秘密

 那津は裁判を受けたときに歩いた長い廊下を進み、一番奥にある法廷の扉を開いて中へ足を踏み入れた。

 水華から聞いていた通り、今日の裁判は全て終わっていて、広い空間のどこにも人は居なくて静かだった。

 無人の傍聴席を横目に裁判長席の後ろを歩いて奥に進むと、そこには執務室らしき部屋があった。部屋のプレートには泰広王と名前が入っている。

 那津は、扉の前で小さく息を吸って吐く。そして意を決して扉を叩いた。ほどなくして歯切れ良い返事が聞こえた。挨拶をして扉の中に入ると、泰広王は口端を上げて那津を一瞥した。


「なんだ、佐山那津か。どうした?」

 泰広王の座っている広い執務机の前には、書類が乱雑に積まれていて、今にも崩れ落ちそうだった。

「あの、三途の川の渡航記録を持ってまいりました」

「あぁ、ありがとう。ちゃんと仕事をしているんだな。偉い偉い。……しかし、ここへお前が来るのは初めてだな。鹿島たちにこき使われているのか?」

「いえ、私が、この世界のことを知らないので、知るようにと」

 那津は机の前に立ち、泰広王へ書類を差し出した。泰広王は受け取った書類にさっと目を通すと机の上に置く。

「社会勉強ってとこか。鹿島と三島は、この世界しか知らん。だから、亡者であるお前とは意見が合わんだろうし、喧嘩でもするんじゃないかと思っていたが、意外に適応力があった。さすが、三途の川の古株といおうか、お前を任せて良かったよ」

 泰広王は、書き物を続けながら那津に淡々と語りかける。

「泰広王、あの、私、さっき」

 三途の川で遭遇した迷い子の件を報告をしておくべきだと思い、水華に話した内容と同じことを言おうとしたが、泰広王に先の言葉を手で制された。

「さっき、宇多が報告に来ていたから、件の迷い子の件なら良い。しかし……わかりやすくしょげているな。佐山那津」

 泰広王は、書き物をしていた手を止めて顔を上げると、まっすぐに那津の目をみる。

「泰広王は、私が、この世界に残ることが迷惑でしょうか」

「藪から棒になにを言い出すかと思いきや、折角だ、儂の意見を言う前に、何故お前がそう思ったか聞こうか」

 裁判を受けた時にも感じた真実を見透かすような瞳に気圧され、一瞬言葉を失いそうになる。先に水華と話して頭の中が整理できていなければ、きっと何も言えなくなっていただろう。

 那津は、息を整え自分がこの場で言うべき言葉を続けた。

「私が努力して、解決出来ることなら良かったんです。でも、今回のようなことが、今後も起こらないと私は約束できません。私が傷つくだけならいい。けれど、私は私の努力でどうにもならないことがあるって、今日、知ったから、だから、怖くなったのかも」

 故意でなくても、誰かの命を奪うような存在ならここにいてはいけない。

 自分の立場が揺らぐ。

 死者の国に自分が存在するだけ、ただ、それだけのことが罪だと感じた。

「なるほど、それで? お前が、ここにいることが迷惑だと言ったのは、ミツキか」

 言葉を返さなかったが、それは肯定と同じだった。

 本当は、自分がここにいることをミツキに理解してもらいたい。

 けれど、それが叶えてはいけない願いだった? 

 答えの出ない自問自答を繰り返す。

「一つ、いいことを教えてやろう佐山那津」

 泰広王は、何か楽しいことでも企んでいるかのような顔をしている。

「天部と十王庁は、お互いに不可侵でなければいけない。この世界が出来た時にそういう盟約を結んでいるからな。ただ、個人的に儂はミツキが好かん。だから、お前に有利な情報を与えようと思う」

「有利な……情報?」

 那津は、この話の着地点が見えず戸惑いを隠せない。

「そもそも、お前だけ知らんことばかりなのは、不公平だろう? 必要な情報はミツキにも、お前にも平等に与えられるべきだ」

 那津は、泰広王のいう「情報」は自分のような亡者に与えても良いのかと一抹の不安を抱く。けれど、話を聞かないという選択肢は元よりなかった。後悔しないために、多くを知るためにここにきたのだから。

「私が、知っていいのであれば」

「お前の雇用主は、三途の川の鹿島だ。あいつが、ここの世界のことを知れと言ったのなら、お前は知るべきだ。上司のいうことは、聞いておくものだよ」

「……はい」

「まぁ、聞いて得にも損にもならん話だよ、時間は少し取るが構わんだろう、そこへ座れ」

 泰広王はソファーを指差して座るようにいった。那津は言われた通りソファーに移動して腰掛けると泰広王の言葉を待つ。

「……ミツキはな、昔。一人の男の子の病気を治す為に、自分が本来すべき修行を怠り、病気や、体の痛みを癒すための勉強をしていた」

 泰広王の言葉に那津は、膝の上に置いた両の手を強く握りしめた。

「ちなみに、神様っていうのは、本来自分が持っている能力以外の力は使えない。簡単にいえば、色恋の神が勉学の神にはなれない。そう、ミツキがやった学びや修行は、彼に必要ないことで意味もないこと……つまり無駄だった」

 那津はその先を聞くのが恐ろしかった。

「泰広王……私は」

「知った上で、どうするかは、お前が考えることだ。とりあえず最後まで聞け」

 那津は頷いたものの、顔を上げることができなかった。

「まぁ、ミツキも神としてまだまだ半人前。若かったのもある。彼のお師様も、そういうミツキの未熟な部分も、人間味のある部分も大事にしようと最初は好きにさせていた。まぁ、それでも周りから見れば、ただの馬鹿だし。落ちこぼれだと陰口を叩かれていたな、ミツキは子どもを助けたいと信念を持って学んでいたのかもしれないが、外野の声は彼奴も辛かっただろうと思う」

 泰広王は、机の上で手を組み替え小さく息を吐く。

「儂も、まぁ。彼奴のそういうところは、嫌いじゃなかったよ。無論、禁を破らなければの話だ」

 三島が口を滑らせて那津に言ってしまった話。那津は、ずっと真実を知りたいと思いながらも、知ることが怖かった。

 真実を知った時、どういう結論を出すか自分でも分からなかった。

「最初に言った通り、天部と十王庁は、お互いに不可侵でなければいけない。十王庁の中には、現世の人間の寿命を管理するロウソクが置いてある部屋があってな。ミツキは、その部屋に忍び込んで……」

「佐山那津」

 泰広王は言葉を切ると、下を向いたままだった那津を呼ぶ。

 那津が顔を上げると、泰広王は頷いた。

 まるで、今からいうのは嘘ではないと伝えているようだった。

「ミツキは、どうしたと思う?」

「……寿命を、延ばしたんですね」

「いや。正解は、寿命を延ばそうとした。あの部屋にはそもそも儂以外誰も入ることはできん。周りに馬鹿にされて頭にきたのか、自分の無力さを思い詰めてなのか、理由は知らんが、扉を開けた時点で、儂が、首猫っこ掴んでポイ。彼奴の計画もそこまで、はい、おしまいさ」

「そう……ですか」

「それでな、未遂だったのだから、黙っておいてやっても良かったんだが。まぁ、罪は罪だし儂も裁判官である以上、罪に対しては罰則を与えなければならん。仕方なくミツキのお師様と相談して修行期間を延ばすことを決めた」

「修行期間、ですか」

「あぁ、河原で子どもたちの相手をさせているのが、それだな。これが、ミツキがお前に秘密にしていることだ」

 ミツキは神様になった今も、修行を続けている。その理由は彼が過去にした罪の償い。

「……きっと、私が、ミツキにそうさせたのですね」

 出会った時、まだ幼かった二人。きっとミツキは純粋に那津の幸せを願った。ミツキが過ちを犯した原因は自分にあった。三島の話を聞いた時から分かっていた。けれど、心の中では嘘であって欲しいと願っていた。

 本当なら、真面目なミツキは、脇目も振らず、まっすぐ神になるための道を進んだだろう。

「私とさえ出会わなければ、ミツキは遠回りなどせず立派な神様になれた」

「なぁ、佐山那津。道を外れたら、もうミツキは立派な神様じゃないと、そう思うか?」

「え……」

「もし、本当にそう思っているのなら、お前は、ミツキと一緒にいられないな」

 泰広王は、那津の本当の望みを最初から知っていた。地獄の裁判官なのだから、全て知っていて当然だ。

 途端に自分の見え透いた嘘が恥ずかしくなる。

 仕事をしたい、誰かに認められたい。

 どんなに素晴らしい理由を並べたところで、結局は同じくらいミツキのそばにいたいと願っている。

(同じじゃない……私は、きっと、何を失っても、ミツキのそばで生きられるのなら、何もいらないって)

 どんな手を使ってでも、ここにいたいと願う、もう一人の浅ましい自分がいた。

「佐山那津。あの日彼奴が、お前の寿命のロウソクに他人の火を継ぎ足し、不正に長く生かしていたとしよう。その場合お前は、ミツキの存在そのものを否定するのか? 卑怯なことをした悪い神だと」

「それは……そんなことは、だって」

 方法を間違ったのだとしても、那津を思ってくれたその気持ちは優しいものだった。

「そもそも己の心の弱さに負けて、やってはいけないことしたのだから、それは、ミツキの罪で、お前には関係ないことだし、責任を感じる必要もないなぁ」

「私は、ミツキのことを何も知らない」

「そうか? 儂から見れば、佐山那津は、彼奴のことをちゃんと知っていると思うぞ、少なくとも儂よりは、な」

 泰広王よりも那津の方がミツキのことを知っているか考えたところで答えなど出ない。そばにいた時間が違う。生きていた場所も違う。常識も、何もかも。

 それでもミツキのそばにいたいと願った。

「さて、周りの誰もが、教えてくれなかった秘密を与えてやった。これを聞いて貴様は、ミツキに何をいう? 謝るのか、怒るのか、言われるままに転生を受け入れるのか、このまま死者の国で、魂が燃え尽きるまでいるのか? 佐山那津は、いつ終わるとも知れない命をここで紡ぎ続ける自信が持てるか?」

 畳み掛けるような泰広王の言葉に、那津は何一つとして言葉を返すことができない。

 那津の幸せを望んでくれていたミツキの思いを無視して己の望みを叶えることが正しいとも思えなくなっていた。

 自分が立っている足元がぐらぐらする。

 少し前に泰広王が裁判で告げた言葉を思い出していた。

 亡者の気持ちは移ろいやすい。存在自体が不確かなものだ。気が変わることもある不安定な存在だと。

 その通りだった。あの時は、自分の気持ちなど絶対に揺らぐことはないと思っていた。

「そうだ佐山那津。儂の権限で、お前に、天部の山へ行ける通行許可証をやろう。お前だってミツキに言われっぱなしは嫌だろう? 行ってきたらどうだ?」

「これ以上……ミツキに迷惑なんて」

「別に不正をしているわけじゃない。これは権利だ。通行証があれば、誰だって行くことができる」

 机の引き出しから木札を取り出し、泰広王は那津へ差し出した。

「ちなみに、貴様が最初に儂にした質問の答えだが」

「はい」

「儂は、地獄の泰広王。公平な立場で人を裁く者だ。故に、一人の亡者の選択など瑣末なことだよ。好きにすればいい」

 結局、自分からミツキに会いに行くつもりはなかったのに、泰広王の有無を言わさぬ笑みに誘われる形で、那津は差し出された木札を受け取っていた。

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