後悔
* * *
ミツキは三途の川から社まで戻ると、鳥居をくぐったところで独りしゃがみ込んだ。神だから大抵のことは予定調和。思い通りにいくものと、どこか慢心していた。想定外のことに焦り、頭に血が上った。
一人で冷静になれば分かる。那津が悪い訳ではない。そもそも、那津のような不安要素が死者の国に存在するなら、その分、神である己がもっと気をつけておくべきだった。それを八つ当たりのようなことをした。
今になって激しく後悔している。
――己が悪者にならずに、理由をつけて那津を転生させようとした。
結果的に正しい道を那津が選べるならと、楽な道を選んだ。
どんな言い訳をしたところで、結局のところ那津に嫌われたくなかった。卑怯だった自分に吐き気がする。ミツキは苛立ちのままに石畳の上に拳を突き立てる。
「これの、どこが神だ、笑えるな」
そうやって、ミツキが後悔を重ねているところへ一陣の風が通り過ぎた。ふわりと舞い上がった木の葉は、はらはらとゆっくりと地面へ落ちていく。
「神様が何しょぼくれてんですか?」
少しの間のあと、宇多がミツキの前に降り立った。けれど、ミツキは顔を上げずに言葉を続ける。
「宇多。子どもは無事に下界へ届けたか?」
「はい。きちんと親御さんに会わせられましたよ。あと、帰りに泰広王のところにも行って、事情を話してきました」
出来る神使は、自分が指示しなくても完璧に仕事を終わらせていた。
「ご苦労だったな」
「いいえ、仕事ですから。それで、何で、そんなところに座り込んでいるんですか? まぁ、聞くまでもないですけど」
「力尽きているだけだ」
「へー、神様が? ま、とりあえず、お茶入れますし、家に入ったらどうです?」
宇多は飄々とした声で続けた。
「あぁ……」
返事をしたものの、その場から動こうとしないミツキに焦れたのか、宇多はミツキの着物に手をかけた。
「なんだよ」
「ほら! さあさあ行きますよ!」
宇多に着物の袖を引かれて、ミツキは渋々母屋の中へ入った。
けれど、結局、広い居間の畳の上で、ごろりと横になったまま動かない。
宇多は台所からそんなミツキの様子を横目で見て小さく息を吐いた。
「ミツキ様! お茶、入りましたよ」
「あぁ」
ミツキは生返事を返した。宇多はちゃぶ台の上にミツキの湯のみをドンっと音を立てて置くと、自分の湯のみを手にミツキの前に正座した。
「なんだ、何か用か? 今日はもう上がってもいいぞ」
「ミツキ様。まだ落ち込んでんですか?」
宇多は、そう切り出した。
「……宇多。神も落ち込むし、間違いだって犯す。結局のところ人間とそう変わらない」
ミツキは宇多に背を向けたまま続けた。
「まぁ、確かに。神様と人間の違いなんて、言われてみれば、そんなにありませんよね」
「神と人間の違いって何だ」
「えーそれを神様が神使に聞きますかぁ。でもまぁ、そうですねぇ。人より長く生き、多くを知り、人より、ほんの少しだけ、出来ることがある。それが、神様です」
「あぁ、そうだな」
ミツキは宇多の言葉に頷いた。その、ほんの少しの神にしか出来ないことを、今は正しく行えない。
自分は神様なのに、今も昔も己のことばかりだった。
那津の幸せを祈り、那津のためと禁を破って、寿命を管理しているロウソクの間に入った。そして、今も那津のことを考えている。
人のため、誰かのためといいつつ、結局我欲でしか動いていない。
「ミツキ様、もしかして、俺は神様の資格なんてないんだーっ、とか考えてません?」
「なんで、分かったんだ」
「何年、ミツキ様に仕えてると思ってるのですか?」
宇多は呆れ声で肩を落とした。
「お前だって、今回のことで幻滅しただろ、なんなら、契約解除してやってもいい」
「私をクビってことですか?」
「そうだ。泰広王が、お前を欲しいといつも言っているじゃないか、宇多だってこんな落ちこぼれの神に仕えるなんて嫌だろう」
ミツキは、おもむろに体を起こすと胡座をかいた。
「泰広庁なんてお堅いお役所仕事、私は、ぜーったい嫌ですよ!」
あまりの気迫にミツキはたじろいだ。
「そ、そうか?」
「私は、こうやって社のお掃除したり、下界にお使いするのが好きなので、これが天職なんです」
「つまらん仕事だろ」
「つまらないからいいんですよ。だから勝手にクビになんてしないでください」
宇多は頬を膨らませると、机の上に置いている茶菓子の饅頭に手を伸ばし、口の中にぽいと放り込む。
「分かった」
「それで、なんでミツキ様は、今さら御自分の神の資質なんて物を疑っているのですか」
「……神として正しいことができないから、俺は、結局自分のことばっかりだ。今回だって」
己の不手際で、まだ生きている子どもの命を危険に晒してしまった。普段なら、こんなことはありえない。那津のことばかり考えていたから、こんなことが起こってしまった。
真面目な顔でミツキは宇多の目を正面から見る。
すると突然、宇多はその場で笑い転げた。
「あははは、おっかしぃ」
「おい! 俺は真剣に、仮にもお前は神使だろう!」
「だって、一体何を言い出すのかと思えば、そんなこと悩んでたんですか」
「悪いか!」
「ミツキ様は、天部の神様が、全員正しいことをしていると思ってるんですか」
「は? 当たり前だろう、神は正しくあるべきだ」
「そんなこと考えてるの、ミツキ様くらいですよ。みーんな、我欲の塊ですって、ミツキ様のお師様だってそうです、欲のない生き物なんていません」
「しかし……俺は」
下界の人間と縁を結び、人が正しい道を歩めるようにその方向を指し示す。それは、自分の仕事で、それができないのなら、神でいるべきではないとミツキは思っている。
ひとしきり笑って気が済んだのか、宇多は畳から体を起こした。
「やっぱり、ミツキ様は、神様らしい神様ですね。私はミツキ様に仕えてよかったです」
「どういうことだ」
「あなたは、とてもお優しい神様ですよ」
普段軽口ばかりの宇多に面と向かって褒められ、ミツキは恥ずかしくなり宇多から顔を背けた。
「難しく考えなくても、もう少しご自分に正直であってもいいんじゃないですか? 神様というのは、あくまでミツキ様に与えられた仕事です。でも、どういう神様でいるべきかを決めるのは、ミツキ様の自由ですよ」
ミツキは、そんなことを考えたこともなかった。
「もちろん、今回の三途の川の件は、天部としての仕事のミスですから、それは私たちで反省するべきです。それで改善出来るところは改善すればいいんじゃないですか」
「それで、いいと思うのか」
「少なくとも今回は取り返しのつかないことにはなりませんでしたし、そこまで神経質になることではないと思います。というか、私たちだけの責任でもないですしね、組織の連帯責任です」
「那津が俺の友人でも、か?」
「友人でもです」
ミツキは、なんだか宇多に甘やかされているような気がした。
「お前の方が、よっぽど神様だよ」
「私は神使ですって。ただの可愛い兎さんですよ」
「自分で言うなよ」
「へへ。ま、私は、ミツキ様を尊敬出来る上司だと思っていますよ」
宇多は、にこにこと笑いながら、何か企んでいるような目でミツキの顔を覗き込んだ。ミツキは大仰に息を吐く。
「宇多……その笑い方やめろ。何か言いたいことがあるなら言え」
「では、失礼して。そんな神の資質など悩む前に、もっとすべきことがあるのではないですか? ミツキ様」
宇多は首を傾げると、頭の上の耳を器用にぴこぴこと動かす。
「ミツキ様が、神様として正しくありたいと思うのなら、アレはやっぱりいけません。八つ当たりですから」
「……分かってる」
「分かってませんね。分かっているのなら、こんなところで、しょぼくれる前にやるべきことがあるはずですよ?」
宇多は、河原でのことを反省しろと言いたいらしい。
「……正しいな」
「だから、言ったでしょう。後悔するなら、あんなこと最初から言わなければ、良いんですよ」
「あぁ」
「ほら、だったら、早く謝ってきてください! 那津さんにもですが、お騒がせしたんですから、鹿島さんと三島さんにも」
「そうだな」
「はいはい、では、いってらっしゃいませ、ミツキ様」
結局、ミツキは昔から宇多に言われっぱなしだった。
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