このまま一緒にいたい

 泰広庁を後にした那津は、上の空のまま当て所なく歩き続けていた。泰広王の話を聞いた上で、ミツキに何を伝えればいいのかが分からない。

 感謝でも怒りでもない。

 今、那津の中にあるのは、ミツキの修行を邪魔してしまったことを申し訳なく思う気持ちだけだった。


 ――もう、ミツキと一緒にいられないな。


 泰広王に言われたとき自分の中で動いてないはずの心臓が痛んだ。一緒にいたいと願うことは、ミツキの気持ちを踏みにじる。


「そりゃ、怒るよね……転生しろって言いたくもなる」

 昔のミツキは、もっと冷たかったと水華はいっていた。

(私が知っているミツキは、今も昔も、変わらず優しい)

 考えごとをして歩いていたため、ふいに聞こえてきた賑やかな人々の声に驚いて足を止めた。

「え、ここ、どこ」

 那津は両端に赤い提灯の灯った大門の下に立っていた。

 いつの間にか陽は落ちかけ、あちこちに色鮮やかな明かりが灯り始めている。

 道なりに続く町家の格子戸の向こうでは、美しく着飾った着物の女性たちが客を呼んでいた。

 ここが、鹿島が教えてくれた街だと気づくのにそう時間はかからなかった。

 沢山の鬼や亡者が、その場に突っ立ったままの那津を邪魔そうに避けて門の内側へ入っていく。

 鹿島が言った通り、出店もあって賑やかな場所だった。

 遊ぶつもりはなかったが、せっかく来たので見学するつもりで、那津は一歩足を踏み出した。

 その時だった。

 着物の襟を後ろから掴まれた。

「待て」

 聞き覚えのある声に驚いて振り返ると、想像と違わず後ろにはミツキが立っていた。黒い大きな翼がバサリと揺れ、ミツキの背から消える。

「ミツ……キ、なん、で」

「お前はッ! 自棄になるにしても、こんなところに来なくてもいいだろう! 俺への当てつけか!」

「あて、つけ?」

「だから……」

 ミツキは言いにくいことでもあるのか、自分の頭をガシガシとかき混ぜる。美しい髪なのに乱暴に扱えば痛んでしまう。

 那津は無意識に手を伸ばし頭上にあったミツキの手に自身の手を重ねた。

「お前は……何を」

「ミツキ、髪……昔も今も綺麗だね。傷んじゃうよ」

「お、お前は、人の話をちゃんと」

 ミツキは、急に顔を真っ赤にして那津の顔を見下ろす。

「うん、ちゃんと聞くよ。どうしたの? そんなに急いで、あ、もしかして、また私、何かミツキの邪魔を……」

「ちがう! だから……鹿島が、お前に遊んでこいって」

「確かに言われたね、遊んでおいでって」

「お前、それ、意味分かってるのか」

「それは、まぁ」

 那津が、答えようとした時だった。

 ミツキは那津の手首を強引に掴むと、人ごみをかき分け無言で街の奥へと進んでいく。

「ちょ、ちょっと、ミツキどうしたの急に」

「少し、黙ってろ」

「分かった……けど」

 たどり着いた先は宿屋だった。ミツキが店主に何かいうと、そのまま手を引かれ二階の部屋へ連れていかれる。

 和室には、布団が一組だけ置いてあった。

「ミツキ、あの」

「お前を、あのとき抱かなければ良かった」

 布団を前にしてミツキは、まっすぐに那津の目を見てそう告げる。

 那津は仙桃を食べてしまった夜のことだと分かった。

 不可抗力とはいえ、欲に支配され戸惑う那津の身体をミツキが慰めた。

 優しく身体中を甘やかされた記憶。

 あの日まで那津にとって縁のなかった行為だった。ミツキがその夜のことを後悔しているのだと理解した。

「どう、して……」

「欲なんて知らなければ、お前は女を抱こうなんて、考えなかっただろう」

「違うよ、ミツキ、私は」

「何が違わないんだ!」

 声を荒げたミツキは那津を、布団の上に押し倒し、その場に縫い止めた。真摯な瞳で見下ろされると那津はそれ以上何も言えなくなる。

 ミツキは、那津の着物の胸元を肌蹴させると、大きな手のひらで触れた。

「……ミツキ」

 那津は、ミツキの名前を呼んだ。こんなに近くにいるのに今日は心が遠いと思った。

(違う……近くにいたことなんて一度もなかった)

 離れていても、ずっとミツキがそばにいると勘違いしていた。どれほど願っても、伝えたい思いは届かず、心も距離もいつだって遠い。

「そんなに、あの仙桃がよかったのか?」

 耳元で問いかけながら、ミツキの手が胸元をゆっくりと下へ滑っていく。その艶かしい動きに那津の顔が朱に染まった。

 仙桃が良かったのではない。

 あの日よかったのは、嬉しかったのは、ミツキが会いにきてくれて、優しく自分に触れてくれたから。

「ご、ごめん、なさい……ミツキ」

「なんだ、良くないのか? 女抱きにきたのに? 溜まってるんだろう。死んでから、こんなこと知って……可哀想にな、苦しいんだろ」

 片手を頭上に拘束されたまま、ミツキは那津の未熟な性感を煽るように肌に触れた。

 那津はミツキが河原でのことに腹を立て、仕置きをしているのだと思った。だから、那津はミツキに謝ることしかできなかった。

 ミツキは那津と唇を重ね合わせると、そこを舌で割って内側に侵入してくる。舌を絡ませるような、やらしい口付けがあると、那津に教えたのはミツキだ。互いの舌を擦り合わせると頭の芯が痺れて、体が粟立つ。

 この行為が仕置きだと分かっているのに、抱きしめられることが嬉しい、ミツキに触れられることが嬉しい。

 駄目だと分かっていても、勝手に身体が熱を持つのは、相手がミツキだから。

 那津の小さな胸の尖にミツキは口付けてそれを口に含み、舌で執拗に愛撫する。もう片方も指で何度もこねられていると、あられもない声をこぼしそうになる。

 少しづつ体の熱を育てられていく感覚。仙桃を食べていなくても思い通りにならない身体の変化は同じだった。

 優しい触れ合いにはならなかった。ミツキの全てが欲しくて欲しくて堪らなくなる。体の内側で暴れ狂う欲をどうすることもできない。

 こんな一方的な行為を嫌だと思うのに、ミツキから離れたくない。

 那津は、そんな情けない自分に怒りにも近い感情が湧いてくる。

 こんな気持ちを知らなければ、ミツキのことを忘れることができただろうか。あの日、体を重ね合わせた記憶がなければ、こんなにも苦しくならなかっただろうか。

「私のこと、好きじゃないなら……もう、触らないで」

 那津は絞り出すような声で訴えた。ミツキの重い体を必死に押しのけて、欲しくて堪らないその唇を拒絶した。

「那津……」

「あと、私が好きなのは、ミツキだから、女の人は抱けない」

 この世界に来てから、那津は泣き虫になった。今まで負の感情を抑え込んでいたツケなのか、すぐに涙がこぼれる。

「ごめん、すぐ、泣き止むから……」

 それ以上泣くまいと、那津は奥歯を噛み締めて耐えていた。



 ミツキは、自分の下ではらはらと涙をこぼす那津をみて罪悪感に苛まれる。それと同時に湧き上がる気持ちは、決して神として許される感情ではなかった。

 もっと、那津に触れたい。このまま罪を重ねたい。

 好きなのに、一緒にいられない場合は、どうするのが正解なのか。

 嘘をついて突き放せばいいのか、話し合って理解し合えばいいのか。どうすれば、那津が幸せになれるのか、ミツキはもう自分でも判断できない。

 半端に突き放して那津を傷つけたい訳じゃない。

「那津、女を抱きに来たんじゃないなら、なんでこんなところに来た」

 責めるような口調だが、そんな資格が自分にないことも分かっている。つまらない独占欲だった。

 らしくない感情に振り回される自分は、もう神ではいられないと思う。

 後悔の念に苛まれているミツキを、那津は心配そうに見つめていた。困らせているのは自分なのにと、ミツキはさらに落ち込む。

 ミツキは、押し倒していた那津から離れ、布団の上に座った。

「ちょっと、ぼんやりしてたから、迷い込んじゃった」

「こんな一本道で」

 泰広庁から三途の川までは、広い大通りを進むだけだ。横道にそれなければ、遊郭のある街に辿り着いたりしない。

「考え事してたから」

「……そうか」

 普通ならありえないが、那津がいうならそうなのだろうと、ミツキは納得していた。

 そもそも、那津が上の空で歩いていたのなら、おそらく河原での自分の態度が原因だろう。

 ミツキは今更ながら反省する。謝るために会いに来たのに、さらに傷つけていた。

「……ねぇ、ミツキ」

「なんだ」

「あのね、もし、ミツキにとって、こういうことが、普通……だとして、お仕置きみたいにするのは、やめて欲しい、です」

 さっきまで、淡々と話していた那津は、突然、もごもごとした話し方になる。

 ミツキは、布団の上で仰向けのまま泣き顔を隠している那津を見た。

「なにが?」

「だから……さっきみたいなこと、されるとなんか、その、体が、変に、なるから」

「は……お前何言って」

「私、ミツキが好きだから、ミツキが怒ってて、私を苦しめたいから、嫌がらせしてるんだって分かってるのに、気持ちよくて」

 那津は、言いながら体を捩って自分の身を守るような体勢になった。

「仙桃食べてなくても、私は」

「那津、ごめん。俺が、那津が変になるようなことをしたから」

「……ミツ、キ」

「お前は悪くないし、怒ってないから」

 那津が自分のことを好きだという気持ちを疑っていたわけではない。

 けれど、自分が中途半端に教えた性欲のせいで、女遊びを覚えたらどうしようと焦っていた。那津はそういう男じゃないのに。

「那津……ごめん、苦しいか」

 一緒に居られないのなら、突き放すべきなのに、それもできずに、こうやって再び抱こうとしている自分が情けない。非情になれないから、余計に那津を傷つける。それでも、目の前で半端に熱を灯してしまった那津が、膝を苦しそうに擦り合わせている姿を見ていると、どうしようもなかった。

 こんなだから、部下なのに宇多にも馬鹿にされるのだろう。

「那津は、おかしくないから、俺が、悪かったんだ」

「……ミツキ」

 ミツキは、那津の熱の中心に手を伸ばし、そこに触れた。健気な那津の思いを、ただ愛しいと思った。

「仙桃食わなくても、好きだとこうなる。だから、別に那津はおかしくない」

 気づいたときには、那津の気持ちを肯定していた。好きだと欲情する。好きじゃなくても、そうなると言えばいいのに、言えなかった。

 初めて抱いた時と同じように、それは気の迷いだと、言えなかった。

 ミツキは再び那津を抱きしめ口付ける。さっきのような性感を煽る乱暴な口付けではなかった。

 身体の熱を分け合うような、優しい口付けだった。

「ッ……ぅ、ん……ミツ、キ」

「……那津、ごめんな。自分の気持ち否定されたら、誰だって悲しいよな」

 那津の頬を伝う涙をミツキは、そっと指ですくった。

「私だって、わがままばっかりだ。ミツキのこと何も考えてなくて、ごめん。そばにいたいって願ったから、好きになったから」

 ここにいたい。ミツキの都合なんか考えずに、自分のことばかりだった。

「俺だって、自分の都合ばかりだ」

「……ミツキ、どうして、泣きそうな顔してる」

 那津の手が伸びミツキの頬に触れる。ミツキは、その手を取り指先に口付けた。

「那津と離れられなくなる。だから、言いたくなかった。けど、もう無理だ」

 ミツキは、那津のことを隙間なく抱きしめた。その指先は震えていた。

「那津、好きだ……」

「ミツキ」


 ミツキが泣き顔を見せたくないというのなら、那津はこのまま、ミツキが泣き止むまで目を閉じていようと思った。抱きしめるその力は壊れそうなほど強く。すがるような懐抱は、まるで、はなれていた時間を埋めるようだった。


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