第6話 乙幡叶歌 浮足立って②
「……失言した気がするなあ」
「ドンマイドンマイ、また次頑張ろ!」
「……悪用する気満々のやつもいるなあ」
ひなとは下唇をぐにぐに揉んだ後、諦めたみたいに笑った。「やりすぎたら絶交な」「絶交なんて聞いたの小学校ぶりなんだけど」「いろんなやつと絶縁してきた俺がそんじょそこらのガキとの違いを見せてやりますよ」「関係切れちゃった子の数で私にマウント取れると思わないでね」「……言ってて悲しくなる」「だねえ……」
トラウマを自分たちでせっせと掘り返してしまったので、丁寧に埋め直す。今日はぱーっと騒いで気持ちよくなる予定なんだから、湿っぽいのは厳禁。
バスやタクシーが行き交う駅前の道をとことこ歩く。人通りが少なく感じるのはきっと今日が平日だから。みんな遊んでいない日に遊ぶのは、特別感があって良い。どんな店も空いているからストレスフリー。
「あれやろう。飲めや歌えや」
提案。大声出して騒げる場所ってよくよく考えるとそんなに多くなくて、だからカラオケはたくさんの人に愛されてるんだと思う。もちろん、私も愛してる。ライクじゃなくてラブ。お金がそんなにかからないのも最高。何度か住もうと考えたくらい。
ただ、カラオケボックスにも欠点はある。……今はどこも、部屋のカメラで監視されてるんだよね。見られるのは慣れてるし嫌いじゃないけど、レンズ越しで遠くの人に~ってなるとあんまり気持ち良くない。できることなら監視カメラのない店に行きたいなーって、前からずっと思ってた。
「ここに上着かけよ。覗かれたらやだし」
「あいよ」
駅前にあんまり人がいないくらいだから、私たちが入った駅から少し離れた店舗はガラガラだった。ちょっと広めの部屋に案内してもらったのはたぶんサービス。
通路で盗み聞きされるのはカラオケだとしょっちゅうだから諦めてるけど、姿までは見せたくない。ひなともそれはわかってるみたいで、ドアの曇りガラスを隠すようにすんなりロングコートを吊るしてくれた。
外からの光が遮られたせいで、個室の液晶の自己主張がものすごい。目が良くない私的にこういうのはあんまりなあ……と思っていると、ささっと光量を調整するひなと。「こんなもんでいい?」「はなまる」ほんと、こういうとこある。怖いくらい気がつく。そんな男の子を初見で気の利かない人だって判断したやつがいるらしいけど、今も元気にしてるかな。
「これかけて」
ひなとに本日の主役タスキを押し付けてかけさせる。鼻眼鏡とかクリスマスの帽子とかを持ってくるのも考えたけど、かさばるのが嫌でペラペラのタスキが選ばれた。今日くらいは気を遣わずくつろいで欲しいなって思ってたけど、もうひっくり返っちゃったからどうでもいい。私が楽しめば、ひなともきっとそれに釣られる。気遣いは私に向いてない。
歌う。無我夢中で歌う。歌って歌って歌いまくって、ちょっと喉が痛くなってきたな~ってタイミングで、ずっと伝えられなかった言葉を口にすることにした。
「そうだひなと。合格おめっとさん」
「ありがとさん。ちょい遅くない?」
電話とか文字じゃなくて、直接言うって決めてたから。だけどなんか気恥ずかしくて、適当に誤魔化すことにした。
「落ちると思ってたよね、普通に。私と遊んでばっかだったし。だから慰めのパターンだけたくさん用意してた」
「最悪」
「噓泣きの練習が大変でね。『私が足引っ張らなかったら……』って言いながらボロボロ泣くの。そしたらひなとは私を許すしかないじゃん?」
「じゃん? じゃないが。ま、こう見えて俺はできる子なもんで。悪いね」
「ほんとだよもう。私の努力無駄にしてー」
マイクでひなとをぽこぽこ叩きながら、本当にそうなっていたらなって言葉を飲み込む。まだまだ遊び足りないうちに、遊べない場所に行かれたら困る。十代の間くらい、私と遊び明かしたっていいのに。「大学生になるのなんてやめてさあ、ここで楽器として生きない?」「正気の発言じゃねえよ」一瞬で拒否られちゃった。――本気なんだけどなあ、割と。
「うーん……?」
他のことなら察してくれるくせに、こういうのは全然伝わらない。いつもいつも適当ばっか言ってる私が悪いのかもだけど、ひなとだってもうちょっとさあ、なんていうかさあ……。
色々と思うところがあるはずなのに、頭の中でもやもやして全然言葉にできない。それにちょっとムカついて、無言の圧力をかけることにした。
座っているひなとの太ももの横に手をついて、体を前に倒す。鼻と鼻がくっつきそうなところまで、顔が近づく。……ひなと、肌綺麗なんだよね。シミとかニキビとか全然ないし、できたのを見たこともない。スキンケアは朝晩の洗顔だけらしくて、そこは私もかなり嫉妬してる。
……なんとなく、目を閉じた。今と全然関係ないけど、ここでバイトしてるクラスの女の子の話を思い出す。「うちのバイト先、電気代ケチってカメラ全部止めてるんだよね。節電だーって」本当に、関係ない。どこにも今のシチュエーションとつながりがない。考えていたら呼吸の仕方があやふやになって、息を吸った後にまた吸って、吐いた後にまた吐いて、酸素の巡りが悪くなっていくのがわかった。個室にはカラオケのチャンネル広告だけが大音量で流れている。それが頭の中でくわんくわん鳴り響いて、ちょっと気を抜いたら耳から脳みそが出てきそう。これだけの音量だったら中でなにかあっても外に聞こえないし、頼みの綱の監視カメラはハリボテ状態。もちろん、今とは全然全く一ミリも関係ない話。「どした?」ひなとの声が広告の音声に混じる。その声色があまりにいつもと変わらないから、オーバーヒートしかけていた頭がすっと冷えていくのを感じた。
「ん? 合格祝いに私の顔を至近距離で見せてあげてるだけだけど」
ただでさえ近かった顔をさらにぐっと近づけて、吸ってばかりだった息と一緒に出まかせも吐き出した。……どうしてか、目が霞む。もともと頼りにしてない左はともかく、右目まで。
私が咄嗟に考えた言い訳を聞いたひなとは、笑って言った。
「お心遣い痛み入ります」
その声色も、やっぱりいつもと変わらない。見えてないからわからないけど、顔色だってきっと変わってないと思う。知ってる。ひなとはそういう男の子で、だから私と二年近く仲良くやってこられた。ここで動揺される方がおかしいし、私も困る。
「よきにはからえ」
目を見開いたり細めたりして必死でピントを合わせようと頑張ったけど、どうやったって視界は霞みっぱなし。そうして格闘している私のほっぺたを、ひなとが急にぎゅっとつかんだ。「ふぎゅ」変な声が出る。体が固まる。「近すぎ。恋するぞ」信じられないくらいの棒読みと一緒に、私の体が後ろへ押し戻された。……嘘つき。心にもないこと言っちゃってさ。
「きもー。ひなと全然タイプじゃなーい」
ばっと顔を背けて、目元を拭った。するとブレブレだった視界が元に戻って、自分が半泣きだったのを初めて知った。なんで涙が浮かんでいたかは、自分でもよくわからなかった。
これ以上歌う気分にはなれなくて、ひなとの腕を引いてカラオケボックスから出ていく。三月末のまだまだ冷たい空気が、狭い個室で膨らんだ熱を奪っていくのがわかる。今日の夜はきっと冷えるんだろうな。
適当に会話を交わしながら歩いていると、見慣れた制服の高校生たちが何人も立ち止まって挨拶してきた。全員の名前を知ってるわけじゃないけど、後輩だってことくらいはわかる。「こんにちは」「委員会で一緒だったの覚えてますか」「私服もめっちゃかわいいですね」みんな大体そんな感じのことを言って、ぺこっと頭を下げてから離れていく。「ばいばーい」とか「お疲れ~」とか言って手を振る私を、ひなとは一歩ぶん後ろから眺めていた。顔に浮かべている笑みが授業参観の親そっくりで、完全に他人事だと思ってるみたい。
でも。
「あの……ご卒業おめでとうございます!」
「ありがと。気を付けて帰りなよ」
「……はぃ」
そのうちの何人か、それも女子ばっかりが、私への挨拶もそこそこにひなとへ声をかけていた。その子たちの態度に、私の記憶が重なる。――そうだ。私を校舎裏に呼び出した人たちの雰囲気に似てるんだ。
「……優しいじゃん」
「後輩の前で大人っぽくふるまうのが先輩の役割だよ。ってかその言い方だと俺が普段優しくないみたいに聞こえるんだが?」
「優しくないでしょ。燃えるごみは環境に」
「それまだ引っ張る?」
「味がするうちはね」
「…………」
「…………」
二人とも意味もなく黙っちゃって、次に口を開いたのは沈黙をいやがったひなとだった。
「……境雛人の悪評知らない後輩連中からすると、みんな憧れの乙幡叶歌先輩とつるんでる格の高い存在に見えちゃうんだろうな、俺も。高級ブランドって商品突っ込む紙袋にも値が付いたりするし。……そういう子らの羨望のまなざしを曇らせたくないって思うわけ」
「彼女持ちの男の子が結局一番モテるみたいな話?」
「需要と供給の関係は思ったより歪んでんなーって話」
私から触れてこなかっただけで、一年のころに流れていたひなとの悪い噂についてはなにも進展していない。今となっては全部鼻で笑っちゃうような内容。ひなとがするはずのないこと。――なのに、ひなとはその噂について聞かれても絶対否定しない。聞いてきた子の顔が引きつるのも気にしないで「そうだよ」「合ってるよ」「その通りだよ」って認めて、寂しそうに笑ってる。
正直、なにがあったかはもうどうでもいい。知ったところで今さらひなとを嫌いにはなれないし、そんなことを聞いてくるやつだと思われるのもいやだ。触れられたくない昔話の一つや二つ、誰にだってある。私にだってあるんだから、他の皆にはたぶんもっとたくさん。
そもそもひなとに近づいた理由から全然綺麗じゃない私的に、あんまり人のことは言えないんだ。
「ファミレス入ろっか。なんか全然前に進めないや」
ひなとと遊びに来たんだから、他の子にばかり構っていられない。学校にいた間は時間なんていくらでもあるような気がしてたのに、実は全然そんなことなかった。今日もきっとすぐ終わって、三月だって気づいたときには通り過ぎてる。それで、そのころにはもう、ひなとは遠くに行っている。
怖いなあ。改めて考えると。なにが怖いのかはっきりしていないけど、ぼんやり不安になる。――そっか。誰かから離れることは今までいくらでもあったのに、誰かから離れられるのって、今回が初めてなんだ。
何度も通ったファミレスで楽しくおしゃべりしているのに、心はずっともやついたまま。あんなことがあったね、こんなこともあったねって思い出を振り返るたび、これからはできないんだねって言ってる気分になって切なかった。本当は、そんなことないよって否定してほしい。だけど、どう考えたってそんなことある。ひなとはできない約束をするほど口上手でも無責任でもない。――だから、誰より一番頼りにしてきた。
「がぶっ」
「あっぶね」
テーブルに上半身を寝かせながらひなとを見ていたら、よくわかんないけど無性にむかついた。ちょうどいいところにあったひなとの手に噛みついてみたものの、そのくらいじゃすっきりしない。そもそも噛めなかったし。
外が暗くなって結構経ったけど、話したいことなんてまだまだいくらでもあった。三日三晩かけても語り尽くせないくらい、今日までの二年弱にはいろんな思い出が詰まってる。「全部楽しかったね」で終わらせるのはもったいなくて、でも時間には限りがあって、できることなら明日からまた高校生をやり直したいって思っちゃう。……でも、いくら神様に祈ってもダメなことはダメだった。――お願いするなら、もっとちゃんと確かな相手を選ばなきゃいけない。
「……じゃ、もうちょっと付き合って」
気持ちがふわふわしていて、直前までどんな会話だったのかが曖昧。ひなとはすんなりついてきてくれるみたいだったから、おかしくはなかったのかな。
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