話してみると解決することもありますから」
「でも、本当に……大丈夫ですから」
「んー、でも、全然、大丈夫って顔じゃないです。だから、ね?」
結局、自分で考えると決めていたのに、水華に押し切られてしまった。
以前案内された総務課の応接で、那津は、先の河原であった出来事を話した。
河原で迷い子に出会ったこと。自分が、その子に触れて命を奪ってしまうところだったこと。そんなことがあったのに、まだ自分がこの世界にいようとしていること。
強がっていても、心のどこかでは、誰かに聞いてもらいたかった。
言葉にしただけなのに、少しだけ自分の中で思考が整理された気がした。
「そんなことが……。でも珍しいんですよ迷い子さんって」
水華は応接セットの机にお茶を置くと、那津の向かいのソファーに腰掛けた。
「そう、なんですね」
「えぇ、現世と死者の国を繋ぐ道は、基本的に閉じられていますから。何らかの歪みが生じたときに、小さい子だとか、元々こちらの世界との縁がある人たちが、入ってきちゃうんです」
確かに現世で聞く神隠しの対象は子どもが多いかもしれない。
「今回がイレギュラーな出来事だっただけで誰も悪くはないんです。強いて言うなら、まぁタイミングが悪かった」
「タイミング?」
「えっと、迷い子は見つけたら、天部。ミツキ様たちがいる組織みたいなものですが、そこの方々が見つけ、記憶を消し下界に送り返しています」
那津は、さっきミツキがしていた仕事を思い出す。そして、自分がその邪魔をしてしまったことも……。
「おそらく、今回は彼らの発見が遅かったんですね。だから、ミツキ様が怒ったのも、ご自分が許せなかったからで……だから、ちょっと八つ当たりみたいな感じもあるかも? とか私は思っちゃいました。あ、これは秘密でお願いします」
水華は、悪いことをしたときの無邪気な子どものような顔で笑った。
「……けど、もしあれが、ミツキの八つ当たりだとしても、私が知らなかったから」
「うーん」
でも、と水華は考える仕草をした。
「私、ミツキ様って結構冷たい神様だと思っていたので、今回の話はちょっと意外です」
「意外、なんですか?」
「ええ。ミツキ様、すごく子ども嫌いで有名だし、何かの手違いで、自分に関係がない人間の子どもが消えても、仕方ないで済ませると思ってました。ミツキ様だけが、迷い子を見つける仕事をしているわけじゃないですしね」
「そ、そんなことないです!」
那津は、突然その場で立ち上がって水華に反論していた。
「佐山さん?」
「そんなこと……ないです。ミツキは……優しい神様だから。子どもたちにだって、優しいんです。伝え方は下手だけど、不器用なだけで」
ミツキは、賽の河原の子どもたちの幸せを一生懸命に考えていた。那津はそんなミツキの心の優しさを知っている。子どもの頃、ほんの少ししか一緒にいられなかったけど。自分のために幸せを祈ってくれた。
とても優しい神様だ。
「……ミツキ様のこと悪くいうつもりじゃなかったの、ただ、そう思っている人が多いって話。……ううん、でも、言うべきじゃなかったわ。ごめんなさい」
「いえ、私の方こそ、話を聞いてもらっているのに、大きな声だして」
那津はソファーに座り直した。
「佐山さんは、ミツキ様のことお詳しいんですね」
「子どもの頃、ミツキと下界で出会って……その、友達だったんです」
「友達、ですか? 神様と?」
那津がそういうと、水華は目を瞬かせる。
「はい。でも、全然、ミツキのこと知らなかった。どんな仕事しているかも知らないし。きっと水華さんの方がミツキのことをよく知っている。当たり前なんですけど、ミツキと会ったのだって下界で数回だし、勝手に友達だなんて言って……もしかして、迷惑だったかも」
勝手な思い込みだったのかもしれない。会いたいと願って、そばにいたいと願って、もっと長い時を共に過ごしたいと願うこと。
自分が努力すれば、ミツキと同じ世界で同じ時を刻めるかもしれないと思った。
けれど、それ以前に、友人であることも迷惑だったなら?
「そうですねぇ、友人を持つことが、神様にとって迷惑かどうかは、私にはわからないです。私が知っているミツキ様は、いつも一人でしたから。今は、宇多さんが近くにいらっしゃるので、多少とっつき易くなりましたけど。一匹狼というか、すごーく怖い人でしたよ」
那津自身、ミツキを怖いと感じたことがなかった。
桃源郷で久しぶりに再会できた時だってミツキのことを可愛いと思った。酒に酔ってくだを巻いて、からみ酒なんかして。なんだか思い出すと自然と笑みがこぼれる。
「昔から、わき目もふらずに修行に一生懸命で、天部の学友の誰ともつるんでいらっしゃらないようでしたし。失礼ですけど、まぁ親しい友人なんて、いなかったんじゃないかしら」
「友達がいない?」
「えぇ、多分ですけど。なので、佐山さんが友達だって聞いてびっくりしました。でも、同時に安心したというか」
「安心?」
「はい。神様って、人の願いを叶えるばかりで、自分の願いは基本的に叶えられませんから。いつも誰かの願いのためだけに奔走している。でもね、そんな何の欲も持たない機械のような神様にお願いをしたいなんて、人は思わないでしょう」
確かに現世で祀られている神様には、どこか人間と近い部分があったりする。親近感みたいなものが必要ということだろうか?
「人間ではないけれど、人間と同じ感覚を持ち合わせている神様だからこそ、人は頼りたいって感じるんじゃないかしら? まぁ、私の個人的な考えだけど」
「……そう、ですね。私も、そう思います」
那津は、ミツキがもし神様じゃなくても、きっと友達になりたいと思った。それは、ミツキの神様の部分ではなく、人間味の部分に惹かれたからかもしれない。もちろん、その人間味という俗な部分が、どの程度まで神様として許されるのかは分からない。
でも、無くして欲しいとは思わなかった。
「だから、ミツキ様が、神様として一人前になった今も賽の河原で修行しているのは、きっと、そういう部分を養うためなんじゃないかなぁーとか私は考えているんだけど、実際のところはミツキ様のお師様の考えを聞いてみないことにはわからないわね」
「水華さん、いろいろ教えてくださってありがとうございます」
「ちょっと、語りすぎたかしら、泰広王に怒られてしまうわ、一介の事務官がって」
那津は首を横に振った。
「鹿島さんに、もっと色々この世界のことを知った方がいいと言われましたので、ほら、何も知らないから、今回も迷惑かけちゃった訳だし」
「あら。それはいいことですね。起こってしまったことを後悔することも必要ですが、そこからどうするべきか考えて、前を向ける那津さんは、とても素敵ですよ」
「はい……前を向けるようになりたいです」
「そうですね、それでしたら、今から泰広王に会われては? もしかしたら、那津さんが知りたいと思うことを教えてくださるかもしれません」
水華は、さっき那津から受け取って机の上に置いていた渡航記録を再び手に取った。
「第一裁判長にですか、私なんかに会ってくださるでしょうか」
「もちろんです。泰広王も、佐山さんのことを気にしていらしたから。この書類、佐山さんが持って行ってあげてください。この時間であれば、もう今日の裁判もないし、執務室にいらっしゃいますよ」
「でも……」
「大丈夫、怖い方じゃないですから、ね」
裁判官から、この世界のことを聞いて、ミツキのことを知って、また自分の意思が揺らいだり、悩んだりするかもしれない。それでも知りたいと思った。
「わかりました。では、行ってきます」
「はい、場所は、那津さんが裁判を受けた部屋に入って奥の扉を開けると、執務室ですから」
那津は水華から書類を受け取ると、水華に礼を言って応接室を出た。
那津は、目と耳を塞いでいてはいけないと思った。後悔しないために、前を向くと決めたのだから。
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