前に進むため


 頑張ると、ついさっき力一杯宣言したもののそう上手くはいかない。

 浅瀬で棹をさしたら、その棹を引き上げる前に先に和船が進んでしまい、櫂を動かせば目的地とは逆に進みまったく思い通りに船を動かせなかった。

 最初から全てできると那津自身思っていなかったが、自分がこんなにも役立たずだとは思っていなかった。

 結局、操舵に慣れるまで三島と一緒に仕事をすることになった。せっかく生まれて初めて、正しくは、死んで初めて仕事を手に入れたというのに、周りに迷惑しかかけていない。

「全然、前に、進まないね。なっちゃん、力無さすぎじゃない」

 櫂を動かす那津の手の上に三島の手が添えられた。それほど力いっぱい動かしているわけでもないのに、三島が手伝うと船はまっすぐに前に進んでいく。

 那津が不思議そうに三島の手を見ているとコツがいるのだと言った。

「す、すみません、死んだら病気も治るし、力も普通に戻るかと思ったんですけど、体力は生前と変わらないんですね」

「まぁでも、力は落ちたりはしないし、頑張ればすぐにできるようになると思うよ? ほら、なっちゃん、俺の手ばっかり見ていないで、櫂の動きを見て」

「はい!」

 船の客には獄卒である鬼や十王庁へ向かう者が乗っていた。日に何度も川を往復し、ここで住む者たちの交通の手段として大切な仕事だと聞いた。

 遠くまで歩けば、橋もかかっているので、そちらを使うよりも安全で早く楽でないと船がある意味がいない。そういう意味では、スピードが出せないし左右に揺れているうちは誰の役には立っていないし、そんな自分に落ち込みはする。

 けれど、自分で何かしているという今の状況が那津は楽しくて仕方なかった。

「なっちゃん、ポンコツなのに楽しそうね」

 そんな楽しさが顔にも出ていたのか目の前にいる三島に言い当てられた。

「えっと、役に立ってないのは申し訳ないんですが。楽しい、です」

「えー、仕事が楽しいの? やっぱり、那津ちゃんは変わってる」

「ここにきてから、何度も言われてます。私は変わっているんだって」

「仕事きついし楽しくないし? 万年人手不足の死者の国で働きたいっていうんだから、変わってても当然っちゃ当然なんだけど。まぁこっちとしては、なっちゃんがどんな変人でも、鹿島はすぐサボるし、なっちゃんが来てくれて嬉しいよ」

「本当ですか」

「本当本当、これからも仲良くしてね」

「はい!」

 鹿島も派手な男だけれど、三島も負けず劣らず外見が派手だ。鹿島の場合、華やかという意味だが、三島は下界だと不良少年的な派手さだ。けれど、話してみると少しも曲がっていない。気遣いが細やかで、真面目で仕事も丁寧。人は見かけによらないのは本当だと思った。

「あとは、なっちゃんの仕事がもっと出来るようになると、もっと嬉しい」

「それは、が、頑張ります」

「うん。頑張ってね」

 三島は、那津の頭をぐちゃぐちゃと子どものように撫でてくる。そうやってじゃれていると、鬼のお客さんに叱られた。

「おい、懸衣翁。新人の兄ちゃんが入って嬉しいのはわかるが、いちゃついていないで、船を進めてくれないか、こっちは急いでいるんだ」

「ごめんごめん。急ぐ急ぐ!」

 三島は再び那津の手に自分の手を重ねて櫂を動かした。その櫂の先を見ていても自分の動かし方とどう違うのか、那津はやっぱりわからなかった。


 岸についてお客さんをおろしている時だった。三島が少し先の河原を指差した。

「あれ、あそこいるの、ミツキ様じゃん、そっか、今日はお仕事の日か」

「お仕事?」

「そう、ここ、賽の河原だから」

「あの三島さん。ミツキって、神様じゃないんですか? なんで賽の河原でお仕事を?」

「あー、神様だよ。けどなぁ……俺の口から言っていいのかな」

 三島は言い淀む。

「えっと、ミツキは、私の……大切な友達だから、知りたくて」

 そういうのはズルいと思ったけれど、ミツキは自分のことを知っているのに、自分はミツキのことを何も知らないままなのは嫌だと思った。

「まぁ、別に、ここにいる死者の国の住人も神の国の住人もみんな知ってることだけど。ミツキ様は、修行中にお師様を怒らせてしまって、その時のツケを今払っているんだよ」

「ツケ?」

 ミツキがどんなことをしたのかまでは、三島は教えてくれなかった。

「そ、ツケ。ミツキ様は導きの神様だから、地蔵菩薩さまについて、学んでいるんじゃないかな。まぁ嫌がらせも含んでいると思うけど、ミツキ様って子ども大嫌いだから」

 子どもが大嫌いという割に、遠くから見るミツキは子どもに懐かれていた。

「そっか……まだミツキは修行中だったんだね」

「まぁ、そういうことになるのかな、別に神格は持ってるから神様なのは違いないけど、ちゃん神使もいるし」

 その姿は一見微笑ましいものだったが、苦手な子どもの相手をするのは、きっと大変だろうと那津は思う。

「あ、友達なら声かけてきたら? 次の船まで時間あるし、休憩していいよ」

「ありがとうございます」

 三島にお礼を言って、那津はその場から離れて休憩をすることにした。ほとんど三島が船の操縦をしていたというのに、櫂を握っていた自分の手は真っ赤になっていた。



「と、言っても。気軽に声かけられる訳ないよね」

 休憩時間をもらったというのに、那津はミツキに声をかけることなく、こっそりと船着場の物影からミツキの様子を見ていた。

 声をかければ少なくとも今朝のことを怒られるか、最悪無視される。那津自身怒られる覚悟はできていた。

 それでもやっぱり躊躇してしまう。

 自分の気持ちを分かってもらうための努力はするつもりだったけれど、絶交されてしまえばそれまでだ。

 仕事を得て自信を持ってこの場所で立っていられるようになったら、改めて自分から会いに行くつもりだった。

「まず仕事を頑張らないといけないよね」

 ミツキは地蔵菩薩と呼ばれた女性に付き従い、子どもたちと遊んでいた。今は鬼たちが居ないからか子どもたちの顔には笑顔があふれている。きっと、いつもは親より先に死んだことの罪を償う為に、日々石を積んで涙を流しているのだろう。

 そんな子ども達にたどたどしくも優しく接しているミツキを見ていると、昔、現世でミツキと出会い山で遊んだことを思い出す。

 那津もミツキと過ごしたほんの少しの時間が楽しくて、孤独から救われていた。

「おや、那津さん」

 こっそりと物陰からミツキを見ていたところ、突然聞き覚えのある声が後ろからした。

「う、宇多さん。こんにちは、あの朝は、すみませんでした。色々……」

「いえいえ、元はといえば、私が那津さんに死者の国の話を教えたのですから、私がミツキ様に怒られるのは自業自得というか」

「私が宇多さんにあれこれ聞いたんですよ。悪いのは全部私です。けど、ありがとうございました、これで、私の願いは叶ったから」

「願い……ですか?」

「うん。自分の望んだ通りに生きること。死んでから自分の道を生きようとするなんて、宇多さんとかミツキからしたら理解できないことかもしれない。でも、これが私だから」

「……那津さん。実のところ私は、那津さんがここで生きることは絶対選ばないと思っていたから下界で死者の裁判の話をしたのです。自分から教えておいてなんですが……。だから、やっぱり全面的に、おすすめはできないです。私はここで生まれてここで生きている者ですから、ここのルールが全てで、ここの常識で生きてきました。なので、那津さんには今と違う選択をして欲しい」

 宇多も同じように転生して新しい人生を生きるべきだという。ただ、今の記憶をなくして一から新しい自分を生きるということが、自分にとって本当に選びたい道だと那津はどうしても思えなかった。

「間違ってるって自分でも分かっている。でも変えられない」

 那津は宇多の目をまっすぐに見た。

「そうですか。あ! けれど、私は那津さんのことは好きです。理解はできなくても、那津さんは那津さんには違いありませんから」

「ありがとう、あと、ごめんなさい」

 宇多に心配をかけていることは自覚していた。那津のことを思って言ってくれているだけに胸が痛い。たくさんの人々の供養の気持ちを踏みにじって無駄にしていると鹿島にも言われたけれど、本当にそうだ。

 だからこそ、鹿島は絶対に後悔しない自信と覚悟が持てないなら転生しろといった。

 ――本当に覚悟ができているのだろうか。

「那津さん。謝らないでください」

「でも」

「ちゃんと那津さんが、考えて考えて選んだ道だって、分かってますから」

 宇多はそういって優しく微笑む。たとえ、ずっとここに居続けても、ミツキは自分のことを許してくれないかもしれない。そうだとしても、ここに居たいと思えるのだろうか。

 今は、それでいいと思っていても、もし途中で心が折れたらどうする? どんなに固い決意をしていても、考えずにはいられない。

 無論、そのための一月ほどの猶予期間なのだろう。後悔しないための時間だ。

「ところで、さっそく船の渡し守のお仕事してるんですね。どうですか?」

 暗い雰囲気を払拭するように、明るい声で宇多は仕事の話に切り替えた。

「えっと……全然、まだまだ役立たずで、これからって感じです」

「声かけないんですか? ミツキ様に」

 二人で物陰から、ミツキの様子を伺っている状態だ。ここから一歩踏み出せば、会えるのにその勇気がまだ出ない。

「うん。当たり前だけど、怒られるかなぁと思って」

「確かに、すごく怒ってましたからね。しばらくは、そっとしておくといいかも。那津さん今は休憩ですか?」

「はい。ほら、私やっぱり体力なくて。現世でも非力だったけど、死んだからって病気がなくなっても体は何も変わらないみたい」

「そうなんですね。あ、でしたら、これ、よかったらどうぞ。私もよく食べるんですが、仙桃です。元気になりますよ」

 宇多は突然手のひらに桃を出して見せた。一体、どこにそれを持っていたのだろうか。

「ありがとうございます。じゃあ、私もそろそろ仕事に戻りますね」

「はい。頑張ってください」

 宇多に手渡された桃を斜めがけにしていた鞄に入れ、那津は船着場へ戻っていった。

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