第4話 乙幡叶歌 勘案②
「ん~~~~???」
「唸ってんね」
なにかがおかしいことに気が付いたのは、高二の五月。クラス替えから一ヶ月経ったってことはつまり、境雛人に付きまとい始めてから一ヶ月経ったってこと。一ヶ月。四週間。いつも私が傍にいたってこと。
「ヘイ、境」
「急な欧米かぶれはこの世でもっとも恥ずかしいもののうちの一つにノミネートされてますよ」
「オッケー、境」
「ああそっち……。俺はスマートでもなければフォーンでもないけど」
「世界で一番美しいのはだぁれ?」
「それ聞くなら鏡っしょ」
「だぁれ?」
「乙幡じゃないの。わかりきったことを」
「んんん~~~~~~~~~~~~~~~???」
「また一段と唸ってんね」
なんか、全然、普通だった。ベタ惚れさせてから地の底に叩きつける予定が、いつまで経ってもそうなる気配がない。
これで、たとえば彼が犬とか猫みたいな人間以外の生き物にしか興奮できない超変態だったらギリギリ納得できる。でも彼は人間の女の子とトラブったわけだし、なにより「私の顔どう?」と聞くたび「かわいい」って答えてるのを見ると、これまでの子と同じような変化はなくもない……気がする。
だけど、グループがぐっちゃり壊れる直前の雰囲気を、境雛人はちっとも見せない。学校で私と一日中喋って、帰り道でも喋って、家に帰ってからも喋って、それでも全然、クラス替えの日から変わった感じがしない。なんだこいつ、こわ~……。もっと読みたまえよ空気を。私がこんなに頑張ってるんだから。
それから一週間、二週間と時間をかけても、彼の態度はそのまんま。打ち解けてガードは緩くなったけど、私が意地悪を言えば嫌そうにするし、先約があったら私の誘いを普通に断る。「用事あるから帰るわ」って言われたときには思わず「えっ」って声に出しちゃった。私を第一優先にしない人に、心当たりがない。
あっという間に来た六月。衣替えが終わっても、境雛人は相変わらずな調子だった。ちょっと自信を無くしかけながら、駅に向かうその背中を追いかける。すると、私が近づいてくるのに気付いた彼は、ちょうど人が一人入れるくらいのスペースを自分と縁石の間に作った。そこも相変わらずで、車道側を歩くって発想はないみたい。彼の隣を歩くと、いつも後ろから車がやってくる気がする。――――んん?
「私って女の子じゃん?」
「見たまんま」
「女の子を車道側に立たせちゃいけないってマナー、知ってる?」
「そりゃ聞いたことくらいは」
「はい、注目! 私が今歩いているのは~?」
「車道側。あらら、マナー違反だ」
初めて気づきました~みたいな口ぶりの境雛人。だけど、気づいたはずなのに自分から車道側に立とうとはしない。だったら私がと考えて立ち位置を入れ替えようとしても、それも許してくれない。
「車の泥跳ねとか飛び石とか怖くてさ。乙幡はもしものときの盾」
笑う彼に、「あ、嘘だ」って直感が走った。人となりなんて全然知らないけど、それが心からの言葉には思えない。
だから私は、
「歩道って、真ん中が一番危ないみたいだよ。理由は知らないけど、真ん中に近い人ほど通り魔に刺されやすくなるんだって」
一秒で思いついた出まかせで彼を煽ってみる。泥とか石より、人殺しの方が怖いでしょ。
だけど。
「まあ、そんときはそんときで」
変わらず、動かない。――そこでようやく、もしかしたらの疑問が確信に近づいた気がした。
「……もしかして、わかってた?」
「なんのことやら」
それは完全にわかっている人の口ぶりで、誤魔化しきれないことに言ってから気づいたのか、彼はしぶしぶ話し始めた。「えっと……」私がじっと見つめていたのも関係あるかもしれない。
「自己満足だし、指摘されるのすごい辱めなんだけど」
「いいから言って言って。聞きたい」
「……自分が噂話の的になりやすいタイプなのは、乙幡が一番わかってるだろ。面識なかった頃も、結構な頻度でやれ乙幡がああしたこうしたって話は聞いてた。……で、気になったことが一つ」
彼はぴんと立てた人差し指を、そのまま自分の目元に持ってきた。――左の目元に持ってきた。
「乙幡と廊下やら体育の授業やらでぶつかったってやつが、妙に多かった。初めは認知されたすぎておかしくなった連中が自分から突っ込んだんだろうとしか思わなかったんだけど、クラス替えの日に初めて近くで顔合わせて、もしかしたら……と。……青いだろ、左の瞳」
「綺麗でしょ」
「色合いはね。……その日、立て続けに廊下でぶつかった二人は、どっちも乙幡から見て左側を歩いてた。そんなの見ちゃうと、虹彩異色症と弱視の関係性を思い出さざるを得ないわけで」
「…………」
「左目、ほとんど見えてないかそれに近い状態なんじゃないかなって。俺の勝手な推測」
「……ちょっとは見えるよ。ほんとにちょっとだけ」
親とお医者さんにしか話していないことだった。ちやほやされるのは大好きだけど、あくまで私はかわいさを褒めてもらいたいだけ。学校を休んだ次の日にクラスのみんなから心配されるようなちやほやは、思ってるのとちょっと違う。だからこれまで隠してきたし、これからも言う予定はなかった。視力検査の輪っかの形を暗記して、ぼやっと見えた影の位置を頼りに答えるような努力もしてきた。それを会ったその日に見破られてたなんて、完全に予想外。
ショックで次になにを喋るかが思い浮かばなくなっちゃったところで、彼がはーっとため息をついた。
「こういう隠れた気遣いは、隠れ続けないといけないんだよ。バレると恥ずかしいから。そもそも見えてない側に立ってさりげなく距離感コントロールしようって試みがまずどうなんだって話。どっち歩かれたらいやなのかは乙幡しか知らないわけで、本当は見える側に人を置いておくのがしっくりくる可能性もある。で、実際んとこどっち?」
「あんまり考えたことない……」
「ほら、本人すら考えてないことを俺が悩むの、バレるとめっちゃ恥ずかしいだろ。ちょっと轢かれてこようかな」
「…………」
「俺が沈黙を肯定とみなすタイプの人間だったらヤバいと思いません?」
照れたようにまくし立てる彼。でも、ちょっとそれどころじゃない。なんだろ、なんか、なんていうか――――――超、いいヤツなんじゃない……? 正直、それは薄々思ってた。二ヶ月近くで見続けて、「あ、噂通りだ」ってなった瞬間が一回もなかったから。悪いことするぞ~って態度で生きてる悪人なんていないけど、根が良くなかったらどこかで絶対なにかが漏れる。でも彼にはそれがなくて、だけど本人が噂を認めてる以上良い人なわけもなくて、なのに私の目に映る境雛人は、周りをよく見てこっそり気を遣ってくれる、私が思う良い人像ど真ん中で……。
「ね」
一生懸命考えた結果、『答えが出ない』という答えが出た。なら、後はやりたいように。私が楽しいって思えるようなことをしないと。
「甘いの好き?」
「人並みには」
「じゃ、なんかおごったげる。クレープでいっか。そしたらチャラね?」
「借りに思われても困るんだけど……」
「いーからいーから」
疑ってかかったこと。懲らしめようとしたこと。そういうのを、一回まっさらにしたい。たぶん甘いもの一つじゃ釣り合わないけど、足りない分は私のかわいさで埋めよう。
だって、気づいちゃった。考えが窮屈になっていたせいで見えなくなってた。――私の傍にずっといるのにおかしくならない子。それって、ずっとずっと喉から手が出るくらい欲しかったものだ。
今から、ちゃんと友達になろう。いつかは前のみんなみたいになっちゃうんだろうけど、そうなる前に、やりたくてもできなかったことをたくさんしよう。
できるだけ、それが遠くの未来の話になるといい。半年とか、欲張って一年とか。
「しばらく、左側歩いてよ」
「…………? ああ?」
しばらくの意味は伝わっていなさそうだった。
それも悪くないかなと思った。
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